5話 隠しても滲むもの
リシャールから連絡が来たのは、彼が倒れてから一週間後のことだった。
すぐにリシャールの屋敷を訪れたマノンを、リシャールは病床から歓迎した。
「リシャール様……体調の方はいかがですか?」
「問題ありません。数日後には元通りになるでしょう」
そう語るリシャールの顔にはもう赤い爛れはなく、顔色も良い。嘘ではないようだ。
人であれば助からないと思われるような火傷ですら、吸血鬼はこんなにも簡単に治るとは。
「ひどい火傷でしたけれど、もう痛くはないのですか? 後遺症などは……」
食い入るようにリシャールを質問するマノンに何を思ったのか、リシャールは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「あなたには心配をかけてしまいましたね。申し訳ありません」
マノンは一瞬、言葉を失う。
心配? 仇の? ありえないーーそう口にしそうになるのを、どうにか堪える。
マノンの演技がそれほど上手いということに違いない。彼の目には、マノンは身を呈して自分を守ってくれた婚約者を心配する令嬢として映っているのだろう。
ならそれに乗るだけだと、マノンは慌てて首を振った。
「いえ、そんな! 私を助けてくださってのことですし、むしろ私がお礼をいうべきことです。……改めて、助けてくださってありがとうございました」
「私がしたくてしたことですから。……あなたが噛まれなくて良かった」
「……あの蛇は、毒蛇だったんですか?」
「はい。そこまで毒性は強くはありませんが、万が一ということもありますから」
その日はリシャールの体調を考え、少し話をして帰った。
「あの男は不死身に近いのね……」
夜、寝る前にひとりごちる。
様々な殺害方法を考えたが、すんなりと思い通りにことが進む自信はない。
仇撃ちを果たせるのは、予想以上に時間がかかるのかもしれない。
リシャールを確実に殺せる隙を探しながら、彼に血を吸われないように立ち回るのはなかなか骨が折れそうだ。
「いえ。吸血を回避するのは簡単だわ」
心底惚れているとリシャールに思われなければいいだけだ。
多少好いている演技ができているとはいえ、仇を心の底から愛するふりなどできるはずがない。どうしたって、滲み出てしまうものはあるだろうから。
「マノン、来てくれたのね!」
友人のポーリーンは屋敷にやってきたマノンを見て、顔をほころばせた。
「あなたの招待だもの、叔母様に止められたって駆けつけるわよ」
「みんな、庭で待ってるわ。ふふ。今日はあなたにたくさん聞きたいことあるのよ!」
「お手柔らかにね。あまりペラペラ喋ると叔母様に叱られてしまうから」
窮屈なことばかりの令嬢生活だが、マノンにはひとつ大きな楽しみがあった。
それは、友人たちとの茶会だ。
年の近い子たちとの語らいは、マノンにとって欠かせない憩いの時間だ。
「あら。あなたの今日の髪飾り、素敵ね」
「でしょう? この職人、すごく人気出てきてるの」
「お姉様にお願いして、良い茶葉を送ってもらったのよ」
「あなたのお姉様って確か、西方に嫁いだのよね? あの地域のお茶は美味しいと評判だもの」
茶会はいつものように華やかな話題で賑わう。
茶菓子にも舌鼓を打ちながら、待ちかねていたようにポーリーンが口を開いた。
「それで。マノン、ラングラン卿とは今どんな感じなのかしら?」
茶会の主催者がようやく話題にしたからか、周りの令嬢も次々とマノンに質問し始める。
リシャールと出会った舞踏会以来、マノンは公の場に現れることはなかった。パートナーのリシャールが元々人前に出ることが苦手なため、マノンも自然と公の場に顔を見せることは無くなったのだ。
手紙も叔母が監視しているため、連絡を取るのが難しく、やっとマノンから話を聞ける機会が来てはしゃいでいるのだろう
マノンはひとつずつ、彼女たちの質問に答えていく。普段はリシャールの屋敷で一緒に過ごしていることや、リシャールが倒れて見舞いに行っていることなど話せる範囲で話した。
「ラングラン卿って、本当に虚弱なのね。ほとんど屋敷に籠ったままなんて……」
「でも、あの人と一緒に過ごせるのは羨ましいわ。どれだけ社交界に出ても、あれほど素敵な人はなかなかいないもの」
「ええ。それに、マノンは幸せそうだし」
「……そうね。あの人と一緒にいられるのは嬉しいわ」
マノンが微笑むと、恋の話が好きな友人たちは楽しそうに盛り上がる。
彼女たちの反応に、マノンは自身の演技が通じている事に安堵する。仇に惹かれている演技をしなければいけないのは、複雑な気持ちではあるが。
「あの人が誰かを選ぶなんて思わなかったわ。そもそも、また公の場に出るなんて思わなかったし」
「三年前に公爵主催の舞踏会に出たのが最後だったらしいわね。長く存在を隠されていて、数年前に公表したばかりだったって」
「姉がその頃に社交界デビューしたんだけど、ラングラン卿の話よく聞いたわ。いろんな令嬢にアピールされても、令嬢と関わりを持とうとはしなかったって。いつもフォートナム子爵令息と一緒にいたらしいの。だから、変な噂も……」
令嬢はハッとしたように口を閉じた。
フォートナム子爵令息とはシリルのことだ。シリルと常に一緒にいたというのなら、当然彼の婚約者であるデボラともよく顔を合わせていたのだろう。
男ふたりと女ひとりが一緒にいて流される噂など、痴情のもつれぐらいしかない。
よく考えれば当然だった。令嬢であるデボラが婚約者以外の男とこっそり関わりを持つことができるはずない。家では叔母が目を光らせているし、外では叔母に忠実な使用人が常に監視している。
リシャールと会う機会があるとすれば、シリルを通さなければ、不可能だ。
「そ、そうだわ! この間美味しい茶菓子を見つけたのよ。柔らかくて食べやすいから、病人にも食べられるらしいの。よかったら、お見舞いに行く時にラングラン卿へ持って行ったらどうかしら?」
慌てて友人は話を変えた。
友人の気遣いを無碍にしてしまうのも、明るいお茶会を不穏な空気にしてしまうのも忍びない。
マノンも先程の話を聞かなかったことにして、友人とのおしゃべりに興じた。




