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09 ルーカスの現在・前編

 似たような時期のとある日の午後。

 隣国の公爵邸の執務室にノックの音が響いていた。


「坊ちゃま、ベイカー子爵令嬢がいらっしゃいました」

「そうか。庭にお茶の用意をしてくれ」


 書類から顔をあげると、眉間を指で押さえながらルーカスが執事に言った。


「畏まりました」

 執事は恭しく頭を下げ扉を閉める。


 随分と集中して執務をしていたのだろう。窓の外を見れば、いつの間にか穏やかな午後の日差しが差し込む時間となっていたようだ。

 ルーカスは小さくため息をついて席を立つ。


 少し前までは鬱々とした気分でため息を吐いたものだが、最近は少しホッとするような気分で息を吐くことも増えた。


 これも同士であり、細やかに気遣いの気持ちを示してくれるベイカー子爵令嬢こと、マリアンヌの存在のお陰であろうと思った。

 無造作に椅子の背もたれにかけてあった上着を手に取ると、先ほど執事が出て行った扉を開いた。

 

******


 公爵家の広い庭は常に整えられて美しくあるが、しがない子爵令嬢の身には豪華絢爛過ぎて気後れがする。

 マリアンヌは公爵家の執事の後ろをソロソロとついて行くばかりだ。


 そう頻繁ではないものの、彼女は時折昔話をしに公爵邸を訪れることにしていた。顔を覚えられたのだろうか、侍女らしきお仕着せを着た女性が立ち止まっては頭を下げてくれる。

 公爵家の侍女ならば自分と同じ貴族女性かもしれない。マリアンヌはおずおずと頭を下げる。


 ルーカスとは身分も性別も、年齢も超えた友情を築きつつあると思っている。


 エヴィを慕う友人は少ない。

 色々と面倒事を避けようとしたエヴィが、交流を最小限にしていたためだ。過去に命の危機があったそうで、出掛けるにしても招くにしても手続きが煩雑なのだそうで。

 そして非常に忙しかったことや、更には高位貴族の中ではそれほど身分の高くない伯爵家ということもあったであろう。努力や能力を認めたくないやんごとなき方々が、エヴィを目の敵にしたのだ。


 彼女の努力や健気さ、懸命さに惹かれた人々……その少ない人物がルーカスでありマリアンヌである。互いが互いに、エヴィのことを存分に話し合える数少ない相手であるのだ。


 とはいえ、公爵令息にそう馴れ馴れしくするのもどうなんだろうと思わなくもない。『また来てください』と言われても、それは社交辞令だと思うであろう、普通。


 そんな訳でありがとうございますと礼を言いながらも訪問を遠慮していたら、ルーカスが子爵家に出向いても良いかという連絡が来たのである。

 危うく飲んでいた紅茶を吹き出すところであった。


(社交辞令ではなかったのね……)


 忙しいルーカスを自分の屋敷へ呼びつけるなどありえない。尚且つ両親に誤解されて大騒ぎされたら大変であるので、こうして執務の邪魔にならない程度に訪問をしているのであった。


 妙齢の男女が、いつもいつも他の人物を誉めそやして盛り上がるだけの関係というのも傍から見ればおかしなものであろうが……


 ルーカスにとってもマリアンヌにとっても、自分たちが慕ってやまない少女が辛い時に助けられなかったという負い目や悲しみ共有・共感出来る相手であり、互いにただただ話して吐き出し、傷ついた心を癒すことの出来るかけがえのない相手なのであった。


******


 最近は肌寒く感じる日も増えたが、今日はぽかぽかと温かな陽気である。

 ルーカスの母である公爵夫人が丹精を込めた庭は、季節を問わず美しい花で彩られていた。この時期は艶やかな花は少なく、まるで野に咲くような可憐な花が多い印象だった。


 白い小さな花弁が慎まやかなノースポールと二回りほど大きくしたようなマーガレットはまるで姉妹か親子のように見える。隣には桃色とも紫ともつかないようなクリスマスローズが並ぶ。周囲には華やかなシクラメンやポインセチアが彩りを添えるように咲き乱れ、目の高さを移せばウィンタージャスミンの黄色とコスモスのピンク、細い花弁が飛び立つ鳥のようなネリネ、別の花壇には様々な色合いのサイネリア。

 取り巻くように蔦を延ばすクレマチスは紫色で、隠れたように花咲く薄紫色のサフランが風に花びらを揺らしていた。


 ルーカスは自分の家の庭であるというのに初めてみるかのような気持ちで花々を見る。エヴィ程でないにしろ公爵家の嫡男である彼もそれなりに忙しく、ゆったりと花を愛でるよりもすべきことが数多くあったのである。


 風に花弁を揺らすノースポールを見ては、なぜだか訪問者であるマリアンヌを連想させた。



 お茶の用意が整ったガゼボの少し手前で、ルーカスとマリアンヌが顔を合わせた。


「お忙しい中おいでいただいてありがとうございます」

 ルーカスが蒼い瞳を細めて微笑むと、マリアンヌは自然と頬が紅潮し、慌てて頭を下げる。


「本日はお招きいただきましてありがとうございました」

「そう堅くならないで。そろそろ友人として砕けてくれて構わないのに」


 小さく声を出して笑うルーカスの顔は、心底穏やかそうであった。

 ここまで数か月の落胆ぶりを知る執事はホッとしながら、一歩下がってふたりの姿を瞳に映した。

お読みいただきましてありがとうございます。

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