65.黒幕?
いつもありがとうございます。花粉の季節ですね……皆様もお大事にしてください(涙を拭きながら)。
俺は足音を忍ばせて秘密の通路に入った。階段は一旦地下に降りて、それからまた地上へと続いているようだ。
行き止まりの壁を押すと、入口と同じようにカチリと音がして月光が細く差し込んできた。扉を開けてそっと外の様子を伺う。そこは無人で薄暗いどこかの室内だった。
通路から出てマップを確認すると先ほどまで調べていた建物の中ではなく、敷地内にある離れのようだった。部屋の窓から伯爵邸の西側の壁が見えている。
俺はランタンをぐるりと回して室内を確認した。
まず目に入ったのは山のように積み上げられた本だ。それから、いくつも並んだビーカーとフラスコ、魔石で使うコンロや遠心分離機、片手鍋や瓶詰めされたいくつもの謎の素材。複雑な数式や読めない言語で書き散らした紙類が作業台の上に所狭しと置かれている。
「ここは……」
「私の研究室だよ」
真後ろで女の声がした。
殺気。咄嗟に肩から斜め前方に転がる。
相手の拳が空を切った。向こうは隠密中の俺の姿が見えている。流れるように二撃目が来る。回し蹴りをかろうじて躱して俺は襲撃者から距離を取った。会敵して今度こそ隠密が解ける。
窓から射した月光が相手の姿を照らし出した。
「あなたは」
そこにいたのは、アットウェル伯爵が連れていた、何もしない眼鏡の秘書嬢だった。まさか公爵家から瞬間移動してきた!?
彼女は俺の顔を見てふん、と鼻を鳴らした。
「部屋の結界に触れた者がいるから来てみれば、人族のコソ泥か」
うわ、なんかやばいの引いちゃった? この人、伯爵より大物っぽい!
でもここで負けるわけにはいかない。俺は女秘書を睨みつけた。
「その台詞そのままお返しする。お前たちがコソ泥らしく盗んだ首飾り、今すぐ返してもらおう」
敢えて挑発的にカマをかけてみるが、
「あんな何の役にも立たないガラクタ、この私が欲しがるものか!」
一瞬で距離を詰められた。その拳が青い炎を纏っている。まずい!
「時間操作!」
インベントリからデスサイズを掴み出すと同時に加速をかけて、そのまままっすぐ突き出す。女秘書が後方に吹っ飛んだ。そこを踏み込みデスサイズで下から斬りあげるが、ギリギリの後方回転で躱される。
彼女の銀縁眼鏡が弾け飛び、きっちりとまとめていた金髪が宙で解けた。だがそれには一切構わず、彼女はデスサイズの振りで生じた隙をとらえてまたもや拳を叩き込んできた。
速い。俺は連続で繰り出される攻撃を時間操作で見切ってもう一度距離を取ろうとするが、後退した背中に机の端が当たってしまった。
「!」
あとがない。瞬時に間合いに入られた。
「氷!」
咄嗟に武器を手放し、左手に氷をまとわせて炎の拳を受け止めると、右手の裏拳を相手の眉間に叩き込む。
「がッ」
女秘書が呻き声をあげて数歩後ろに下がった。同時に左手にピリピリとしたものを感じて見れば、燃焼のエフェクトが出ている。
俺は素早く手袋を脱ぎ捨てた。
「あ?」
俺の左手を目にした女秘書の動きが止まった。その隙を見てデスサイズを拾って横跳びに距離を取る。だが彼女はその場に立ったまま両手を大きく振った。
「ああ、もういい。止めだ、やめ!」
「……は?」
急に殺気が消えた。どういうこと?
彼女は肩を上下させて大きく息を吐き出した。
「紋章持ち同士で争うつもりはないと言っているんだ」
「え。あー……」
俺は思わず自分の左手を見た。あの謎神の黒い紋章がその存在を主張していた。
そしてデスサイズがかすったのだろう、長い金髪をかきあげた女秘書のドレスの襟元が少し切り裂かれていて、そこから俺のものと同じ黒い花のようなシンメトリーの紋章が覗いている。
これって俺、仲間認定されたってことか?
「……あなた何者ですか」
「エセル・エヴァレット、しがない魔法学者だよ」
いや、待って。アナタどう考えても予定外の新キャラですよね?
本来のシナリオじゃ登場すら危ういレベルの端役モブ伯爵のところに、こんな強キャラがいることじたいおかしい。もしかしてこの人が今回のイレギュラーを作り出した原因なんじゃないのか?
「それで、貴様は私の研究室で何をしていたのだ?」
内心混乱している俺に両目をすがめて、彼女は訊ねた。
誤魔化した方がいいのか? でもさっき首飾りって口に出しちゃったしな。
「公爵家の首飾りを探していたんです」
エセルは馬鹿にしたように首を振った。
「こんなところにあるわけがなかろう。礼拝堂の女神像が持っておるわ」
あ、やっぱりこの家にあるのか。
「それ言っちゃっていいんですか」
「私には必要ないし、本物かどうかも見分けられんような男が持っていても仕方なかろう?」
「じゃ、なんのために盗んだんです?」
彼女は小さく肩をすくめた。
「いや、学院の書庫に行ったとき通りすがりに聞いた妙な会話をうっかり伯爵にこぼしたら、チャンスが来たなどと急にいきり立ってしまって」
「チャンス?」
「あやつが大好きな女神クラディスの威光を阻む宰相を失脚させたかったのだろう。貴様の獲物とはつゆ知らず、横から手を出すような真似をして悪かったな」
ナチュラルに俺が悪巧みしてたことになってますけど!
エセルは先ほどの戦闘で散らかった室内を見回して、ひとつため息をついた。
「もうこれ以上ここにいる訳にもいくまいな」
「この家で何をしていたんですか」
「研究だよ」
彼女は机の下からボストンバックを取り出すと、そこらの実験器具や本の山を手当たり次第に突っ込み始めた。マジックバッグのようだ。
「適当に仕事をしていればあとは好きにできるから滞在先としては悪くなかったんだが。まったく小悪党の分際で余計な真似をしおって」
「はあ」
なんだかいきなり問題が解決しそうな雰囲気になってきたな。
エセルの撤収作業を眺めながら俺は考える。
嘘をついている様子はないし、礼拝堂を探せば首飾りは戻るだろう。
原因と思われる女秘書は逃亡し、今頃公爵家でへべれけになってる伯爵はそのまま拘束されるはずだ。
……で?
結局二十二人のクエスト参加者で事件解決に関わったのは唐竹さんとエリザベス⭐︎さんの二人だけだよな?
しかも戦闘したわけでもなく、コソ泥のように忍び込んで?
これだけの人数をぐだぐだ振り回したクエストが、オッサン酔い潰して他パーティは待機してる間に終わり?
「……すっきりしない……」
壮大な秘密もなし、敵もなし、戦闘もなし。
駄目だろ、これ。納得できない。
怒りにも似た感情がじわじわとこみ上げてきた。
物語にはカタルシスが必要だ。もっときちんと派手に、終わりを飾らないと。
「ねえ、魔法学者って魔物召喚とかできるんですか?」
俺は手伝う素振りで乱雑に置かれた書類を手渡しながら訊ねた。
「当たり前だろう」
手を休めずにエセルが答える。
「俺、証拠隠滅したいことがあるんだけど、そこらでちょっと大きいの一匹呼んでくれませんかね」
「それくらい自分でやれ」
「できないから頼んでるんですけど」
エセルはこちらを一瞥するとバッグに入れかけた本を一冊投げて寄越した。B6版くらいの大きさで、黒い表紙にタイトルはない。
「私が書いた最新版魔物召喚マニュアルだ。くれてやるから勉強しろ」
「ありがとうございます。でも初心者なので、いちどくらいお手本見せてくれませんか」
「あぁ?」
さすがに図々しかったか、と思ったが、彼女は最後に机の上に残っていた小物をバッグにまとめて流し込んで口を留め金で閉じると、こちらを振り向いて仏頂面で「仕方ないな」と言った。
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(2023.3.18修正)誤字を修正しました。




