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フィリカの一日

 こんにちは、私はフィリカです。

 ウィルドニアの書庫で司書をしております。


 このウィルドニア城の書庫は一日二百人程度の人が訪れますが、ここはそんな忙しい所ではありません。訪れる方の八割は軍の方で、残りは街から足を運んでくれる方なのです。そして、そのそれら半数以上が貸出を利用せず、この書庫にある読書スペースや立ち読み程度で資料を読んでいかれるのです。


 貸出を希望する方はほとんどが街の人と言いましたがそれはつまり、およそ四十人程なのです。もちろん軍の方も借りていかれます。ですが、そちらはもう今ではほとんど顔馴染みのため手続きも、ちゃちゃっと済んでしまいます。そのため私たちの仕事――本の貸出と排架(本を正しい位置へ棚に戻す)以外は、私も本を読んでいる事が多いのです。とてもホワイトな職場です。まぁ、時折眠くなってしまうのが玉に瑕ですが。


 ともあれ、


 さて、こんな私ですが、ある事をキッカケに最近はもう一つ仕事する場所を与えて頂きました。実は、それがですね——。


「おーい、フィリカ。あいつの言ってた本、これだよな?」

「そうです!」

「これで全部か······。はぁ、結構量あんな······」

「ジャックさん、私も持って行きますよー」

「おっ、そうか。悪いな」

「いいえー」


 本をよっこらしょ。――と、その前に、


「すみません、ちょっと抜けてもいいですか?」

「いいわよー」


 別の司書さんも本を読んでます。平和ですね。この国は。


 では改めて、


「それじゃあ行きましょう」





 書庫を後にした私達は中央部へ続く廊下で、本を抱えながら話していました。


「フィリカ、そういえば街で面白いもの見つけてさ」

「へぇ、何ですか?」

「あのな——」


 と、ここで彼は突然言葉を止めました。


 ······あぁ、なるほど。


 正面から一人の女性が歩いてきていました。私でも知っている美人給仕さんです。給仕は大抵がおばちゃんなのですが唯一いる若い方ということで、城の者の間では『ナイアス』と呼ばれてるのだとか。本名じゃないですよ。水の神の娘になぞらえてるだけです。


 まぁともあれ、話がズレてしまいましたが、彼はその通りすがりの()()|給仕さんを鼻を伸ばして見ていました。彼も水を飲みたいその一人ということですね。すっかり私と話す事よりそっちの方が大事なようです。


 申し遅れました。私の隣で本を持つこの方、これは······いえ、この人は『ジャック』さんです。私の憧れる偉大な先輩の幼馴染です。月のような仄かに青みがかった白髪はくはつに、深海のような群青の瞳が特徴です。ちょっと口が悪く、いい加減な時もありますが、案外お人好しです。普段は気だるそうな顔をしてますがこういう時はしっかりと目を開け······いえ、真剣な時はちゃんと目の色を変え、顔を引き締めます。


 とはいえ気になることもあります。それはさっきから彼女を見ている彼の視線――その先が顔から胸なんですよねぇ。気のせいかと思いましたが、すれ違う頃に間違いなく胸を見てたので気のせいではないでしょう。まぁ、男の人だから仕方ないのかもしれませんが、なんというか、なんと言いますか、そうですねぇ、うーん······下賤ですね。この一言に尽きます。


 ちなみにですけど、女性は胸を見られているのは案外わかるものなんですよ? 気付いてないのか知りませんが愚かですねぇ、男というのは。


 とにかく、そうしていると彼のそのひとときは終わったようです。


「あぁ、悪い悪い。――で、なんの話だっけ?」

「知りませんよ」


 と、素っ気なく突き放してみるも、彼は「あぁそうだ」と話の続きを思い出したようで、


「あの、あれだよ、あれ。イーリアの森から帰った後のこと。覚えてるか?」

「······あぁ、嫌々引き摺られた街でのことですか?」

「そう、それ。フィリカが逃げようと適当に指差したのが空き家だった時のこと」

「そこまで的確に言わなくていいです······」


 あれは私も不用心でしたね。反省してます。色々と。


 さて、何のお話かと言うと、私とジャックさんはちょっとした欲に負けてしまい、それで私達の上司にあたる方を怒らせてしまった時のお話です。まぁ、その内容はさておき、彼が言うのはその件で関わった空き家のようです。


「で、それがどうかしたんですか? あの家がなにか?」

「いや、それがな、この間あそこ通ったらマッサージ店になってたんだよ」

「えっ、そうですか?」

「あぁ。そんでそこにこんな張り紙がしてあってさ『身体がおつかれの方、心をリラックスしたい方、胸が詰まってお悩みの方、何でもほぐしてみせます!』って書いてあったんだ。だからさ、ほら、フィリカもそのつっかえた胸一度ほぐしてもらったらさっきの給仕さんみたいに——」

「一度死ねばいいですよ」


 まともに聞いてた私が馬鹿でした。

 もっと普通の話はないんでしょうか。


 ちなみに、この人はこれでも元兵士だそうです。兵士は誇り高いと聞いてましたが本当なのでしょうか? それに彼はこんな風に言ってますが、私の胸はまだまだ発展途上、成長過程にあるだけで小さいと決まったわけではありません。今は今できっとどこかに需要はありますし、それにいつか必ず私はナイスバディになるんですから。素敵な女性になるんですから。······なるんですから!


 そうして私が一人で不機嫌に心で嘆いていると、彼はすっかり別の話題に。


「それにしてもグリフォンの肉って旨かったよなー。意外と身が締まってて肉汁が噛んだ瞬間口の中にあふれて――」

「美味しかったですよね!」


 えっと······はい。私、恥ずかしながら食には目がないのです。


「私また食べたいですよー!」

「俺も俺も」


 私達は先日、馬車を襲うグリフォンを倒してきました。と言っても実際倒したのは私達ではなく、主には勇者を名乗る人と風変わりな方々でしたが。


 勇者さん······ん、そうだ。


 少し先の仕返しをしましょう。


「そういえば私、馬車の中に居てよく知らないんですが、あの勇者さんってそんな凄かったんですか?」


 と、ジャックさんに尋ねますが、


「ん? あぁ、あいつな······。凄かったよ、嫌んなるくらいに」


 うーん、いささかデリカシーに欠けたでしょうか?


 この話をすると、ジャックさんは見るからに不機嫌な状態になります。実は彼、グリフォン討伐の際にその勇者さん――『クレスタ』さんと会ってからずっとこんな調子なのです。平静を装ったり、気を遣わせないようしているつもりですけど、これは流石の私でも分かります。自分より強い人を見ただけでそんな堪えているのでしょうか?


 ともあれ、


「そうですか」


 なので私も、これ以上の追い打ちもできません。彼がこの話題そのものを拒絶していますから。


「······」

「······」


 やはり、少しデリカシーに欠けましたね。反省です。


 と、そんな辛気くさい雰囲気が廊下では続きましたが、中央階段へ差し掛かった頃、その空気を一掃するかのような張りのある低い声が、私達に向けられました。


「おぉ、ジャックにフィリカ君。お疲れさま!」


 三階へ上がる階段の上を見ると、髭を生やしたおじさまが上機嫌に階段から降りてくるところでした。


「お疲れ様です」

「お疲れさまです、ハイゼルさん」


 とりあえず私達の両手は本で塞がっているため、挨拶は目礼で。おじさまも手を上げて応じます。


「いやー、グリフォンの肉やっとさっき食べたんだけどねぇ、美味しかったよー。あんな美味しい肉は何ヵ月振りかなー」


 私達は昨日食べましたが一日遅れとは、会議でもあったんでしょうか?


 ······おっと失礼、またまた紹介が遅れました。


 突如、私等の前へ現れたこの殿方。この方はですね『ハイゼル』司令官といいます。私の憧れである先輩の部署『魔法科学部』の設立を推進して下さった、とても偉大で寛大な殿方です。顔の輪郭に沿うよう生えた黒髭と、力強い芯のような黒瞳くろめが特徴です。普段は柔らかな顔つきをしていますが、実は『黒獅子のハイゼル』と軍の中では言われています。睨まれた時は思わず背筋を伸ばしてしまうんだそうで。


「いやね、街のみんなも軍のみんなも喜んでたよ。あんな旨い肉は久々だー、って。医療衛生部の者も貴重な薬が手に入ったって感謝してたしね。まぁあの子には怒られそうだけど、軍では後回しにしてた件を先に片付けるのも良いこともあるもんだねぇ」


 と、「ハッハッハッ」と大きく笑うハイゼルさん。ジャックさんは何かを思い出すようで苦笑いです。


「僕もまたあの肉食べたいし、またグリフォンが現れた時はすぐにでも報告するよ」

「は、はぁ······」


 そう言ってハイゼルさんはジャックさんの肩を叩きますが、叩かれた本人はやはり返事がしにくいようです。


 ······ん?


 ハイゼルさんは気遣いのして下さる方ですし、それなのにこうしているということは、勇者さんの一件は耳に入ってないのでしょうか? いや、そんなはずないですよね······。ミーナさんも確か、既に報告書は出してましたし······。


「あぁ、いけない。じゃあ僕はそろそろ行くよ。届けなきゃいけない物があるから」


 と、ハイゼルさんは自分の右手に持った封筒と小包に目をそばめます。すると、


「司令官が直々にですか?」

「かなり機密性のモノでね。本当は持ってるのも秘密だよ」


 人差し指を立てて声を潜めるハイゼルさん。どこかチャーミング。ですが、それを聞いてジト目をしているジャックさん。言いたいことは分かります。まぁ、私達も信頼を頂いてる証拠でしょう。


 ともあれ、


「えぇー、そう言われると中身気になっちゃいますねー。こっそり教えてくださいよ、ハイゼルさん」


 秘密と言われたら逆に知りたくなるのが人間の性。ですが、


「だめだめ、いくら可愛いフィリカ君の頼みとは言え、それは教えられないなぁー」


 この辺の線引きはしっかりしてます。······とはいえ、突然可愛いだなんてそんな。やっぱり、素敵なおじさまですね。


「冗談ですよ。ふふっ、気を付けて下さいね」

「ありがとねフィリカ君。君も元気でな」

「はぁ······」


 そう言うと彼は手を振って、より上機嫌に鼻唄を歌いながら行ってしまわれました。賑やかさが一気に失われるだけどこかしんとしますが、あの微妙な空気はどこかへ霧散したので感謝ですね。


 ――と、そんなことを思っていると、


「フィリカ。お前、そっちの才能のあるんじゃないか?」

「ん? 何のことです?」


 ホントに、何のことでしょうね?


 さて、本を持っているのも楽なもんじゃありませんし、再び足を進めましょう。なんせ、書庫から一番遠い所へ運んでるんですからね。そろそろ腕も痺れ始めるもんです。


 私達はハイゼルさんの降りてきた階段を上がり、東棟三階一番奥の部屋へと向かいます。程なくして、目的地のドアが。


 廊下突き当たり、その部屋に入る扉の上には『研究科』と書かれた木のプレートがあります。そういえば、私が来た時からこれ少し曲がってますが、誰も直さないんでしょうか?


 まぁそれはさておき、ジャックさんが片足に本を乗せつつなんとかドアノブを捻ります。やはり鍵は開いたままでした。


 中は相変わらずですね。研究器材に埃が取れきってない窓に色の剥がれた壁。城とはいえ元は長年使われぬ場所でしたから仕方ありませんね。ですがもう、その光景も慣れたものです。


「ミーナ、持ってきたぞ」

「御苦労さま。······その辺置いといてくれないかしら? ちょっといま手が離せないの」


 綺麗な赤みがかった長い髪の彼女は、ピンセットを使って何か燃やしていました。が、


 ——ボンッ


 雲が上がるように小さな煙が立ち上ると、摘んでいたものはいつの間にか炭になっていました。


「······ダメね。失敗だわ」


 着ていた白衣を脱ぐと、彼女はどうやら私にも気付いたようです。


「あら、フィリカ。わざわざ手伝ってくれたの? ありがと」

「いいえ、ミーナさんのためなら。馬車馬のようにでも」

「なに言ってんのよ」


 皆さん、お待たせしました。


 そんな私に向け、軽く笑うこの方。この方こそが私の尊敬する大先輩『ミーナ』さんです。サラリとした赤の綺麗な髪と宝石のような深紅の瞳が特徴です。魔物を狩りに出掛ける際は紙を後ろで留めてます。実はその時のキメ細やかな首筋からうなじに掛けてがとても魅惑て······おほん、おほん、じゃなくて、大人っぽくて素敵です。


 とはいえ、大人な女性とも言えますが、まだ、少しだけ顔は幼さが残ります。なんせ、ジャックさんと幼馴染なんですからね? 私のたった三つ上です。信じられませんね。だって彼女こう見えて、この『魔法科学部研究科』の責任者なんですから。軍の一部を担ってるわけです。末恐ろしいです。

 

 えっ、研究科以外にも部や科はあるのかって? いやいや何を言ってるんですか。まだ出来たばかり部署ですよ? そんなのあるわけないじゃないですか。


「もう、居たなら早く声掛けてくれればいいのに」

「いやだってほら、ミーナさんの邪魔しちゃ悪いかなぁ、と思いまして」

「もう、かわいい子」


 こういう時ミーナさんは頭を撫でてくれます。私にとって至福の時です。隣にいるジャックさんの視線が、若干冷ややかに感じますが、きっと気のせいでしょう。


「ジャック、もう訓練戻っていいわよ」

「はぁ!?」


 ん、また始まりましたね。


「本を運ぶためだけに俺を呼んだのか!?」

「そうよ。また読み終わったら呼ぶわ。よろしく」

「ふざけんな! 二度と来るもんか!」

「あらそっ。別にいいけど、来なかったらあなたの髪が訓練中突然燃えるわよ」

「ざけんな! 魔法をんな風に使うんじゃねえ!」


 と、それだけ言うとジャックさんは、がに股で怒りながら部屋を出て行ってしまいました。――が、それも日常茶飯事のようです。


「でも、なんだかんだ来るのよ? 彼」


 ミーナさんはその彼をいじっている時が一番楽しそうです。私には見せない顔です。少し羨ましいですね。一度「そういう関係なんですか?」と各々尋ねた事はありますが「昔からの付き合いだから兄妹のようなもの」と二人ともおっしゃいました。本当でしょうか? 顔を背けてましたけど。ともあれ正直、その関係には些か嫉妬します。······でもまぁ、それもいいんですけどね。だって、


「もうちょっとだけ実験するわね」

「見ててもいいです?」

「もちろんよ。ゆっくり見ていって」


 私もこの方々のお仲間になれたんですから。


「カラスキルトが少し足りないのかしら······?」


 特にこの方の側に立つことを、私はずっと望んできました。そこから今に至るまでは紆余曲折ありましたが······まぁ、ここではその話は置いておきましょう。


「うーん、ちょっと多いかしら? まぁいいわ、物は試しよ」


 と、ミーナさんはピンセットで、その黒い綿のような物を混ぜた何かを掴んではまた燃やし始めました。


「意外といけるわね······。六グラムまでは大丈夫······と」


 さて、少し話がズレてしまいましたが、先ほど御二方が口にしていた言葉――『魔法』。そして今、彼女がしている実験こそがこの科の存在理由になります。


 私達、ヒトの中には『魔力』というものが流れています。それを魔物――所謂モンスターの力と組み合わせて新たな『魔法』を作るのがこの部署······いえ、ミーナさんの目的とも言えるのです。


 ちなみに、魔法はモンスターの力を必ず借りなければならないのか、というとそうではありません。現に、私が身に付けている魔法は魔力だけで構成されているんですから。


 しかし、ミーナさんの作る魔法はそう簡単にはいかないのです。使いたい能力を持つモンスターの一部と、様々な材料を組み合わせて調合薬を作り出さねばなりません。そして、その薬を飲み、魔力を練ることによって、ようやく魔法が使えるようになるのです。ただ、それさえも時間制限はありますけどね。


 えっと、そして今までに生み出した魔法はどれだけあるのか、と問われますと非常に答えづらいのですが、ドラゴンの力を使った『炎の魔法』のみです。


 でも、それだけ? と思ってはいけませんよ?


 私やジャックさんが使ってもそれほどですが、ミーナさんが使おうものなら、その威力は森のモンスターを一掃してしまうほどの強さなんですから。一個師団にも匹敵します。だから、そんな時の彼女は絶対怒らせてはいけませんよ? ······怒らせてはいけませんよ?


 さて、話を戻しまして、先程モンスターの一部が必要と言いましたが、私達はその一部を街の外までわざわざ自分達で調達しに行かなければなりません。


 それくらい人に任せればいいだろ。と思うかもしれませんが、何分、この城も軍もそこは人手不足なので悪しからず。


 ともあれ、外はモンスターがウジャウジャと蔓延ってます。つまり危険が付き物。でも、やるしかありません。だってそれがミーナさんの望みに繋がるのですから。ね?


 と、その時でした。


「フィリカ! 伏せて!!」


 その声に反応して、私は机の影に伏せました。すると、爆発音と共に、頭の上でもくもくと黒煙が浮いているのが確認出来ました。


 ······訂正ですね。中にも危険はあります。


 先程よりも燃やす量を増やしてたのは見えましたが、ここまでの爆発が起きるとは。ただ、どちらかと言えば、急に大声で叫ばれた方がびっくりしましたが。


「はぁ、大丈夫?」

「はい、なんとか······」


 窓を開けにいきましょう。ボヤ騒ぎかと思われそうですが。


「うーん、量が増えたからって起きた反応ではなかったわね······。やっぱりあれかしら?」

「あれとは?」

「カヤクダケ。それがあればきっと新しい魔法が出来ると思うの」

「ほぉ、ということは」

「えぇ、次はそれを取りに行くわよ」

「はい! ちなみにそれってどんな魔法になるんですか?」

「ふふっ。んーとね、お楽しみ」

「えぇー、教えてくださいよー」

「だーめ。ないしょ」

「ケチー、ハイゼルさんみたいですよー」

「ん、司令官と会ったの?」

「はい、肉が美味しかったって言ってま――」


 こうして、いつも彼女の突然の号令によって、私達の冒険は始まっていくのです。


 あれ、何か話がズレてるような······?

 うーん······まぁいいでしょう!

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