三.
「『炎弾』!」
一人の男子生徒が叫んだ。
それに反応して、手に持つ呪符から炎の弾が放たれる。しかしその炎の弾はかざされた呪符より二、三メートルの距離を走った後、空中で消えてしまった。
今のは『炎弾』という術で、炎の塊を飛ばして攻撃する初歩の陰陽術の一つだ。
「はいはい! うなだれる前にもっと意識を集中すること! 次!」
悔しがる男子生徒の背中を叩きながら、白い陰陽装を着た女性が声を張り上げている。その背中には赤い八卦印、上級陰陽師の証だ。
陰陽師養成学校の教師陣は、全員が上級陰陽師で構成されている。今、符術を教えている女性もこの学校の教師で名前を神崎美奈子といった。
俺も一、二年生の時に符術の授業ではお世話になった先生だ。
男勝りの言動だが、教え方は丁寧な人である。
残念ながら、三年生の担当からは外れているので、姿を見たのは今年度になって初めてだ。
俺は、ハキハキと指導している神崎先生の姿を、上から見下ろす形で眺めていた。
今、俺がいるのは第二訓練所。その二階だ
この訓練所という施設を一般的な学校の施設に例えるなら、体育館が一番近いだろう。ワックスの効いたフローリングの床、木造りの壁に白い扉はまさに体育館のそれだ。しかし一般的な体育館と明らかに違う点といえば、壁や床になにかが爆発したような黒い焦げ跡やそれにともなってできたであろうへこみ、破壊痕が見てとれる点である。
訓練所の二階は四方に座席が設けてあり、観客席のようになっている。
俺はその最前列に座って、授業の様子を眺めていた。
なぜ一年生の授業を眺めているかというと、それにはちゃんとした理由がある。
綾奈と約束をしたからだ。
朝、登校時に怒らせてしまったので、学校に着いた後にメールで謝った。
すると、「許す代わりに符術の授業を見に来て!」という返信がきた。
午前中はどうせ暇だったので、了承したというわけだ。
さてその授業の内容だが――、
今、第二訓練所の壁際にまだ真新しい制服を着た今年の一年生たちが集まっている。
その全員が緊張した面持ちで手に呪符を持ち、それをじっくりと見ていた。初々しい反応だ。
俺も一年生の時はあんな感じだったのかもしれないな。
澪月院では、最初の一ヶ月は基礎知識を教える。主に座学が基本で例外的に「霊視」の実習を行う。
符術の実習が始まったのは最近のはずだ。
一年生たちが、次々と神崎先生の指示で設置されたラインに立つ。
そしてそのラインから十メートルほどの距離を空けたところにある的に向かって『炎弾』を撃っている。
的は弓道などに使われる丸いもので、直径が五十センチくらい。足が付いていて高さは地面から一・五メートルくらいに設定されているみたいだった。
その的に向かって一人ずつ『炎弾』を発現させているが、今のところ誰一人として的に術が届いていない。
それどころか、まともに術が発現している生徒の方が少なかった。
初めての実習だとすると、たいていがこんなもんだけど。
一番よかったのが、先ほど二、三メートル術をとばしていた男子生徒だ。親が陰陽師なのかもしれない。符術の使い方に練習の跡が見られた。
符術というのは陰陽師が使う術の中の一つだ。
通常、陰陽師の術は大きく三つに分類されている。
攻撃用の術「討術」、防御用の「護術」、そして呪符を使う「符術」の三つだ。この三つの術を総称して「陰陽術」と呼ぶ。
この三つの術の中で、陰陽師に最も使用されているのが符術だ。だが、この言い方は少々語弊がある。
正確には、符術を使えば、討術も護術も使っているようなものなのだ。
例を挙げれば、この授業で符術『炎弾』が使われているが、この『炎弾』という術は討術にも存在する。
どちらも同じく炎の弾を発現させる術だ。
では、討術と符術でなにが違うかというと、前者は呪文を唱える必要があり、後者はその必要がないという点だった。
陰陽師は、自身が持つ「呪力」を使って術を発現させる。その際に、「言霊」と呼ばれる呪文を唱え、術の発現を促すのだ。それが討術、または護術の場合必要となる。
だが符術の場合は、それが必要ない。呪文詠唱の代わりに呪符を使うからだ。
呪符には、元より術を行使するために必要な呪力が込められている。よって、それだけの呪力を使う技量さえあれば術を発現することは可能だ。
ではどちらの術が優れているのか。
こういった時、必ず出てくる疑問であるが、それは議論するだけ不毛というものだ。
どちらにも利点があり、欠点がある。そういうものなのだ。
前者の場合、術者の呪力が高ければ威力は増していく。しかし、術によっては、呪文詠唱の隙が大きくなってしまう。
後者では、呪符を使うため隙は少ないが、その分、呪符に込められた呪力の分しか威力が出ない。そして、呪符は一回のみの使いきりだ。なくなればもう使えない。
どちらを使うかは、人それぞれ好みの問題だった。
ちなみに俺は符術派だ。しかし、それほど頻繁に使用するほどでもない。
あくまで刀での戦闘をメインに据えている俺にとって、術はその補助として使えればいいという考えだった。
「はい、次!」
神崎先生の声が第二訓練所に響く。しかしほとんどの生徒が一巡目を終了しているようだ。個々に顔を見合わせて、あと残っている生徒を探している。
「あ、私? はーい!」
その生徒たちのざわめきを聞いて、初めて自分の番が回ってきたことに気づいたのか、少し間の抜けた様子の女生徒の声がした。
それは、俺のよく知っている声だった。
その声がした瞬間、生徒たちでできた人垣が半分に割れた。その女子生徒を通すための道が切り開かれる。
その道の向こうに立っているのは――綾奈だ。
うん……なんというかすごく予想通りの展開だ。そしてものすごく嫌な予感がする。いや、でもさすがに授業中に……そんな……。
指定の位置に着くまでに綾奈はチラリが俺の方を見た。そして、綾奈はニヤリと笑う。あれはなにか思いついた時の笑顔だ。……しかも主にイタズラを。
あの笑顔を見ると、もう嫌な予感しかしない。できればこの場からいますぐに立ち去りたいくらいだ。
綾奈が指定の位置に立ち、呪符を構えた。ここまではなんの問題もない。自然な流れだ。あとは術名を唱えるだけ、綾奈にとっては朝飯前のことだ。
しかし、綾奈はなかなかそれを行わない。呪符を持った右手を体の正面に掲げたまま動かない。
いや、違う……微かに動いている部分がある。
それは、綾奈の口元だ。なにやらブツブツと……。
――ってまずい!
「綾奈! やめ――」
俺が、綾奈のしようとすることに気がついて制止をかけたのと、綾奈の呪文詠唱が完了したのは同時だった。
「消しとべ! 『轟魔炎』!」
綾奈の言霊にのせて発現した炎の勢いは、先ほどまで生徒たちが放っていた出来損ないの『炎弾』とは比べ物にならないものだった。
『炎弾』のように弾ではなく、対象に向かって一直線に伸びる炎の柱が、氾濫時の河川さながらに大きくうねりながら、弱々しく立っている的を飲み込んだ。そしてその勢いを弱めることなく、訓練所の壁にまで到達し、爆ぜた。
耳をつんざくような爆音の後、燃え上がった炎は収束していった。あとに残ったのは静寂だ。
脚さえも文字通り消し炭になった的。それを見て、あんぐりと口を開けたまま固まる生徒たち。さすがの神崎先生の顔もひきつっている。
それらの視線の先で、悠然と、そしてドヤ顔で立ち誇る綾奈が、俺に向けてピースサインを送る。
「この……大バカ!」
俺は大声で叫んだ。
……頭が痛くなってきた。
俺が目を押さえて天を仰ぐのと、焼け焦げながらも、なんとか形を保っていた訓練所の壁の一部が崩れ落ちたのは、ほぼ同時だった。




