8.これ、あげる
巨体のドラゴンが爆笑しているせいで、鼓膜がびりびりと震える。
……それにしても笑いすぎじゃないか?
ネルビルトはひとしきり笑ったところで、はあ、と一つ息を吐いた。
『ダイガルのやつも変わったやつだったな。あれはまだ俺がここの主になる前だったが、あいつもあいつで変な魔法を習得しにここまでに来ていたよ』
「師匠が? だとするなら……冷蔵のやつかな」
『詳しくは覚えておらん。なにせ、もう数百年以上も前だからな』
どこか懐かしむように、ネルビルトは空を見上げる。ぼくも視線の先を眺めると、いつの間にか分厚い灰色の雲が薄くなっていた。
『お前みたいに、くだらん魔法を習得するために、わけわからんほど強い魔法を何の気なく使っていて、たまげたものだ』
「まぁ、師匠ならやりかねないね……」
『お前も同類だ』
ギロリと呆れたような視線がこちらを向いた気がしたが、さすがに師匠にはまだまだ及ばない。魔法を操る技量も、変人度合いも。
『んー……朝ぁ……?』
『お、起きたか』
そんなことを話していると、ネルビルトの手の上で寝ていたガルブが目を覚ました。
さっきのネルビルトの爆笑が良い目覚ましになったんじゃないか?
「おはよう、ガルブ」
『おはよ~……』
体調自体はよさそうだが、目をこすってあくびをしているに、まだ少し眠そうだ。夜が明けているとはいえ、まだギリギリ明け方くらいの時間。子ドラゴンには早い。
「それじゃあ、ぼくはそろそろ帰るよ。ガルブももう少し寝たほうがよさそうだし、ぼくの部下も心配するし」
『えー! もう帰っちゃうの~!?』
『こらガルブ、わがままを言うんじゃない』
寝起きだというのに、バタバタと翼を羽ばたかせて不満を表すガルブ。なんだか、以前出会った子供を思い出して微笑ましいな。
「大丈夫、また君のお父さんに魔法を教えてもらいに来るから」
『ほんと! 約束だよ! そのときは、一緒に遊ぼうね!!』
「うん」
頷きながらネルビルトを一瞥すると、結構嫌そうな顔をしていたが、ひとまず無視。
可愛い息子のガルブの前では一蹴することもできず、錆びたおもちゃみたいにぎこちなく首を縦に一度動かしていた。
ガルブは彼を過保護と言っていたけれど、息子のことをよく考えているすごい父親だな。
「ネルビルトも、いろいろ教えてくれてありがとう。ちゃんとガルブを家に閉じ込めないで、遊ばせて魔力を発散させるんだよ」
『ぐっ……あ、ああ……』
『え、遊んでいーの!? やったあ!』
「ガルブも、ネルビルトを心配させないようにね」
『はーい!』
ガルブの返事と同時に雲が切れ、白銀の世界に陽の光が射す。
キラキラと白い地面が光を反射させて、まるで地面一面に宝石がちらばっているかのようで、とても綺麗だった。
そんな美しい景色を脳裏に焼きつけて空島を移動させようとして、ふと気がついた。
「あ、そうだ」
『んー? どしたのー?』
『ん?』
ぼくは島の中央に置かれた翻訳魔道具に向かうととあるボタンを押した。
すると翻訳魔道具にキャスターが少しの間振動したかと思うと、ふわりと浮く。それを空島の端のほうまで移動させてから、ネルビルトを見た。
「これ、あげるよ」
『…………は?』
「心配なんでしょ? これが戦いに使われないかどうか。だから、持っててくれる? あ、ドラゴンと他の動物の間でも使えるようにしたから、使ってもいいよ」
『そしたら、お前の功績はどうするんだ。魔術師は自分の発明を、どこかで発表するとダイガルが言っていたはずだが』
ネルビルトの表情が、驚きと心配を行ったり来たりする。
しかし無問題だ。
「それは大丈夫。全部頭の中に入ってるし、そもそもこの魔道具はとくに発表するつもりはないし」
『……本当にお前は、変なやつだな。さすがあのダイガルの弟子だ』
そう呟くなり、再び空を見上げるネルビルト。
…………なんか、勘違いしてないか?
「ねえ、ネルビルト。師匠はまだ全然普通に生きてるよ」
『は? え、はぁっ!?』
そう話すなり、ネルビルトはこれまでで一番大きな咆哮を上げた。
全身がびりびりと震えるし、ガルブも『うわぁ~!』と翼で耳あたりを抑えている。あとたぶんどこかでいま雪崩が起きたに違いない。
『だってあいつ、人間じゃないか! なんだ、ついに人間は不老不死の魔法を手に入れたのか!?』
まあ、言わんとしていることはわかる。
師匠はここ数百年の間、姿形を変えずに生活している。
拾われ、育ててもらったぼくですら、師匠がいったいどうしてあんなことになっているのかわからないけど……
ちなみに魔法特務機関のトップから降りた理由は「飽きたから」だそうで、今は放浪の旅をしているはずだ。
空島で旅をしていたら、きっとどこかで会うこともあるだろう。
「まあでも、師匠だからね……」
『お前、さっきからそう言ってるが、やつだからというのは理由にならないぞ』
呆れた様子でため息をつくネルビルトは、少し悩む素振りを見せてから、翻訳魔道具を受け取ってくれた。
『これは預かっておいてやる。だが、年に2回以上はメンテナンスに来い。人間が作ったものはいつ壊れるかわからないからな』
『え、1年に2回も遊びに来てくれるの!』
『ついでに、ガルブと遊んでもらってやるといい』
最後の最後まで素直になれない大人ドラゴンなことだ。
ぼくは「わかったよ」と苦笑まじりに答え、今度こそ空島を操作しはじめた。
空島がふわりと浮き、ゆっくりと移動を始める。向かうのはもちろん、魔法特務機関のある島だ。
『じゃーねー! また遊んでねー!』
「わかった。今度は事前に連絡をいれるよ」
ガルブがぶんぶんと翼を振り、ネルビルトはじっとこちらを見つめるのみ。
ぼくもガルブたちの姿が見えなくなるまで軽く手を振り、アトリエの中に入った。
「さて、と。ノイくんのご機嫌をとる何かを急いで作らないとな……」
魔法特務機関に戻るまで、まだ数時間はある。
そうしてぼくは、外に広がる景色を見ることも、温かくなってきた気温を感じることもなく、急いでとあるものを作り始めたのだった。




