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最後の晩餐を  作者: あやさと六花


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1話 切望していた出会い

 その男を見た瞬間、マノンの世界から音が消えた。

 あれだけ賑やかだった人々の話し声も、舞踏会に華を添えていた美しい演奏も一瞬で消え去り、ただマノンの鼓動の音だけが大きく響く。

 

 目の前の男は、夜闇を思わせる漆黒の髪に平凡な榛色の瞳をしている。地味な色合いだ。だが、その造形は彫刻のように美しく、息を呑むほどだった。

 まるで物語の登場人物のようだとマノンは思った。


 食い入るような視線を向けるマノンに気づいたのか、男もマノンに目を向けた。

 男の瞳が見開かれる。そして、わずかにその口元に笑みを浮かべた。


 きっと、自分たちは同じ思いを抱いている――マノンはそう確信する。


 マノンに声をかけようとしたのか、男の口が開く。

 だが、その前に真横から叱責が飛んできた。


「マノン。そんなに不躾に男性を見るなど、失礼でしょう?」 


 マノンの隣にいる叔母が眉をひそめている。

 普段から厳しい叔母だが、今日はマノンの社交界デビューの日であるため、神経質になっているようだ。


「……申し訳ありません、叔母様。素敵な方だから、つい」

「だからと言って、恥じらいを忘れてはダメよ。あなたにはオベール家の人間である自覚がまだないの? 全く。八年かけてようやくまともな礼儀作法が身についたかと思ったのに。……ごめんなさいね、シリル。せっかく良い方を連れてきてくれたのに」

「いえ。好奇心旺盛なのがマノンのいいところですし、大抵の女性は彼を前にしたら似たような反応になりますよ。何せ、この美貌ですから」


 叔母の遠縁であるシリルは彼女を宥めながら、周囲に目を向けた。

 シリルのいう通り、若い令嬢たちは頬を赤らめ、うっとりとした顔で彼を見ている。


 突き刺さるような視線を向けられていることに気づいているだろうに、男は全く動じていない。慣れているのだろう。

 

「それでもオベール家のものとして、品位を保つべきだわ。ただでさえ、三年前の醜聞は消えていないのに。……姉のデボラだって、礼儀だけはできていたわよ。それ以上に迷惑をかけてくれたけれど」 

「……叔母様、その辺で。では、改めて紹介しますね。マノン、彼はリシャール・ラングラン。僕の母方の遠縁の親族なんだ」

 

 紹介された男ーーリシャールはマノンに会釈し、笑顔を見せた。


「初めまして。リシャールと申します。あなたのことをシリルから聞いて、お会いするのを楽しみにしていました」


 美形の男は声まで美しかった。男の声に、近くの令嬢たちが色めき立つのがわかる。


「マノン・オベールと申します。私もあなたにお会いするのをとても楽しみにしていました。叔母様から話を聞いていたので、どういう方なのかとよく想像していました。だから……お会いできて、嬉しいです」

 

 最後の方は感極まって、声が震えてしまった。なるべく感情を抑えたかったのに。はしたないと叔母は怒るだろうか。

 

 だが、それより前に、リシャールが動いた。

 甘いアンバーの香りのする彼は、マノンに手を差し伸べる。

 

「それは光栄です。私もあなたに会えて、大変嬉しく思っています。……よければ、ふたりでテラスの方で少し話をしませんか?」

 

 未婚の男女がふたりきりでいるのを許されるのは、婚約を結んでいる時だけ。初対面の関係では無作法極まりない行動だ。

 だが、リシャールの提案に、叔母は喜色満面の笑みで頷いた。


「そうね、せっかくのお誘いなのだから、行ってきなさい。私は適当にホールで過ごしているから。ただ、欄干には近づかないこと。愚かな姉の二の舞いになってはだめよ」

「……わかりました」


 差し出されたリシャールの腕に手を添えた。

 どこに視線を向けていいのか分からず、マノンは白い手袋をはめた手に目を落とし、テラスへと向かった。




「突然すみません。……あのままだとゆっくり話せなさそうなので」


 申し訳なさそうに、リシャールは頭を下げた。

  

「いいえ。私も人の目が気になっていたので、助かります」

 

 リシャールと会話をしている時の周囲の妬みの視線を思い出し、マノンは苦笑した。あの針の筵の状態で話をするのは、舞踏会に不慣れなマノンにはまだ難しい。


「やはり、こういう賑やかな場は慣れませんね……」


 ため息混じりにつぶやくリシャールの横顔には疲労が滲んでいる。本当に人の多い場所が苦手なようだ。


「ラングラン様は滅多に社交界に顔を出さないと聞きましたが……」

「ええ。舞踏会に出席したのも、半年ぶりです。お誘いはいただくのですが、到底参加する気にはなれなくて。でも、今日だけはなんとしてでも行こうと思っていたんです」


 リシャールの言葉や視線に熱が帯びる。その意味がわからないほど、マノンは子どもではない。

 微笑みを返せば、リシャールの声が更に和らぐ。


「シリルが持ってきてくれた肖像画で、あなたに興味を持ちました。今日、実際こうしてお会いしてみて、さらに強く惹かれました。……どうか、私と結婚してくださいませんか?」

 

 窓のカーテンがわずかに揺れたのを、マノンは横目で捉える。

 これまでリシャールには女の影が一切なかった。珍しく舞踏会に姿を表しても、シリルなどの親戚や友人と軽く会話を交わすだけで近づいてくる令嬢たちに興味を示すことはなかったと叔母から聞いている。

 

 だが、今回は自分から令嬢とふたりきりで話をしている。気になって、ああしてこっそりと様子を伺う者もいるのだろう。

 

 これが叔母の狙いだということはマノンにはわかっていた。 

 令嬢たちの憧れであるリシャールが、舞踏会で出会ったマノンに惹かれ、婚約を申し込む。オベール家の舞踏会でのイメージを、上塗りしたいのだろう。

 だから、こうしてマノンがリシャールとふたりきりになることを許したのだ。

 

 この出会いは初めから婚約するまで仕組まれていた。けれど、それでも構わない。

 リシャールを見た瞬間、マノンも彼と親しくなることを望んだのだから。

 

「はい。……私でよければ、喜んで」

 

 リシャールが破顔する。喜びに満ちたその瞳には、マノンの姿が映っている。

 瞳の中のマノンは彼と同じように微笑んでいる。その顔には隠しきれない喜びが浮かんでいた。

 

 探し求めていた標的を――姉の仇を、ようやく見つけたと。

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