10 ルーカスの婚約・中編
秋の頃、マリアンヌを名前で呼んで構わないかと確認した。
初めはアドリーヌ(エヴィ)を捜すための身分を越えた同士であったふたりだったが、本当の友人になれたようで面映ゆい気持ちでいっぱいであったのだが。
ここに来てふたりは、その気持ちが違うものに変化してきていることを認めざるを得なかった。
派手さはないものの、清楚で控え目なマリアンヌはルーカスにとって一緒にいると落ち着く女性だ。
見た目と家柄のせいで、積極的な女性からグイグイ言い寄られることが多かったルーカスは、マリアンヌの柔らかな雰囲気にすっかりと心を許していた。
元々の目的が共通の友人のために尽力したいということも幸いしたのであろう。
だが折に触れ寄せられる心遣いや気遣いに触れるうち、感謝と共に愛おしい気持ちを感じるようになった。
普段は落ち着いているのに時折慌てる様子は微笑ましく、未だ学生であり、高等教育課程を熟しながら家の手伝いをはじめ慈善活動に励む様子には感心と尊敬もしている。
慈善活動に関してはありきたりな『貴族の嗜み』を超えて、かなりしっかりライフワークとして活動しているのが何度も同行してみて理解できた。
学業もあのアドリーヌ(エヴィ)の中等教育課程のパートナーを務めたとあって、安定して上位をキープしている。
愛情を感じ始めているのも確かであるが、冷静に見ても自分の未来を託すのにふさわしい人物であろうとも感じていた。
幾ら愛情を持っていたとしても、盲目にことを進めるのは相手も周囲も不幸にしてしまう。
ルーカスは伯父と従兄弟から嫌という程に学んだ身である。何なら目の前で見せられたとすら言ってもいいであろう。
子爵家から公爵家へお輿入れという例が余りないのが懸念材料であると言えば言えるのだが、全くないというわけでもない。
多少なりとも学んで貰うことは増えるであろうが、自分も出来る限りサポートしようと考えている。
「マリアンヌ嬢、折り入ってお願いがあるのですが」
「はい?」
公爵家の客間でお茶を飲んでいたマリアンヌがおっとりと首を傾げた。
柔らかな茶色の髪がさらりと肩を流れる。
マリアンヌは平凡な髪色を残念がっているようだが、ルーカスは艶やかな彼女の髪を好ましいと思っていた。一度だけ、風に煽られ乱れた髪を直したことがあるが、絹糸のように滑らかだったことを思い出す。
「王城で行われる冬の舞踏会ですが、エスコートさせていただけますか?」
真剣なルーカスの言葉に、マリアンヌはパチパチと瞳を瞬かせた。
「…………はい?」
たっぷり間をおいての返事は、なぜだか疑問形であった。
冬の舞踏会。
ルーカスとマリアンヌが暮らす国では、各シーズンごとに王城で盛大な舞踏会が行われる。遠方から訪れる貴族を配慮し、一年のうちのどれかに出席すれば良いことになっているが、王都に暮らす貴族は毎回こぞって出席する一大社交の場である。
もちろん毎夜どこかの貴族がどこかで夜会を開いているのではあるが、そういった会に比べ格段に格が上といえば良いか、公式感の増す社交の場であった。
(そんな場所に私をエスコートされるというのですか!?)
「はい!?」
マリアンヌは驚き過ぎて、もう一度疑問の言葉を発した。
******
「はじめまして。ルーカスの母のエレノアです。……マリアンヌとお呼びしてもよろしくて?」
「は、はいっ!!」
子爵令嬢であるマリアンヌが、公爵令息であるルーカスの申し入れを断れるはずもなく、ダンスの練習をすべく、再び公爵家を訪れることになった。
……というのは半分本当で半分嘘である。
確かに子爵家の人間が公爵家の人間に否を突き付けるのはどうかと思うが、仮にマリアンヌの都合が悪かったり本当に嫌で断ったのだったら、ルーカスは快く了承して何も言わずに引き下がるであろう。
身分が上でもそれをひけらかすでもなく、物腰も柔らかい上に美男子である。
若い令嬢であれば意識してしまうのも無理がないであろう。
マリアンヌとしては、同じ人間(エヴィ)を慕う者としての同胞意識から仲良くしてくれていると思い込むことにしていた。
子爵令嬢でしかない自分が公爵令息に見染められる……などというのはある筈のないことで。時折視線に混じる慕わしさとか切なさとかは、一切自分の勘違いだと思っていたのである。
公爵夫人は、優し気な瞳でマリアンヌを見つめていた。
……心うちではしっかりと採点中であるのは言うまでもない。
子爵令嬢であるとのことであったが、きちんと躾を受けているのだろう。
緊張で多少堅くはなっているが、マナーに見苦しい点は見受けられなかった。
また若い人特有の浮ついた様子もなく、緊張はしているものの、非常に好感度が高いご令嬢であると結論付けた。
「もしよろしければ、勉強会にいらっしゃらない?」
「……勉強会ですか?」
思ってもみない提案に、マリアンヌは瞳を瞬かせた。
「そうなの。時折マナーの先生に立ち居振る舞いの復習をしていただいているの」
公爵夫人と言われる方がそんなことをしているのか……と思うが、公爵夫人だからこそなのかとも思い至る。
(常に人の視線を浴びるお立場ですもの。既に完璧にしか見えないひとつひとつが、常にアップデートされているものなのですわね。凄い努力ですわね……)
思わず心の中でうーむと唸る。
公爵夫人は察しの早いマリアンヌへ合格点をつけた。
「日々のことでついつい惰性になりがちですから、定期的にチェックをしていただいて、顧みるようにしているのです。ご一緒してくださる方がいたら楽しくお勉強できると思ったのですが……もちろんご予定もございますでしょうし、どうしてもというわけではないのでどうかご無理はなさらないでね?」
「私のようなものでご迷惑にならないのでしょうか?」
公爵家の講師を務める方にマナーを見ていただく機会など、これを逃したら二度とないであろう。
(色々と足りないところを直す良い機会だわ)
勉強熱心且つ素直なマリアンヌはそう思うのであった。
「大歓迎ですわ! 楽しみですわね」
公爵夫人は少女のように可憐な笑顔を見せて、マリアンヌの手を握った。
――同じ女性なのにもかかわらず、その笑顔にちょっとドキドキしたのはナイショである。
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ダンスの練習をしながらそんないきさつを話すと、ルーカスが何とも言えない微妙な表情で言い淀んだ。
「母が申し訳ありません……マリアンヌ嬢はお忙しいでしょうに。ご迷惑ではないのですか?」
公爵夫人が息子の懇意にしている令嬢の採点をし、お眼鏡にかなった結果、公爵家の人間として不足しているであろうものを身につけさせてしまおうと画策しているのだと思い至る。
「ご迷惑だなんてとんでもございませんわ! 毎回様々な気づきがあってとてもためになるのです」
確かにここ最近のマリアンヌの立ち居振る舞いの向上には目を瞠るものがあった。
元々努力家で勉強熱心であるので、復習を欠かさないのであろう。
「無理をしないでくださいね。忙しい時には断っていただいて大丈夫ですから。言い難いようでしたら僕から母に言いますので」
なんだか一生懸命なルーカスに、マリアンヌは首を傾げた。
「それよりも公爵夫人の授業なのに、私ばかりが勉強させていただいているようで申し訳ないのですが……」
善良なマリアンヌの心根に、ルーカスはほっこりとする。
(……違うのですよ。見た目とは裏腹に腹黒い母に仕込まれているのですよ……)
ルーカスによる自分の母親に対する評価は、腹黒くはあるが意地悪ではないのが救いであると思っている。
マリアンヌに話すべきか迷ったが、仮に自分を選んでくれなかったとしても将来無駄になることはないだろうと思い、無理ない範囲であれば学んでもらっても彼女の損にはならないだろうと思うに至った。
楽しんでいるようでもあるし、負担にならないようなら大丈夫であろう。少しでも辛いようであれば止めさせればいいと考えた。
「厳しい先生ですからね……母はマリアンヌ嬢と一緒に授業を受けるだけで楽しいでしょうからお気になさらず。無理な時は遠慮なく仰ってください」
幼少時、ルーカスも師事したマナーの教師を思い出す。
何度も気遣わし気に念を押すルーカスに、マリアンヌは小さく声を出して笑ってしまった。
「申し訳ございません。公爵夫人も同じように毎回聞いてくださるものですから……よく似てらっしゃって、やはり親子なのですね。全然無理でありませんので、大丈夫ですわ」
「…………」
(あの母に似ていると言われるのは、正直微妙だけれども)
ルーカスは複雑そうな表情をして腕を伸ばした。
そう言っては穏やかに微笑みながらターンをするマリアンヌを、はっきりと愛おしいと確信したのであった。




