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09 違和感

「……王子、大丈夫ですか?」


 従者が恐る恐る声をかける。機嫌が悪いと当たり散らされるため、出来る限り声をかけないようにしているのだが。


 教会に行くと言って出かけて行ったが、多分先日引っ掛かった投薬詐欺の補償についての話だろうと思い深追いしなかった。

 数日前に王子が珍しく熱心に読んでいた新聞に書かれていたので間違いはないであろう。


 最近は特に機嫌が悪いことが多いので、また怒鳴られるのかと気を揉んでいた従者であったが、帰って来たクリストファーは別人の様な気配を纏っていた。


「……大丈夫ダ。疲れたノデ少シ眠ル」


 表情が抜け落ちたかのように見える顔。


 何だか恐ろしくなって従者が固まっていると、ゆっくりと振り返って従者を見ては、何も言わずベッドへと向かって歩いて行った。




 黒い靄のようなものは、クリストファーの身体へと入り込むと、まずは自分が動き易いよう王子の意識を深く深く眠らせた。


 そして怒りに妬み、苛立ち、苦しみ。嫉妬に憎しみ、絶望といった、ありとあらゆる黒い感情を煮詰めたような衝動をじっくりと味わう。


(……これはいい! まさにおあつらえ向きとはこの事だ)


 元々妬み易い性格なのだろう。その上といえばいいのかだからこそといえばいいのか、様々な挫折やトラブルに遭遇し、拗らせている状態のようであった。


 吸収しても吸収しても溢れ出る黒い感情に、黒い靄のようなものはほくそ笑んだ。

 



「今日も学校を休まれるのですか?」

「アア。疲レタノダ」

「ご病気かもしれません……お医者様に診ていただきましょう」


 従者がクリストファーに言い含めるように言うが、感情の抜け落ちた表情で首を振るばかりだった。


 我儘な人間ではあるものの、それなりに色々あったことは従者も承知している。……特に王太子の地位を剥奪されたことは、プライドの高いクリストファーにとって屈辱的などとひと言で済ませられることではないであろう。


「寝ル」


 何も映さないかのような瞳でそう言うと、ベッドへと向かって行った。


(……心が壊れたのだろうか……?)


 従者は様子のおかしいクリストファーに首を捻る。今までは気に入らなければすぐに大きな声で威圧していたのだが。あの日から当たり散らすどころか声を張ることもなくなった。

 ……決して怒られたい訳ではないが、あまりの変わりように不気味に思うのも仕方がないであろう。

 心が病んでしまったのだろうかと従者はベッドのある方向を見つめてため息をついた。



 数日後、遊学先であるこの国の王太子から見舞が届いた。


 休んでいると噂を聞いたのか連絡が行ったのだろう。沢山の贈り物と一緒にメッセージカードが添えられていた。


『ここに来て疲れが出たのかもしれないので、学校は心配せずにゆっくり養生をして欲しい』と書かれていた。


 他国の要人に何かあったら困るという本音と、一応は顔見知りであり状況を知る身としては、自分だったらと置き換えれば同情も共感も湧くのであろう。

 従者が弾んだ声で言う。


「王太子殿下がお医者様をご手配くださったそうですよ」

「…………」


 クリストファーはベッドに腰をおろしたまま、黙って項垂れていた。


(面倒だな……)


 黒い靄だったものはそう思ったが、一度診せれば済むだろうとも考えた。ずっと断り続けるのも手間であろう。



 程なくしてやって来た遊学先の王家の侍医の質問に、最小限に答える。


 王家よりいろいろ言い含められてきているのだろう。丁寧に聞き取りをしたが言葉少なに答えるクリストファーに内心首を傾げるが、様子は少々違和感があるものの、これといって悪いところは見受けられなかった。


(奇行が目立つお方だと言うし、体調に問題がなければ大丈夫だろう)


 神妙な表情で見守る従者に、同じく神妙な顔をした侍医が問題ないと告げた。


「こちらにいらして暫く経ちましたから。慣れて来たころに疲れが出ることは多いですから、しばらくゆるりとお休みになってください」


 何かあれば遠慮なく連絡をと言い診察は終了となった。

 見送りから戻って来た従者がクリストファーを見遣る。


「……病気などはないとのことで、良かったですね」


 取り繕うような従者の言葉に、クリストファーは小さく頷いた。


「…………。休まれますか?」


 空を見つめながら再び頷くクリストファーを見て、従者は小さく眉を顰めた。

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