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エリスの縁談


「エリス! お帰りなさい、疲れたでしょう」

 母マルテは、エリスの手荷物をさっと取り上げ、久しぶりに会う娘を抱きしめた。

 懐かしい花の香りと鶏の鳴き声。そして母のあたたかい笑顔。全てが「おかえり」と、出迎えてくれたようだった。


 プルトン男爵家は、騎士団本部がある王都より馬車で丸一日かかる田舎にあった。

 母への手紙を出したあと一週間ほど休みをとったエリスは、帰省のために早速馬車を手配した。舗装の無い田舎道を馬車に揺られ、正直なところエリスの身体はとても疲れていた。

 マルテから見ても娘はとても疲れた顔をしていたのだろう。「少し横になりなさい」と、休むことを勧められた。

 久しぶりに横になった自室のベッド。古いながらも清潔に整えられ、エリスの好きな水色のカバーが掛けられていた。窓際には花も活けられ、母に歓迎されていることがありありと感じられた。

 それだけに、この後話すべきことが憚られる。エリスは憂鬱な気持ちを振り払うように、ゆっくりと目を閉じた。


 その日の夜は、久々に家族全員での晩餐だった。根菜のクリーム煮や葉野菜炒め、新鮮なベリーのサラダ。エリスにはどれも食べ慣れた、懐かしい母の味だ。

「姉様、王都では何が人気なの」

「有名人には会えた?」

 弟達が矢継ぎ早に質問をしてくる。彼らはそれぞれ十五歳と十一歳、どちらも王都に興味のある年頃だ。

「流行りね……残念ながら分からないわ、ほとんど騎士団本部にこもりきりなの」

 エリスは流行りに疎かった。女子寮も騎士団本部内にあるため、ほぼ街に出ずに済んでしまうからという理由もあるが、イオはそれなりに流行りを取り入れているようだった。やはり個人差であって、寮住まいというのは理由にならないのかもしれない。

「エリスは真面目な子だからなあ……仕事ばかりしているんだろう」

「三年も、一人きりでよく頑張ったものよ」

 もう少し遊んだっていいんだぞ、と父バルジは言い、母マルテもエリスを誉めた。二人とも、本当に娘に甘い。

「王都の流行りは分からないけれど、仕事は順調だわ。この間も主任にずっといて欲しいくらいって言われて」

 エリスが仕事の近況を話すと、マルテが微妙な表情を浮かべた。

「ねえエリス。仕事はいつまで続ける気なの?」

 手紙でも何度も問われたことだった。母の表情を見ると、やはりこれまでのように働き続けることを良くは思わない様子だった。

 

「……私、このまま騎士団の仕事を続けようと思っているの」

 晩餐後、弟達には退席してもらい、父と母に話があると告げた。

「エリス、どうして……縁談も選べる程きているのよ?」

「申し訳ないけれど、そちらも全てお断りして欲しいの」

「エリス……」

 エリスの言葉に、マルテが今にも泣いてしまいそうな顔をしている。それほどまでに、結婚をしない娘が心配なのだろう。ただエリスもここで折れるわけにはいかなかった。

「結婚をすれば、仕事も辞めることになるでしょう? そう思うと、結婚したいとは思えないの」

 三年間働いて、エリスにとって騎士寮はかけがえの無いものとなっていた。決して給料が良いわけではないけれど、エリス自身の働きぶりが認められて、そして何よりもバーナードと居られる唯一の場所。手放すわけにはいかないのだ。

 頑固な娘を相手に、バルジとマルテが口を開いた。

「このまま働き続けるとして、適齢期を過ぎてからいよいよ結婚したいと望んでも、思うようにはならないかもしれないんだぞ?」

「お相手を選べるのも、若い今のうちなのよ?」

「是非エリスを、という方がいらっしゃるんだよ」

「断ってしまえばこんな良いご縁、もう二度と無いわ」

 呪いのような言葉で、両親が畳み掛けてくる。エリスは耳を塞ぎたくなった。

「とにかく……今、結婚は考えられないの」

 自分が子供っぽいことを言っている自覚はある。親をこんなにも心配させてしまって。エリスが両親の顔を見ると、二人は目を見合わせて戸惑っていた。

「……ごめんなさい」

 エリスは、走って自分の部屋に駆け込んだ。


 罪悪感でいっぱいのまま、部屋のベッドに潜り込んだ。

 出会いを見つけておいでと騎士団に送り出してくれた両親、結婚をするために家に戻っておいでと言う両親。いつも彼らはエリスのことを想っているからこそ、その先の道を敷きたがった。

 でもエリスは、道の先で仕事の楽しさを見つけてしまった。手放したくない人を見つけてしまった。

 エリスはバルジとマルテの心配する顔を見ても、やっぱり諦めることは出来なかった。

 

 翌朝、エリスがまだベッドの中で悶々としていると、扉が控えめにノックされた。

「エリス、お茶を持ってきたの」

「お母様……」

 マルテは、甘い香りのするお茶をサイドボードに置くと、ベッドから起き上がったエリスの髪をひと撫でした。目を細めて娘を見るマルタに、エリスは胸が締め付けられるようだった。

「本当にきれいになったわ。大人になったわね……」

 そう言うと、マルテはベッドの脇に腰掛けた。

「エリス、あなた好きな方がいるのね」

「えっ」

 マルテにずばり見抜かれて、エリスは目を丸くした。

「騎士団の騎士様なのではない?」

「……なぜ分かるの」

「当てずっぽうよ。でもエリスがこんなに折れないのは初めてだから……もしかしたら離れがたいほど好きな方が出来たのかもしれないわねって、バルジと話したの」

 マルテはそう言うとエリスを見て優しく微笑み、温かいお茶を手渡した。慣れ親しんだお茶の香りが、エリスの心を落ち着かせる。

「その方とは、将来を考えているの?」

「あの方は……結婚を望んでくれているわ。でも、現実的とは思えないの」

「そう」

「それでも、他の方との縁談は考えられなくて……」

 目を伏せてしまった娘を見て、マルテは笑った。

「後悔しない?」

「分からないわ……でも今は無理なの」

「まったく。大人になったんだか、子供っぽいんだか……」

 ため息をつきつつ、マルテは縁談の辞退を約束してくれたのだった。


 それから、エリスはというと久々の実家をのびのびと堪能した。母の美味しい料理を食べ、父との農作業に精を出し、弟達とカードで遊んで……家族のあたたかさに包まれ、充実した日々を味わった。

 里帰り最終日の前日、団欒の席で、エリスは皆に向かって改めて礼を言った。

「みんな、短い間だったけど楽しかったわ。本当にありがとう」

 すると、涙目のマルテが文句を言った。

「本当よ、短すぎるわ。エリス、もっと仕事休みなさいよ」

「無理を言うなよ。久しぶりにエリスの元気な顔を見られて良かったじゃないか。エリス、またいつでも帰っておいで」

 無茶を言うマルテを、バルジが諌める。父のやさしい言葉に、エリスは泣きたくなってしまった。

「姉様、仕事はそんなに忙しいの?」

「姉様がそんな仕事人間じゃあ、俺の方が先に結婚してしまうかもね」

 いつまでたっても婚約しないエリスを、弟達がからかった。本当にそれが現実になりそうで、洒落にならないジョークに両親達ははらはらとしたが、縁談から解放されたエリスはさっぱりとした表情で受け止めることが出来る。

「そういえば、私に来た縁談ってどんな方からだったの?」

 エリスは縁談を敬遠していたために、今まで自分から詳細を聞くことは無かった。縁談が無くなったことで安心したエリスは、ふと気になったのだ。どんな人物から話があったのか。

 マルテが不思議そうに首をかしげた。

「え? 少し前に、釣書を同封していたでしょ?」

「エリスがあまりにもその気にならないから、釣書をまとめて送ったんだよ」

 なんだ読んでなかったのかい、とバルジも呆れている。

 エリスは記憶を巡らせた。母からの手紙は全て読んでいたつもりだったけれど、そういえば一通だけ未開封だったものがある。

「あ……! あの、分厚い手紙! あれだけ開封していなくて……」

「まったく、この子は。少し待ちなさい」

 そう言って席を立ったバルジは、釣書の束を持って戻ってきた。

「一番有力だったのは、メテオーロ家のシリオ君かな。ずっと昔から打診されていたからね」

「えっ? あのいじめっ子のシリオ?」

 釣書をめくる父から驚きの名前を聞かされ、エリスは心の底から縁談を断ってよかったと安堵した。

 シリオはエリスの幼なじみだが、彼からは昔から意地悪ばかりされていた。顔を合わせても邪魔されたり馬鹿にされたり……エリスは、シリオのことが密かに苦手だった。

「それは、好きな子をいじめちゃうってやつよ。シリオ君は昔からエリスばかり追いかけてね」

 母があっけらかんと言うので、エリス以外の人間にとって周知の事実だったようだ。やはりエリスは昔から恋愛方面に疎かったらしい。

「あとはアクワリオ商会の長男とか、ベヌス家の次男とか……皆、エリスが以前町におりた時に偶然見かけて、見初めたとかそういうので」

「うそ……そんなことあるの?」

「嘘じゃないわ。私もバルジと驚いていたのよ。エリスもモテ期かしらって……」

 だからこのチャンスを逃してはいけないと、母は躍起になって手紙を寄越していたらしい」

「あと、数ヵ月前からなぜか伯爵家から縁談が届くようになったの。これはちょっと格が違いすぎて、エリスに勧めようとは思わなかったんだけど」

「……え?」

「この方が条件としては一番良かったんだけどねえ。とても熱心だったし。でもなぜうちなんかにねえ」

 釣書を眺めながらのんびりと話す父と母の会話を聞いて、エリスは頭から血の気が引いた。

 数ヵ月前から熱心に届くようになった謎の縁談。それも、格が違いすぎる伯爵家からの。エリスには心当たりがあった。心当たりがありすぎた。

「その、伯爵家って、どちらの……?」

「ガラクシア伯爵家といったかなあ。なんでも早く結婚したいとかで何度もお話を頂いたよ」

 目の前に広げられたその釣書に、恐る恐る視線を落とす。ガラクシア伯爵家……彼からは一言もそんな話は聞いていなかったが、これは紛れもなくバーナードだ。稲妻に撃たれたような衝撃がエリスを襲った。

 釣書の束を見てみると、何度も縁談を申し込んでいたようだ。数ヵ月前と言えば、ちょうどエリスがバーナードと初めて話した時期だ。まさかそんな頃から……?

 嘘みたいな本当の話に動悸を抑えながら、エリスには、ひとつ確認しなければならないことがあった。

「ところでお父様、縁談は全てお断りを……」

「ああ。エリスから話があった次の日には、書面でお断りを出しておいたよ。早い方がいいからね」

 やはり。倒れそうな身体をテーブルでなんとか支え、エリスは全てを把握した。

 つまりエリスは──バーナードのそばにいるため、仕事を続けるために縁談を辞退したが、肝心のバーナードからの縁談も断っていたということになる。

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