12 ルーカスとマリアンヌ・後編
子ども達と司祭に見送られながら孤児院を出れば、赤い夕焼けが空いっぱいに広がっていた。
「随分と長居をしてしまっていたのですね」
苦笑いしながらマリアンヌを見る。
照れたようなきまり悪げな表情で、ルーカスは再びマリアンヌを馬車にエスコートした。
「お忙しいのにこんな時間までご一緒していただき、申し訳ございませんでした」
恐縮するマリアンヌに首を振る。
「いえ。非常に楽しく有意義な一日でした。子ども達と一緒に色々するのが楽しくて、気づいたらこんな時間になってしまいました」
元々柔らかい物腰のルーカスであるが、今日はいつもに増して柔和な感じがした。
領地のことやら仕事のことやらで忙しいにと思ってしまっていたが、気分転換になったのならばよかったとホッと胸を撫で下ろす。
「逆に、ベイカー嬢をこんな時間まで付き合わせてしまって申し訳ない。……お詫びとお礼に食事にでもお誘いしたいが、流石に、ご両親のご了解を得ていないのが残念です」
「とんでもございませんわ!」
同性同士や婚約者ならまだしも、未婚の男女が陽の落ちた時間に連れだって出歩くのは良くないように感じた。休日くらい気遣わずに過ごしたいためと、互いに侍女や小姓などは同行せずに外出していたのが逆に仇となった。
一方マリアンヌは、自分の家が援助する教会と孤児院に同行してくれたばかりか、子ども達の相手までさせてしまい申し訳ないと思っていたところだった。
お礼なら自分の方が言いたいと思っているのに。
「次回はご両親に食事の許可をいただきましょう。また子ども達のところへ連れて来ていただけますか?」
――『また』
いつと具体的な日付の無い約束であるが、ルーカスの穏やかな表情がお世辞ではないことを物語っていた。
「……はい。是非、また子ども達の相手をしてやってください」
何だかくすぐったいような恥ずかしいような、こそばゆい感覚に軽く唇を噛んだ。
マリアンヌは火照った頬を見られないよう、頷きながら自分の膝のあたりを見つめている。
「それにしても、こんなに身体を動かしたのは久しぶりかもしれません。子どもというのはとても元気なのですね」
小さく息を吐きながら、ルーカスは困ったように眉を下げた。
どうも本気で筋肉痛を覚悟しているらしい。
「本当に。あの小さな身体のどこにあれ程の体力があるのか」
不思議です、と言いながら顔を上げて頷いた。
顔を上げた途端、優しく微笑むルーカスの表情が飛び込んで来て、あまりの驚きに固まったままじっと見入る。
「ベイカー嬢は人にものを教えるのがとてもお上手ですね。見たこともないくらいに活き活きとされていました」
「…………」
「きっと将来子ども達のためになることでしょう。微力ですが、これからもお手伝いさせていただけますか?」
「ありがとうございます。子ども達も……とても喜ぶと思います」
自分も、と言おうとして、マリアンヌは言葉を呑み込む。
マリアンヌの戸惑った様子を察して、ルーカスが孤児院での話に戻す。
「そういえば、変わったものを差し入れていたようですが……」
毎回、寄付金と共に生活必需品などを一緒に差し入れる。
野菜や肉などの食材だったり、マリアンヌが作ったお菓子だったり。シーズン毎には被服類や薪など、必要であろうものを送るのだ。
「隣国で大流行しているクッキーなのですが、とても堅く保存がきくので備蓄用にと思いまして、親類に送って貰ったのです」
例の、新聞社を経営している親族であろう。
最近隣国では、時折面白いものが生み出されている。少ない動作で多数の食材が切れる調理器具など庶民の生活に根差したものが多いのだが、少しずつ広がりを見せていた。
「保存のきくクッキーですか?」
「はい。なんでも身体に良い薬草などが入っているそうで、薬師の方が日々食べて健康になるという触れ込みで作られたものなのだそうです」
そう言いながら包みを開けてルーカスの手元に寄せる。
「二種類あって、こちらは備蓄や冒険者の方の携帯食に人気なハードタイプですわ」
クスクスと笑いながら説明をした。
「公爵家のお方にこのようなものを渡すのは気が引けるのですが、せっかくの機会ですから召し上がってみてください」
余程妙な味なのか、悪戯っぽく笑うマリアンヌに乗ってやろうと小さな四角いそれを手に取った。
(薬効成分……薬と名がつくからには、そういう味なのだろうか?)
殆どためらいなく口に入れると、意外にも程よい甘みが口に広がり、嫌な匂いなどは感じなかったが。
ガリ。ボリボリ……
大きな音がルーカスの口の中で響く。
「……堅い……物凄く」
ゴロゴロと口の中で転がる小さな塊に驚きながらも、そのまま咀嚼した。
「そのまま召し上がるだけでなく、砕いてパン粥のようにしても良いそうですわ。お薬ではないですが、それでもそれに近い薬草が沢山配合されているのだそうで、普通のパン粥よりも良いと思いますの。これから体調を崩す子どもが増えますので、備蓄して使っていただこうとお渡ししたのですわ」
そう言いながら、動物の形をしたクッキーの入った袋をルーカスに手渡す。
「こちらはソフトタイプだそうです。薬効成分は同じものですが、ちょっと堅いおやつとして普通にいただけるものです」
「……いいのですか、貴重なものを」
親族に送ってもらったということは、こちらでは手に入り難いものなのだろう。
「こちらは元々お渡しするつもりでしたの。お礼には程遠いものですが、お仕事の合間にでも召し上がってくださいませ」
身体の代謝や免疫を上げる効果があるというので、気休め程度にも疲れが取れるならよいと思いながら。
「ありがとうございます。それでは遠慮なく」
小さなリボンがかけられた袋を笑顔で受け取った。
貴族街に入り、車輪の音がゆっくりになる。それとなく窓の外を見ればもうじき子爵家が見えて来るだろう。若干焦りながら、ルーカスは心を決める。
「――あの!」
「はい?」
「『ベイカー嬢』というのも他人行儀過ぎるので、『マリアンヌ嬢』とお呼びしてもよいでしょうか」
社交の付き合いなどは家名で呼ぶことも多いが、本来友人同士であればファーストネームで呼び合うのが主である。
言い寄って来る女性も多いルーカスは、基本女性への呼びかけは家名で行なうようにしている。
とはいえふたりは紛れもない友人同士で、お互いに信頼し合っているといってよい。いつまでもよそよそしい呼び方はどうなのだろうかと思っていたのだ。断りなくサラッと呼び変えても良かったのだが、真面目なマリアンヌの許可もなく呼ぶのも何か違うと思い、確認する機会を窺っていたのだった。
「はいっ!? どうぞお好きにお呼びくださいませ……!」
案の定、非常に動揺する様子を見せ、何度も何度も頷いていた。
子爵令嬢と公爵令息。十六歳と十九歳。微妙な違いであり、大きな違いでもある。
時折面倒なあれこれが、ふたりの周りに横たわっているのだ。
屋敷の前に馬車が止まる。子爵家の執事と侍女が大きな扉から出て来た。
時間切れである。
緊張と驚きと他の何かとで、何ともおかしな表情になっているマリアンヌが馬車を降りる。執事と侍女は不思議そうにふたりを見比べた。
「では、マリアンヌ嬢。また是非一緒に孤児院に参りましょう」
「はい」
マリアンヌはかすれた声で辛うじて答えると、頷き、遠ざかって行く馬車を見えなくなるまで見送った。
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