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宙の花標  作者: ながる
第三部 月に叢雲風に花

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63.待機

 揚羽(あげは)さんが言ってた場所っていうと……二階の?


「……でも、あそこってもうドアがなかったじゃない。両隣の部屋からも繋がるところはなかった気がするけど……」

「ちょっと調べたら、地下のワイン倉庫から登れる通路というか階段があって、まだ荷物も少し置いてあった。関係者でも知らない人もいそうな感じだったから、隠れるにはちょうどいい。ただ、倉庫だから窓も小さいし設備は何もない。滞在するには向かないんだよな」


 ここは、水場もあるし、電気も来ている。お風呂はないけど、お湯を沸かすことくらいはできるし、トイレまで完備だ。


「買い手が決まって、修繕のための点検期間に入ってるから、今は人の出入りのチェックが甘い。今週は本館に作業員が来るかもしれないが、こっちは大丈夫のはずだ」

「……本当に二、三日?」


 冨士君はわずかに黙ったけど、力強く頷いた。


「長くても四日だ。俺が戻ってくる頃には、事態は動く」

「冨士君……何をしようとしてるの?」

「俺じゃない。何とかできるのは、もっと覚悟を持った人たちだ」


 食べない癖に、私のお弁当を狙っているアンドゥに視線を向けて、冨士君は言った。


「じゃあ、冨士君は何のために?」

「俺は俺のために動いてる。紫陽(しはる)が気にすることじゃない」


 食べ終わったゴミを纏めて冨士君は立ち上がる。


「伯父様は知ってるの?」

「……いや。そう機会もないと思うが、余計なことは言わないでくれよ」


 「戻ってきたら迎えに来る」そう言って、冨士君は行ってしまった。

 また静けさが戻ってきて、少し寂しくなる。荷物からイヤホンを探し出して冨士君が置いて行った端末と繋げてみた。

 なるべく出演者の多い番組を流しておく。


「アンドゥ、変わったことがあったら教えてね」

『お任せください』


 安藤の声に少しほっとするけど、話し続けるとボロが出そうなので、やめておいた。





 畳とはいえ、寝袋だけで寝るのはちょっと身体が痛くなるな、とか、大きな鏡が欲しいな、とか、それなりの不自由はあるけれど、置いて行ってくれた端末や、食料と一緒に入っていた冨士君の使っていただろう参考書や資料は時間つぶしにとても役立った。

 時々、アンドゥを通して飛燕やツバメとも話したりしたけど、大きな進展があるわけでもなく、フェリーから降りてくる人を待ち構えていたマスコミが、肩透かしを食らっているのをちょっと笑ったくらいだった。

 世間もそろそろ続報のない話題に飽きて、また芸能人のゴシップに関心は移っているようだ。

 久我の、というか、相馬の方の動きはよくわからない。

 伯母様も父さんに連絡をつけようとしているようなのだけど、捕まらない、という話だ。

 安藤に訊けば、「あちこち移動してるようなので」と返ってきた。

 なんだか全てが停滞してしまったよう。


 三度目の夜、少し学習して早めに寝支度をしようかなと寝袋を手に取った時だった。

 明らかな人の足音が近づいてくる。アンドゥも気付いたのか、耳を立てて警戒していた。屈みこんで、そっと息を殺しておく。

 足音は奥へと回り込んで、勝手口をノックした。


「……紫陽。迎えに来た」


 抑えた声の後、ロックが解除される。

 冨士君の姿にほっと息が漏れた。


「もういいの?」

「正確には、あと半日くらい。でも、今夜はゆっくりするべきだから」


 私が慌ただしく荷物を纏めている間に、冨士君は冷蔵庫やレンジのコンセントも抜き、持ち込んだものを片づけて行く。

 駐車場にはバイクではなく軽自動車が停まっていた。


「今日は車なんだ……」

「荷物が多いからな」


 段ボールを後部座席に放り込んで、冨士君は上着も脱いだ。半袖から覗く腕にいくつか青痣がある。

 助手席に乗り込みながら訊けば、ちょっと腕を捻って確認して溜息をついた。


「なんでもない。気付いてなかった」

「痛くないの?」

「そんなに」


 そっけなく言って、車を発進させる。

 どこに向かうのかと聞くまでもなく、住宅街を抜けた車は高層ビルの林立する方へ向かっていた。久しぶりの都会はネオンが明るすぎて目がチカチカする。

 そうこうしているうちに車は小さなホテルの地下駐車場へと入っていった。

 小綺麗なビジネスホテルのようだ。

 エレベーターでロビーに上がれば、飛燕が目の前で待っていた。

 ちょっと驚く。


「お荷物、預かります」


 腕の中のアンドゥが「にゃ」とこちらを見上げた。

 ロビーにはツバメも居て、だるそうに片手を上げて挨拶する。

 アンドゥを差し出せば、受け取ろうとしたツバメの手をアンドゥが猫パンチしていた。


「なんでだよ」


 苦い顔のツバメに頬が緩む。


「どうしているの?」

「呼ばれた」

「冨士君に?」


 ツバメは答える代わりにアンドゥをちょっと持ち上げる。

 安藤に? なんだかちょっと不思議な気分でアンドゥを見つめたのだけど、やんちゃな青い目からは何も読み取れない。

 すぐに飛燕が「チェックインしました」とカードキーを持ってきたので、今度は全員でエレベーターに乗り込む。


「みんな泊まるの?」

「はい」


 見回しても、答えたのは飛燕だけで後の二人は反応もない。仕方なく飛燕に視線を定めれば、彼はちょっと嬉しそうに微笑んだ。


「お部屋は近くになってます。私は紫陽様と一緒に、ツバメ様と冨士様はそれぞれ、ですね。お部屋に入ったらお湯を入れますから、紫陽様はごゆっくりなさってください」

「……飛燕……それ、ボディガードの仕事じゃないんじゃ……」


 苦笑すれば、キリっとした顔で「お疲れでしょうから」と言われた。

 安藤に何か妙なことを習ったのかとちょっと可笑しくなって、まあ、今日くらいはいいかとそれ以上突っ込まなかった。

 エレベーターは十五階に止まり、開いたドアから飛燕が先導するように出ていく。後に続いた私は、すっかり油断していて、にゃあ、と呼ぶアンドゥの声にのんきに振り返った。

 

 エレベーターの前で、降りてきた残り二人が小競り合いをしていた。

 冨士君を捕まえようとツバメが腕を伸ばし、それをすんでで避ける冨士君。追いかけるように一歩踏み込んで、今度は足払い。冨士君はそれも躱しながら、自分からツバメの懐へと飛び込んでいった。牽制するツバメの腕を軽く屈みこんで避けて、その顎を目掛けてこぶしを振り上げる。

 その腕を、ツバメはがっちりと捕まえた。

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