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宙の花標  作者: ながる
第二部 地上の星に舞う蝶は

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33.停滞

 しばらくの間は、新しい暮らしのリズムを整えるのに(ようやく)専念できた。

 外出は最低限だったけれど、それは本家でもそうだった。お手伝いさんや運転手さんがいないので、掃除や洗濯という当たり前のことが新鮮でもある。

 動画を見ながらの料理も慣れてきて、ただ、一人の食事はやっぱり少し寂しかった。本家の食堂では誰か彼かの気配があったから。


 時々はツバメを誘って外食もした。彼も星ではなかなか食べられないものをと選んで誘えば、付き合ってくれた。直接話すのはその時くらいで、だいたいはアプリ越しの会話になる。ほんの二階下に住んでいるのに、なんとも遠いことだと何度思ったことだろう。

 でも、それも本家で安藤やお婆ちゃんといた時間を思えば、ツバメにそれ以上を望むのは酷なことかもしれない。


 桐人さんの言っていたゴシップ誌の配信は徐々に一般人にも広がって、ネット上では様々な憶測が飛び交っていた。何度か大学に足を運んだけれど、友人も、友人ではなかった人も顔を合わせればその話になるので(いかにも強面のボディーガードを連れ歩くようになったので、信憑性が増したらしい)、否定するのに少し疲れていた。遠巻きにカメラや端末を構えられることもあって、自然、足は遠のく。

 気晴らしにと、大きな公園のベンチに座って空など見上げれば、ビルの隙間を鳥が器用に抜けていくのが見えた。

 太陽はギラギラと絶好調で、木々の影は黒々と焼き付いているよう。まだ夏の入り口だというのに、その暑さには辟易してくる。


「……下界は地獄だな」


 黒いシンプルな日傘をさしかけてくれながら、ツバメは片手で煙草を探していた。


「ここ、禁煙。吸えるとこ行こうか?」


 空が見たかったので、日傘を持つ手を押しやると、ちっ、と舌打ちが聞こえた。


「めんどくせぇ」

「火事になったら困るでしょ?」

「始末さえきっちりすれば、問題ねーんだよ。生木は燃えにくい」

「そうだけど……」


 押しやっても動かない日傘の黒さに、(そら)を思い出す。


「帰りたい、よね」

「……あん?」

「こんなに、居るはずじゃなかったもんね……」


 ツバメが降りてきてから、かれこれひと月は過ぎている。彼が戻れないので、星での調査も延期になったままだ。


「おー、おー。全くだ。親父さんに催促してくれよ。いつになったらボディガードちゃんと雇うんだって! 忘れてんじゃねーのか?」

「どうかな……」


 父さんから連絡が来たのはいつだったか。

 「母さんに会うのか?」と、少し焦ったように……いや、あれは、羨ましそうに、というのかもしれない。なるべく早く帰るから、できたら待っててくれと、ほとんど一方的に言って切れてしまった。


「もうすぐ帰ってくるんじゃないかな。母さんの都合、まだ合わないんだよね? 待ってたわけじゃないけど、間に合いそうね」

「げ。それは勘弁してほしいんだが……」


 ツバメも空を見上げたので、ここ数日思っていたことを口に出してみる。


「一度、帰る? 星の様子、見たいんじゃない?」

「んー……? システムチェックはしてるから、大丈夫は大丈夫なんだがな。春季の採蜜は終わってるし、剪定とか、雑草抜きがおろそかになるくらいで。だいたい、変わりのボディーガード、本家に頼むのか?」

「一緒に行けばいいんじゃない?」

「は?」


 ツバメの持っていた傘が揺れた。


「大学もアーカイブ配信でいいかなって気がするし、ほとぼり冷めるまで引きこもっていれば、噂も下火になりそう」

「……ばっ……あそこには、他に誰もいねーんだぞ?!」

「だから、いいんじゃないの? アンドゥと三人で……今だって同じ家に住んでるんだもの。大して変わらないでしょ」

「いやいやいや。大違いだろ。親父さんだって、お袋さんだって、許さないだろ!?」


 言い切ってから、ツバメははたと表情を変えた。


「そうか。許さないよな。それなら、いけるか?」

「え?」


 今度は、私がそのつぶやきの意味を取り損ねて、ぱちぱちと瞬くことになる。

 ツバメは器用に片手で端末を取り出して操作し始めた。

 汗の滲む額を見て、どこか冷房の効いたところに入ろうと、動きが止まるのを待つ。


「あっれー? 今話題のお姫様じゃん」


 私とツバメが同時に視線を向けた先には、桐人さんの弟の桧さんがひらりと手を振っていた。一緒にいる真面目そうな男の人は楽器のケースを手にしている。


「そっちが、噂のボディガード? なるほどー? 初めまして。崋山院(かい)です。その節は、兄がご迷惑をおかけしまして」


 ツバメは唇の端を持ち上げただけだった。


「このくそ暑いのに、外で何してんの? まあ、人は少ないか? マスコミも寄ってくる人間もうざいでしょ」

「もう、行こうかと。桧さんこそ、こんなところでどうしたんです?」

「俺はねー。演奏会が終わったとこ。次の用事が公園の向こう側で。突っ切った方が早いかなーって。もう後悔してるけどね」


 演奏会、などと洒落て言っているが、革のパンツにキャップの上のサングラスというラフな格好を見ると、趣味のインディーズバンドの方だろう。練習なのかライブなのか判断はつきかねる。


「今度VRライブやるから、興味ないかもだけど参加して応援(Push!)してよ。数あればスポンサーの目につくからさぁ」


 ウィンクする桧さんの横から、男の人が流れるようにカードタイプのチケットを差し出した。二枚受け取ると「じゃあね」と桧さんは歩き出し、二、三歩行って振り返る。


「あ、そういえば……紫陽(しはる)ちゃんは仲良かったんだっけ?」

「え?」

「安藤さん」


 どきりと胸が鳴る。


「内々のお披露目に行くんだけど……どうせだから、一緒に行かない? 出来上がり、気になるでしょ? あー。それとも、兄さんに会うのは嫌かな」


 ツバメにも視線を向けて、にこりと笑う顔に悪意がこもっているように思えるのは、きっと気のせいだろうけど、素体はもう見ていますとも言えない。動く新しい安藤を確かめておきたかったのも本当だから、私はベンチから立ち上がった。


「桧さんのご迷惑でなければ、お願いできますか?」

「全然。お手を引きましょうか?」


 それには首を振ると、桧さんは朗らかに笑いながら、背を向けた。

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