90.国境
いつもありがとうございます。
「あれが国境かな?」
谷を抜けると、今度は目前に白くそびえ立つ壁が現れた。見上げるほどの高さがあり、石の組み方からも西国の街壁と比べ物にならないくらい強固に作られていることがわかる。上には遠見櫓があって、まるで要塞の外壁のようだ。その壁に貼り付くようにして建てられた石造りの小さな建築物が見えた。
「いきなり攻撃なんかされないよな」
少し身構えながら近づいたが杞憂だったようだ。
建物に近づくと、そこから西国の騎士団とは違う制服を着た人が出てきて中に入るように促された。こんな深夜でも人がいるのは西5の出国審査所と同じなんだな。
中は駅の待合室みたいになっていて、俺たちが椅子に座るとクリップボードを抱えた係官がやってきた。
「ようこそ旅の方々。我々はミスティン騎士団に所属する出入国審査官です。みなさんは入国希望者ということでよろしいでしょうか?」
「そうです」
代表して古義さんが答えた。
「こちらでは、身分証明書……ギルドカードなどですね、それと信仰する神様を確認させていただきます。その前に、女神クラディスの信仰者はいらっしゃいますか?」
ロウさんとカリウムさんが片手を挙げた。
「あいにく女神教徒は本日は入国することができません。必要な条件についてご説明いたしますのであちらの部屋にお入りください」
係員が奥の部屋を手のひらで示した。
うん? 噂では異教徒は全部NGだと聞いていたけど。
「あの、他の神様の信仰者は入国できるんですか?」
蒼刃さんも同じところに引っかかったようだ。係官は頷いた。
「我が国が入国を制限しているのは女神教徒のみです。それ以外のかたは基本的には入国可能ですよ」
へえ、そうなのか。それじゃ俺も入国できちゃうな。ちょっと棚ボタっぽい。
「それじゃ仮宿に着いたら連絡してくれ」
「おう」
係官に先導されるロウさんとカリウムさんの二人と別れて、俺たちは駅の改札みたいなところに並んだ。これが入国審査か。
古義さんたちが先に並んで、ひとりずつギルドカードと信仰している神様の証明を見せる。古義さんと唐竹さんは、首から下げたアルケナ神の護符だった。
前にいる三人の様子を見ながら、ふと考える。
俺、リンネ教徒じゃないのにリンネ神の護符を持っているけど、もしここでそっちを出したらどうなるだろう。
きっとそういうパターンあるよな? クラディス教徒なのにたまたま他の神様の護符を持ってたりした場合、入国できるんだろうか。
「…………やめとこ」
一瞬試してみようかとも思ったけど。やっぱり迂闊なことして信用失うリスクは避けた方がいいよな、そのへん厳しそうな国だし。
「はい、次のかた」
呼ばれて、俺は係官の男性にギルドカードを差し出した。
「信仰はどちらに?」
「アルケナ神です」
コートの襟元を開けて中のカットソーを少し捲る。鎖骨の下にあるアルケナ神の紋章を見せた。
「……なんと……」
目を見開いた係員が言葉を詰まらせた。なにその不安な反応。
「なにか問題でも……?」
思わず訊ねると、係官はハッとして背筋を伸ばした。
「い、いえ! 失礼しました! 使徒様のご来訪を心より歓迎いたします!」
「あっ、ハイ」
チェックを終えると、来た時とは色違いの待合室に出た。先に通過した三人が、壁に貼られた地図らしきものを見ている。
「まずは仮宿の登録にいこう」
俺が追いついたのを確認して、古義さんが言った。
「使徒様、私がご案内いたします!」
さきほど審査してくれた係官が慌てて出てきた。わあ、もしかして紋章効果ですか。なんかやけに敬われてるよ俺。
彼に道案内をお願いして、俺たちは来た時と反対側の出入り口から壁の内側に出た。
ひゅう、と冷たい風が肌を刺す。
「うっ、寒っ」
思わず声が出てしまった。
だって西国はいま初夏だもんな。壁一枚で、いきなり気候が変わりすぎでしょ。
「今日はこれでも暖かい日なのです。普段はもっと気温が低く、雪が降る日も珍しくありません」
男性係官は言った。
「一年中こういう気候なんですか?」
「はい、そうです」
秋の終わりから冬みたいな感じなのかな。北の国だし。
彼について、俺たちは街に入った。
雰囲気は西1に似ている。綺麗に整備されているけど、ちょっと鄙びた感じの古くて静かな都市だ。
雪に備えているのか、西国より建物の屋根の傾斜が強い。色も単調だ。風が冷たいせいか無性に寂しく感じる。でも空気が澄んでいるから月と星は綺麗に見えるんだな。
「どうしてクラディス教徒は入国できないのか訊いてもいいですか?」
唐竹さんが係官に言った。
「あれは出処不明で信用できない教えだからです」
彼は眉をひそめて答える。
「我らがブライトール神は、かつてはアルケナ神の従神でした。初代の国王陛下は天候に恵まれないこの地で建国するにあたって気候を司るかの神を祀ることにしたのです。それゆえ、我々はブライトール神とともにすべての祖であるアルケナ神への敬意も忘れたことはありません」
なるほど、それでアルケナ神の使徒を下にも置かない扱いなのか。
「リンネ神につきましても、我らが来る前からこの外地をおさめていたお方ですから尊重するのが筋です。しかしそれ以外の教えはクラディス教を含め、何者かが大厄災より後に人民をコントロールする意図で広めたものだと考えられます。そのような疑惑の種をこの国に入れることは許されないのです」
得体の知れない政治的宗教の汚染を恐れた上での鎖国ってことか。とすれば、この北国ミスティンがかつてのアルセイネ皇国の名残を一番残しているのかもしれないな。
「さっき別れたクラディス教徒の二人はどうなるんですか?」
蒼刃さんが訊ねた。
「あのお二人には『清廉の小瓶』というものをお渡しします。彼らが女神教徒でありながらも心までは染まらず清廉であることを示せば、少しずつ中に雫が溜まってゆきます。瓶がいっぱいになりましたら彼らの入国を受け入れましょう」
なにやらふんわりした定義のひと手間が追加されるってことか。
でも序盤の時点でその小瓶を手に入れることができたのはある意味ラッキーかもしれない。時間がかかりそうだけど、南回りの道行きついでに溜めていくこともできるだろうし。
「到着しました。こちらが『渡り人の仮宿』でございます」
小さな建物の前で係官は足を止めた。仮宿は西国とまったく同じつくりをしていた。世界共通なら、今後どこへ行ってもわかりやすいだろう。
あの、と蒼刃さんが係官に声をかけた。
「俺はブライトール教の洗礼を受けたいんですが、どうしたらいいでしょうか?」
「それはそれは。新しい友人を歓迎いたしますよ。今日はもう夜遅いので、太陽の出ている時間に神殿の者へお申し付けください」
彼は嬉しそうに微笑むとそう言って、通りの向こうを指差しながら蒼刃さんに神殿までの道筋を説明した。雷魔法は問題なく手に入りそうだ。よかった。
「どうもありがとうございました」
「皆さまもよい旅を」
騎士の礼を取る係官にお礼を言って、俺たちは仮宿に入った。
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GW中に誤字脱字のお知らせもたくさんいただきました。きちんと確認してるつもりなんですが、結構あるものですね……本当にありがとうございます。助かります。




