66.召喚
いつもありがとうございます。
ボストンバックを下げたエセルの後ろを歩きながら、俺は服装を暗殺仕事の時に使うセットに変更した。フードをかぶってしまえば、遠目には俺だとわからないだろう。
それから俺は潜入メンバーにメッセージを送った。
『家人の話では礼拝堂に首飾りが隠されているらしいです。誰か確認してくれませんか』
女神像だとはっきり書かなかったのは時間稼ぎだ。すぐに唐竹さんから『了解』と返信があり、続いてエリザベス⭐︎さんと姉ちゃんからも『行きます』と発言があった。
唐竹さんによって探索マップに礼拝堂の位置が描き込まれる。どうやら凹の左下、北東の角部屋らしい。この中庭からは一番離れているのは好都合だ。
「この辺りでいいか」
エセルは庭の中央付近で立ち止まると、足元を指差した。
「まずは魔石を置け」
レクチャーしてくれるらしい。ええ……俺が自分でやるの? 魔物召喚ってプレイヤーでも可能なの?
「大きい方がいいですか」
「いや、魔力の集中点を決めるマーキングだからクズ石で構わん」
インベントリから星見の塔で手に入れた適当な魔石を出して地面に置いた。
「次に呪文を唱える。マニュアルを開け。詠唱は教えてやるから今回は適当なページでいい」
言われた通りに黒い本を開く。
「どういう魔物が希望だ?」
「でかくて、二十人くらいで倒さないといけないやつ」
「わかった。では片手を前に出して、私について復唱しろ」
右手で開いた本を持ったまま、エセルの真似をして左の手のひらを魔石のほうに向ける。
「『呪われし闇よ、深淵から我が呼びかけを聞け』」
「呪われし闇よ、深淵から……」
はわわ、封印されし左手がついに闇のポエムを唱え始めちゃったよ!
「『いにしえの契約により今ここに最も暗き夜の力を注ぎ込み』」
「いにしえの契約により……」
なんかMPがすごい勢いでぐんぐん減っている。大丈夫かこれ。
そして足元にどこからか霧のようなものが出てきて、魔石を中心にして渦巻き始めた。
「『穢れし魂を解放する。力を溢れさせよ、獣を解き放て』」
「穢れし魂を解放する。力を……」
霧の中に少しずつ模様のようなものが現れる。召喚陣のようだ。
それは呪文が進むにつれ濃淡がはっきりしてきて、やがて円形のラインとその内側に文字を形成した。
文字はどんどん数を増やし、それに合わせて円が大きくなっていく。それは俺たちが立っている場所にも届いたが、エセルは構わず詠唱を続ける。俺の足の下にも文字が描かれていく。円はそのまま中庭いっぱいにまで広がった。
うう、MPがやばい。あとちょっとだ頑張れ俺!
ウィンドウの数字を睨みつけていると唐竹さんからメッセージが入った。
『礼拝堂にて首飾り発見、回収した。三名合流済み。これから離脱する』
よし、ナイスタイミングだ!
これなら首飾りを奪われたことが引き金になって魔物が召喚されたように見える。陰謀が露見したから破壊に走ったような筋書きにできるだろう。
「『我、汝を召喚す。緩やかに来たれ、毒泥人形』」
「我、汝を召喚す。緩やかに来たれ、毒泥人形」
ここで彼女はいったん言葉を切り、俺の方を見た。そして大きく息を吸う。
「『開門!』」
「開門!」
俺もエセルに続いてひときわ大きく呪文を唱えた。
カッ! と召喚陣が青い光を強く放った。
「おお…………って、あれ?」
反応はそれだけだった。召喚陣の光はすぐに弱まり、うすぼんやりした微光状態になって沈黙した。
俺は困惑してエセルを見た。
「失敗?」
「愚か者、ちゃんと成功しておるわ!」
エセルは遠慮なく俺の頭をべしりとはたいた。
「魔物がすぐに来たら我々の身も危ないだろう。十分後に自動で召喚されるから、お前も今のうちになるべく遠くまで逃げておけ」
「なるほど時限式……」
芸が細かい。
「これで横取りの詫びは済んだぞ。さらばだ」
そう言って、エセルはボストンバックを抱え直すとスタスタと正門の方へ歩いて行く。
「ありがとうございましたー」
後ろから声をかけると彼女は背中を向けたまま手だけ振って返してくれた。その姿は門扉を軽々と乗り越えて夜の闇に消える。
ちょっと変わってたけど意外と悪い人じゃなかったな。
「さて、と」
俺は物陰に入って服装をここへ来た時と同じものに戻すと、潜入仲間にメッセージを打った。
『中庭に不審な魔法陣を発見。前に見た魔物の召喚陣に似てる』
『了解。そちらに向かう』
すぐに返事が来た。
合流しやすいよう玄関前に移動してMP回復のポーションを腰に手を当ててぐいっと飲んでいると、ピロピロリン、と甲高いシステム音が二度続けて鳴った。
『緊急レイドのお知らせ:緊急レイドクエストが発生しました。西国ウィンドナ第四の街ウェスフォース北西地区のアットウェル伯爵家にてただいまから十分間、参加を受け付けます。お近くの方はふるってご参加ください』
おお、運営が動いてくれたんだな。よし、これでいかにも予定通りのレイドを装うことができたぞ。
ほどなくして唐竹さんたち三人が屋敷から出てきた。
「カイくん!」
姉ちゃんが俺を目ざとく見つけて駆け寄ってくる。唐竹さんとエリザベス⭐︎さんは目の前で薄く光る召喚陣の大きさにぎょっとした表情になった。
「ここでレイドか……」
「あ、うちのパーティすぐ来るって」
エリザベス⭐︎さんがウィンドウに目を移して言った。メリッサ嬢の屋敷はここから近かったもんな。
唐竹さんも自分のウィンドウを確認した。
「うちも従魔で走ってくるから間に合いそうだ」
多分ミリアとマリエルも来るだろうな。
「じゃあ、行くか」
唐竹さんの言葉に頷いて、俺たちはレイドへの参加を問う選択肢のYesを押した。
ぐるり、と目の前の景色が入れ替わった。
「わっ」
思わず声が出てしまった。
気づけば俺たちは、地平線までずっと裸の地面が続いている不思議な場所に立っていた。頭上には夜空が広がり、月と星が明るく瞬いている。
その光景の中にアットウェル伯爵邸の母屋だけがポツンと建っていて、俺たちはその玄関前にいた。
「ここは……」
「レイド用の空間だね。大人数で戦うのにあそこじゃ狭いから」
唐竹さんが教えてくれた。
召喚陣は、先ほど描いた場所よりも遠くに設置されている。屋敷からは百メートルくらい離れているだろうか。そして伯爵邸の中は無人のようだ。
なるほど、たしかにこの方が戦いやすい。
ウィンドウにレイド開始までのカウントダウンが出ている。それから敵の属性が水・土・毒だと表示されていた。準備しとけよ、ってことかな。
周囲を見回すと、すでに見たことないプレイヤーが二十人くらい待機していた。伯爵家の近辺にいた人たちだろう。って、あれ、知ってる顔がいる。
「耕助さん!」
声をかけると、すでにゴーグルをはめてスタンバイ状態の彼がこちらにやってきた。
「おう、お疲れ」
あれ? 見慣れた姿がない。思わず周囲を探してしまう。
「ひとりですか? ヒカリは」
「今日は別のクエ」
「珍しいですね……」
ニコイチのイメージが強いんだけど、まあそういうこともあるか。俺と姉ちゃんだって別行動するしな。
でも慣れたメンバーがいてくれるのって心強い。
「唐竹!」
従魔を連れた斬鉄団がこの空間に入ってきて合流した。
「なんとか間に合ったな」
その後ろからメリッサチームと王太子・ゴドウィンチームがやってくる。
「まさかここでレイドが来るとは思わなかったよ」
「隠し場所から首飾りを取ることがトリガーだったんだ」
ハイハイその通りですヨ。
想定外のタイミングにざわつく彼らの会話を聞いていたら、いつのまにかゴーグルを付けた姉ちゃんが「ねえカイくん」と俺の服をくいくい引っ張った。
「人が増えてきたし、そろそろ着替えた方が」
「あっ、そうだね」
ウィンドウを操作してその場で死神セットにチェンジする。
「ひえっ」
すぐ横にいたエリザベス⭐︎さんが変な声をあげた。
「どうしました?」
「イエナンデモ」
なんかソワソワしてるエリザベス⭐︎さんを訝しんでいたらメイド服を着たミリアとマリエルが到着した。こちらも従魔たちを連れている。
「カイ! ネムちゃん!」
「お疲れさまです」
「レイドなんて胸が高鳴るわ」
戦闘民族ミリアが凶悪な笑顔を浮かべている。はいはい、楽しんでいってくださいねえ。
これでクエスト関係者は全員揃ったな。あとは召喚された魔物を倒せばハッピーエンドだ。
「姉ちゃん、弓の属性どうする?」
俺は姉ちゃんが背負っている弓を見て訊ねた。姉ちゃんのメイン弓は火属性だが、今回は水属性持ってる相手だから相性が悪い。予備の弓に違う属性を付与した方がいいだろう。
「そうね、氷でいくわ」
「了解」
「カイ、俺も氷を頼んでいいか」
耕助さんが大楯を肩からおろして言う。そっか、耕助さん付与があっても氷魔法を持ってなかったな。大楯にも氷属性を付与して、ついでに俺も自分のデスサイズにつけておく。
ちらりと見れば蒼刃さんが仲間の剣に風属性を付与していた。あちらは土属性への有利を選択したようだ。
斬鉄団がざっくり指示をして、俺たちはポジションについた。
盾と近接武器は前に、遠距離武器や魔法職は後方へ。伯爵邸の屋根に登っている者もいる。姉ちゃんも小柄だから屋根の上だ。
そろそろレイドの開始時間だ。
召喚陣の光が少しずつ強くなってきた。そして霧が出始める。いや、霧というよりスモークっぽいな。登場の演出効果バッチリですね。
「20、19、18、」
ウィンドウの数字に合わせてみんながカウントダウンを始めた。
人数が思っていたよりもかなり多い。五十人は余裕で超えてて、七十人くらいいるんじゃないのか。これだけいればそう時間はかからないかな。
「13、12、11、」
召喚陣が、さっき呪文を唱え終わった直後と同じくらいに強い光を放った。
「10、」
ドオン、と地響きのような音がして、召喚陣全体から空に向かっていかにも邪悪そうな青黒い光の柱が立った。プレイヤーたちが歓声をあげる。
柱の中に巨大な黒い影が現れた。身長がマンションの三〜四階くらいの高さまである。がっしりとした体格の、けれど凹凸の少ないシルエット。
「オオオオオォォォ」
風が鳴るような唸り声が聞こえた。
光の柱が薄くなり、魔物の紫黒色の身体が徐々にあらわになってきた。
「4、3、」
カウントがもうすぐ終わる。
「オオオオオオオォォォォ」
召喚陣の光が完全に消えた。魔物はもう一度凶々しい咆哮をあげた。
「毒泥人形……」
誰かがウィンドウの表示を読み上げた声が聞こえた。
敵はその名のとおりゴーレムだった。
まるで子供が作った不細工な泥人形のように、中央に鼻の隆起があるだけののっぺらぼうの顔に短い首と平坦な胸板が続き、手だけが異様に長く、棒のようにまっすぐだが太い脚がついている。毒を示す紫色のエフェクトが立ちのぼり、巨大な全身から絶え間なく泥が流れ落ちている。
「2、1、」
みんなが緊張した面持ちで武器を構える。
「ゼロ!」
さあ、レイド開始だ。
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