61.夜のひととき
いつもありがとうございます。
夜。公爵家の厨房で、俺はひとり料理の作り置きをしていた。
結局あの後、姉ちゃんはジョシュア様とついでに唐竹さんとカリウムさんまで順番に乗せてフライトして、面白かったけどさすがに疲れたと夕食後はさっさと就寝してしまった。
帰ってきたアナベル様もジョシュア様も、子供みたいな顔で笑っていたからよほど楽しかったんだろうな。このクエスト、姉ちゃんが来てくれて本当によかった。
そして唐竹さんとカリウムさんもよほど大鷲が気に入ったようで、自分たちも鳥をテイムするぞ! と夕食の席で宣言していた。
緋炎の許可が貰えたのでとりあえず彼らにもテイムできる場所を教えておいた。鳥、流行の兆しだな。
「あら、まだ仕事をしているの?」
突然の女性の声に振り向くと、ガウン姿のアナベル様が厨房の入り口からこちらを覗き込んでいた。
「お嬢様。どうかなさいましたか」
俺は包丁をいったん調理台の上に置いて、手を拭きながら尋ねた。室内の時計は22時を回っている。
「なんだか興奮して眠れなくて。屋敷の中を散歩していたら明かりが見えたから」
子供じみた真似を少し恥じるように、アナベル様は言った。
「暖かいものをご用意いたしましょう」
部屋を移動してもらうつもりだったが、お嬢様は手近にあった粗末な椅子を引き寄せて座ってしまった。俺は手早く牛乳を温めて蜂蜜とブランデーを加えると、カップに入れてお嬢様に手渡した。
「ありがとう」
少し口をつけて、お嬢様は「美味しい」と呟いた。
「今日はとても楽しかったわ。空の上ってあんな感じなのね」
ふふ、と小さく思い出し笑いをしている。
「天気がよかったから遠くまで見えたでしょう」
「ええ、星見の塔もはっきり見えたわ」
「あっ!」
話を遮るみたいに、思わず声が出てしまった。
いや、本当にそんなつもりはなかったが、いま急に思い当たってしまったのだ。
「? どうかなさった?」
「あ……いいえ、なんでも。すみません」
アナベル様はむっと眉をひそめた。
「仰って」
うん……これは言わないと済まないやつですね。
「実は、お嬢様に初めてお会いした時にどこかでお見かけしたような気がしていたのですが」
「そうなの?」
軽く首を振って否定した。
「勘違いでした。以前お会いしたとある神殿の祭司様がお嬢様にとてもよく似ておられたのです。たったいま、そのことに気づきまして」
そう、星見の塔。その足元から訪れたアルケナ神殿の神殿長様に、アナベルお嬢様は似ていたのだ。神殿長様は、お嬢様が歳をとるとこんな感じかな、という想像図にとても近い容姿をしていた。
アナベル様はぱちぱちと瞬きをした。
「もしかしてそれはアルケナ神殿ですか?」
「ご存知なのですか?」
塔の話題からすぐその単語が出てくることじたい、神殿の場所を知っている証拠だ。
「その方は私の母方の叔母ですわ」
「ええっ」
驚きとともに納得する。そりゃ似てるはずだ。
「神殿長様には大変お世話になりました。洗礼もしていただいたので」
「まあ!」
お嬢様が声をあげた。
「私も叔母様から洗礼を受けましたの。それなら私たち、兄弟になるのですわね」
「そんな恐れ多い」
「いいえ。アルセイネの民もずいぶん減ってしまいました。ここで親愛なる同胞に出会えたことを嬉しく思いますわ」
こんな中央貴族のご令嬢がアルケナ教徒だったとは驚きだが、たしかに教えが廃れてしまった今では教徒同士が出会うことも少ないのかもしれない。
アナベル様は眉を下げてふふ、と笑った。
「私、ひとりではありませんわね。さっきまで、私は誰にも必要とされない人間なのかと落ち込んでいたのですけど、こうして父と兄と、神様が遣わして下さった兄弟と冒険者さんたちがいて、助けてくださって。とても恵まれていますわね」
「はい。私たちは皆、お嬢様やご家族のお力になりたいと思っていますよ」
これは本音だと伝わるように、彼女の目をしっかりと見つめて答えた。
「ありがとう」
アナベルお嬢様ははにかんだ笑みを見せたあと、ふと窓の外を見た。もう真っ暗な空を。
「私ね、本当は王妃ではなくて外交官になりたいの。いろんな国を回って、今はバラバラになってしまった四国の人々の心をもう一度繋ぐお手伝いができたらいいと思って」
「アルセイネの民の願いですね」
「そうなのです。ですからまずは勇気を出して、メリッサと話をしてみようと思いますわ。お茶会にご招待したら来てくださるかしら」
本当に、しなやかで強い心を持ったお姫様だな。ちょっと胸を打たれてしまった。
「きっと来てくださいますよ。フリント伯爵令嬢のお好きなケーキをご用意しましょう」
「あの子はチョコレートのお菓子が好きよ」
即答で教えてくれた。小さい頃からの親友だもんな。
「かしこまりました」
うんと素敵なケーキを作ろう。女の子たちの友情がうまくいくように、願いを込めて。
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