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鬼譚―陰陽記―  作者: こ~すけ
第四章 守るべきもの
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七.

「総真!」

 名前を呼ばれて気がついた。綾奈が心配そうな顔で俺を見ている。……あぁ、帰ってきたんだ、俺自身の体に。

 いつの間にか、俺は片膝をついた状態で座っていた。ポタッと雫が手に落ちた。それで俺は、自分が泣いていることが分かった。

 視線を動かす。智也が怒りの表情で俺を睨みつけている。

 俺は、スッと立ち上がった。痛んでいた体が嘘のように軽い。その動作を見て、智也が踏み出しかけた足を止めた。俺の様子がおかしいことに気がついたのだろう。警戒しているようだ。

 俺は右手に握った『童子切』を見た。『童子切』は、あの薄緑の光を放っている。俺は、自分のやるべきことを理解していた。自分が何者なのかも。あの記憶から帰ってくると共に、俺の頭には、他の記憶も焼き付いていた。この『童子切』が教えてくれたのだ。

 俺は、『童子切』の刀身を横向きにして目の前に掲げた。そして、為すべきことを為すための言葉を叫んだ。

「『人体(じんたい)鬼化(きか)』!」

 明華が鬼化した時とは異なり、俺の体を『童子切』から伸びた薄緑の光が覆っていく。それに合わせて俺は目を閉じた。それでも光が体の周りを取り巻いているのが分かった。激しく螺旋状に回転している光の流れが収まっていくと共に、自分の体に力が溢れていくのを感じた。さらに額がぐっと内側から盛り上がるような感覚が走る。思わず手で触れてみると、そこには明華や智也と同じ角が生えていた。角は固い手触りだが、表面は引っ掛かりもなく滑らかだ。その形状だが、先の二人とは少し違うようだ。角が途中で二股に分かれている。ちょうど東洋の龍の角に似た形状だ。

 こんな風に自分の変化を把握できるほどにオレは落ち着いていた。しかし、決して周囲のことから気を抜いているわけではない。

 智也と綾奈がオレを見て驚いているのがよく分かる。驚き方からすれば、いろいろと事情を知っている智也の方が上かもしれないな。

 そんな予想を立てながら、オレは顔を上げて智也を見た。

「総真……お前……それはなんだ?」

 智也が絞り出すような声で尋ねてくる。それも仕方ないだろう。すでにすべての事情を知っているオレは、智也に向かって静かに口を開いた。

「久しいな、チヤ。いや……今は智也というんだったか? まぁ、どんな名前にしようがお前が下賤な輩だというのには変わりないが」

 オレの高圧的な口調に、智也はたじろぐ。

「その二重(ふたえ)の黒角、金眼……そして、『童子切』との完全同調……なぜだ……お前は十七年前にオレが殺したはずなのに」

 その言葉に、オレは勤めて冷静に返した。

「お前の言う通りだ。……アトはあの場で死んだ。オレは総真だよ」

「お前が総真だと? ……そうか、あの時の赤ん坊か。酒呑童子! 貴様、『()(こん)転生(てんせい)』を使ったな!」

「ご明察だ。あの時、アトの命は幾ばくもなかった。そして、同時に赤ん坊だった総真の命もな。だから二つを一つに合わせた。アトの魂と総真の魂を練生させ、総真を生かした。……それが(かず)()早苗(さなえ)、オレの両親との約束だったからな」

 山代一馬、山代早苗、名前だけ知っていた両親の顔が、オレの脳裏に浮かぶ。両親が残した思いを、アト――酒呑童子が守ってくれたのだ。

 あの夢で見た光景の後で、禁術『鬼魂転生』を使い、オレを生かした。ただ、総真とアトは魂レベルで融合している。そのため、オレは総真であり、アトでもある。つまり学生陰陽師でありがながら、武神と呼ばれた『鬼』、酒呑童子でもあるのだ。

 普段は人間である総真の人格が十割を占めているが、鬼化した場合、何割かはアトだったころの人格が混ざってしまうみたいだ。高圧的な喋り方もそれが原因だ。

「……総真?」

 すぐ足元で、綾奈が呟くようにオレに声をかけてきた。可哀そうに……体が震えている。まぁ、この変わりようだからな、無理はない。

 智也にも気を配りつつ、オレは綾奈に目を向ける。

「綾奈、大丈夫か?」

 綾奈が落ち着けるように、優しい声色で、そして微笑みを浮かべて問いかける。

「う、うん……」

 そんなオレを綾奈が呆けたように見つめる。驚き一辺倒だった頬に、少し赤みがさした。

「そうか、ならいい。……綾奈、安心してくれ。オレはお前の知っている総真だよ」

 予想通りの綾奈の反応に頷きつつ、オレはさらに甘い声で綾奈を落ち着かせようとする。

 ……ちょっと待ってくれ。なにかがおかしい。

 そんなオレに、オレの中の総真の魂が、ストップをかける。

 ……なんでこんなに女性の扱いに手慣れた感じになってるんだ? 

 困惑する総真の魂に、今度はアトの魂――ややこしいので、総真の魂を総真、アトの魂をアトとしよう――が語りかける。オレの中に二つの魂が同居している状態だ。

 イメージとしては、総真は当然オレ自身。アトの方は、生前の人間体だ。アトの面立ちはとても端正で、流麗なもの。くしゃくしゃで伸ばすに任せた金髪が妙に似合っている。そして魂となってもどこか威厳のある風格を備えていた。

 ――当たり前だ。オレは元々鬼の王族の一人だぞ。手籠めにした女の数なんて覚えていないくらいだ。こんな子供を籠絡するくらい朝飯前というより、寝起きの欠伸にしか相当しない。

 アトが自慢げに言う。とにかくそういうことらしい。まだ総真の方がなにか言っているが、綾奈を待たせるわけにはいかないので、これは無視だ。

「怖いか? オレが。こんな風に角が生えたオレは嫌か?」

 綾奈をじっと見つめながら言う。この時、少しだけ辛そうな顔をすることも忘れないようにする。すると、

「う、うぅん……怖くない。そ、総真は総真だもん!」

 急くようにして綾奈が言う。辛そうな表情が功を奏したようだ。次は、また微笑みを浮かべて、頭に手を置いてやる。

「ありがとう、綾奈。なら、オレも頑張れる。お前はオレのすべてだから」

「す、すす、すべ、すべて!?」

 ぼっと顔から火が出そうな勢いで、綾奈の顔が真っ赤に染まる。あぅあぅと言葉にならない言葉を発した後、オーバーヒートしたようにうつむいてしまった。……少しやりすぎたか……まぁいい。これでもう一つのことに集中できるから。

 オレは改めて智也の方へと向き直る。

「女の子と話している間は大人しくしているなんて、意外と空気が読めるじゃないか」

「けっ……その歯が浮くセリフを聞いてると、斬りかかる気もなくしただけだ」

「いいセリフだと思ったんだが……」

 オレはそう言いながら右手に持った『童子切』を軽く振るう。それだけで、空気が渦巻く。『童子切』を持ったのは初めてなのに、手に馴染む。それにこの感触を懐かしいと思うのもアトがいるからだろう。

「来い……智也。決着をつけよう」

 オレの一言が合図となって、ピンッと再び空気が張りつめる。オレは特に構えをとらず、ゆったりと自然体のままでいる。一方の智也は、脇差を体の正面に構えてタイミングを計っているように思えた。

 呼吸を整える。一つ息を吐くごとに、相対する智也との因果が思い出される。

 ――両親が殺され、オレ自身も死にかけ、アトもやられた。そして、十七年の月日が流れて、オレ達は再開した。そこでもオレと綾奈を騙し、明華を操り、そして今日、再びオレを殺そうとした。……よくもまぁ、ここまで縁があったものだ。だが、それを今、ここで断ち切る。

 グッと足に力を込めた。普段とは比べ物にならないほどの力が地面に伝わっているのが分かった。そのまま地面を思いっきり蹴る。グンッと、通常では考えられない速度で体が加速し、智也との距離が一気に縮まる。

 智也は脇差を構えたまま微動だにしない。なにか思惑があるのかもしれない。しかし、そんなことは今のオレには関係なかった。思惑があるのなら、その思惑ごと斬り捨てる気だったからだ。

 右手の『童子切』を智也に向かって振り下ろす。

 渾身の一撃が、智也の体を斬り裂いたかに見えた。

 しかし、智也は『童子切』をギリギリまで引きつけ、その軌道を見切って体を捻る。と同時に右手の脇差で『童子切』の軌道を逸らそうとした。だが、それはあまりに無謀で、『童子切』は、脇差ごと智也の右手を斬り飛ばした。

「ぐ……っ……!」

 腕から鮮血をほとばしらせ、苦悶の表情を浮かべながらも、智也は次の行動に移っていた。たぶん右手がこうなることは覚悟していたのだろう。その経験から自分とオレとの実力が逆転したのを悟り、右手を捨てたのだ。まさに肉を切らせて骨を断つ戦法だ。

 智也は体を回転させて、残った左手を開くと、掌底を繰り出すように、オレに向けて叩きつける。狙いはオレの右脇腹。『童子切』を振り切ったオレの体勢を見ると、一番隙の大きなところだ。

 智也の左手が、オレの脇腹に触れる。そして、智也が叫んだ。

「『鬼哭(きこく)』!」

 破術『鬼哭』、衝撃波を放ち、物体を破壊する『鬼人』の術だ。人間に使えば、その衝撃は内部に伝わり、内臓などの重要器官を破壊する。……ただし、発動すればだが。

 智也の捨て身の一撃が発動するより早く、オレが逆手に持ち替えた『童子切』が智也の左手をも切断していた。

 落とされた左手を見て、智也は顔を歪ませた。苦痛で歪ませたわけではないのだろう。たぶん自分の捨て身の戦法でさえ、あっさりと跳ね除けられたという現実を見せつけられたからだ。それでもなお、次の一撃を躱そうとバックステップをする。その行動からもやはり智也の実力の高さと、決してあきらめないという精神力の高さがうかがえる。

 だが、智也がバックステップの動き出しを始めた時には、すでにオレは次の一閃を智也に振り下ろしていた。

 智也の左肩から袈裟に入った『童子切』が、その体を抜けた後、真っ赤な血を飛び散らせた。

 斬られたことを自覚しながらも、自身のバックステップを止めることができなかった智也がそのままたたらを踏んだように後退し、そして天を仰ぐようにして倒れた。

 オレの手に両親の仇を、そして今日まで友と呼んでいたものを斬った感覚が残っている。

 ――やっと……終わったよ、一馬、早苗。

 心の中でアトが感慨深げに呟いた。十七年の時を超えて仇を討ったのだ。その思いもひとしおだろう。

 ――と、智也……智也!

 その一方で、総真が叫ぶ。裏切られていたとしても総真にとっては友なのだ。こちらの思いも分かる。

 ――総真、こいつはお前の両親の仇だ。なぜそんなに必死で叫ぶ?

 ――それは分かってる! けど……俺にとっては親友なんだよ! 裏切られても……俺には……。

 心の中で二つの魂が語り合う。総真の思いを聞いたアトが、ふっとため息をついた。

 ――総真、お前のそういうところは一馬、お前の父親に似ているな。あいつもオレのような異端のものを快く受け入れ、そして家族として扱ってくれた。やはりお前は、一馬と早苗の息子だよ。

 ――アト……。

 ……いいだろう。またオレはしばらく眠るとしよう。お前に力が必要な時、また呼ぶといい。

 心の中での話し合いが終わった。その結果を受けて、オレは『童子切』を地面に突き刺すと手を離した。すると、オレの体を纏っていた薄緑の光が『童子切』に吸い込まれていく。その光がすべて消えると、喧騒が続いていた神社の境内はやっと静かになった。

 その静寂の中、残ったのは立ち尽くす俺と、座り込んだ綾奈、そして倒れて動かない智也だ。

「智也!」

 俺は倒れ込んだ智也に駆け寄る。智也は薄く目を開けた状態で、空を見上げていた。微かに胸が上下していることから、まだ息があることが分かった。

「智也!」

 俺はその体のわきに座り込むと、もう一度その名前を呼んだ。薄く開いたまぶたの奥で、光を失いかけた瞳が俺の方を見た。

「総真!」

 綾奈が走り寄ってきた。俺の隣に座ると、少し複雑な表情で智也を見る。しかしすぐに目を逸らせてしまう。その体の状態が直視に耐えないものだったからだろう。

「そ…うま……ぐふっ……」

「喋らなくていい……そのまま大人しくしてろ。すぐ治癒術使える人を呼ぶから」

「いら……ない……」

 口角から血の(あぶく)を噴き出しながら弱々しく智也が言葉を紡ぐ。もう自分の体が持たないことは分かっているみたいだった。しかし、それを俺は否定する。

「ダメだ! まだ治療すれば……!」

 智也は一度目を閉じると、首を微かに横に振る。そしてもう一度目を薄く開けた。

「いい……総真……お前の勝ち、だ……」

「勝ち負けなんてもういい! 今は自分のことを考えろ!」

「……お前、は……甘いな……」

 智也の口元に小さく笑みが浮かぶ。そんな智也に俺は思いっきり叫ぶ。

「うるさい! お前はたしかに敵だよ! 俺の両親の仇で、俺や綾奈を騙して、明華を操って! お前は最低なやつだよ! ……だけどな、お前は俺の親友だ! お前が俺のことをどう思おうと、俺はそう思ってきたんだ! 今さら変えられるかよ!」

 その言葉に智也の目が少しだけ大きく開かれる。

 ……あぁ、そうだ。裏切られた。そして生涯二回も殺されかけた相手を親友と呼ぼうとする俺は甘ちゃんだ。けど、それでも俺には失いたくないものがある。

「……親友、か。……そんなもの……幻想だ……すべて……騙していた、のに」

 しかし俺の思いを否定するように智也がぽつりと漏らした。

「……っ」

 智也の言葉に俺は顔をしかめた。やはり智也にとってはその程度のことだったのか。自然に顔を伏せてしまう。

「……だが」

 一拍後、智也が言葉を続ける。ハッとして俺は顔を上げた。

「……あの……明華の、料理…………あれだけは本当に……まずかった、な」

 ニヤッと、いつもの智也らしい笑みを浮かべている。まるで、同窓会で思い出を語るように……それこそずっと離れていた旧友と昔を懐かしむように……俺ではなく遠くを見て……。

「智也」

 もう一度俺は智也の名前を呼んだ。しかし、それに智也が反応することはなかった。智也は笑みを浮かべたまま……逝っていた。智也らしく、俺のことを嘲笑うかのようにして、いつの間にか……。

「総真……」

 横から綾奈が声をかけてくる。上目遣いで、心配そうな表情で俺を見つめていた。

 俺は思わずその体をグッと抱き寄せた。

「ひゃっ……そ、総真!?」

 綾奈は俺の突然の行動に驚いたように身を固める。が、すぐにその体を弛緩させ、俺に身をあずけてきた。

 柔らかく温かな感覚が俺に伝わる。その温かさが俺を安心させてくれた。

 今日、俺は多くのもの失った。

 恋人も親友も、そしてたぶんこれから先にあったはずの平穏な日常さえも……。

 ただその中で、たった一つだけ確実に守れたものがある。今、腕の中にあるその感触をしっかりと確かめた。

「総真……少し苦しい、よ」

「……あ、ごめん」

 胸の辺りから綾奈の声が聞こえた。本当に少し苦しそうだ。けど俺は、少し力を緩めただけでまだその小柄な体を放さない。まだ、もう少し……。

 ――もう少しだけ、この温かさをしっかりと感じておきたかったから。


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