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清掃係のお仕事


「もう駄目、私、死んでしまうわ……」

 イオが大袈裟に椅子の背にうな垂れかけた。

 ここは騎士団第五寮管理室、時刻はもうすぐ午後の一時になる。エリスはイオの前に、そっと甘いコーヒーを差し出した。

「しばらく、ここに隠れてるといいわ。バレたら私が引き留めていたとでも言えばいいのだから」

「そういうわけにはいかないわよ。ゴミの回収もあるし……エリスが叱られてしまうじゃないの」

 今日は海祭り。この街の一大イベントである。

 ただ、エリスやイオなど従業員達は通常通りの勤務日。世間が海祭りで浮かれていたとしても関係が無いはずだった。

 しかし当日になって、海祭りのために休みをとる清掃係が続出したのだ。ただでさえ少ない清掃係がごっそり休んだことで、真面目に出勤したイオは朝早くからあちらこちらに駆り出されていた。

 昼に会った時点で、すでに彼女の表情筋は死んでいた。まかないも流し込むように掻き込んで清掃の仕事に戻ろうとするので、エリスが無理矢理に管理室まで連れ込んだのだ。

「イオの身体は一つだけなのに、あちらもこちらも何人分も働くなんて無理よ。本当に倒れてしまうわ」

「そうは言っても、これが私の仕事だから仕方がないのよ」

 イオは文句を言いつつも仕事を手抜きしないしっかり者だ。彼女のそういうところを尊敬していたし、心配もしていた。

 なんとかならないものかと悩んだ末、エリスは自分も手伝うのが手っ取り早いと考えたのだが、それをイオに伝えると彼女は予想通り突っぱねた。

「駄目よ、エリスにはエリスの仕事があるでしょ」

「第二便まで一時間はあるし、間に合えば大丈夫よ。もし少し遅れたとしても、セドナ主任に説明するわ」

「そんなの、エリスが怒られちゃう……ああ、でももうすぐゴミ回収の時間が……」

 昼休憩が終われば、清掃係達はゴミ回収に移る。ただ回収するだけかと思いきや、ただでさえ広い騎士団本部の敷地内に点在するゴミを回収するのはなかなか骨が折れる仕事だった。しかし生ゴミを溜めずに衛生面を保つためにも重要な仕事なのでやらない訳にはいかない。

「では、私もゴミ回収を手伝うわ。バレるといけないから、あまり人目のある場所は無理だけど……何処をするといい?」

「…………エリスごめんねごめんね、本当にありがとう!!」

 涙目のイオは、エリスをぎゅっと抱き締めた。


 エリスは早速エプロンと三角巾を身に付け、第五寮の厨房裏へと向かった。イオから任されたのは慣れた第五寮と隣にある第四寮、そして鍛練場だった。

「おおエリス、どうしたんだい。清掃係モードじゃないか」

 タウロはエリスのエプロン姿には慣れているため、すぐに事情を分かってくれた。荷車にゴミを乗せながら「今のうちに他のゴミも回収しておいで」とタウロが言ってくれたので、エリスは食堂、浴室、談話室、管理室など次々とゴミを集め荷車へまとめた。騎士の個室はおいそれと入れないし、一日くらい回収が無くても目を瞑ってもらおう。

 手伝ってくれたタウロに礼を言い、次は隣の第四寮へ移動する。見たこともない清掃係が来たため、第四寮の厨房係は訝しい表情を浮かべていた。しかしそこは「新人です」ということにして誤魔化しておく。

 エリスは先程と同じ要領でゴミを回収すると、急いで第四寮を後にした。手伝っていることがバレてはいけない。

 

 第五寮と第四寮のゴミをすべて回収した頃には、荷車にはゴミの山が出来上がってしまっていた。

(これは一度、ゴミ収集所まで棄てに行かないと鍛練場のゴミが乗らないかも)

 そしていざ「よいしょ」と荷車を引いてみても、びくともしない重さになってしまっている。

「えっ……!?」

 失敗した、と思った。自分が非力なのか、もっとこまめに棄てにいくものなのか……改めてイオの手際のよさを思い知る。

 エリスが腕を組んでどうしようか悩んでいると、そばを騎士二人組が通りかかった。

「お困りですか?」

 そのうち一人がエリスに声をかけてきた。歳は同じ位か……エリスと同じ金髪の、穏やかそうな青年だ。

「もしよろしければお手伝いしますよ」

「す、すみません。お恥ずかしいことに、ゴミを積みすぎて動かなくなってしまって……」

 間抜けすぎて、穴があったら入りたいくらいだった。しかし騎士は「そんなことですか」と言い、ひょいと荷車を引いてみてくれる。すると彼女がいくら引いてみてもびくともしなかった荷車が、まるで車輪を取り替えたようにスルスルと進むではないか。

「すごい……!」

「このくらいは何ともないですよ。どちらまで運びますか?」

「本当に、申し訳ありません。ゴミ収集所まで運ぼうと思っておりました」

「分かりました。ご一緒しましょう」

 騎士は世間話をしながら、易々と荷車を引き始めた。エリスは後ろからその荷車を押して歩く。

 彼の名はレオンといい、第四寮で暮らしている騎士だった。歳も偶然同い年の二十歳で、伯爵家の三男。二年前に騎士団試験に合格したという。

「君は新人なの? 見たことない顔だったから」

「えっと……」

 エリスはとっさに誤魔化そうとしたが、ここまで親切にしてくれた彼へ嘘をつくのも気が引けた。そして正直に、本当は第五寮の配達係で、今日は清掃係の友人を手伝っていると打ち明けた。

「――でも、すみませんがこのことは内緒にしてもらえますか」

「勿論。君は友人想いなんだね」

 レオンが秘密にしてくれると約束してくれたので、エリスは胸を撫で下ろした。これでイオにも迷惑をかけないはずだ。

(良い人そう。良かったわ……)

 レオンはひたすら良い人だった。ゴミ収集所まで到着しても、荷下ろしまで手伝ってくれる。きっと彼も仕事中であったはずなのに、エリスは申し訳なさで恐縮してしまった。

「本当にありがとうございました。このお礼は、いずれ必ずいたしますので」

「お礼なんていいよ。その代わりに、もし良ければ君の名前を教えてほしいな」

 彼は人の良い笑顔をエリスに向けて、おもむろにこちらの手をとった。急なことに、エリスは「エ、エリス・プルトンと申します」と名前を言うだけで精一杯である。

「エリスさん……かわいい名前だね。では、また」

 そう言うと、レオンは手を振り去っていく。その後ろ姿をぼんやりと見つめながら、エリスは今の状況を整理した。

 これは……いわゆる、そういうことだろうか。三年もの間まったく出会いは無かったけれど、ついに騎士様との「出会い」をしてしまったのだろうか。

 エリスは初めての経験に高鳴る胸を落ち着かせながら、次は鍛練場へと向かった。なるべく目立たない裏口から入ろうと思い、従業員通用口へと向かうと――

「バーナード様?」

 そこにはなぜかバーナードがいるではないか。このような裏口に用がある人だとは思えないのだけれど。

「ああ、エリス。先ほどイオとすれ違いまして、あなたが手伝っていると聞いたので……もし良ければ何かお役に立てないかと待っていたのです」

 イオがバーナードに手伝いを頼んだのだろうか。彼は鍛練用の鎧を身に付けていた。そのまま手伝いに来てくれたらしい。

「イオが……? すみません。バーナード様も鍛練中でいらっしゃるのに」

「このくらいは大丈夫ですよ。でもそろそろ第二便の時間が差し迫っていますよね」

「えっ……!?」

 レオンとの出会いで時間を忘れていたエリスは、塔の上にある時計を見た。なんと、あと十分ほどで二時になろうとしている。

 二時からは第二便の仕分けが始まってしまう。これは……セドナ主任に叱られるのは確定かもしれない。情けないけれど今日はやむを得ないと、エリスが腹をくくった時だった。

「エリス、五分…三分ほど待っていてもらえますか」

「は、はい?」

 バーナードは、言い終わるやいなや走ってその場を後にした。とても速くて、思わず呆然としてしまったけれど……呆けている場合ではないと我に返る。待っていてと言われても、刻限の二時はどんどん近づいてくる。

 少しでも回収に入ろうかと鍛練場へ入ろうとした時、エリスは目を見張った。中から騎士達がぞろぞろと出てきたのだ。よく見れば皆、手にはゴミ箱を持っていた。次々とゴミ箱が空になり、荷車にはゴミがどんどん積まれていく。バーナードの手によって最後のゴミが積まれ、あっという間にゴミの回収が終了した。

「ありがとうございます!! こんなにすぐ終わってしまうなんて……!」

「さあ、もう時間でしょう。エリスはもう配達室へ向かってください。これは私が運んでおきますから」

 そう言ってバーナードがゴミの荷車を引こうとしたので、エリスは震え上がった。そんなことはさせてはならないと。

「だ、駄目ですバーナード様!」

「なぜ? レオンには頼って、なぜ私は駄目なんです?」

「えっ……」

 レオン――先程、荷車を引いてくれた騎士のことだ。

 なぜあのことをバーナードが知っているのか。

「レオンの相方が、鍛練場へ来て言っていました。あいつが金髪の清掃係の子と良い雰囲気だったと、それはそれは事細かく。イオの話を聞いて、すぐにあなただと分かりました」

 そういえば、彼は二人組で歩いていた。レオンは最後まで手伝いをしてくれたが、もう一人の騎士は別れて先に鍛練場へ向かったようだった。相方とはその騎士のことだろう。

 ただ手伝ってもらっただけで、良い雰囲気だなんて……ねじ曲がって広がった噂に困惑した。そうこうしている間にも、バーナードは収集所の方へ荷車を引いて行こうとしている。これはもう、彼にお願いした方がいいのかもしれない。

「バーナード様すみません……ありがとうございます!」

 エリスは彼の背に向かって深々と頭を下げる。

 するとバーナードは返事の代わりに、こちらを振り向き微笑んだ。


 タウロやレオン、そしてバーナードのお陰で、エリスは二時の仕分けに滑り込みで間に合った。セドナ主任に叱られることもなく、無事に午後の業務を終えることができたのだった。

 仕分けを終えて管理室へ戻ると、イオがひと息ついていた。

「エリス! 今日はありがとう。すごく助かったわ」

「イオもお疲れさま! 大変な一日だったわね」

 イオも、あとに残すは第五寮の雑務のみだった。これだけ大変な一日でも、ちゃんと定時に仕事を終わらせるところが凄い。

「ねえ、エリスは鍛錬所でバーナード様とお会いした?」

「ええ。イオと会ったって仰ってたわ」

「そうなの……バーナード様とすれ違った時に、エリスに手伝いを任せてること言っちゃったの。そうしたら叱られちゃったわ。配達係をあまりうろうろさせないで下さいって」

「ええっ」

 鍛練所の裏口で会った時、バーナードからは特に注意などされなかった。けれど、業務時間内に自分の業務以外のことで歩き回っていたエリスのことを、彼はあまり良く思わなかったのかもしれない。バーナードは裏口で直接忠告するつもりだったのだろうか。そんなこととは露知らず、第二便間際に登場したエリスはバーナードに頼りきってしまった。

「イオ、どうしよう……私、バーナード様にゴミ回収を手伝わせてしまったわ」

「えっ、嘘!」

 美しいバーナードがゴミの荷車を引く、ちぐはぐな光景を思い出す。そういえば、その前には「なぜレオンに頼ったのか」というような事も口にしていた。

「第四寮の騎士様にも手伝っていただいたの。他寮の騎士様にまでご迷惑をかけたことを、バーナード様は呆れていたのかもしれないわ」

 なぜレオンは良くて自分は駄目なのか、と言っていたバーナードの顔は、心なしか怒りの感情が見えた気もする。第五寮の人間が、第四寮の騎士を煩わせたことを恥ずかしく思っても不思議ではない。

「えっ、第四寮の騎士様? 誰?」

「レオン様といっていたわ。偶然通りかかったところを助けて頂いたの」

「レオン様! とっても素敵な方じゃない。エリスとお似合いよ」

 第四寮にも出入りしているイオは、レオンを知っているようだった。急に身を乗り出す彼女に、思わず及び腰になる。

「お、お似合いだなんて。たまたま手伝っていただいただけよ」

「なに言ってるの。それも立派な出会いよ」

 イオから言われ、やっぱりあれが『出会い』というものだったのかと自覚した。しかしここからどうすれば良いのかエリスには全くわからなかった。レオンからは「ではまた」とは言われたが、次の約束をしているわけではない。仕事上で接点があるわけでもない。今日はたまたま助けてもらえただけで……

「イオ、私やっぱり『出会い』とかよく分からないわ……」

 エリスは力無く呟いた。


 仕事も終わり、重い足と重い心を引きずりながら女子寮へと戻る。そして自室のドアを力無く閉めると、深い深い溜め息が出た。

 なんだか、とても疲れた一日だった。イオの手伝いをしたことに後悔は無い。ただ……

(バーナード様に見損なわれたかしら)

 直接、忠告されたわけではない。けれど、憧れのバーナードから不快に思われていたならと、想像しただけで胸の辺りが重くなってしまう。

 エリスは文机につき、日記を開いた。

『緑の月十五日

 今日は海岸通りで海祭り。通常業務のはずが、清掃係に突然の欠勤が相次いだ。イオが何人分もの仕事をこなそうとしていたので、心配で少しだけ手伝いを名乗り出た。

 イオが第五寮と第四寮と鍛練所のゴミ回収を任せてくれたので張り切って取り掛かったつもりが、空回ってばかり。タウロさんとレオン様、バーナード様のお陰でなんとか自分の仕事に間に合った。

 イオを手伝いたいというのは、私の自己満足だったのかもしれない。肝心な自分の仕事を蔑ろにしては駄目だった』

 イオからバーナードの苦言を聞いてやっと、今日一番許されなかったことに気付いた。段取りを考えず第二便に時間が差し迫ってしまったことも、手伝ってもらっていろんな人に迷惑をかけたことにも反省している。

 しかし何よりも、自分の仕事を二の次にしようとは言語道断だった。イオの為とは言え「遅れたらセドナ主任に怒られても仕方がない」など考えていた自分の甘さが恥ずかしい。

 エリスはぐるぐると自己嫌悪に飲み込まれたまま、長い長い夜を過ごしたのだった。


誤字報告ありがとうございます!

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