23 フェンリルさんこんにちは・後編
翌日、すっかり元気になった子フェンリルは部屋の中を元気に走り回っていた。
もふもふの被毛は蒼銀色で、まるで発光しているかのように見える。くりくりの瞳は深い海の色を思わせるような紺碧色だ。まだ短いしっぱはくるんと丸まって、やや上を向いている。
そのしっぽをブンブン振ってはエヴィの周りを纏わりついていた。
誇り高きオオカミというよりも、飼い主に遊んでくれとひっからまる子犬である。
「フェンリルの子なんて珍しいね。……『わん』って鳴くんだね?」
それならば、エヴィが犬と間違っても仕方がないであろうとハクは思う。
「とてもオオカミには見えない丸っこさだからね」
誰がどう見ても仏頂面のおばば様であるが、ふわふわでもこもこな子フェンリルに釘付けであるのは、長い付き合いの魔人もハクもお見通しである。
こう見えて(?)、可愛らしいものに目がないおばば様なのだ。ただ相手がフェンリルなだけに、飼おうなどとは思っていないだけで。
すぐさま育って、邪魔な大きさ(二メートル越え)になるだろうことは判っているのである。
「まだかなり幼いみたいだけど、親とはぐれてしまったのかな?」
「獣にじゃあなく、魔族にやられた可能性もなくはないねぇ」
「意外に、親も了解済みで冒険にでも出て来たのかもしんねぇけどな」
ハクとおばば様、魔人がそれぞれ、思い思いに予測する。
いくら神獣とはいえ小さい内は親の元で育つことが多いので、何か理由があってはぐれてしまった可能性が高い。
また気の荒い大型の獣に襲われることもなくはないが、動物たちは意外に序列に従順であるので、神獣であるフェンリルを襲うことは少ないだろう。
それよりは無理やりに契約をさせて、自分の使い魔にと考える魔族がいる……かもしれない。
そして魔人の言うように、自然界ではフェンリルに敵う者など殆どいないことから、案外冒険に飛び出していたり、可愛い子には旅をさせているパターンも考えられた。
小さ過ぎるだろうというツッコミは人間に対してのものであって、聖なる存在というのは遥か人智が及ばないことを考えたり行なったりするものである。
フェンリルはトテトテと三人の方に寄って来ると、何かを考えるようにピタリと止まった。うぬぬぬ、とでも唸りたそうな表情で集中している。
『我はフェンリルだ! 魔人の言う通り、しゅぎょーの旅にでているのだ!』
出来た! と言わんばかりにドヤ顔をすると、得意気にしっぽをちぎれんばかりに振った。
「……念話だね」
「しゅぎょー」
「ちっこいのに『我』とか偉そうだな。あと、目上の人にはちゃんとさん付けしろよ?」
フェンリルはこてんと首を傾げる。
『人?』
お前は魔人だろう、と言わんばかりである。
ハクとおばば様がニヤニヤとした。
「このチビ、揚げ足を取るのは一丁前だな」
魔人は大人気なくフェンリルに向かってガンを飛ばす。
「まあ、皆さんに遊んでもらっているのですか、だぜ?」
足りなくなっていた薬草の補充が終わったエヴィは、ふわふわのフェンリルを撫でた。
「く~ん」
しっぽを高速回転させると、頬と鼻をこすりつけながら甘えるように鳴く。
「あざといね」
「怪我が治ったんなら、さっさと修行に戻れや」
口をV字にしてニコニコするハクと、嫌そうな顔を隠しもしない魔人が同時に口を開いた。
「エヴィ、精霊や神獣に名前を付けちゃあ駄目だよ。使役したり主従契約したりと、とかく面倒なことになるからねぇ」
おばば様は注意を促す。するとフェンリルが驚いたように顔を上げた。
『おばば! 我はこの娘を主と決めたのだ、変なことを言うでない!』
「…………」
三人がジト目でフェンリルを見る。
一方、念話が聞こえないらしいエヴィは、焦ったように鳴く様子に首を傾げるばかりだ。
「どうしたのですか?」
「この子は親元を離れてしゅぎょーの身なんだそうだよ」
「まあ。こんなに小さいのに修行だなんて、偉いんですのね。ですぜ!」
ハクの説明に感心するエヴィ。その言葉に被せるように魔人が言う。
「だから、元気になったらすぐさま旅立たないとな!」
長く時間を過ごす程に情が湧く。
根があり得ない程に優しく善良なエヴィのこと、小さいのに可哀想と言い、飼ってもいいかと確認する未来がありありと見えるようだ。
(偉そうなクセにあざといとか、とんでもねぇ奴だぜ)
更に、あのエヴィに使役を持ちかけようとするとは言語道断だろう。
(エヴィが神獣を使役とか、危険が過ぎるだろ!)
「そうなんですのね……修行ならば引き留めるのも申し訳ないですね。身体が良くなったら、お好きな時に旅立ってくださいね? ですぜ」
『魔人~ッ!』
淋しそうな表情で撫でるエヴィと、ぎゃんぎゃんと吠えるフェンリル。
腕を組み見下ろして威圧する魔人と、相変わらずニコニコと見守るハク。そしてウンザリ顔のおばば様。
……窓の外では、ずっとじっとりとした顔で中のやり取りを覗き込んでいるユニコーンもいる。
「もう、煩いよ!」
おばば様は指を鳴らすと、エヴィ以外を纏めてポイッ! と外へ摘まみ出した。
「あ~あ。フランソワーズに叱られてしまったね」
「俺まで外に投げ出すこたぁねぇだろ!」
「きゃいん!」
ふたりと一匹はそれぞれに口を開いた。
フェンリルは勢いあまって着地に失敗すると、そのまま拗ねて寝そべる。
蒼銀色の丸い小さな塊が出来た。
これまた拗ねたユニコーンがジト目でふたりと一匹を見る。
身体が大きいがゆえに山小屋を出禁になっている身としては、エヴィに抱き上げられたり撫でられたりと、非常に心穏やかならぬ気持ちでいっぱいなのだ。
それに使役をしてほしいのはユニコーンも一緒であるが、エヴィを観察するに、多分使役はされない方がいいだろうと結論付けたのである。
……気持ち悪いと言われているユニコーンであるが、エヴィに纏わりつく以外はそれなりに思慮深さもあり、一応の分別がついたユニコーンでもあったりするのだ。
「わかっているよ。取り敢えずこの子は私が預かろう」
ユニコーンに向かってそう言うと、ハクはひょいっとフェンリルを抱き上げる。
『放せー!』
その姿はまるで、腕の中で暴れまくるイヤイヤ期の幼児のようにそっくり返っている。
「使役をさせないのはエヴィの為だよ。あの子は魔力が少ないから、何かあった時に、力では君を止められないからね」
それに、と続ける。
「使役されると主の心からの願いには抗えないだろう? あの子は時折とんでもない方向に転がって行くんだ。自分の力のせいで、よりおかしな方向に加速させたら嫌だろう?」
使役されたからといって、百パーセント言いなりになる訳ではない。
とはいえ主の心からの願いには、やはり抗い難い訳で。
努力の塊であるエヴィが努力のし過ぎで身体を壊すことになったり、人のためといって無尽蔵にとんでもない魔術を発動させたりするよりは、良き隣人として力を貸したり、場合によっては止めたり出来る方がいいというのが周りの評価であるのだ。
『……エヴィのため?』
つぶらな瞳でハクを見上げる。
「そうだよ。使役される者はその辺の機微も、ちゃんと鑑みないとね?」
ユニコーンはうんうんと頷く。
『でも、使役されれば、我が主を守ることが出来る!』
助けてもらった恩人に恩義を返したいということなのだろう。
なかなか義理堅い神獣である。
「そこは使役されなくても守ってあげなよ。君は誇り高き神獣でしょう」
『う……っ?』
思ってもみない指摘に、フェンリルは紺碧色の瞳を左右に揺らした。
まだ幼いのだ。心も身体も、能力も。
「外をウロウロしていると、また襲われてしまうよ。取り敢えず私のところへおいで」
『うん……』
色々と考え、フェンリルはこくりと頷いて山小屋の扉を見つめた。
ハクは小さな頭を撫でてやる。
「大丈夫だよ。家は目と鼻の先だからね」
『降ろして! 自分で歩く!』
そっと降ろしてやれば、もう一度扉を見てはしっぽを左右に振った。
「じゃあね、魔人。ユニコーンも」
「しっかり監視しとけよ」
「ブヒヒン!」
ハクは苦笑いをする。
「フェンリルが旅立ったと思って淋しがっているだろうから、彼は私のゲルにいるとエヴィに教えてあげて。可愛いモノ好きのフランソワーズにもね」
そう言ってハクは微笑んだ。
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