幸せの家
「レオン様、異動を申し出たらしいわ」
情報通のイオが聞いた話によると、エリスに失恋をしたレオンは実家のある東部地方へ異動願いを出したらしい。
「きっとエリスと同じように、こちらで結婚相手を見つけるか家に戻って縁談を受けるか、親から迫られていたのよ」
エリスもレオンも、節目に当たる二十歳だ。その可能性は高かった。だから、レオンもあのように一生懸命エリスを待ち伏せしたりしたのだろう。
「かなり、責任を感じるわね……」
「しょうがないわよ。あのバーナード様には誰だって勝てないわ」
エリスとバーナードの婚約は、瞬く間に騎士団中に広まった。
独身優良株だったバーナードを狙っていた女性達には、辞めた者も数名出たという。お陰で現在、あちこちの部署で欠員が出て現場は大忙しとなっていた。
『幻の金髪美女』がバーナードのものになったという衝撃も、独身の騎士達を駆けめぐった。これまで騎士達がなかなかエリスと出会えなかったのも、バーナードが妨害していたからだという噂まで流れている。
「あながち嘘じゃないけどね。事実だよね」
アイラスが呆れたように呟いた。そのような噂が流れるほど、現在のバーナードはエリスへの囲い込みが凄まじい。
「エリスちゃん、あんな男と本当に結婚できる? まだ間に合うんじゃない? 息が詰まらない?」
アイラスが気遣わしげにエリスへ話しかけた瞬間、管理室の扉が開いた。
「エリスが半年後に私の妻となることは、もう決定事項です。余計なことを言わないように」
「バーナードってどういう耳してるの……」
バーナードは管理室に入ると、アイラスを睨み付けながらエリスのとなりに腰を掛けた。そしてエリスに優しい瞳を向ける。
「エリスも、アイラスの言葉は聞き流してください」
「ちょっとバーナード酷くない?」
両家の話合いの結果、バーナードとエリスの結婚は半年後に決定した。
本当は一年程期間を設けて、結婚生活への心構えやガラクシア伯爵家のことなどをゆっくりと勉強したかったのだが……バーナードが首を縦に振らなかった。むしろ婚約期間は要らないと言っていた彼にしてはかなり譲歩したほうだ。
「半年後に妻ということは、今も実質、妻ですからね」
「僕には訳が分からないよ……」
いつからだったか、バーナードからは「エリス」と呼び捨てされるようになり、周りにも積極的に婚約者として紹介されるようになった。
バーナードの姉ミラからも妹のように可愛がって貰え、かつて婚約者を名乗っていたティエラは彼の幼なじみとしてバーナードについて色々と教えてくれる。
皆がエリスを『バーナードの婚約者』として接してくれるうちに、結婚がだんだんと現実味を帯びてきてエリスはなんだかむずがゆい。数ヶ月前まで縁談についてため息をついていたことがまるで嘘のようだ。
今日はこの後、バーナードと新居の下見に行く予定だ。彼もそのつもりで、もう支度を整えている。
「エリス、そろそろ行きましょう」
「はい。ではイオ、アイラス様、また明日」
エリスには一つだけ叶えたい望みがあった。
それは「結婚しても、このまま働き続けたい」ということ。
セドナ主任の元で働き、評価され、イオという仲間を持てたことはエリスにとってかけがえのない財産となっていた。結婚と同時に手放すには惜しく、駄目元で声に出してみようと決めたのだ。
伯爵家の人間と結婚するのだから、その希望は通らなくても仕方がないとはエリスも覚悟していた。しかし両家の話合いの場で、その希望は意外にもすんなりと通ってしまった。
バーナードが次男であったということと、親元を離れて騎士として自由にやっていたこと、何よりバーナードがエリスの意思を尊重してくれたことが大きかった。
結婚するまではエリスもバーナードも寮暮らしではあるが、結婚後も二人共騎士団で働き続けるために、通える距離で新居を構える予定だ。
これまでも何軒か下見を繰り返したが、エリスは改めてガラクシア伯爵家とプルトン男爵家との格差を実感した。何部屋も使用人の部屋があったり、廊下が大理石張りだったり、大きな庭園があったり……「これが貴族か」と驚いたものだ。
エリスはもっと質素な住まいで構わないのだが、あまり簡素な屋敷にバーナードを住まわせるわけにもいかず、なかなか加減が難しい。
「今日の物件は、エリスも気に入ると思いますよ」
バーナードがエリスを抱き寄せながら微笑んだ。
馬車から降りると、そこには自然豊かな庭が広がっていた。
木々には小鳥がさえずり、奥にレンガ造りの大きな屋敷がどっしりと佇んでいる。
「ここは……」
「少し、プルトン家と雰囲気が似ているでしょう」
プルトン男爵家ほど田舎にある訳でもなく、レンガ造りの屋敷も古いわけでもなさそうだ。なのに落ち着いた色彩と花咲く庭が、どこか親しみを感じさせた。
屋敷内を案内して貰い、エリスはますます魅力的に感じた。
「修繕も掃除も行き届いておりますので、すぐにでもお住みいただけますよ」
案内の者がバーナードに話しかけると
「こちらに決めます」と彼が即答した。
「バーナード様! よ、よろしいのですか」
「エリスはこちらを気に入ったでしょう? でしたら、私もここが良い」
今まで下見をした屋敷に較べれば多少、値は落ちるが、それにしてもエリスにとっては目が飛び出るほどの金額だ。なかなか即決出来るものではないのだが────
「エリスとの結婚が無ければ、私はこれから先もずっと寮住まいだったのです。それを考えればなんて幸せな買い物なのでしょうか」
帰りの馬車の中、隣ではバーナードが満足そうな顔をして、資料に目を通している。先程購入を決めた屋敷の資料だ。
新居も決まり、半年後にはあの屋敷でバーナードと住むということになった。二人、同じ家に帰宅し、同じ部屋で、同じ時を過ごすのだ。エリスはいよいよ動悸が収まらなくなってきた。
バーナードはそんな彼女の耳元で囁く。
「すぐにでも住めると言っていましたね」
自分の気持ちを見透かされたエリスは、驚いて彼を見上げた。
「いつから住みますか?来月にでも引越しますか」
彼がからかい続けるので、エリスは顔を真っ赤にして抗議した。
「も、もう、からかわないで下さい! 入居は半年後です!」
「すみません、本当に可愛くて……。エリスと早く一緒に暮らしたくて、半分は本気だったのですよ」
バーナードが彼女の手を握るのを合図に、二人は自然と見つめあった。
真面目なエリスは心配でならなかった。
彼に溺れすぎている自分が。もう彼無しではいられない自分が。
アイラスはああ言っていたが、バーナードでなければ駄目なのはエリスのほうだ。
どんどんスキンシップが増えてゆくバーナードから、手を握られるだけで甘い気持ちになってゆく。目が合うだけで、条件反射のようにキスが欲しくなってしまう。
ほらまた、バーナードがキスをくれようとしている。エリスの心は喜びで溢れてゆく……
彼女の変化も期待通りのバーナードは、受け取りきれないほどの愛を彼女に贈る。
レンガ造りのあの屋敷で、半年後には二人の新しい生活が始まる。
庭でさえずる小鳥達が、エリスとバーナードの甘く幸せな日々を歓迎しているように思えた。
――終――
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
不憫過ぎた騎士、レオンを救済するために書いていた
『お持ち帰りされたいスピカ先生は、今日も微笑みの騎士を待つ』というお話も、先日完結いたしました。
もしご興味ありましたらよろしくお願いします( ・ᴗ・ )




