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宙の花標  作者: ながる
第三部 月に叢雲風に花

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54.何故

「苦労はしてないな。おとなしくついてきた」


 冨士君の表情は変わらない。仮面のような無表情で、でも私とは目を合わせなかった。

 天野さんに視線を移して、私の横を何でもないようにすり抜けようとする。


「……どうして」


 さんざん注意された。逃げ出すチャンスもあった。だから、今の状況に文句はない。

 それでも、その動機は聞いておきたかった。

 冨士君は少しだけ足を止めて手を伸ばし、思わず一歩後ずさりした私の端末ホルダーから端末を抜き出した。


「あっ……」


 それを上着の内ポケットにしまい込んで、天野さんへ歩み寄っていく。


「教えて差し上げればいいじゃないですか。崋山院と久我、両社が初めてタッグを組む企画を計画中だと。マスコミも食いつくでしょうし、才能ある若者の名前は一気に世間に知れ渡るでしょうね?」


 勝手に答える銀縁眼鏡の男を睨みつける。


「あなたには聞いていません」


 天野さんが何か言いたげに口を開いたのだけど、先に冨士君の声が割り込んだ。


龍臣(たつおみ)、端末は?」

「今、冨士君が紫陽(しはる)さんにしたのと同じようにされたけど?」


 その声に非難の響きがあるのを感じて、少しほっとする。少なくとも、天野さんが望んだことではないようだ。


「今からでも遅くないぞ。紫陽さんを連れて帰れよ」

「遅くないと思うなら、まだまだわかってないな。だいたい、お前、言ったじゃないか「紫陽さんと結婚したかった」って」

「……ばっ……!」


 視線が一瞬だけ合って、天野さんは火がついたように赤くなった。

 動揺した彼の隙を突くように、冨士君はその手を掴まえて、人差し指に小さな機械をはめ込んだ。


「えっ。なにこれ? 何の機械?」

「別に痛くないだろ。少し黙ってろ」


 病院で使う酸素濃度を測るやつにも似ているけど、表示はついていない。天野さんが困惑しているうちにそれは回収された。

 くるりと踵を返して、冨士君は戻ってくる。今度はひたりと据えられた目に、身体が防御反応を起こした。私も身を翻して出口へと駆ける。端末がなくとも、外へ出られれば連絡の手段は何かしらあるはず。

 ドアの前で、はたと動きが止まる。四角い一枚の板。そこに()()()()()。周囲の壁に認証機器もない。

 ドアを押してみても、もちろん開くわけもなかった。

 ゆっくりと追いついてきた冨士君が、腕を取って背中側に軽く捻り上げる。

 指に圧迫感のあるものを被されて、冨士君は私にぴたりと身体を寄せた。耳に吐息のかかる距離。


「おとなしくしてろ」


 囁き声はすぐに離れて、指の圧迫感も無くなった。

 ずるりと腰が抜けたようになった私を冨士君は抱き上げて、部屋に戻ると、無言で天野さんに押し付けた。

 小さな機械は通りすがりに銀縁眼鏡の男に投げ渡され、男は笑みを浮かべて少しの間それを眺めた後、ポケットにしまい込む。


「説明は頼みましたよ。どうぞ、ごゆっくり」


 冨士君に続いて男が部屋を出ると、壁がスライドして閉じた。




「ほんっっっっと、ごめん!」


 床で土下座してる天野さんをソファに座らせるのに、三十分くらいかかっただろうか。こんなことになってるのに不思議と暗い雰囲気になってないのは、彼の生来の明るさからか、私が鈍感なのか。

 ともかく状況を把握したい。


「後でいくらでも聞きますから。天野さんの知っていることを教えてください」


 涙目の天野さんが言うには、コンペ入賞の後、本社からの引き抜き打診に、お父様が強く賛成したらしい。本社勤務を数年するだけでも社の箔付けになる。と。

 天野さんとしてはそうこだわりもなかったものの、デザインに関わることができるなら願ったりだし、と、軽い気持ちで承諾したのだと。

 間に入って色々手を尽くしてくれたのが、銀縁眼鏡の男。名を相馬(そうま)瑞樹(みずき)というようだ。


「久我、ではないんですね」

「うん。久我に昔から協力してる一族らしい、というのは冨士君が教えてくれた」

「冨士君が?」

「そう。でも、その割に身内で久我姓になれた人は多くない、とか……どこで調べるんだろうね?」


 マスコミの一斉報道の日は、その相馬に呼び出されていて、ちょうどトイレに立ったところだったと。冨士君から「今どこにいる」って連絡が入って事を知り、青褪めたらしい。知らぬ存ぜぬを伝えて、その時に私への伝言も頼んだようだ。

 相馬に「しばらく身を隠した方がいい」と移動させられ、途中、車を替える念の入りように違和感を持ったものの、逆らえる雰囲気でもなく。端末は移動前に取り上げられ、別の端末を代わりにと与えられたらしい。


「あんま変なことできないなって感じだったから、GPS情報だけ冨士君に送ってさ」

「……え? 端末取り上げられたのに?」

「うん。冨士君のIDとか数字番号覚えてるから。ただ、こっち知らないIDだろうし、スパムだと思われたらそれまでだったんだけどさ……」


 聞きながら、私も緊急時のために、ひとりくらい自分の頭で覚えておいた方がいいのかもと反省する。とはいえ、IDはともかく、付与される数字番号は20桁くらいあるので自信はないけど。

 冨士君はその後、デリバリーを装って天野さんと簡単なメモ交換を行っていたらしい。


「ドアの隙間から差し込まれたりすると、映画とか推理小説みたいでちょっとわくわくするよね。読んだら燃やせ、とかさ! ……あ、そんな場合じゃないのは、解ってるんだけど、ほら、することもないと……」


 こほん、と咳払いをして天野さんは目を逸らす。

 怪しまれないために、レシート程度の大きさに、一日一度の頻度だったから、そう情報を交換できたわけじゃないけれど、励みにはなったんだと彼は笑った。

 相馬が()()を持ってきたのは、隠れ家に移った次の日だと、天野さんはテーブルの上の封筒を指差した。

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