アホのことヒロイン10
耳元で聞こえた怒りに満ちた要の声に目を覚ました。
「てめぇ……武宮から呼び出されてきてみたら、こんなところで寝てやがって……俺は前から、今日は生徒会で会議があるから全員参加だって言ってたよな!!」
「……やばっ!! 忘れてた!!」
武士ニキの部会の大会の都合で日程が変わったのを、すっかり忘れていた。……てか、え? 今、何時。
私は口元のよだれを拭いながら、慌てて飛び起きる。
「も、もう終わっちゃった……?」
「もうとっくに終わった!! てめぇ今、何時だと思ってやがる」
慌てて時計を見ると、もう19時を回っていた。
どうやら私はかなりの時間寝こけていたらしい。
……なんで、こんな特別な時に限って、やらかしてしまうんだ。昨日までは、ちゃんと毎日放課後生徒会室に欠かさず行っていたのに。
「何度も携帯に電話をかけて、ようやく繋がったと思ったら武宮が出て、お前を連れて帰れと言われたんだ。で、来てみたら、てめぇは着信にも気づかずアイツのベッドでぐーすか寝てやがったわけだ。……綾華、てめぇなんでこんなところにいやがった」
「それは、私が授業サボる為に、ここに来たから……」
「あ゛あ゛!?」
まずい。要。完全にマジ怒りだ。
大事な会議すっぽかして、心配かけて、あげくこんなところで呑気に寝てたんだから当たり前だ。
誰だって怒る。
なんだって私はこんなにアホなんだろう。
自分で自分がホント嫌になる。
「ごめん、要!! 会議の内容、詳しく教えて!! この埋め合わせは必ず……」
「……お前なんか、もう知らねぇよ」
返ってきた要の言葉は、今まで聞いたことがないくらい、冷たかった。
「男といちゃついて、重要な会議をすっぽかすアホ女なんぞ、もうしらねぇ」
そう言って、要は私から背を向けた。
………あ
要が、行ってしまう。
私を捨てて、行ってしまう。
――知ってたよ。
覚悟してたよ。
初めて会ったその日から、こんな日が来ることくらい、分かってたさ。
だって、あんなかっちょ良い女帝様ですら、要は離れていったのだから。アホな私から、要が離れないわけないもん。
ほら、やっぱりこうなった。……やっぱりこれが、要にとって一番良い道なんだ。
私は要の選択を、受け入れよう。……だってそれが、要が一番幸せになる方法なんだから。
私は、誰よりも要には幸せになって欲しいから。
笑って、要の別離を受け入れなくちゃ、いけないんだ。
「――立場をわきまえなさい」
とっさに要の腕を掴んだ私の口から出たのは、いつかゲームで見た女帝様の台詞だった。
「貴方の気持ちなんか関係ないわ。私が鳳凰院の跡継ぎ、貴方が竜堂寺の妾腹の次男である限り、貴方は私の狗よ」
それは、犬であることを拒絶する要に、女帝様が嘲笑いながら告げる台詞。
……いやだ、やっぱり、いやだよ。
私は、要を離したくないよ。
隣で一緒に生きていたいよ。……それが、要から幸せを奪うことであっても。
ああ、私は、ひどいね。アホなうえに、こんなに自分勝手でひどい人間だなんて、知りたくなかったよ。
でも、無理だ……やっぱり私には無理だよ。要が隣にいない人生なんて、考えられないもん。
アホな私のせいで、要が私から離れていくなら、今度こそ私は女帝様になりきろう。
大丈夫。姫乃ちゃんから、女帝様になる訓練を受けている。
要を離さないためなら、私は女帝様を演じれる。
アホな私を捨てて、完璧な女帝様になって見せる。
「貴方は私の玩具。私の可愛い狗よ。簡単に――」
そこまで言って、私は言葉に詰まった。
女帝様は、この後笑いながらこう続けるのだ。
『簡単に解放なんかしてやらない』
だけど、そう言っておきながら、女帝様は実際は、簡単に要を手放すのだ。
何の未練の欠片も見せず、至極あっさりと。
「簡単に――ううん、一生解放なんかしてやんない」
出てきた言葉は、女帝様の台詞なんかではなく、私の言葉だった。
気高くかっちょよい女帝様の言葉ではなく、アホでみっとも無い、私の言葉。
涙と鼻水が同時にあふれてきた。
要の腕を掴む手が震える。
――アホな私は女帝様のように、格好よくなれない。
「だがら、がなめ、わだじを捨でないで…」
ああ、私は本当アホだな……今ごろになって、ようやく気付くだなんて。
「離れだぐ、ないよぉ……がなめが、好ぎ……ずっど前がら、好ぎなんだ……恋愛の、意味で」
自分が要に恋してることなんて、わかり切った事実だったのに。
「――じゃあ、他の奴に懐くんじゃねぇ!!」
次の瞬間、私は要の腕の中にいた。
「俺がてめぇのもんなら、てめぇは俺のもんだろーがっ……あのドエム女にも、鉄仮面武宮にも……斎ノ原にも、助田にも、ほいほい面倒みられてんじゃねぇよ……!!」
要はそう言って、痛いくらい私を抱きしめてきた。
痛くて、苦しいのに、要から伝わってくる熱が温かくて、さらに涙が溢れて仕方なかった。
「てめぇは俺だけに面倒みられてればいいんだよ! ………綾華っ!」
ーーああ、変なの。
やっぱり、この世界は、原作ゲームから、かけ離れ過ぎてる。
私は、要に抱きしめられたまま、その頬に向かって手を伸ばした。
「……なんで、要が、泣いでるの……?」
おかしいな。
情けなく泣きながらヒロインを抱きしめるのは、要じゃなくて、ウサギ会計のエンドだったはずなのに。
ゲームの中の要は、不幸な境遇にあったにも関わらず、ヒロインの前ですら涙を見せない意地っぱりなキャラクターだった。どれほどヒロインに心を揺さぶられても、崩れかけた俺様会長の仮面を、最後まで必死に保とうと努めていた。
……それなのに、どうして今、要は、私の前で子どものように臆面もなく、泣いてるのだろう。
「要……泣がないで」
「……涙と鼻水でぐちゃぐちゃのお前には言われたくねぇよ……だいたい俺を泣かしてるのは、てめえだろうが……」
抱きしめる力が、ますます強くなる。……ちょ、ちょっと待って! これ以上は、内臓が……内臓が出ちゃうから……!
「か、要………その、手を……」
「俺が、本当にお前を見捨てられるわけがねぇだろ……アホが。だいたい先に離れていったのはお前なのに、何で俺が責められなきゃなんねぇんだよ……」
「………」
「……俺はお前の飼い犬なんだろ……拾って懐かせたからには、ちゃんと責任持てよ……今さら放り出すんじゃねぇ」
そう言う要の声は、ひどく掠れて、震えていて。
……これは、内臓の一つや二つ、埋め合わせとして差し出さなきゃならんかもしれない。だって格好良い要を、こんな情けなくしてしまったのは、私なのだから。
私が、要とお昼を食べなくなったことが、こんなにも要を追い詰めてただなんて。
………ごめん、要。今、ちょっとそれが嬉しいと思っちゃったや。
要が泣いて震えるくらい、私を想ってくれるのが嬉しいだなんて、ひどい話だ。ひどい飼い主だ。私は。
「……普段は、犬扱いすると嫌がるくせに、こう言う時ばっかり犬になるんだね、要は……」
「お前だって都合良く、飼い主ぶったり、そうじゃなかったりすんだから……お互い様だろ」
「そっか……それも、そうだね」
……そう考えると、私達の関係は改めておかしな関係だと思う。どこまでも、ゲームから、かけ離れてて、ある意味では歪だ。
でも、アホな私は、気高く、美しい女帝様にはけしてなれないから、それで良いのかもしれない。だって、こんな関係、私が本物の女帝様なら、作れなかったから。
「綾華……綾華………」
こんな風に、存在を確かめるように私の名前を、要が繰り返し呼んでくれることはきっとなかっただろうから。
ーーでも、少しだけ思うんだ。
本当は女帝様も、狗のようにあしらっていた要に、特別な感情を抱いていたのではないかと。
その矜持ゆえに、その強さ故に、その感情を表に出すことは出来なかったのではないかと。
だってじゃなければ、あんな美しく、要を解放してやれない。
あんな風に、遠回しに要の幸せを願ってなんかやれない。
……全てはただの、私の勝手な推測だけど。
「ーーねぇ、要……お願いがあるんだけど」
「……なんだ、綾華。……抱き締めるのをやめろって願いなら却下だ。お前に拒否権はねぇ」
「いい加減圧迫強過ぎて、本当内臓口から出そうだけど、今はそうじゃなくて……その……一生隣にいて、私の面倒を見て……とか言ったら怒る? やっぱり」
「愚問にもほどがあるだろ。……他に誰が、んな面倒な役目ができんだよ」
そういって要は、確かに幸せそうに、微笑んだ。
私はアホです。転生しても治らないくらい、筋金入りのアホでした。
どう足掻いても、美しく、気高い女帝様にはなれませんでした。
でも、きっと私は、世界で一番幸福なアホだと思います。
「願いは聞いてやる……だから綾華、お前は一生アホなままで、俺の隣にいろよ」
大好きな人が、ずっと隣にいてくれるから。




