16 身分ゆえの哀しみ
「まあ、それは最悪の場合だろうけどね」
アビゲイルが力なく笑うものの、表情は暗い。
(何て運が悪い人なのだろう)
もしくは間が悪いのか。
エヴィは、とんでもないことに巻き込まれてしまっているかもしれないクリストファーの心内を考えては苦しくなる。
「いきなり適当に暴れ出す可能も無くはないけど、巻き込む対象を探すんじゃないかと思うんだよ」
アロンが腕組みしながら言う。
「大悪魔なり王子様なりに、理性が残っていればだけど」
「……もしクリストファー殿下と同化したとするならば、自分の生国に災いをもたらすか、私を巻き込むかだと思うのです」
エヴィはゆっくり、はっきりと断言する。
クリストファーは本当のところ、自分に自信がない人間だ。周りの期待に応えるべく努力しても思ったほどには成果が上がらず、常に自己嫌悪と戦っている人間。高い壁を超えようと努力しなかったわけでは決してない。
努力しても叩きつけられ、実力不足と絶望を味わってきた人間。
小者だと言えば小者だろうし、弱いと言えば弱いのだろう。
(……でも、同じ立場を真正面から考えたら、気持ちは解らなくもないのよね……)
金輪際かかわりたいとは思わないものの、決して心から憎めないのは彼の気持ちも解るからだ。
正当化してはいけないだろう。
だけどお前は駄目なのだと、エヴィにはとても言ってしまえる自信がなかった。
エヴィだってクリストファーの立場なら、とても自信を持つことなんて出来ないであろうとどうしても考えてしまうのだ。
(殿下の態度や行動が正しいとは思わない。……でも、ある意味人間らしい人だわ)
王家の人間としての自覚が足りないと言えばそうかもしれない。将来の王たる資質がないと言えば、それもまたそうかもしれない。
だけど自分の気持ちに正直に行動し真っすぐに誰かを愛する姿は、実直で、ある意味とても人間臭いと思えるのであった。
彼はある意味人間らしい『普通』の人だ。
王子ではなく、ただの貴族であればよかったのに――そう思う。
(人間らし過ぎるが故、同じようなものと引き寄せ合ってしまったのかしら)
そうだとしたら非常に痛々しく、悲しいことだ。
かつてのエヴィが望んだ立場でなかったように、本来は彼自身も望んで王子として生まれた訳ではないであろう。彼が全く努力しなかったとは、エヴィも思わない。
多くの人は仕方ないと簡単に片づけ、出来ないならもっと努力をしろと他人事のように言うだろう。正論だ。
だが、正論で責める人間が同じ立場に立ったとき、果たしてすべてを呑み込み納得できるものなのだろうかと考えてしまう。多分その立場に立ったときの藻搔く大きさと深さは、その立場に立った者にしか解らないものだろう。
そう考えてしまう度、それは自分が甘い人間だからなのだろうかとエヴィは自問自答してきた。
かつてのクリストファー自身が、誰よりも絶望と悲しみを感じて来たに違いないことは想像に難くない。
「年の近い従兄弟のルーカス様をライバル視していましたし、愛する人と無理やり引き離し、本来の地位も剥奪されご両親への気持ちも複雑でしょう」
「まあ、自業自得だけどね」
説明するエヴィの言葉を聞いたおばば様が、はっきりと言い切った。
エヴィは苦く笑う。
「……そうですね、身分の高い人間にはそれ相応の役目があり、覚悟が必要ですから。私も同じです。本来ならば家に戻り、領民のための選択をする父の決定に従って生きるのが『本来の役割』です」
王子に婚約破棄され他の貴族へ嫁ぐのか、修道院に入り神に仕えて一生を終えるのか。はたまた別の役目を賜るのか。
(自由を勝ち取るために行動したのは、同じような立場にありながらも生きる世界の決まりに則り、役目を全うするため沈黙する人々にとって、我儘だと言われても仕方がないのだもの)
エヴィは自分を我儘で自分勝手だと自覚している。
ある一面から見れば自由を得るために努力をしたと言えるけれど、別の一面から見れば伯爵家の娘としての役目を勝手に放棄して、好き勝手している人間なのである。
(だからこそ、新しい自分を、せめて一生懸命に取り組まなければ)
「……考え方はいろいろだからな。俺は決してそうは思わねぇけど、別の人間からしてみればエヴィの言ったように考える奴もいるかもだ。だったらバカ王子がやらかす前に止めてやらねばだな」
魔人のやれやれといった言葉に、エヴィは力強く頷いた。
「貴族って、いつの時代も面倒だね」
ため息まじりに肩を竦めるアビゲイルを、おばば様とフラメルは苦い顔で見遣る。
一瞬気詰まりな沈黙が流れた時、それを破るかのような不協和音が鳴り響いた。
アロンとシモン、そしてハクが弾かれたように顔を上げる。
「……何か大きな魔力が近づいて来てる!」
魔道具を覗き込めば、不安を煽るかのように大きな光が点滅している。
アロンが魔道具である探知機を全員に見えるように示した。




