幻の配達係③
エリスが部屋から逃げるように去ってしまった翌日、私は寮の昼のまかないに顔を出した。昨日彼女を困らせてしまったことを、すぐにでも謝りたかった。
しかし彼女は居なかった。イオに聞けば、仕事にはちゃんと出てきているという。私が来る可能性のある昼だけ、席をはずしたのだ。
イオもアイラスも「昼休憩に、女子寮で用事があるんじゃない?」などと苦しいフォローしてくれるが、私も分かっている。
エリスに避けられているのだと。
昼に会えなければ、私とエリスは会うことは無い。もともと、二年間全く会うことが無かったのだから。彼女にどうしても会いたくて、私が昼に寮へ来ている。ただそれだけのことなのだ。
少しでも彼女に会いたくて毎日のように訪れたが、やはり彼女は現れない。徹底的に私を避けているようだ。静まり返った食堂でぼそぼそとまかないを食べる私を、イオがはらはらと見守っていた。
ある日まかないを食べていると、タウロがテーブルまでやって来た。恐る恐る私の傍に寄ると、そっと耳打ちをする。
「最近よく裏口に騎士様が来ているんだけど、エリスちゃん目当てのようなんだ。いつも私が断っているんだが……一度話をするかい?」
エリス目当ての騎士。レオンのことだろう。
タウロは、エリスが夕食を共にした日から、私と彼女を恋人同士だと思っているようだった。多分、この騎士が原因で私とエリスの仲がこじれていると勘違いしているのだ。
裏口へ向かうと、やはりレオンが待っていた。私の姿を見て驚いたような顔をしている。
「バーナード様? どうされたんですか?」
彼からは相変わらず人の良さそうな印象を受けた。
「エリスさんはいない。もう来ない方がいい」
「……エリスさんが、第五寮で働いているのは知っています。今いないのなら、また今度来ます」
私を訝しそうに見るレオン。エリスに会いに来て、私に断られるのが納得いかない様子だった。
「いつも断られているだろう。もう来るのは止めろ」
「なぜバーナード様に言われなければならないのですか」
いつも穏やかなレオンの瞳が、私をぎろりと睨んだ。彼も人を睨んだりするのかと、意外だった。こんな時、私がエリスの恋人なら、婚約者なら……彼女に近付くなと言えるのに。
「僕は、彼女が好きです。少し会えないくらいでは諦められません」
また来ます、と言って、彼は去っていった。
彼の後ろ姿を見送りながら思った。
彼も私も同じだと。ただエリスに恋をしているだけ。私は他の騎士より少し会う機会が多いだけで、その他大勢と何も変わらない……彼女の心を手に入れたわけではないのだから。
勤務が終わり自室へ戻っても、部屋にエリスが来た日の記憶がよみがえる。部屋にいるだけで彼女に会えない辛さが募る。
姉からも、返事をする気力が無い私を気遣う手紙が頻繁に届くようになった。
このまま会えずに、彼女はいずれ他の男の縁談を受けて、寮を去っていくのだろうか。そんな未来は想像するだけで耐えられなかった。
一ヶ月以上エリスに会えなかった私の思考は、後で思えば異常だった。
その日私は、「明日はエリスを待ち伏せしよう」と考えた。昼休憩近くに休みを取って、女子寮の前で待つのだ。そうすれば確実に彼女と会える。
避けられている人物がそんなことをすれば、彼女からさらに敬遠される。最悪恐がられ、二度と会ってくれなくなるだろう。しかしそんな当然のことも私には分からなくなっていた。
待ち伏せが名案だとさえ思っていた頭のおかしい私は、手紙受けに残されたメモを見て一気に目が醒める。
『話をしたいので、明日の夕方、屋上でお待ちしております』
エリスの美しい字で綴られたメモだった。
話とは一体何なのか。
身を焦がし、眠れぬまま次の日を迎えた私は、勤務後すぐに屋上へ向かった。気が逸り階段を駆け登ったが、屋上へと続く扉の前へ立つと、ふいに不安が頭をよぎった。
エリスの『話』が、もし「もう近付くな」など私を拒絶するものだったら、私はそれを受け入れることが出来るのか?
なかなかドアに触れることが出来なかった。この扉を開けば、そこにエリスがいるというのに。
葛藤の末、彼女に会いたい気持ちが勝り、私は固いドアを開けた。
一面、空が広がる屋上。
エリスが立っていた。
私は一ヶ月ぶりの彼女を見た。久しぶりに会えたエリスは、どこか思い詰めたような表情をしていた。
「お疲れのところ、わざわざお呼び立てして申し訳ありません」
エリスは、立ったままこちらに向かって頭を下げた。
以前部屋に来てくれた時のように、私のことを真面目に考えて、話をしようと向き合ってくれているエリス。そんな彼女の立ち姿を見るだけで、涙が出そうだった。
「エリスさん、本当に……すみませんでした」
「えっ」
「あの日……貴方の気持ちを考えず、自分の気持ちを押し付けすぎました」
やっと、あの日のことを謝ることができた。ずっと、どうしても彼女に謝りたかった。
エリスからも、私を避けていたことについて謝られた。謝ることは何もないというのに、今日も彼女は会った瞬間からずっと私へ謝ってばかりだ。
話を聞いてみると、エリスは私から好意を伝えられてから、どうしていいのか戸惑っていたようだった。
「私、バーナード様には仲の良い女性がいらっしゃることを知っています。部屋から朝帰りをするような女性がいらっしゃることも。それなのに、あの日私のことも欲しいと仰ったのは……束の間の遊びとして、なのかなと」
「そんな!」
仲の良い女性とは、誰のことを指しているのだろうか。心当たりが無いが、朝帰りをする女性……以前ティエラが押し掛けてきた時のことを言っているのだろうか。ティエラが私の部屋へ泊まった事実。それについて、エリスは誤解していたようだった。私とティエラが一晩共にするような関係だと。
だから彼女はいつも、どこか一歩引いたような態度だったのか。私は自身の詰めの甘さを後悔した。肝心の彼女にこんな誤解を与えてしまっていたとは。エリスのことを遊びなど、そんなことあり得るものか。
私はきっぱりと否定をしたが、エリスはまだ腑に落ちないようだった。彼女はなぜか私に婚約者がいると思い込んでいる。
「ティエラ様という、ご婚約者がいらっしゃるでしょう? 昨日から第五寮の清掃係として勤務されております」
エリスが信じられないことを告げた。ティエラが私の婚約者として振る舞い、第五寮で働いていると。
今までティエラのことは兄のせいで不憫に思っていたし、ある程度は受け入れるつもりでいた。でもこれは許せなかった。私の中にあるのはティエラに対する怒りだった。
あいつは働くつもりなど無い。私に女が寄り付かないように、自分の影をちらつかせたいだけなのだ。
そのうえエリスは、寮で働くことをティエラに諦めさせるため、私がもっとティエラに会えばいいと言う。あまりにもつらい。私はエリスが欲しいと、彼女へ伝えたはずなのに。
エリスもティエラも、勝手過ぎる。私の気持ちは無視なのだろうか。
貴方が私を無視するのなら、私も貴方の気持ちはもう気にしない。
私がティエラは婚約者ではないと告げると、エリスはひどく驚いていた。彼女が恐がっても構うこと無く、私は無遠慮に近付いた。
「私は、エリスさんが欲しいと言いました。欲しいのは貴方だけです」
彼女は顔を真っ赤にして困惑している。ティエラが婚約者ではないと分かった今も、必死に私を拒否する理由を探しているようだった。
そんなに唇を震わせて、次はどのような理由をつけて私を拒むのだろうか?
どれほどの理由だとしても、私を拒むものなら絶対に潰してみせるけれど。
私は最後に一歩近付いて、彼女の小さな手をとった。エリスがぴくりと小さく震える。
「エリスさん、恐いですか……私の気持ちは嫌ですか」
私はもう恐がられても嫌がられても構わない。この手は、私以外の男に渡さないと決めたのだから。
彼女は、意外にも私の気持ちを「嫌ではない」と言った。拍子抜けした。なら、エリスの結婚相手は私でもいいではないか。
「貴方は先ほど、私の気持ちを『嫌ではない』と言ってくれました」
「は、はい」
「今、即答しなくとも、少し考えてくれませんか」
「はい……」
エリスが頷いてくれたことで、私はようやく彼女の『結婚相手候補』として舞台に上がることができた。安堵して思わずため息が漏れる。
私が息をついたのを見て、エリスが私の手を握り直した。その手は、私達の手と手の隙間を埋めるように、こわごわと、でもやさしく。
どういうつもりで……
なかなか現実を受け止められない私に、彼女の甘い瞳がゆっくりと向けられた。
その瞳から感じられるのは、紛れもない『好意』だった。
エリスは『男』へ気持ちを伝える時、このような顔をするのか。その相手が私だと思うとたまらない。
私は夢中になって、彼女の細い指に自分の指を滑り込ませた。すると私の指に、エリスの指が絡められて。たちまちに全身の血液が沸騰してゆく。
「エリスさん……どうか私を選んで下さい」
私は、エリスの指先に口づけをした。
彼女からは小さく熱い息が漏れる。
捨て身でぶつかって、やっと彼女の内側に入り込めた。そんな気がした。
エリスから避けられていた私は、一気にエリスと相思相愛になった。
その日から、まるで私自身が別の生き物に生まれ変わったように、世界全てが輝いて見えた。
もう、ティエラが邪魔しようと、レオンが来ようと、何があっても問題無い。私の好意は、エリスに受け入れてもらえるのだから。
私がエリスに触れたいように、エリスも私に触れたいと望んでくれている。私にこのような幸せが訪れようとは。
ほどなくして、エリスは配達室へ休暇を申し出た。一週間ほど、プルトン男爵家へ帰省すると言う。
私はいよいよ来た、と思った。二人が結婚する時が。
どうか家族へもきちんと伝えて欲しい。エリスは、私を選ぶのだと。
完全に彼女を信じきっていた私は、夢にも思わなかった。
まさかプルトン男爵家から、断りの手紙が届くとは────




