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強がりの恋 その8

引き続き的場視点

一部流産の話が出ます。お気を付けください。


前の話でミコの本名の振り仮名つけました。

「美子」は「よしこ」と読み、あだ名が「ミコ」です。

ややこしくてすみません。

 僕は沙羅さんを家まで送った。

 彼女の家族にストーカーの件を説明し、しばらく気にかけて欲しいと頭を下げた。

 彼女はそのことをはっきりと言わなかったらしく、ご両親に怒られていた。どうやら様子がおかしいことには気づいていたみたいだ。

 本当に誰にも頼ろうとしない人なんだ。その強がりなところはいいところだけど、もっと周囲に頼ってもいいと思う。


 それから彼女の部屋に置いてあった郵便物をすべて回収し、携帯に残された留守電やメールのデータをすべてコピーした。証拠を揃えて、あの男を刑務所にぶち込んでやる。

 帰り際、玄関で見送ってくれた彼女にあらためて謝った。


「本当なら、僕がつきっきりで沙羅さんを守りたかった。気づくのが遅くて、一人で我慢させてごめんね」


 彼女は首を横に振った。


「すぐに言わなくてごめんなさい。それから警護を頼んでくれて……、来てくれてありがとう」


 素直な彼女が愛しくて、頭をそっと撫でる。今日の沙羅さんは少し幼く見えた。

 額にキスをして「おやすみ」と言い、彼女の家を後にした。





 次の日の昼、先輩から夜に居酒屋へ来るように電話で言われた。

 今回の件を沙羅さんに説明するから同席してほしいそうだ。


『そうすれば説明が一度で済むし。それに彼女にすっごく怯えられているんだよね。地味にへこむわ』

「何したんですか」

『岩隈のストーカーのふりして、結婚迫っただけじゃない』

「十分怖いですから」


 顔だけはいいから余計に怖いんだろうな。性格の難点を全部顔でカバーしているのがこの先輩だ。


 言われるまま居酒屋へ向かい、待っていると二人はやって来た。沙羅さんはきっと有無を言わせず連れてこられたのだろう。少し顔が引きつっていた。

 それから沙羅さんに今回の件の説明を始めた。


「的場から依頼され、岩隈樹を調べました。彼は学生時代にも、交際していた女性に別れた後つきまとい行為をしていた事実がすぐに見つかりました。それから係長と二股かけていたときの女性にもストーカー行為をしていたみたいで、警察から何度も警告を受けていました。しばらく張り付いて、岩隈の行動パターンを探りました。その過程で係長を尾行していたのも確認しています」


 どうやらあの男、ストーカーの常習だったようだ。

 彼女があの男と別れたときにストーキングされなくて安堵したと同時に、あんな男が彼女と交際していたことに嫉妬する。


「ああいうタイプは警察に警告してもらっても効果がないんです。自分の行為が相手を苦しめていると気づいていないんですから。自己陶酔型って言うんですかね? だから“人のふり見てわがふり直せ”作戦で行くことに決めました」

「“人のふり見てわがふり直せ”作戦? ……あ、だから早坂さんは樹のストーカーのふりをしたの!?」

「はい、そうです。あんな奴のストーカーなんて、ふりでも嫌だったんですけど。過去の傾向からもストーキング中は一人に執着するタイプだったんで、どれだけわたしが美人でも嫌悪感しか抱かないと確信しましたから。その通り、うまくいきましたし」


 自分で美人って言わないでほしい。否定はできないけど、先輩はもっと謙遜という言葉を知ったほうがいい。


「でも、本気で怖かったわ」


 沙羅さんの呟きに、思わず苦笑いをした。


「さすがですね、先輩は」

「褒め言葉としていただいておく」


 別に褒めてないですよ。


「でも、もしあれで樹が引かなかったらどうするつもりだったの?」


 すると先輩は彼女をじっと見つめた後、ニコッと笑いかけた。


「聞きたいですか?」


 彼女はすぐに首を横に振った。うん、知らない方がいい。絶対ロクなことをしないだろうし。


「じゃあストーカーに遭ったって言うのは、わたしの警戒を解くための嘘?」

「素晴らしい演技力でしょう?」


 嘘つき。本当はストーカー行為をされ過ぎて、慣れてしまっただけじゃないか。

 多分沙羅さんが遭った被害は、先輩にしてみたら大したものではないのかもしれない。よくわざと放置して、証拠を揃えてから警察に突き出していたし。


「じゃあ、指輪は?」

「一応、彼氏からの貢物です」


 彼氏……ね。それもただのフリじゃないか。しかもゲイらしい。

 「的場はあいつのタイプだから、絶対に会わせない」って宣言された。僕だって会いたくないよ。先輩の隣人にだって会うのが怖いのに。


 それから先輩はかばんから封筒を取り出して手渡してきた。その中身を見て、顔面蒼白になる。


「え……、何これ!」

「請求書」

「先輩後輩のよしみで、“夕飯・酒・デザート付き”で手を打ったでしょう?」

「それは身辺調査費。だいたいさ、ご飯だけでわざわざ会社に潜入なんてできると思ったの? 早々にわたし一人じゃ手におえないと判断して、事務所に報告したから。的場言ったよね? 『全部先輩に一任する』って。特別価格だよ? 相場よりお安いんだから」


 僕はもう一度請求書に目を落とし、ガックリとうな垂れた。

 予想以上に高い。いや、彼女を守ってもらったんだから、それを考えると安いんだろうけど。それでも僕の月給の何か月分なんだろうと想像すると、恐ろしい額だ。


「……分割払いで」

「毎度あり~!」

「……隼人くん、わたしが払うよ」


 沙羅さんはそう言ってくれたが、僕は頑として頷かなかった。


「駄目だよ、沙羅さん。これは僕の代わりに沙羅さんを守ってもらった対価なんだから。当然、僕が払わなきゃいけない」

「でも……」 

「これは僕が払う。いいね?」


 きっぱり言い切ると彼女も何とか納得してくれた。すると先輩が口を開いた。


「と、いうことでわたしはお役ご免なので、会社も来週いっぱいで辞めます」

「え、そうなの?」

「はい。もともとそういう契約でしたし。他の案件も持っているんで」

「……寂しくなるわね」

「プライベートで会えばいいよ。……あ、それから先輩。いつまで沙羅さんに偽名使ってるの」

「え、偽名? “早坂さん”じゃないの?」


 全く。もう教えてもいいはずなのに、何をもったいぶっているんだか。


「すみません。まだ一週間会社があるんで、それまでは“早坂いずみ”で通したいんです。だから次にプライベートで会ったときまで、秘密ということで」


 話にきりが付いたところで沙羅さんがお手洗いに立った。

 彼女がいなくなると先輩はかばんから大きな封筒を取り出し、僕に押し付けてきた。


「報告書が入っているわ。それから岩隈に書かせた念書も」

「念書?」

「彼女に今後近寄らない、というね。念のために書かせた」

「よく書きましたね、あの男が」


 あんな身勝手な思想でストーキングするような男がすんなり書くとは思えない。


「書かないと、婚姻届偽造して勝手に出すぞって脅した」

「ちょ……それ、犯罪!」

「実際にはやらないわよ」

「だとしても脅迫」

「うるさい。大目に見なさいよ。そんなことをいちいち言っていたら、うちの商売は成り立たないのよ」


 そりゃそうだろうけど……。

 すると先輩が急に真顔になった。


「……的場。あの男の逮捕は一週間後よ」

「え?」

「この件の担当者にも伝えたわ」

「ちょっと待ってください」


 意味が分からない。証拠が揃い、容疑が固まれば即逮捕できるのに、なぜ一週間も待たなければいけないんだ。


「一週間も待てば、あの男はまた沙羅さんに何かするかもしれない。そんな男を逮捕まで野放しにしろと?」

「ちゃんと監視はする。もう彼女に接触しないと念書も書かせた。もちろん用心するに越したことはないけど、恐らく大丈夫でしょう」

「そんな……。それに逃走するかもしれないじゃないですか!」

「だから居場所は押さえるってば。言ったでしょう。悪いようにはしないって」

「でも……」


 食い下がる僕に、先輩は譲らなかった。


「時には長いものに巻かれることも覚えなさい。これを決めたのはうちの所長よ」


 その言葉に口を閉ざす。

 先輩の勤務する事務所の所長は元刑事で、彼の兄は検察庁上層部に属している。そんな雲の上の存在と繋がっている人に、いくら辞職した人間とはいえ平刑事の僕が逆らえるはずがない。


「……権力を出すなんて卑怯です」

「使えるものは使わなきゃ。悪いようにしないって言ったでしょう。あんたはこれ以上、この件に手を出さないこと」


 納得できないで不貞腐れていると、きつく言い聞かせられた。


「あの男のことは他の人間でもどうにでもなる。でもね、彼女のことはあんたじゃなきゃ駄目なんだから。ちゃんと安心させてやりな」


 それからすぐに沙羅さんが戻ってきた。場の雰囲気の悪さに気が付いたようだ。


「……どうかした?」

「なんでもないですよ~。じゃあ、お邪魔虫は退散しますね」


 そう言いながら、先輩は立ち上がった。財布から一万円札を取出し、テーブルの上に置いた。


「いいわよ。これはしまって」

「いえいえ。これは解決祝いってことで、使ってくださいよ」


 二人が会話をしている間、思慮を巡らしていた。

 先輩のことは信用しているし、頼りにしている。でもあの男が捕まらない限り、彼女に本当の意味での安息なんて訪れない。だったら僕がこの手で捕まえてしまおう。証拠はあるし、それで足りなければ最悪逮捕容疑を作ってしまえばいい。

 だが去り際、先輩は僕に釘を刺した。まるで僕の考えを見透かしたかのように。


「的場、あんたは係長のことだけ考えてなさい。余計な真似はしないことね」


 ……敵わない。どうして僕の心が読めるんだろう。

 僕は先輩の言葉に何の反応も示さなかった。……いや、返せなかったというほうが正しい。

 先輩が帰った後、彼女が訝しげに声をかける。


「ねぇ、どうしたの?」

「……ごめん。なんでもないんだ」

「嘘。眉間に皺、寄ってる」


 その皺を指で突かれ、慌てて手で額を覆い隠した。

 僕が口を割る気がないと思ったのか、彼女はそれ以上訊いてこなかった。そのかわり、思いもよらぬことを口にした。


「実はね、ストーカーのことを言ったあの日……隼人くんが早坂さんと食事している姿、偶然見ちゃったの。今なら、それはわたしの調査の依頼だってわかるの。でもそのときは違った。『わたしと会うよりもその人の方が大切なの?』って嫉妬したの。真っ黒な感情に流されたの。酷い女でしょう?」


 申し訳ない気持ちでいっぱいになった。自分の彼氏が他の女と一緒のところを目撃して、気分がいいはずがない。ましてあの先輩なのだ。何もやましいことがないとしても、勘違いしやすいだろう。


「ごめん。不安にさせて。身辺警護も伝えればよかったけど、先輩に『ストーカーを油断させるために言うな』って言われていたから。沙羅さんをつらい目に遭わせた」

「違うよ。悪いのは樹だもん」

「沙羅さん……」


 先輩の言う通りだ。彼女のことは僕がちゃんとしなきゃいけないんだ。彼女を不安にさせたことは僕のせい。だから僕がどれだけ沙羅さんのことを大切に思っているかを伝えなきゃいけない。そしてもっと頼ってもらいたい。


「今後もし何か悩みがあったら、絶対すぐに僕に言って。年下で頼りなくてヘタレかもしれないけど、僕にもっと甘えて欲しい」


 彼女はこくりと頷いた。彼女の手を握り、懇願した。


「今日、帰らないで……。朝まで一緒にいよう」


 不安も苦しみも全部上書きしたい。彼女を目一杯愛したい……。

 彼女は頬を赤く染め、こくこくと首を縦に振ってくれた。


 居酒屋を出て、そのまま僕の部屋に向かった。

 そしてすべての不安を打ち消すかのように、彼女を愛した。






 一週間後。無事、岩隈は逮捕された。この一週間は沙羅さんが心配で、生きた心地がしなかった。

 岩隈を逮捕した捜査員が、報告がてら僕のところへやって来た。


「的場。お前の彼女のストーカー、逮捕したぞ」

「そうですか。ようやく安心できます」


 そう告げるが、彼の顔が腑に落ちないと語っていた。


「どうしたんですか?」

「いや……岩隈の様子がどうもな」

「どう、とは?」


 すると彼は意外なことを口にした。


「ストーカーの常習だから、もっとふてぶてしい男を想像していたんだが……」


 捜査員数人で逮捕状を持って岩隈の家に行ったところ、チャイムを押しても出てこなかった。管理人に言ってドアを開けて踏み込むと、岩隈は布団をかぶってやつれた顔をして震えていたそうだ。


「逮捕状を突き付けると『助かった。早く俺を刑務所に入れてください』って言うもんだから驚いてさ。もっと抵抗されると思ったから拍子抜けだった」


 ……どういうことだろう。


「取調べでも全面的に容疑を認めている。というか、過去に行ったことも聞かれていないのにペラペラしゃべっている。こんなに罪を犯したから刑務所に入れろってことなのかね。何に怯えているのかだけは一切口を割らないんだが」


 彼と別れ、僕は自分の席で考えた。

 これはまさか……先輩の差し金か? わざと逃がしたこと、逮捕を一週間も先にしたこと。考えれば考えるほど、先輩の仕業としか思えなかった。

 仕事の合間に電話をしてみたら電話では説明できないと言われ、夜に会って聞くことにした。


「あいつ、逮捕されてよかったわね」

「で、何をしたんですか」


 この前の公園で先輩と待ち合わせ。顔を合わせるとすぐに訊いた。今日一日、気になって仕方がなかったのだ。

 先輩は「せっかちめ」と肩をすくめたが、すぐに説明してくれた。


「こんなことをしたって言うと、あんたはまたギャーギャー騒ぐと思うけど。まぁ簡潔に言えば半ストーカー行為?」

「半ストーカー行為?」

「家に電話かけまくったりぃ、後つけたりぃ、夜にピンポン連打したり……とか?」


 悪びれもなく言う先輩に、頭を抱えた。


「それは半ストーカー行為ではなく、もはやストーカーですから!」

「うるさい。わかってやってるから喚くな」

「なんでそんなことを?」


 すると先輩はさっきまでのチャラけた雰囲気を消し、真顔になった。


「……あの男が沙羅さんと二股かけていた女性、いたでしょう?」

「はい」

「岩隈は彼女に捨てられてからストーキングを始めた。そこまでは言ったわよね」

「ええ」

「彼女、そのとき妊娠していたんだけど……」


 そこで先輩が口を閉ざした。嫌なことが頭をよぎる。


「まさか……」

「そのまさか。彼女、ストーカー行為の精神的苦痛で流産したわ」


 絶句した。その女性も二股をかけていたことは、決して褒められたことじゃない。だけど子供を亡くしてしまったなんて……。


「事が悪化したのは彼女が警察に相談してからなの。それまでは軽微のストーキングで済んでいたそうなんだけど。それが原因で恋人ともうまくいかなくなって、最終的には心を病んでしまったわ。自殺未遂を何度も繰り返しているそうよ」

「酷い……」

「沙羅さんの場合も警察に被害届を出した直後は沈静化した。でも結局悪化した。これで岩隈が逮捕されても、執行猶予が付くかもしれない。実刑になったとしても、すぐに出てくるかもしれない。じゃあ、そのあとは? あの男が彼女に……たとえばお礼参り、なんて事態になりかねない」


 確かにそうだ。逮捕されたら終わりじゃない。被害者はその恐怖が常に付きまとう。いつまた自分がそんな目に遭うか、怯えて暮さねばならないかもしれないのだ。


「だからそんな気にさせないように、“早坂いずみ”が必要だった。岩隈樹のストーカーのね。沙羅さんの周囲に常にいる、自分のストーカーという人間が」


 なるほど。沙羅さんの周囲に常に自分のストーカーがいるとわかれば、自分から寄ろうとしない。早坂に恐怖心を持っていればなおさらだ。


「だから今回はやり過ぎたってぐらい、徹底的にやったわ。これで女性不信にでもなってくれたら儲けもんよ」

「でも岩隈がそれを訴えたらまずいのでは?」


 そうすれば逆にこちらがストーカーとして捕まってしまう。

 でも先輩は何も心配していないようだ。


「大丈夫。『言ったら婚姻届出す』って脅した。あの男に“婚姻届不受理申出”っていう知識があったら、また違ったと思うけどね。役所に出向いた形跡がないから、この脅しは有効だったってこと」


 なるほど。だから異常な怯えの原因だけは、決して口を割らなかったんだ。


「で、岩隈はどうよ?」

「ペラペラ自白しているようです。先輩の読み通り、自分に対するストーカー被害は言っていないようです。逮捕時に『助かった。自分を早く刑務所に入れろ』って言ったそうです」


 先輩はホッとしたように表情を緩めた。


「そうかそうか。これでひとまず安心した。じゃあ、わたしは帰るわ」

「先輩、いろいろとありがとうございました」


 ペコッと頭を下げて先輩を見送る。と、先輩が立ち止り、振り返った。


「的場。これからも彼女を大切にして、守ってあげるのよ。あんたの家族になる人なんだから」

「先輩……」


 先輩は僕が家族の縁に薄いことを知っている。それを強く欲しがっていることも。


「はい、もちろんです」


 自信を持って答えると、僕に背を向け、満足したように手をひらひらさせながら先輩は帰って行った。




皆様はこの方法を真似しないでくださいね。

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