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雨音の部屋



 その日は、朝から雨が降っていた。


 エリスは雨が苦手だった。

 まず配達物を濡らしてしまう可能性。そして服が濡れる、髪も濡れる。さらに靴に泥がついて、せっかくイオが掃除している玄関も汚れてしまう。彼女にとって良いことが無いのである。


 今日も騎士達に届いた手紙の束を濡らさぬよう、管理棟から寮への距離を傘をさしながら慎重に歩く。横から入り込む雨を防ごうと、傘をなるべく前に傾けると今度は背中が濡れてきた。


 ……彼もどこかで雨に打たれてはいないか。


 バーナードの行方が分からなくなってから、エリスの心が晴れることはなかった。配達室で、もしかしたらと毎日バーナードからの便りを探してみるが、やはり届くことはない。


 管理室で、エリスは手紙をまとめ、束にして紐で縛ってゆく。

 様々な方が彼の身を案じて寮まで手紙を寄越している。バーナードの部屋の手紙受けは受け取る主もおらず、もうそろそろ満杯だ。


 こんな状況にしたのはエリスの不注意のせいなのに、自分はここで待つだけなど……彼女は毎日、自分の無力感に苛まれていた。

 せめてエリスも探しに行けたら良いのだが、イオもアイラスもそれはやめておけと彼女を止める。




 バーナードの部屋へ手紙を届けるのは、とても切なかった。居るはずがないのに、つい気配を探してしまうから。

 今日も、届いた手紙を配達しにバーナードの部屋前まで向かったエリスは、異変に気付いた。


「手紙が無い……?」

 一週間以上、手紙受けに溜まりにたまった手紙の数々がすっきり消えて無くなっている。


 扉の手紙受けは部屋の内側から手紙を抜き取る仕組みになっている。配達物を受け取るには、鍵を開けて扉の中へ入らなければならない。

 バーナードは、ガラクシア伯爵家へ帰省した際に鍵をしめて出たままだった。手紙の束が無くなっているということは……


「もしかしてバーナード様、帰ってきた……?」

バーナードが鍵を開けた……帰ってきた証拠だ。


 今バーナードはどこに居るのだろうか。鍛錬場だろうか。

 よかった、本当によかった────

 ふいに、景色が歪みだした。エリスは、目から涙が溢れていることに気が付いた。ずっと、自分が思っていた以上に不安だったのかもしれない。バーナードが帰ってきたことで、安堵の涙が止まらなくなってしまった。


 こんな泣き顔、イオに見られたらどんなに心配させてしまうか。早く管理室に戻って顔を洗おうと、ずっと手に持ったままだったバーナード宛の手紙を、カタンと手紙受けに落とした。




 その瞬間。


 部屋の中からバタバタとした足音が聞こえたと思うと


「エリス!」

「きゃあ!」


 扉が開き、部屋からなんと上半身裸のバーナードが現れた。

 なんという視覚刺激の強さ。

 思わず、エリスの涙も思考もすっかり止まってしまった。


「エリス……会いたかった」

 バーナードはそのまま構わず、エリスをきつく抱き締めた。自分が半裸であることを忘れているのだろうか。布越しに伝わる、バーナードの生々しい感触にクラクラしてしまう。


 そしてタイミングも悪く、廊下の向こうからイオの足音が聞こえる。こんな半裸の彼に抱き締められているところを目撃されるわけにはいかない。エリスは我に返り「へ、部屋に入りましょう!」とバーナードを部屋に押し込んだ。


 しかし部屋に入ってから「しまった」と気が付いた。まるでエリスがバーナードを壁に押し付けてしまっている体勢だ。


「もうすぐエリスが第一便を配達しに来ると思って、少し待っていたんです」

 彼が嬉しそうに笑っている。至近距離で……なんてことをしているんだろうとエリスは自分を責めた。目の前に広がる胸筋に、俯けば見えてしまう腹筋に、彼女の心臓はもう瀕死寸前で……


「! エリス? 泣いていたのですか」

 バーナードがエリスの赤い目に気づいた。エリスの目尻を彼の冷たい指が優しく撫でる。

「こ、これはバーナード様のお帰りに安心してつい……それよりあの、お洋服は」

「ああ、実は雨に濡れてしまって」


 バーナードは、つい先ほど寮へ戻ったようだった。馬で騎士団本部まで戻った彼は、この雨に打たれ全身ずぶ濡れになってしまったらしく、改めて見れば黒髪もしっとりと濡れている。このままだと風邪を引いてしまいそうだ。


「タオルを持ってきます、少しお待ちを……」

 エリスが管理室へタオルを取りに戻ろうとすると、行く手を阻んだバーナードから再び抱きすくめられてしまった。


「タオルは要らないから、ここにいて」

 再会してからというものやたらと距離の近いバーナードに、エリスの心臓はいよいよ限界を迎えそうだった。

 (だから……服を着て下さい!バーナード様……!)

 エリスは、バーナードの素肌に包まれたまま意識を失ったのだった。


 




 目を覚ますと、エリスはベッドに寝かされていた。


 ここはまだバーナードの部屋のようだ。ということはこのベッドは……。身体中の血液が顔に集まったかと思うくらい、エリスの顔は真っ赤になった。


 彼の匂いがするベッドから勢い良く身体を起こすと、足元に腰掛けているバーナードがこちらを見た。よかった、もう服を着ている。


「エリス、気が付いたんですね」

 優しく微笑みかけた彼の髪も、ほとんど乾いているようだ。……ということは、

「私! 仕事中でした、時間が……!」

「心配要りませんよ、まだ一時間も経っていないですから」


 もうすぐ昼を迎える時間だ。一時間近くもサボっていたということになる。エリスが顔を青くしていると、そんな彼女を見てバーナードが軽く笑う。


「エリスは本当に真面目ですね。イオには、エリスは気を失ってここで休んでいると伝えてありますから、大丈夫です」

「!?」


 イオに伝えた!? バーナードの部屋に二人きりでいることを?

 顔を青くしたり赤くしたり忙しいエリスに、彼は思い切り近付いた。そしてエリスの顔を愛おしそうに覗き込むと、機嫌良く囁いた。


「婚約者と二人きりになって、何の問題があるのでしょうか?」と。




 バーナードはガラクシア伯爵家から姿を消した日、やはりプルトン男爵家へ向かったらしかった。

 身一つで馬にまたがり夜通し馬を走らせるなど、普通はなんて無茶な……と思うものだが、その時の彼は普通の精神状態では無かったらしい。

 案の定、プルトン男爵家に到着すると同時に倒れてしまったバーナードは、プルトン家にて数日間面倒を見てもらっていたため、こんなにも帰りが遅くなってしまったという。


「なんとも情けない話ですが……プルトン家ではずいぶんお世話になりました」

 バーナードが照れ臭そうに笑った。あの素朴すぎる家で彼のようなキラキラとした人が寝起きしていたなんて、想像すると不思議な気持ちになる。


「それでは……両親から、話はありましたでしょうか……」

「はい、お陰様で。あの手紙は間違いであったと」


 エリスは耳まで真っ赤にしながら、バーナードに向かって頭を下げた。

「バーナード様、今回のことは本当に申し訳ありませんでした。私が至らないばかりにバーナード様やガラクシア伯爵家へ、どれほどのご迷惑をお掛けしたか分かりません……」

「エリス、もう謝らないで」


 バーナードが、エリスの頬に手を添えた。

「私が、縁談のことをエリスへ伝えてなかったのがそもそもの発端です。それに、やっとエリスと婚約者になれて、私はこんなにも幸せなのですから」

 

 彼の金色の瞳がエリスを見つめた。

 エリスの瞳が、わずかに揺れる。

 そういえば彼は、先ほどもエリスのことを『婚約者』と。


 プルトン男爵家へ滞在中、バーナードはバルジとマルテへ、改めてエリスとの婚約を申し込んだ。それはすぐに了承された。そしてガラクシア伯爵家へすぐに連絡を出したのだ。「婚約の手続きを進めるように」と。

 



 窓を打ちつける雨音が、外界から二人を遮断する。


「もう、エリスは私の婚約者です」


 ゆっくりと、彼の顔が近付いてくる。

 もう彼の瞳しか見えない距離で、バーナードが懇願するように囁いた。


「エリス、どうか私と結婚して下さい」


 彼は、返事を待つことなく彼女の唇にキスをした。

 エリスは瞳を閉じて、彼のプロポーズを受け入れた。




 激しさを増す雨のように、お互いへの欲求はますます高ぶってゆく。

 婚約者となったエリスとバーナードは二人きりの世界で、何度も何度も優しいキスを繰り返した。









あと一話で完結となります。

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