強がりの恋 その7
的場視点です。
時間軸が少し戻ります。
最近、沙羅さんの様子がおかしい。仕事で忙しくてなかなか会えないが、それでも時間を作って会いに行けば、彼女は酷く怯えた表情だった。それはどうやら僕に対してではないようだ。一体、何があったのだろう。
それとなく訊いても、多分彼女は口を割らない。僕に気を使っているのか、はたまた年上ゆえの意地なのか……。僕はそんなにも頼りにならない男だろうか。
そうして内心へこんでいると、彼女から電話があった。そこでようやく彼女の怯えの原因を知らされた。どうやらストーカーに遭っているらしい。
やはり異変に気付いたときに、こっちから聞けばよかった。声を聞いている限り、限界寸前のようだった。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったの? 付きまといだって十分ストーカー規制法違反なんだよ?」
なかなか言ってくれなかった彼女への、そして刑事のくせに気付けなかった自分への怒りで声が荒くなる。すると弱々しい声が返ってきた。
『ごめんなさい。はじめはわたしの勘違いだと思ったの。それに隼人くん、忙しそうだったし……』
「たまたまだろう」というふうに思って放置していると、取り返しのつかないことになる例はいくらでもある。そういう話もよく耳に入ってきた。それが自分の恋人に振りかかると思うと、ゾッとした。
「何も知らされないほうが嫌だよ。僕の仕事を気づかってくれたのは嬉しいけど、それで沙羅さんが苦しんでいるなら、もっとつらくなるってわからない? 大切な人を守れなくて市民を守れるはずがない。僕はそんなに頼りない?」
気遣ってくれたのは嬉しい。でも僕はそんなに軟な男じゃない、という自信もある。
少し拗ねたような僕の言葉に、彼女は慌てて否定した。
『まさか! そんなわけない!』
「じゃあ今度からは何でも隠さずに相談して。いい?」
『はい』
約束してくれたことに満足した。でも、もっといろいろと僕に甘えてくれればいいのに。
「もう仕事は終わったの?」
『ううん。もう少しかかりそうなの』
「そう。迎えに行きたいのはやまやまだけど……」
この話を聞いたからには、打てる手は打っておくべきだろう。迎えに行って抱きしめたいのが本音だけど……。
『いいよ。まだ仕事中なんだよね? 被害届を出した後に、ラナのバイト先に寄って一緒に帰るから』
「うーん、ラナちゃんかぁ……。一人で帰るよりマシだけど、戦力にはなりそうにないね」
沙羅さんより危なっかしいよ、ラナちゃんは。あの彼氏さんも大変そうだ。
『もう、ラナが聞いたら怒るわよ。確かに美羅の方が心強いけどね』
美羅さんなら、ストーカーも尻尾を巻いて逃げるだろうね。
沙羅さんとの電話を終え、僕はすぐにとある人物へ連絡をした。これから会えないかと訊いたところ「急すぎる」と難色を示したものの、最終的に了承してもらった。
待ち合わせまでのわずかな時間で、今度は沙羅さんの親友、留美さんに連絡をとった。
きっと留美さんには相談しているだろうと踏んだ。沙羅さんが気づいていない何かがあるかもしれない。それを訊きたかったからだ。
ちなみになぜ連絡先を知っているかと問われたら、何度か面識があり、さらに合コンのセッティングを打診された際に番号も交換していたからだ。まだ実現していないけど。
『珍しいわね、的場くん』
「お忙しいところすみません。留美さんにお伺いしたいことが……」
『……沙羅のことね? あの子、あなたに言ったの?』
「はい。さっき……」
そう答えると、驚きの声が返ってきた。
『さっき!? わたしがあの子に相談を受けたのは、もっとずっと前よ。どれだけ我慢すれば気が済むのかしら』
「それで留美さんに何か気づいたことがないか、お聞きしたくて……」
すると留美さんが有力な情報を教えてくれた。
『わたし、犯人に心当たりがあるの』
「誰ですか!?」
食い気味に訊けば、まさかの答えが返ってきた。
『岩隈樹。沙羅の元カレよ』
「岩隈、樹……」
沙羅さんの、元カレ……。
『この前偶然、街で会ったの。そしたらあいつ、なんて言ったと思う? 「俺は騙された。やっぱり沙羅が必要なんだ」だって。自分が二股かけた挙句、沙羅を捨てたくせに。ああ、思い出しただけでイライラするわ』
苛立ちを隠そうともせず電話口から男への罵声が聞こえるので、それをやんわりと抑える。
確かに身勝手な言い分でイライラする。自分も同調して怒りを吐きだしたいところだが、このままだと話が先に進まない。
ようやく落ち着いたのだろう。留美さんが咳払いの後、真剣な口調で言った。
『……的場くん』
「はい」
『沙羅を助けてあげて。甘え下手で我慢強いけど、結構脆いの。頼むわね』
「もちろんです」
そう約束し、電話を切った。
待ち合わせのレストランには、例の人物はすでに到着していた。
席へ向かうと開口一番嫌味を言われる。
「そっちから呼び出したくせに遅れてくるんだ。ふーん……。的場のくせにいい度胸ね」
「……先輩、勘弁してください」
本当にこの人は……。まだ時間前なのに。
小柄で色白。栗色のゆるくウエーブのかかったロングヘア。大きな目に長いまつ毛……。
周囲からの視線を独り占めしているこの先輩は、口を開けば非常に残念な人だった。
「こちらから呼び出しておきながら、遅れてすみません。若槻先輩」
「…………」
「若槻先輩?」
「…………」
「……ミコ先輩」
「なーに? 的場クン」
この非常に残念で面倒な人は、若槻美子。僕の二歳年上で、高校時代の先輩だ。
ひょんなことから知り合って以来、僕はこの人にからかわれ、おもちゃにされている。かと言って、この人との間に色恋沙汰はない。
「あんた、趣味じゃない」と初対面できっぱり言われた。それはこっちのセリフだと声を大にして訴えたい。
さっきのように、この人は苗字で呼ぶと返事をしない。あだ名で呼ばないと不機嫌になる。どっちでもいいのに。本当に面倒。
だけどこの人ほど頼りになる人を、僕は他に知らない。
「実は相談したいことが……」
簡潔に事情を伝えると、僕が来る前に注文したらしい料理を食べながらようやく真面目な表情になってくれた。真面目なときのこの人は恐ろしいほど優秀な人だった。
「で、その岩隈って奴の写真は?」
留美さんからメールで送ってもらった画像を見せる。すると片眉を微かに上げる先輩。
「うわ、顔からして粘着質そう。これはクロだわ。間違いない」
顔で判断するのはどうかと思うが、今はそんなことは言っていられない。
「その男、調べてもらえませんか。沙羅さんに対するストーカー行為もやめさせたい。先輩、お願いします。僕の代わりに彼女を守ってあげてください」
ぺこりと頭を下げると、先輩はじっと僕を見つめてきた。首をかしげると、フッと笑われる。
「しょーがない。かわいい後輩のため、一肌脱ぎましょうか」
「ありがとう、先輩。方法はすべてお任せします」
「了解。っつーことで、報酬はここのお会計、的場持ちってことで」
「もちろんです」
引き受けてもらい安堵していると、からかうようにニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる先輩。
「いやぁ~そこまで的場を虜にするカフェの年上美人、見たいなぁ~。ねぇ、いつ紹介してくれるわけ?」
「そのうちですよ。先輩に紹介すると、あることないこと彼女に吹き込まれそうで……」
「よくわかったな。そんなの当然だし」
やっぱり、いつまでたっても僕はこの人のおもちゃだ。苦笑いしか出ない。
食事をしながら会話も進み、さっきの沙羅さんからの電話の話から「僕ってそんなに頼りないんですかねぇ」と愚痴ると、先輩にデコピンされた。
「ちょ……何するんですか!」
額を手で覆い、恨めしい視線を向ければ、呆れた表情を返される。
「バッカじゃね―の。あーあっ。せっかくちょっと見直したのに、ヘタレ返上はまだまだ先だわ」
意味が分からないでいると、大きなため息をつかれた。
「彼女が心配なら、こっちを優先せずに彼女のところへ駆けつけるのが正解。不安を取り除くために何も考えられなくなるぐらい無茶苦茶に抱いて、大きな愛で包んで安心させろっつーの!」
「でも先輩。こっちから誘っておきながら、すっぽかしたら怒るでしょ?」
「それは時と場合によるし。わたしのこと、どれだけ器の小さい女だと思っている。これで的場がフラれたら面白いのに……」
「フラれません!!」
とは言ったものの、少し不安になってきた。ああ、本当に僕は大馬鹿野郎だ。
先輩と別れたその足で彼女に会いに行きたかったが、時間も遅いので断念した。
数日後。調査を始めた先輩から、岩隈が沙羅さんにストーカー行為をしているという報告を受けた。
どうやら過去にも交際していた女性に対する、付きまとい等の行為をしていたようだ。
そして護衛のため沙羅さんの会社へ潜入すると告げられた。
それから何度か、先輩から沙羅さんが遭っている被害を聞かされる。それを聞きながら仕事で手いっぱいで、何もできない自分が歯がゆくて仕方がない。そばにいることも、守ってあげることもできない。自己嫌悪に陥る。
先輩が沙羅さんの会社に潜入して、もうすぐ三週間が経とうとしていた。
署で書類を書いていると、携帯が鳴る。先輩だった。
「もしもし」
『今、彼女が岩隈に追われてる。今日でカタをつけるわ。あんたも来なさい』
走りながら電話をしているのだろうか。呼吸が乱れていた。非常に緊迫した雰囲気が伝わる。ただ、行きたいのはやまやまだが……。
「すみません。僕、まだ書類仕事が……」
『馬鹿かお前は。そんなもん後回しにしろ。今来ないと絶対後悔するわよ』
……そうだな。今は沙羅さんだ。書類なんて、後でどうにでも……。
「わかりました」
電話を切り、僕は上着を掴んで走り出す。
「おい、的場! どこ行くんだ!」
「すみません。少し抜けます」
先輩刑事に一言告げて、僕は署を飛び出した。
途中で先輩から近くの公園に入って行ったと教えてもらい、僕は全速力でそこへ向かった。
公園に着いて彼女の姿を探す。すると怒号が耳に入ってきた。
「おっせーぞ、的場ぁ!!」
声のする方を見ると、地面に座り込んでいる沙羅さんの姿が目に飛び込んできた。
「は、隼人く……」
弱々しい声をあげる彼女。僕はすぐに彼女の元へ向かい、その身体を思い切り抱きしめた。
「よかった……無事で……」
それは心底安堵した言葉だった。すると緊張の糸が解けたのか、彼女は子供みたいに大声で泣きじゃくった。それをあやすかのように彼女に声をかける。
「ごめん、沙羅さん……遅くなって……ごめん……」
どれぐらいの時間そうしていただろう。彼女がようやく落ち着いてきたころ、僕はそこにもう一人いたことを思いだした。
そちらに視線を向ければ「今頃思い出したか、馬鹿め」と言わんばかりの、呆れ顔の先輩がいた。
「助かりました。ありがとう、先輩」
「ヘタレのくせに、的場のくせに、いっちょまえに彼氏してるじゃん。超生意気」
生意気って……。それより肝心なことを訊かなければ。
「で、岩隈はどこですか?」
「逃げたけど?」
何でもないような言葉に、僕は一気に頭に血が上った。
「逃げた? どうして捕まえてくれなかったんですかっ!」
沙羅さんに危害を加えようとしたなら、立派に暴行罪が成立する。そうすればあの男を今すぐ牢屋にぶち込めるのに。
僕の訴えに、先輩は飄々と言い放つ。
「えーっ、逮捕は警察の仕事でしょ」
「民間人でも現行犯逮捕はできます」
「このか弱いわたしに、あんな大男を捕まえろと?」
イラッとした。
か弱い? ふざけんな。僕があなたに何度ぶん投げられたと思っているんですか。
「できるでしょ? 先輩なら」
「まぁ、やろうと思ったらできるけど、そんな面倒なことわたしにやらせるわけ?」
「面倒って……。あなたはいつもそうだ。口を開けば面倒、面倒。何が面倒なんですか。それにか弱い? 冗談はやめてください。あなたは見た目で得をしすぎなんですよ」
グチグチと嫌味を言っていると、先輩がムッとして言い放った。
「黙れ、的場。このわたしが、ただ闇雲にあの男を逃がしたとでも?」
その言葉にハッとする。
そうだった。この人はそんな甘い人ではない。むしろ残酷なことを平気で出来る人だった。やはり先輩は何か企んでいそうな表情である。
「……何か、あるんですね……」
「それが何かはあとのお楽しみ。悪いようにしないから安心しな。……詳しい説明は後日、報告書もね。精神的にキてると思うから、ちゃんとフォローしてあげんのよ。それから証拠の方はあんたに頼むわ。じゃあ、あとはヨロシク。ってことで係長、また明日会社で。お疲れ様でした~!」
沙羅さんはにこやかに笑いながら公園を後にした先輩を呆然と見た後、顔を上げて僕に視線を移した。
「……隼人くん、早坂さんとどういう関係?」
「早坂?」
誰のことを言っているのだろう。……もしかして先輩、偽名を使ったのかも。
「……ああ、そういうことか。あの人は高校の先輩」
「先輩?」
「勘違いしてほしくないから言うけど、あの人とは何もないよ。ただの先輩で、それ以上の関係はないから。僕が彼女に、沙羅さんのことを頼んだんだ」
「頼んだって、何を?」
首をかしげる彼女へ安心させるように笑いかけた。
「沙羅さんの護衛を兼ねたストーカー調査」
「護衛と……調査……」
「沙羅さんが電話で打ち明けてくれた後、留美さんに電話したんだ。沙羅さんが気づいていない何かを知っているかもと思って。それで話を聞いて、先輩に調査を頼んだ。で、あのストーカーが浮かんだから、警護もかねて沙羅さんの会社に入ったってわけ」
説明すれば納得してくれたようだ。
「そうだったの。彼女の職業って」
「探偵……? あれ、調査会社だったかな? 忘れたけど、とにかくそういう仕事」
「探偵?」
そう。僕一人では沙羅さんをとても守れなかった。本当に情けない……。
僕はもう一度彼女をギュッと抱き締めて、苦しそうに呟いた。
「とにかく無事でよかった……」
彼女を危険な目に遭わせたことに、彼女を失う可能性があったことに、今さらながら恐怖が襲う。こうして僕の腕の中に沙羅さんがいることが、幸せで堪らない。
すると彼女が服をギュッと掴み、弱々しい声で言った。
「ごめんね、隼人くん……ありがとう」
よかった……沙羅さん。もう絶対にこんな目に遭わせないからね。
これからは僕があなたを守るから……。
やーっと出せました。
早坂さん=ミコ姐さん
8/3訂正 ミコの名前にルビ打ちました。「美子」は「みこ」ではなく「よしこ」と読みます。
ルビつけ忘れました。すみません。




