9話 私とワルツを
昼過ぎの詩吟を終えると、俺は映世での活動を始めた。
失恋の傷はそうそう癒えるもんじゃなく。
敵は魔導書の女。青いパッシブを杖がまとう。
水属性の虎。強化なし。
重鎧の戦槌。強化なし。
今回参戦しているのは学園際に来たケンちゃんと、時間の合った巻島さん。
宙に浮かぶ【魔導書】は自動でパラパラとページをめくり、段々と赤い光が大きくなっていく。
「巻島さん、引き寄せます。両手を解かないよう気をつけて」
「おうよ」
氷虎の凍った爪を〖盾〗で防ぎながら。
「〖巻き取り〗」
俺の背後にある〖滑車〗が〖銀色の兵士〗に変化して、芝崎へと研ぎ澄まされた殺気を放つ。
巻島さんは〖鎖〗に引き寄せられても、両手を合わせたままでいれただろうか。
「ベルっち、トリ兵衛さんにアンタのナイフ!」
妖精が〖契約のナイフ〗を転移させれば、天井すれすれを飛ぶ鳥が炎をまとい特攻する。
「殺気の精神ダメも、留め具のレベルに比例か」
詠唱は止まった。でも立て直すのも早かったようで芝崎が手を前に翳すと、魔導書がパカっと開いて青い【障壁】が発生。
嘴と重なっていたのは小さいナイフだったこともあり、【壁】の破壊には成功したが本体には届かず。
「行って姉ちゃん!」
〖雫さんが一点突破〗で芝崎にダメージを与えた。〖波〗が白く輝き、芝崎の身体に光の点滅が起る。
HP毒だね。
「視界不良は失敗した!」
「十分だ」
トラが俺に体当たりを仕掛けてきたが、前脚に〖矢〗が命中して凍結すれば、姿勢を崩して転倒する。
「ナイス」
〖重量を増したメイス〗で頭部を殴りつけ、HP0となった。
「ケン坊、クロちゃんをそっちに向かわせるから、虎に血刃をお願い」
「了解」
重鎧の敵と戦っていたケンちゃんが〖黒豹〗の到着を待ってから、こちらの援護に向きを返す。
だが3つの【滑車】を出現させると、それを俺たちへと射出してきやがった。
俺はギリギリで回避に成功。
巻島さんは〖氷人〗が凍った身体で受け止める。
「ごめん」
ケンちゃんには命中してしまった。
重鎧が【巻き取り】を使えば〖氷人〗と健司が、【滑車】へと無理やり引き寄せられてしまった。
「赤と青のデバフか」
トラが身体を起そうとしたので、〖重力場〗を発生させたのち、盾を〔脇差〕に交換して〖黒刃〗による追撃。
「敵に鎖系のスキルあると、マジで面倒だわ」
属性デバフや攻撃はないんだけど、守り3種や身体能力の低下はあるようだ。
姿勢を崩したケンちゃんに、重鎧は〔戦槌〕で殴りかかったけど、〖光十紋時〗と〖青の浮剣〗が割り込んで威力を低下させた。
それに彼は〖土の仙衣〗もまとっていたりする。
「ごめん、滑車から離れられないっぽい!」
「まじか」
【巻き取り】後はしばらく移動阻害が付くらしい。
「ケン坊、サイレント使って」
「わかった」
〖沈黙の盾〗
鏡盾専用で、敵のスキルを1つだけランダムに使えなくできる。効果時間は1分で冷却5分。
〖鏡〗に重鎧を映せば、〖盾〗から黒い光が放たれる。
作品によってボスには効かなかったり、敵も沢山のスキルがあったりすれば使えないデバフかもだけど、映世だとかなり有効です。
状態異常で治癒もできるけど、それが可能そうな芝崎は〖雫さん〗が押さえている。
パッシブの影響か、青い障壁は即座に発動できるみたいだけど、彼女のは基本詠唱があるっぽいんでね。
「浦部、黒い滑車こっちに出して!」
「へい」
《滑車発動距離延長》を外してしまったので、巻島さんの近くってわけにはいかない。
「あっ くそ」
トラが口から水を吐きだして、俺の足もとを【凍らせて】きやがった。
すでに重力場は終わっており、身体を起し【氷の爪】で攻撃してきたが、〖光十紋時〗と〖無断〗で凌ぐ。
「巻き取りで位置交換!」
「そうか」
背後に〖銀の滑車〗を出現させ、自分へと放ってから可動させれば、互いの位置が入れ替わり〖滑車が武者〗に変化。
〖銀の太刀〗がトラを切り裂いたが、まだまだ動きそうだ。その一撃で銀の原罪は〖滑車〗にもどる。
「タフだな」
〖矢〗が追撃してくれたが、生身に傷は与えられず。それでも顔面に当たったことで、牙での噛みつきをしばらく防いでくれそうだ。
「ケン坊、クロちゃん憑依させるよ」
「ありがとうございます」
巻島さんは大将が消えたことで〖ナイフ〗を手元に戻してから、〖闇豹〗へと強化させる。
「黒の原罪は石礫を重鎧に投げて」
「へい」
廊下という戦場での乱戦状態じゃ、転移突進は厳しいもんね。
「重鎧に投げろ!」
召喚された〖黒の原罪〗は廊下に手を添えて、石礫を握りしめる。足もとが土なら、もっと硬いのを作れたんだろうけど仕方ない。
ボルガは乱戦の隙をついて投擲すると、見事に命中させて相手の姿勢を崩した。
「よしっ」
室内なので雪は降らない。それでもケンちゃんと〖闇豹〗の2人掛かりで、重装備はHP0となった。
「もうすぐ姉ちゃん消えます!」
俺は一点突破でトラを突き刺し、〖衝撃波〗で吹き飛ばした。
「浅いか」
毛を凍らせて防御力を上げたらしい。
「ベルっち、大将を召喚するからナイフをお願い」
任せてと動作で示して、妖精は青大将の肩に乗る。
・・
・・
一般客もいるとあって、学校の難度はマイナス10となっていた。
「手こずったすね」
妖精は俺の頭でダランとくつろいでおり、髪を集めて枕を作ろうと奮闘中。そんな伸びてないから、難しいと思うよ。
「バフは芝崎だけだったけど、普通に前世が強力だったわ」
ケンちゃんは一点を見つめ。
「俺……芝崎って人と前世で繋がりあったかも」
「えっ そうなん?」
以前から気になっていたが。
「もしかすっと、関りのある魂が近場で産まれるように設定してたりすんのかな」
じゃなきゃ留め具や勇者の剣とか、確率的にゲット難しいだろ。
「あぁ、それあるかも知れんね」
「なんとなく見覚えあるってだけで、意識が混ざったりもしなかったから、深いつながりはなかったのかな」
「そういえば去年の文化際で美玖ちゃんと戦ったらしいけど、特殊条件を満たしましたにはならんかったか」
数値が低すぎたからかね。当時はまだ80だっただろうし。
「運営が決めてる可能性もあるんと違う?」
「それもあるかもっすね」
巻島さんはもうすぐ教室に戻んなきゃということで、今回はこれにて終わりにするそうだ。
「俺もうちょっと回ろうと思います、せっかくの機会ですし」
「大丈夫?」
ソロは基本心配してくれる優しい子だ。僕のお姉ちゃんになっておくれよと言いたいが、キモがられるのでやめておこう。
詩ちゃんだって優しいもん時々。
「もし荒木場にいくなら、ソロでもやんなきゃだし、いい機会かなって」
「そっか」
渋々ながらも納得してくれた様子。
ケンちゃん巻島さんと別れると男子トイレに入り、アイテムチェストを確認する。
「〖鎧の鎖〗か」
・自分専用(鎧のエフェクト必要)。スキル玉。
・最大数1(固定)
・命中させると守り3種低下(極小)。
・巻き取ると身体能力低下(極小)。移動阻害(極小)。冷却20秒。
・大型は姿勢を崩せるが、スキルレベルに比例。
・MP消費(中)。
「あいつは3つ滑車出現させてたけど、スキル玉は1で固定なのか」
俺の滑車とは繋がりもないようだ。合成できるけど、これは共有枠に入れておこう。
移動阻害は接近戦での足運びなんかは問題なくできる。たんに滑車から離れられなくなる感じだね。
スキル合成。
滑車+1。牢獄の時間が延長。
2つ目を合成しても、滑車の数は増えない。
「良いスキルだわ」
ちょっとトイレに行きたいけど、映世で使って良いか分からんので現世に戻ろう。
・・
・・
個室で用を足してると、数名の生徒が入って来たようだ。
「そういや柿島告るんだっけ?」
「あぁ、後夜祭のとき呼び出すんだと」
青春だ。
「あいつで無理じゃ、もう見た目で勝るのは1年にいねえよな」
「まあ宮内先輩が兄貴だし、イケメンも見慣れてるんじゃね」
まじか。
「けっこう文化祭準備で仲良くなれたって言ってたぞ。後夜祭の雰囲気で流されるかもじゃん」
「やだなぁ、彼氏持ちになって欲しくねえわ」
そりゃモテますよね。宮内めっちゃモテモテだし。
男子生徒たちが出て行っても、俺はしばらく引きこもっていた。
言語化できそうな感情がわいていた。
「こういうのは下手に誤魔化さん方が良い」
嫉妬と独占欲。
「よろしくないですな」
神崎さんが告られた場面を見た時はなかったから、これは平常運転じゃねえ。
「まいったねこりゃ」
救出作戦に当たる上で、そういう感情は持ちたくない。
「お花畑になるな。冷静に客観的に」
合理的に。
「高校1年生の俺は、今の俺をどう思う」
本当は君とは付き合えないと言うべきじゃなかったのか。
でも俺はそれができなかった。
「キープか、そうかキープか」
青春の時期をキープは酷な話しだわな。5年か、大学でなきゃそうとも限らんか。
「キープ言いだしたのは俺じゃないか」
その時にまだ想ってくれていたらだ。見方を変えりゃ差もないわな。
「後悔するだろうけど、見限ってくれた方があれかも知れん」
しばらく後悔でふさぎ込むだろうなあ。半月もあれば立て直せるだろうか、半年はかかるか。一生物は流石にないだろ。
なにはともあれ、すぐさま復活ってのは無理だ。踏ん切りをつけるまでの期間、そうなることも事前に覚悟しておかないと。
調子に乗るな、自分のこととして考えるな、第三者支点で考えないと。
自分に都合よく脳内で想像しちゃ駄目だ。
「こんなもんか」
嫉妬心も独占欲もある。
それを発言する権利は俺にない。
「よし、大丈夫だ」
平常運転を心がけよう。
・・
・・
今日はまだ美玖ちゃんに会ってない。俺が居ない時に教室には来たそうだけど、今日は後夜祭まで会わないつもりだって言われてた。
だから彼女の教室にも、連絡してから来て欲しいって頼まれてます。
「詩吟良かったぞ」
「へい、どうも」
なんかちょくちょく廊下歩いてると声をかけられるんだよね。詩吟効果か。
「詩吟君、ちょっと寄ってかない?」
「えっ あ、はい。じゃ、じゃあ失礼します」
女の子に声をかけられて、思わず了承の返事をしてしまった。
「はいはーい、一名さまご案なーい」
うわ、なんか超良い匂いする。そういやこのクラスなんだっけ。
「なるほど」
順番待ちの列に並ぶことになったが、席にも座れ10分くらいで俺の番が来た。
「それじゃここに腰降ろしてくれ」
「へい」
座り心地の良い椅子に着席すると、アイマスクをして欲しいとのこと。教室に流れる癒しの音楽を聴きながら、肩と腕のマッサージをしてもらいました。
無免許は違法になるから、リラクゼーションとかにしないとあれか。文化祭良く通ったな。
やってくれたのは男子ですけどね。まあ自分は免疫がなくて、異性な時点であれなんすけど。
たぶん鼻血でます。
「えぇ、女の子にしてもらいたいなぁ」
これを言える次点で、君さては陽キャだな。
「女子は女性客で、男子は男性客ってきまってんですよ。
やっぱそうなんだね。
しかしあれだね、マッサージなん久しぶりに受けたわ。
気持ちええ。
「じゃあ頭に移りますね」
「へぃ」
ええなあ。
・・
・・
寄り道もしましたが、美玖ちゃんの教室に到着しました。寄るけど良いかメッセージ送ったら、どうぞどうぞとお返事をいただいたので、お邪魔をさせていただいた。
「これが地蔵マップか」
あとは社とかもね。これ、もっと序盤に欲しかったわ。
「せーんぱい」
「うへぇっ あ、愛美さんっすね」
声をかけてくれた。
「ようこそ、ゆっくりしてってください」
「へい」
肘で脇腹をつつかないでおくれ、お鼻から赤い液体がでちゃうんで。
「美玖と何かあったんですか? 学園祭一緒にまわったりしないの?」
この娘は遠慮がない。
「さっきもなんか急いで出てって、そしたら浦部さん来るんだもん」
「いや、喧嘩とかした覚えないっすね、それに後で合流する約束はしてますよ」
後夜祭だけど。
「ほら愛美ちゃん、浦部さん展示に集中できないでしょ」
「うぅ、わかったよお」
千明さんにお辞儀をして、内容を読んでいく。
近隣の神社から幾つかそれっぽい話は聞けたんだってさ。
ただめっちゃ昔だわこれ。
大和政権とか蝦夷、アテルイとか坂上田村麻呂なんかの時代って、自分まったく分かんないんだよね。
もっと昔だと神話になるんか。
アマテラスが領地を献上しろとかオオクニヌシに言って、なんか最終的にタケミカヅチを派遣したとかって聞いたことあるけど、これって外国の勢力を指してたりすんのだろうか。
神話って事実が元になってる場合もあるじゃん。
AIによる概要。
国譲り神話の年代は、神話が成立したとされる時代と、神話上の出来事が起こったとされる時代とで分かれます。神話が記された『古事記』や『日本書紀』が編纂されたのは、西暦6世紀後半から8世紀頃ですが、神話に登場する天照大御神の活動時期は神武天皇の5代前とされ、約230~240年頃と推定されます。
卑弥呼さまが三国志の時代ってのは知ってる。
まあ俺如きがネットで調べても解らんわな。専門家が遺跡の発掘して探るレベルだ。木簡とか流石に土になってるでしょ。
ところで蝦夷の信仰ってなんなんだろう。
「……アラハバキ?」
謎の神様だ。
「あの」
「へっ あ、まったく違うことを調べ始めてました」
記事に意識を再度向ける。
「そもそも神社ってのができたの何時なんすかね」
神社は飛鳥・奈良時代に律令制度の中で体系化され、平安時代に「社格」が整えられました。
「これより後の時代か」
学校の図書館からは、あんま有益な情報はなかったそうです。
「なんか祀られてたけど、それが無くなってから少しして神社も焼け落ちたんだね」
盗まれたのか運営が取り上げたのか。
青銅鏡だったりして。
「まあけっきょく、あったかどうかは不明のままですが」
2人にお礼を言ってから、すこしお話をして教室を後にする。
そろそろ詩吟の時間だ。
・・
・・
自分の当番が終わった女子はすでに制服へもどってました。神崎さんも今はケンちゃんと合流して活動中かな。
最後ということで、気合を込めて吟じました。教室の外から美玖ちゃんが観てくれていたので、視線を送ったら手を振ってくれたよ。
そんなこんなで一般のお客さんや、母にお師匠方も帰られ、後夜祭の時間となりました。
焼き芋やら豚汁を振舞ってくれます。ドラム缶に火がくべられてたりしており、暖をとりながら外で食べることも出来るし、室内でも良いんだって。
踊りやら和太鼓など、出し物もいくつかあるんで、みんな外にいるけどこの季節は寒いね。
「楽しかったですね」
「最初はどうなる事かと思ったけど、ベイゴマも上手くいってよかったわ」
太志は焼き芋と豚汁に夢中だ。
「あの女子と過ごさなくてよいんですかな?」
「……」
食うのをやめて下を向き、赤くなっている。可愛くはない。
1年男子の会話を思い出し。
「告白すんなら今が絶好の機会だろ」
「……」
いつの間に仲良くなったんだか。
「おめえこの後なんか用事あるんだろ、じゃあ俺はここにいる」
「気を使わなくても良いんですよ」
ふんっとそっぽを向き。
「使うかどうかは俺が決めんだな、好きでやってんだ」
「そうですか。まあ、ありがとうございます」
芝崎は大丈夫だろうかと辺りを見渡せば、村瀬たちと駄弁っていた。
スマホが鳴ったので、俺は立ち上がり。
「そんじゃ、すまんね。ちょっくら行ってくるわ」
「告白でもするんですかな?」
「よくわからんけど、頑張れよお」
苦笑いを浮かべ。
「まあ、健闘を祈ってくれ」
2人と別れ、指定された空き教室に向かう。
・・
・・
ちょっと遅れますとのメッセージが届いてから数分が過ぎた。
「これは独占欲と嫉妬、否定はしちゃ駄目だ」
もしその時もまだ想ってくれたらってのは、結局キープであることに違いはないか。
「俺の思うままに動かしたい。上手い事つくろっても、それになっちまってるんだ」
窓から外の景色を眺める。
ろくでもない本能がもの凄く嫌がっているが、これから声に出さなくちゃいけないので。
「今は救出作戦に集中したいから、君の想いは本当に嬉しいけど応えられない。申し訳ないけど、諦めてもらいたいです」
練習してみたが。
「美玖ちゃんに言えるだろうか。でも言わんとな」
真摯に向き合うってのは、きっとこういうことなんだ。
「言わなくていいです、そんなこと言われても困ります」
「……」
寒さのためか、彼女の頬は赤くなっていた。
「この前、紙に書いて約束したじゃないですか。あんなの法的には効果ないかも知れないけど、約束は約束なんですから」
まっすぐな瞳には涙も怒りも感じない。
「浦部さんルール重視だからって、先輩方と相談して苦労して誓わせたんですから。ちょっとはこっちの身にもなってくださいよ」
「すんません。じゃあ、言いませんです」
この眼差しが怖くて堪らない。
「どこが良いのか分からないけど、好きになるって理屈じゃないですもんね」
「言ってほしいなら言いますよ」
そんなことをされたら惚れちゃうかも知れないので。
「せっかくだけど遠慮しておこうと思います」
「なんだ残念」
彼女は息を整えてから。
「じゃあ、勇者ちゃんのお願いごとに移りましょっか」
「……」
一体なんだろうと少し不安になっていたら、美玖ちゃんはスマホの操作を始めた。
「お城のパーティかなんかで、招待客たちがダンスを踊る機会があったんですけど、浦部さん大怪我しちゃって参加できなかったんですって」
「えっ まさか踊ってくれというお願い」
パレードに出陣式。
吐物で汚れたノートの内容から察するに、顔面の火傷だろうな。
「嫌ですか?」
「ええっと、鼻血がちょっと心配っすね。自分未経験っすよ」
ポケットからティッシュを取り出して。
「備えはしてありますんで。あと私だって踊れませんよ、曲に合わせてそれっぽくすれば問題ないと思います」
続けて彼女は苦笑いを浮かべ。
「勇者ちゃんもダンスなんて踊れなかった気がします」
「そうすか」
美玖ちゃんが迷いなくこちらへと歩き出した。
思わず。
「逃げないでくださいって」
足が引きそうになったけど、手を掴まれて止められた。
「そんな怯えなくても、なにもしませんって。踊るだけですから」
「いや、怯えてるわけじゃ……いや、そうっすね」
声が震えていた。こりゃ重症だな。
美玖ちゃんはスマホを床に置き、タップをすれば聞き覚えがあるようでない、ゆったりとした曲が流れ始める。
「よろしくお願いします」
手を差しだしてきた。いつものようにふざける余裕はない。
唾を呑み込んで、震えないよう気をつけながら指を重ねる。
「では失礼して」
美玖ちゃんが俺の懐に入ってきて、逃げられないよう腰を掴まれた。
「ほらほら、リラックスですリラックス」
「へぃ」
ダンスもへったくれもなく、曲に合わせて寄り添って揺れるだけ。
「いち、に。いち、に」
「 いち、に。いち、に」
掛け声も気持ちそろわず。
「これもダンスの一環です」
突然、俺の胸に美玖ちゃんが顔をつけてきた。
「心臓の音が聞こえてきそう」
「厚着なんすけどね」
回された腕に力を込められる。
「もしかして浦部さん、私が緊張しないとでも思ってるんですか」
「いや、堂々としてらっしゃるので」
心臓ばくばくですよと返された。
「……」
「……」
会話の内容も思い浮かばず、しばらくは揺れるだけ。
「調子に乗っても良いんですよ」
「いや、それは」
こちらに足を一歩進めてくる。
「私は応えます。浦部さんのお願いなら、諦めろは無理ですけど」
「いや、あのっ それは」
一歩さがる。
美玖ちゃんは密着した身体を少しだけ離し。
「じゃあ、今度は私が後ろにさがるんで、踏み込んでくださいね」
「……へい」
足をさげたので、俺は一歩進む。
「浦部さん私に酷いことしませんって、それにされても怖くないですもん言い返せますし」
再び彼女は俺の胸に顔をうずめ、左右にこすりつけてくる。
こちらとしては心臓が持ちそうにない。
「あっ さっき諦めてとか酷いこといわれたか。でも浦部さん力押ししたら流されそうですもんね」
「……」
なんも言い返せないや。
ふと気づく。
彼女の肩が震えていた。
鼻をすする音が耳に届く。
「あっ あの」
「これ私のじゃないですから」
声も通常時とは違い、泣いてるとき特有なものに変化していく。
「私と浦部さんとは関係ない」
ならば鎮魂のためにできることはあるか、考えなきゃいけない。
気づかれないよう、すこしだけ腕に力を込めると、数倍になって返される
「……」
「……」
特に意識が混ざってきたりもせず。
「もし死際に後悔したことがあるとすれば、そのなんだ……もうちょっと正直になれれば良かった。だったかも」
美玖ちゃんは泣き声のままちょっと笑い。
「たまに、バカ正直なときありますもんね」
なんとなく胸元が湿っているのが伝わる。
「じゃあ私はきっと、積極的になるかな」
ならもう充分に発揮されてんな。
「まだまだですんで。覚悟しといてください」
俺も笑って誤魔化そうとするけれど。
「……好きです」
首へと両腕が回される。
あっ やばい。
これはいかん。
「まだ返事はしないでくださいね」
吐息が喉横をくすぐる。
「……へい」
しばらく俺たちはダンスとはいえないダンスを続けた。
勇者さんの慰めにはなっただろうか。
「私とワルツを」
「お、踊ってますよ」
身体が揺られ、動脈に一層の熱がこもる。
「スキル名です」
「不明だった?」
唇をそのままに、こくんとうなずく。
月明かりに照らされて、彼女の髪が白銀に輝いた。




