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最後の晩餐を  作者: あやさと六花


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2話 婚約者との逢瀬

 マノンは小さな町に生まれた平民だった。仲の良い両親と三つ年上の姉デボラと幸せに暮らしていた。


 けれど、そんな平穏な日々はマノンが十歳の頃に突然終わりを迎えた。

 父が流行病に倒れたのだ。懸命な治療も虚しく息を引き取り、つきっきりで看病をしていた母も後を追うように亡くなった。

 両親を相次いで亡くして呆然としているふたりの元に、美しい黒髪の貴婦人が現れた。

 

「あなたたちが、お姉様の娘ね?」

 

 母の妹と名乗った貴婦人は母の過去をふたりに教えた。

 母はオベール家の長女で、適齢期になれば婿を取るはずだった。だが、母は出来が悪かったため、妹の叔母が家を継ぐことになった。

 母は老いた貴族に嫁ぐ直前、没落貴族である父と惹かれあい、駆け落ちをしたのだと。

 

「まさか、こんな田舎町に住んでいたなんて思わなかったわ。迷惑だけれど……まあ、あなたたちは使えそうだから引き取ってあげるわ」

 

 そうしてマノンたちは叔母に引き取られた。

 母の代わりにオベール家を継いだ叔母にはふたりの息子がいた。ふたりとも既に寄宿学校に入っており、滅多に顔を合わせることはなかった。お互いに積極的に関わる気もなく、義理の兄たちではあるが、ほぼ他人同然だった。

 叔父は当主ではあったが、叔母の血縁者に興味はないらしく、こちらもほとんど話をしたことはない。

 

 叔母だけが家族としてふたりに接した。けれど、親族としての情はなく、利用できる駒としての役割しか求められていなかった。

 朝から晩まで厳しい授業が続いた。姉妹間の言葉遣いまで正され、ほんのわずかでも気を抜くことは許されない。

 両親を失った傷も癒えぬまま慣れない環境に泣くマノンを、デボラは優しく慰めた。


「ほら、泣かないで。よく言うでしょう? 泣いてしまったら、吸血鬼みたいに真っ赤な目になってしまうって。そうしたら、仲間だと間違われて連れて行かれてしまうかもしれないわよ?」

「……お姉さま。私もう子供じゃないのよ。そんな作り話、信じないわ」


 この国では昔から、夜ふかしや夜泣きをする子どもをあやすために吸血鬼の言い伝えがあった。夜ふかしをしていたら、泣いていたら、吸血鬼に仲間だと思われて連れて行かれると。


「それに、私達が吸血鬼に見つかったら、もっと恐ろしい目に遭うもの」


 マノンは自身の髪に目を落とした。母親譲りの輝くような金の髪。それと緑の瞳は珍しい組み合わせであり、吸血鬼が好む色でもある。


 ――金の髪と緑の目を持つ女は吸血鬼に見初められ、満月の夜に生き血をすべて奪われ息絶える。


 幼い頃はその言い伝えにひどく怯えていたが、十歳となるマノンは子供だましだと気づいている。


「血を吸いつくされた女性が本当にいたら大騒ぎになって、あっという間に吸血鬼も発見されるわ。吸血鬼って、本能が抑えられずに血を飲んじゃうんでしょ? なら、隠れて住むなんて無理だし。だから、吸血鬼なんておとなが作った適当な嘘よ」

「本当にいるのかもしれないわよ? 吸血鬼は神出鬼没で、人に化けるのがうまいと言うじゃない」

「もしいたら、すぐに警備兵に突き出してやるわ」

「あら。マノンは頼もしいのね」


 デボラは微笑み、マノンの目尻に残った涙を拭った。

 頭を撫でるデボラの優しい手つきに、マノンのまぶたが重くなる。泣きつかれたのもあったのかもしれない。

 トントンと背を叩きながら、デボラは友達から聞いたという面白い話を聞かせてくれる。


 デボラはいつもこうしてマノンを励ましてくれた。 

 厳しい令嬢教育に耐えられているのは、優しいデボラがいてくれたからだ。

 マノンはデボラの服をぎゅっと握りしめた。


「お姉さま……」

「なあに?」

「……もし、本当に吸血鬼がいたとしても……私がお姉さまを守るからね……」


 思わぬ妹の言葉に、デボラの手が一瞬止まる。


「ふふ。ありがとう、マノン」 


 デボラの返答に、マノンは満足しながら眠りに落ちる。


 けれど、デボラと交わした約束が果たされることはなかった。

 彼女は三年前、満月の日の舞踏会で亡くなってしまったから。





「来てくださって嬉しいです、マノン嬢」


 舞踏会から数日後、リシャールの屋敷を訪れたマノンを、婚婚約者となったリシャールがにこやかに出迎えた。

 彼はマノンの背後に控えているオベール家の侍女に目を向ける。


「悪いが、私は屋敷にあまり人を入れたくない。君は馬車で待機していてくれないか」


 いつもはマノンのそばを絶対に離れようとしない侍女は、素直に引き下がった。おそらく、叔母にリシャールに従えと指示をされていたのだろう。


「では、行きましょうか」


 リシャールは控えていた執事に目配せをして給仕の準備に向かわせると、マノンを庭へとエスコートした。


 夕焼けに染まった庭には様々な花が咲き乱れていた。マノンの好きな花も咲いている。思わず目を奪われているとリシャールが微笑んだ。


「宜しければ、帰りに気に入った花を庭師に摘ませましょうか」

「いえ。せっかく綺麗に咲いているのに、もったいないですわ」

「愛でてくれる人の元にいた方がいいでしょうから。……私は、綺麗に愛でられる時間帯にここに立ち入ることはできないので」


 リシャールは生まれつき虚弱で、幼い頃はほとんど屋敷から一歩も出ずに過ごしていたらしい。成人する頃には動き回れるようにはなったが、日中の日差しには耐えられず、活動時間はもっぱら夜間だ。

 そこまで思い出して、マノンはふと気づく。


「今は日が出ている時間帯ですが、お身体に問題はありませんか?」

「ええ。夕日くらいでしたら、問題ありません。日中の日差しさえ避けられれば良いので。……ですから、私とでは一般的な交際は難しいかと思います。あなたには申し訳ありませんが」

「構いません。私はそうしたものに憧れなどは持っていませんでしたから。令嬢らしくないと叔母によく怒られていました」

「……あなたは確か、幼い頃は平民として育ったそうですね」


 マノンは驚いてリシャールの顔を見た。

 マノンの母の駆け落ちはオベール家の恥だった。そのため、母は駆け落ちではなく、体を壊して遠方の地で療養していたことになっている。療養先で父と出会い、密かに結婚してマノンたちが生まれたことになっていた。

 だから、マノンの出自は家族以外知らないはずなのに。


「シリルに聞いたんです。あなたの姉が密かに教えてくれたんだと」

「お姉様が……」


 デボラは、かつてシリルと婚約していた。舞踏会で出会い、お互いに惹かれあったのだと、ふたりが照れながら馴れ初めを聞かせてくれた。

 叔母はもっと有力な貴族と縁を繋ごうと考えていたが、多額の金銭と引き換えに了承したそうだ。


 シリルの家も他家の令嬢が婚約者候補だった。だが、デボラに出会ってシリルが父親に掛け合ったらしい。

 家のことを第一優先にするシリルが自分を優先することなど初めてらしく、叔母が了承したのもそれが一因だ。シリルのデボラへの想いはそれほど強かった。


 デボラもシリルを心から愛していた。それは端から見ても明らかだった。

 淑女の鑑と教師に太鼓判を押された姉が、シリルの前では少女のように目を輝かせるのだから。

 人は恋をするとあんなに無邪気な顔をするのだとマノンは知った。


「……あまり知られたくない話題だったでしょうか? シリルは私があなたの夫となるので知っておいたほうがいいと特別に打ち明けてくれただけで、他言はしないといました。もちろん、私も口外するつもりは一切ないので安心してください」

「そうしていただけると助かります。叔母様は私たちの育ちをよく思っておらず、隠すのに必死ですから」

「オベール夫人は、家をとても大切にされている方なのですね」

「ええ。叔母様は貴族夫人の鑑です。私も見習いたいものです」


 心にもないことを、淀みなく口から吐き出す。すっかり貴族らしくなったものだとマノンは内心自嘲する。


「そうですね……ですが、そのせいであなたに強引な結婚を強いることになったのは申し訳ありません」


 貴族の中には本人たちの意思を尊重して結婚相手を選ぶ家もある。もちろん、相手の家柄が釣り合うことが前提の話だが。

 マノンのように顔合わせの時には既に婚約が決まっているケースは今時珍しかった。


「オベール夫人にあなたとの面会をお伺いしたら、その場で婚姻の話がまとまったのです。本当ならあなたの意志を確認してからとはわかっていたのですが……どうしてもこの機会を逃したくはなくて」

「謝らないでください。むしろ、私は感謝しています。あなたとこうして過ごせることが嬉しいのですから」


 マノンは本心から告げた。

 リシャールにもそれが伝わったのだろう、彼は嬉しそうに顔を綻ばせた。


 執事が来て、給仕を始める。無駄のない洗練された動きを見ながら、何気ないようにマノンは尋ねた。


「リシャール様は日差しが苦手とのことですが……今後のために、他にも気をつけておくべきことはありますか?」

「そうですね……」


 リシャールとのデートは日がくれるまで続いた。初めてふたりで過ごすため、あまり長居せずに屋敷に戻ることにしていたのだ。


 就寝前、マノンは本棚に隠していた手帳を取り出した。

 そこに、今日聞いたリシャールの話を書き込む。

 虚弱な彼が苦手なもの。避けるべき行為。それらを忘れないように細かく記す。

 日差しと運動、あとは苦いもの。たいしたものではないが、彼に関することはひとつ残らず忘れたくはない。


 書き終えると、窓の外に一羽のカラスが止まっていることに気がついた。


「ブレンダ! 来ていたのね。ごめんなさい、気づかなかったわ」


 ブレンダと呼ばれたカラスの足には一枚の手紙が括り付けられている。それを取り外し、ブレンダに水と餌を与えた後、マノンは手紙を開く。


「メリッサは相変わらずね……」


 故郷の友人からの手紙にマノンは頬を緩ませる。


 メリッサは村の医師の家系の娘だった。マノンのふたつ年上で、村にいた頃はよく一緒に遊んでいた。

 マノンがオベール家に来てからも、こうして愛鳥のブレンダを通じて連絡を取っている。


「待っていてね、ブレンダ。今返事を書くから」


 メリッサと手紙のやり取りをしていることは、オベール家の人間には秘密だった。だから、警備の者に見つからないよう、夜の間にブレンダを帰さなければならない。


 手早く書き終え、ブレンダに託す。

 翼を広げて夜の闇に溶け込んでいったブレンダを見送り、マノンは窓を閉める。


 密閉された室内に、花の甘い香りが漂う。

 マノンはベッドサイドに飾られた花に目を向ける。瑞々しく咲き誇る赤い花は、帰り際、リシャールが手渡したものだ。


『どうぞ。私だと思って大切にしてください』


 マノンは花瓶に近づくと、躊躇なく花を握りつぶした。ひらひらと舞い散る花びらが血のように思え、マノンは顔をしかめた。


「穢らわしい吸血鬼が……」


 吐き捨てるように言うと、マノンはベッドに入った。

 気が高ぶり眠れないかと思ったが、気を張り詰めた疲れが出たのか、ぐっすりと眠りについた。

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