幻の配達係①
バーナード視点回です。
~『憧れのバーナード様』までのお話です。
バーナードは、失意の中にいた。
頭に浮かぶのは、愛しいエリスのことばかり。
ああ、なぜ君は────
それは三年前のことだった。
「配達係にいい子が入ったんですよ!」
その日は、清掃係のイオが嬉しそうにモップをかけていた。
裏表がなく、仕事にも手を抜かないイオは、信頼の出来る従業員の一人だ。そんなイオが「いい子」と言うのだから、ちゃんと仕事をしに来た女性なのだろう。
そう思ったのが、エリスへの最初の印象だった。
騎士団では、多くの女性が働いている。ほとんどが真面目に働く者達だったが、中には騎士を目当てでやって来て、仕事そっちのけで男漁りをする女性も少なくなかった。
十六で騎士団へと入団し、そのような女性を多く見聞きした私は、徐々に女性が苦手になっていった。強烈な姉と傍若無人なティエラに囲まれて育ったのも、ひとつの要因かもしれない。
そういえば最近、寮の掃除が行き届いている。玄関に飾られ始めた花を見て気づいた。清掃係も増えたのだろうか。それとも、寮の従業員が一新されたのか? 私はイオの嬉しそうな顔を思い出し、新しい従業員達がどうか信頼出来る人物であれば良いと思った。
『ご実家からのお荷物が届いております。管理室までお越し下さい』
次の日、さっそく手紙受けにメモが挟まっていた。新任の配達係からのメモであった。その字はハッとするほど美しく丁寧に書かれてあり、その他の手紙も紐できちんと結わえて束にされていた。その仕事ぶりに、真面目な人柄が伺えた。
『配達係にいい子が入ったんですよ!』
その時、前日に聞いたイオの言葉が脳裏によみがえった。私は配達係の彼女がどんな人物なのかふと気になって、管理室へと急いだ。
「バーナード様! どうされました?」
そこにはもう彼女はおらず、当番の騎士が私を出迎えただけ。
(なんだ、もう帰ってしまったのか……)
思いのほか落胆していた私の鼻先を、ふわりと花のような甘い残り香が掠めた。つい先程まで彼女がそこに居たことを証明するように。
半年も経つと、目ざとい騎士達の間で噂が広がった。
『第五寮に、金髪の美しい女性が出入りしているようだ』と。その女性は、騎士達が寮へと戻る時間帯にはもう姿を消しており、会えることは稀であると。
私にはすぐに、イオが言っていた新任の配達係だと分かった。彼女は、騎士が寮を出てから出勤し、騎士が帰ってくる頃には退勤している。騎士と一切会わず、仕事だけきっちりこなして帰っていくひたむきな女性のようだった。
日に日に噂が噂を呼び、騎士達は彼女の人物像をどんどん美化させてゆく。
幻の金髪美女へギラギラと目を光らせる騎士達を横目に、どうか彼女がこの男達に捕まらないよう、密かに願った。
その後も目撃情報などあったものの、噂は徐々に落ち着き始めた。彼女はその噂を知ってか知らずか、依然として姿を現さず、淡々と仕事をこなしているようだった。
手紙受けに配達される手紙。挟まれる直筆のメモ。それだけが彼女の気配を教えてくれた。
そして二年程経った頃、アイラスが得意気に言った。
「前に、幻の金髪美女が噂になったでしょ。俺、昨日会っちゃった!」
昨日アイラスが忘れ物を取りに寮へと戻ると、ちょうど彼女が玄関の花をいけていたそうだ。アイラスが挨拶をすると、はにかんだように挨拶を返したという。
「あんな綺麗なのに男慣れしてない子、騎士団でウロウロしてたら駄目だよ。そのうち飢えた奴にパクッと喰われちゃいそう」
アイラスがとんでもない感想を口にしたので「お前だけは近づくな」と釘を刺しておいた。アイラスは飢えていないので、ああ言っておけば大丈夫だろう。
二年間、私と配達係は顔を会わすことがなかった。彼女は毎日出勤しては仕事をしっかりとこなして、定時で帰っていく。管理室に甘い香りだけを残して。
なぜか、私が会ったこともない彼女に会えたアイラスが憎らしくなった。これも嫉妬というものだろうか。
その次の日、私はどうしてもじっとしていられず、アイラスと同じく忘れ物をしたという口実で仕事を抜け出し、第五寮まで向かった。
第五寮の近くまで差し掛かったとき、寮の表玄関から、女性達の笑い声が聞こえた。
遠目からでも分かる、淡い金髪の後ろ姿。その女性が振り向きかけた瞬間、私の心臓がドクンと跳ねた。
思わず私は物陰に隠れてしまった。彼女に会ってみたいという気持ちだけで勤務中に抜け出した自分の事がやっと情けなく思えて、彼女の顔まで見ることが出来なかった。
彼女達は、こちらに気付かぬままモップを持ち、笑い合っている。どうやら水をこぼして、足元がずぶ濡れになってしまったようだった。二人はエプロンと三角巾を身に着け、ずいぶんと汚れている。私が配達係だと思い込んでいただけで、金髪の彼女は清掃係なのか。それではあの生真面目な配達係はまた別の女性なのか……仕事に戻った後も、あの金色が頭から離れなかった。
華奢な後ろ姿に頭が支配されたまま昼休憩に入った私の足は、またフラフラと第五寮へと向かってしまう。
寮に何の用事も無いというのに、何をしに行くというのか。しかし寮へ行けば、彼女に会える────
自分でも自分が分からぬまま、声のする方へと引き寄せられた。
話し声のする食堂を覗くと、イオと……金髪の彼女が座っていた。まかないを食べていたようだ、掃除の服装のままで。
今度こそ、私は彼女の顔を見た。
美しかった。見惚れた、目が離せなかった。
透き通るような白い肌に、優しげな茶色の瞳。掃除の時には束ねられていた金髪がほどかれて、彼女が動く度にさらさらとなびく。
私は入り口に立ち尽くしたまま、動けないでいた。そこからずっと、彼女を見ていたくて。
「あっ、バーナード様! どうされました?」
視線に気付いたイオが、私に話しかけた。金髪の彼女の視線も私に移り、あの優しい瞳と目が合う。
「忘れ物を取りに帰って……美味しそうな香りに、つい釣られてしまいました」
彼女の視界に入っていることで動揺してしまった私は、とっさにどうしようもない嘘をついた。私の言葉に小さく笑う彼女を見て、どんどん鼓動は早くなる。
先程の言葉を聞いたタウロが「それでは是非バーナード様も食べていってください」と、私の分までまかないの席を用意してくれた。幸運にも、彼女達と昼食を共にすることになってしまった。
「君は、新しい清掃係の方ですか?」
タウロのまかないを待っている間、私は我慢できずに彼女に話しかけた。
「いえ、私は通常、配達係として勤務しております。今日はイオと大掃除をしていて……」
「君が……!」
やはり、金髪の彼女はあの真面目な配達係だった。イオが彼女に自己紹介を促してくれ、彼女から色々と聞くことができた。
名はエリス・プルトンと言い、二十歳になる男爵令嬢。貧しい実家の足しにするために働きに出たらしい。
「親からは結婚相手も見つけておいでと言われてますが、それはなかなか難しいですね」
エリスのような女性なら結婚相手など一瞬で見つかるだろうと私は思ったが、彼女にとってそう簡単では無かったようだった。配達係は騎士との接触が極端に少ない。私は思わず、配達係という職に感謝した。
私はエリスの目の前に座り、なるべく場を繋げるためにと何度もおかわりをした。次々と平らげる私に、エリスが「沢山召し上がるんですね」と驚き、笑う。その笑顔を向けられるだけで胸が満たされた。
私が余りにも沢山食べるので、タウロが「よかったらまたいらして下さいな」と誘ってくれ、またエリスに会う口実が出来た。はち切れそうな腹を押さえ、私は自分の胃袋を何度も何度も褒め称えた。
その夜、私は初めて、自身の結婚について希望をもった。
両親は兄レグルスのことがあってか、私には無理に婚約者をあてがうことはせず、自分で相手を見つけるようにと任せてくれた。
ただ私自身が女性を苦手としたため、特定の相手を作らぬままこの歳まできてしまっている。
姉ミラは、常から「早くいい人を見つけなさい」と私に構う人だった。家族の中でも、私の事を一番心配しているかもしれない。
なので私は、姉に宛てて手紙を書いた。
「結婚したいと思う女性に出会った」と。
すると姉から凄い勢いの返事が届いた。それは誰か、何歳か、どこに住んでいるのか、親は健在か、兄弟はいるのか、婚約者の有無、貴族か平民か、彼女も結婚を望んでいるのか、希望の時期はいつ頃か……
私が把握してないものまで質問が飛んできたが、試されていると思った私は意地になって分かる範囲で返答をした。
後日、間も無く届いた姉からの手紙に、目を疑う一文が記してあった。
「プルトン男爵家へ、ガラクシア伯爵家から正式に結婚の申込みを送りました」と。
私本人に、まさかの事後報告。確かに「結婚したい」とは記したが、姉はスピード感が有りすぎた。
私に結婚したい相手が出来たことで、ガラクシア伯爵家はお祭り騒ぎのように喜んだそうだった。生涯独身を貫きそうな勢いの私に頭を悩ませていたのだろう。
結婚の申込みをしたことで現実感が湧き、その日から私は自分の隣にエリスが並ぶ未来ばかり妄想するようになった。
その後、プルトン男爵家からは「娘の意向を確認してから」と保留の返事が実家にあった。しかしエリスと昼に会っていても、何も変わったことは無い。もしかして縁談について何も聞かされてないのでは……
ヤキモキとした毎日を送っていると、ある日ティエラが第五寮に現れた。私の婚約者を自称するティエラに姉が怒り、ティエラは逃げて私に甘えにきたのだ。いつもの事だ。
辺りはもう暗闇、女一人を帰すには危険だと判断し、仕方がなく私の部屋へ泊めることにした。私はアイラスの部屋へと逃げ込んだ。
「ティエラ嬢を泊めたこと、エリスちゃんにはばれないようにしないとダメだよ」
アイラスの部屋で釘を刺されたが、エリスの勤務時間には被らないので大丈夫だろう……と私は楽観していた。後程、それを後悔することとなる。
その日のまかないの席で、エリスとイオの会話が聞こえた。
「貴族も大変ね。縁談なんて」
イオから聞こえた『縁談』という単語。いよいよきた!と思った。私は聞き逃さなかった。
「縁談が、どうしたのですか?」
私は背後から強引に話しかけ、話題に参加した。
「エリス、田舎に縁談がきていて、親から帰ってこいって言われてるんですよ」
エリスは顔を真っ赤にして、ひたすらトマトスープを口に運んでいる。
「……私がなかなか相手を見つけないものだから、母が心配しておりまして……いつもこうなのです。お気になさらないで下さい」
この様子だと、私からの申込みだとは知らされていないのだろうか?エリスは恥ずかしそうにしていて、無理矢理に話題を終わらせた。私はもう少し、詳しい話を聞きたいのに。
「そういえば、バーナード様宛に小包が届いていましたよ」
まかないが終わった後、エリスに話しかけられた。
小包はきっと姉からだろう。手紙攻めをしてくる姉に「どうせなら小包を送ってほしい」と頼んでいた。中身は何でもいいのだ。少しでもエリスとの接点が欲しかったから。宝物のような、彼女直筆のメモが欲しかったから。
それが思いがけなく二人きりになるチャンスを与えてくれた。私は姉に心から感謝した。
「そうですか。では今受け取りに参りましょう」
二人きりの管理室は、とても静かだった。彼女が少し緊張しているのが分かって、とても愛しい。私は縁談の事を聞こうと、先ほどの話題を蒸し返した。
エリスはそんな私に苦笑いで答える。
「もう少し働いていたいのですが、私も二十歳ですので……早く親を安心させたいとは思っております」
そうだったのか。だから彼女は縁談の話に憂鬱な顔をしていたのか。エリスが望むなら、結婚後も働き続けたって私は全然構わない。エリスと結婚出来るのなら。
「婚約後も働くことは出来るかもしれませんよ」
だから、私との結婚を前向きに考えて欲しい。
「相手によりますでしょうし……。縁談がいくつか来ているようですので、まず確認をしてからと」
「いくつか?」
私は自分の間抜けさに呆れた。
縁談を申し込んだのは私だけではなかった。当然だ、エリスはこんなにも可憐な女性なのだから。男達が皆欲しがって当然だ。けれど私はつい自分だけだと思い込み、申込んでいることに安心しきっていた。
プルトン男爵家が「娘の意向を確認してから」と保留にしたのも、エリスに結婚相手を選ばせるためだったのか。私は焦りを覚えた。
自虐的な冗談を言うエリスを不思議に思いながら、私の胸には黒い気持ちが広がった。
彼女は誰にも渡さないと。
次回もバーナード回続きます。
誤字報告、ありがとうございます!




