#408 代官
ぽんぺ_(:3」∠)_
上層区と言っても立ち並ぶ構造体の質にそう差がある訳ではない。若干派手……いや、洗練されたデザインの広告が目立つのと、看板類があまりゴチャゴチャしてないくらいか。あとは何と言っても壁に落描きの類が無いのと、地面にゴミが落ちていないな。全体的に綺麗。
「上層区画と言うだけあって本当に小綺麗だよな。こういうのなんて言ったっけ……ああ、割れ窓理論?」
「割れ窓理論?」
「ガラスの割れた窓を放置しているとそこは誰も注意を払っていない場所だと思われて、やがて全ての窓が割られるとかなんとか。要は小綺麗さを保つことで誰かがその場所を汚すことを防ぐ、みたいな理論だったかな。誰だって最初の一歩を踏み出すのは勇気が要るだろ」
「なるほど。なんか昔統治論の勉強をしていた時にそんな記述があった気がするわ」
「統治論なんて勉強してたのか」
「貴族の娘だから多少はね」
そう言ってエルマが肩を竦めて見せる。考えてみればエルマは子爵家の娘だし、順当にどこかの貴族――それも領地を持っていたり任されていたりする貴族に嫁いだりした場合には領地の経営に携わる可能性もあったわけか。それならそういう教育を施されているのも当然なんだろうな。
「どんな知識も無駄にはならないもんだよな」
「何よ急に」
「俺も勉強しないとなぁって。日々精進だ」
「意味がわからないわね……向上心があるのは良いことだけど」
折角勉強したのに、傭兵生活を続けるんじゃ使い所が無いよなぁと思っただけなんだけどな。いずれエルマの知識を十全に活かすような場を整えるべきなのかね? 最終的には安全な惑星上の居住地に庭付きの一戸建てを手に入れられれば良いなと思っていたけど、もう少し目標を高く設定するべきか? このままだと嫁さんの数が最低でも六人ってことになりそうだしな。普通の一戸建てじゃ無理だな。豪邸だな。でなければ複数……それはもはや集落では?
「何か変なことを考えている時の顔をしているわね」
「どうして」
「もう付き合いも長いんだからわかるわよ……それよりほら、着いたわよ」
「ほう……ここか。なんだろうな、カクシキィーって効果音が聞こえてきそうだ」
「頭でも打った? それとも脳に例のキノコでも生えた?」
本気で心配そうな顔をするのはやめてほしい。いや、だって仕方ないだろ。無機質な構造体が林立しているようなコロニーの中に、突然赤レンガと鉄柵を組み合わせた塀に囲まれている庭付きの邸宅が現れたんだから。俺の目がおかしくなったのかと思ったわ。
「いや浮いてるだろ。明らかに周りから浮いてるだろうこれは。存在が反重力装置じゃん。なんだよあの青々とした芝生」
「イミテーションだと思うけどね」
「人工芝生かよ……」
「コロニー内で『生』の芝生とか無理よ。微生物コントロールがね……対処するとなると維持費がとんでもなくかかるらしいし」
「カネの問題かぁ……世知辛いな」
「準男爵だしね」
「準男爵という爵位の立場がどういうものなのかなんとなく理解できた気がする」
つまり、貴族の中でも一段下に見られるような地位と経済基盤しか持たない貴族なのだろう。
「準男爵相手に爵位について擦るとアレだから、話題に出さないようにね。センシティブな話題だから」
「了解」
こちらとしても余計な敵は作りたくないからな。そうさせてもらおう。
正面に見える古めかしい(ようにみえる)鉄柵の門に近づき、門番として立っている兵士に身分とアポイントメントを取っていることを伝えると、すぐに邸内へと案内された。
(なぁ、挨拶の際に気をつけることってあるか?)
(ヘルメットは取り外して左の脇に抱えて。あとは普通に話せば良いわ)
案内してくれる兵士の後ろに付いて歩きながら、ヘルメットの通信機能を使ってエルマと内緒話をする。
(この兵士、ゲートを守っていたのと同じマグネリ子爵の兵じゃないか?)
(装備が同じね。レイディアス準男爵の手勢も同じ装備で統一しているのかもしれないけど)
この声量であれば特別な対策でも取っていない限り俺達の会話は案内している兵士にも聞こえないだろう。通信を傍受でもしない限り。流石にそこまでやってるってことはないと思う。
「こちらです。お客様をお連れしました」
「入れ」
扉の中から聞こえた声は思った以上に若々しかった。そのことに「おや?」と疑問が浮かぶ。確か事前に調べた限りでは、レイディアス準男爵はそこそこお歳を召しているという話だったはずだが。
「ようこそ、ヒロ卿。そしてエルマ嬢。私はハルトムート・マグネリ。ギュンター・マグネリ子爵の長子で、マグネリ子爵家の嫡子だ。よろしく頼む」
俺とエルマを出迎えたのは俺と同じか、少し若いくらいの年齢に見える美男子だった。
なるほど、マグネリさん家のハルトムート君ね。なるほど?
「よっと……どうも、傭兵のキャプテン・ヒロだ。お会いできて光栄だが……レイディアス準男爵とアポイントメントを取った筈なんだが」
コンバットヘルメットを取り外し、左の小脇に抱えつつ疑問を口にすると、ハルトムートは頷きつつ口を開いた。
「すまないな。ファビアン卿は体調不良により今朝方リーメイ星系の代官の任を解かれ、その代わりに私が代官として就任したのだ。父の命でな。ヒロ卿が面会を取り付けたのは彼の任が解かれる前だったので、こうして行き違いが発生したわけだが……代官との面会という意味では何一つ変わることはないので、どうか了承して頂きたい」
「承知した。それで、面会の目的なんだが……」
ちらりとエルマに視線を向けると、エルマは何も言わず肩を竦めてみせた。良いから言えという意味か? まぁ当たって砕けるしかないよな。俺には貴族同士の交渉に役立つような話術があるわけでもなし。単刀直入にいこう。
「私用で下層区のちょっと治安のよろしくない場所に足を踏み入れる可能性が高くてな。何かしらのトラブルが起こった際に『お騒がせ』するかもしれないから事前に挨拶をと思って訪ねたんだ」
「……ヒロ卿は私に私が治める領地の民を斬り殺す赦免状でも発行しろと仰るのか?」
「俺を血に飢えた人斬りか何かと勘違いしてないか……? 襲われたら反撃するから、その点はよろしくってだけの話だぞ? 別に治安の悪い場所に入り込んで目に入った奴を片っ端から真っ二つにしますってわけじゃない」
眉間に皺を寄せて敵意を滲ませるハルトムートに苦笑いをしながら反論する。何事も起こらなければ良いんだが、何かが起こった時に事前に話を通しておけば余計なトラブルを避けられるだろうという配慮なんだが。
「申し訳ない。貴方に関する噂はなんというか……勇猛なものが多くて」
「どんな噂が広がっているのか調べたくなってきた……」
「やめときなさい。言いたい奴には言わせておけば良いのよ」
頭を抱える俺にエルマが忠告してくる。忠告をしてくるってことはエルマはある程度把握しているのか。あとでやんわりと教えてもらおう。やんわりと。
「まぁコロニーの状況に関しては俺も承知しているから、あまり迷惑をかけないようにしはしたいんだがな。ただ、俺はどうにもトラブルに巻き込まれ気味で……」
「理解した。事前に話を通して頂けることに感謝する。兵と治安維持要員には最大限の配慮をするように通達しておく」
「ご配慮痛み入るよ。代わりといっちゃなんだが、アレイン星系から運んできた医療物資があるから、適正価格で提供させてもらう。うちの母艦に積んできただけだから然程の量は無いが、一助になれば幸いだ」
「有り難い。商人どもはここぞとばかりに値を吊り上げてきているようでな」
「後で目録を送るよ」
無料で譲るのではなく、適正価格で提供するのは貸し借りを作らないためだ。無償で譲って貸しを作るという案もあったのだが、貴族相手に貸し借りを作ると結局面倒だから、後腐れの無いように適正価格で譲ったほうが良いだろうということになった。ハルトムートの反応を見る限り、俺達の選択は間違ってはいなかったらしい。
俺はコロニーでの行動について配慮してもらう。あちらは吊り上げなしの適正価格で医療物資を手に入れられる。これでフェアな取引というわけだ。
「このコロニーにはどの程度の滞在を見込んでいるのだろうか?」
「そんなに長期間ってことにはならないと思う。仕事をするのにも向かないしな」
パンデミック下のコロニーは入港はともかく、検疫のせいで出港にかかる手間があまりにも大きい。高騰している医療物資を運んでくる商船を狙った宙賊も増えているのだろうが、出入りする度に大きな手間と時間がかかるのでは割に合わない。
「そうか……滞在している間に卿の腕を見込んで頼み事をするかもしれない、その時は――」
「傭兵ギルドを通してくれれば考慮する。ただ、依頼を受けるかどうかは条件次第だからな」
「承知した。あまり吹っかけてないでくれると有り難いな」
「腕の安売りはできないんで、それはあまり期待せんでくれ」
プラチナランカーの腕を安売りすると他のプラチナランカーに迷惑がかかるからな。結果として他のプラチナランカーに絡まれでもしたら絶対に面倒なので、安売りはしないぞ。絶対に。




