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鬼譚―陰陽記―  作者: こ~すけ
第四章 守るべきもの
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六.

「……終わった」

 実感を持てぬまま呟く。ふっと一息ついた後、綾奈が倒れている場所に視線を移す。すると、綾奈がゆっくりではあるが、上体を起こそうとしていた。気がついたのだ。

「綾奈!」

 俺が声をかけると、両手で支えながら上体を起こした綾奈がこちらを向く。その視線は、俺とそこから少し離れた所の炎を捉えているようだった。たぶん綾奈にもその炎の意味が分かったのだと思う。

 綾奈が目を細めて俺を見る。俺は、無言で首を横に振った。それだけでこの状況のほぼすべてが伝わったはずだ。悲しげに綾奈は顔を伏せた。

 俺は、そんな綾奈のそばに行こうと、二、三歩歩き出した。自分のしたことの実感はまだ完全には湧いていないが、出足は重い。

 綾奈が顔を上げる。

 ――そんな悲しい顔するな。そう言うつもりで、俺は口を開きかけた。しかし、それより早く綾奈が口を開いた。

「総真、後ろ!」

 ハッとして振り返る。振り返った視線の先で、燃え上がっていた炎が消し飛ぶのが見えた。――まさか! そう思った時には、目の前に黒い影が迫っていた。とっさに俺は手に持つ刀を横向きに掲げる。

 その刀めがけて、上方から薄い緑の光のようなものを纏った『童子切』が振り下ろされた。

 受け止めた! そう感じた次の瞬間、俺の見ている景色がスローモーションのようにゆっくりと動いているのに気がつく。映像のコマ送りのように、場面がじわりじわりと変わっていく。今、俺の刀と、さっきまでなかった薄緑の光を纏う『童子切』が交わる。その二つの刀の向こうでは、憤怒の表情を浮かべた智也が、明華と同じ真紅の瞳と赤みがかった二本の角を携えていた。ついさっき与えた胸の傷は塞がっていて、術の痕跡は破れた制服にしか見ることができない。

 ――『人体(じんたい)鬼化(きか)』か。あの炎に巻かれる瞬間、智也が言っていた言葉は、自身の能力解放のための呪文だったのだろう。この圧縮された時の中でも、智也の力が圧倒的に向上しているのが分かる。それに加えて傷も回復されてはお手上げだ。……俺の負けか。

 そう悟ったのは、正しかった。今ゆっくりと、俺の目の前で智也の『童子切』が俺の刀を両断している。少しだけ軌道を逸らすことができたが、『童子切』の切っ先は、確実に俺を捉えていた。

 俺の左肩から右のわき腹に向けて、袈裟に刃が走った。刃が体を抜けた後、圧縮されていた時間が元に戻る。

「……かはっ」

 少し前、肩に掠めた時とは比べ物にならないほどの激痛が、体を駆け抜けた。体内は焼け串をあてられたように熱く、体の表面には温かい血が流れていく。

「総真!」

 遠くで綾奈が叫んでいるのが聞こえる。なんとか綾奈の方を向こうと、体を捻るが、バランスを崩してそのまま倒れ込む。固い地面に受け身も取らずに倒れたため、本当は痛いはずなのに、それを感じない。ただ、地面はとても冷たかった。

「……まさか、『人体鬼化』を使わされるとはな。恐れ入ったよ、総真」

 頭の上から智也の声が降ってきた。今までのように、人を小馬鹿にしたような明るい調子ではなく、冷めた口調だった。

「だがここまでだ……オレの勝ちだな」

 智也の勝利宣言が聞こえる。

「総真! 総真!」

 それに被るようにして、綾奈が俺の名前を呼んでいる。だが、返事もできない。……綾奈、ごめん。

 まぶたが重くなっていく。意識が闇へと誘われているように感じた。しかしそれに抗う力が俺にはもう残されていない。……寒い、体が凍えていく。

「……約束通り、月神のお嬢様は生かしてやる」

 そうか、そんな約束してたっけ。智也の言葉を聞きながら、俺は停止しかけの頭で考える。綾奈が助かるのか……そうか、よかった。

「が、お嬢様はオレたちの世界に連れて帰らせてもらおう」

 ぴくっと俺の体が反応した。聞き捨てならない言葉が聞こえたからだ。……連れて帰る、だと? 綾奈を……明華が通って行った門の向こうに。

「ふ、ふ……ざけ…る」

 口の中に溜まった血反吐を吐きだしながら、俺は必死に言う。

「ふざけているのはお前の方だ、総真。敗者はすべてを奪われる。大切なものも、己の命さえな」

 智也はそう言うと、俺に背を向けて歩き出す。まだ動けない綾奈に向かって。

「ま……て……」

「お前はそこで見ていろ。そして、絶望したまま死んでいけ。お前はなにも守れなかったんだ」

 智也は歩みを止めない。俺はそんな智也の背中に右手を伸ばす。しかし、弱々しく伸びた手が掴むのは、虚空ばかりだ。

 綾奈が、「来ないで!」と叫びながら後ずさる。だが、体を起こせない以上、すぐに捕まってしまうだろう。

 ……俺は、守れないのか? 家族も、愛する人もなに一つ守れないのか? また(、、)、すべてを失うのか? あの時のように……。

 俺の視界がぶれる。時折、目の前の光景だけでなく、別の光景がテレビのチャンネルを変えるように映り込む。

 それは……夢で見たあの日の光景。伸ばす右手があの時と重なる。虚空を掴む動作も同じだ。視界の切り替わりがさらに早くなっていく。すでに別々の光景ではなく、同じ光景に見える。燃え上がる神社と暗い中、静かにたたずむ神社。そこで斬り伏せられた男性の上級陰陽師と綾奈。そして、その二人の傍らに立つ、同じ人物。

 片方は『童子切』を拾い上げ、片方は綾奈を捕らえるめに『童子切』を地面に置く。

 ――智也、お前はまた奪うのか。俺の、オレの大切なものを!

 心の底から感じる怒りが体を動かす。死に向かうだけだった体が地面から離れて起き上がっていく。

「……守る……今度こそ」

 一歩踏み出す。その動作だけで倒れてしまいそうになる体をなんとか保たせる。また一歩踏み出す。暴れる綾奈を押さえつけるのに集中しているのか、智也は俺に気づかない。すでに死んだものと思って注意を払っていないのだろう。

「まだだ……俺は、まだ……オレは」

 守るべきものがある。そう思うと、足が前に出る。ゆっくりだった歩調も速くなり、最後には駆け出す。そして――、

「うおおおお!」

 全身の力を込めて智也への体当たりを敢行した。

 叫び声を聞いて、智也がハッとして俺の方を見た。その表情は、なにが起こっているのか分からないという感じで、唖然として俺のことを見ていた。理解できないことが起こると、動きを止めてしまうのは、人も『鬼人(おにびと)』も同じらしい。さらにそこへ、抵抗していた綾奈の蹴りが入った。偶然の産物だろうが、それで智也の体勢が崩れた。おかげで、『童子切』を拾い損ねてくれる。そして、もう一度拾おうとする前に、俺が体ごと思いっきりぶつかった。

 ドンッという衝撃と共に、俺は地面に倒れ込む。うつ伏せに倒れたものの、素早く顔だけは上げた。視線の先では、智也も吹っ飛ばされて地面に転がっていた。しかし、すぐに上体を起こして、距離を取る方向へ起き上がった。顔は怒りに満ちていた。歯を食いしばり、血走った目で俺を見る。

「総真ぁ……貴様、殺してやる!」

「総真!」

 すぐ隣に綾奈がいる。俺は綾奈の方を見た――が、すぐに視線を戻した。まだ倒れたままの綾奈は、さっきの蹴りの影響か、スカートが乱れている。あらわになった白い太股の向こうには、これまた白い……ダメだ、血を流し過ぎた。それがなにか考えると、死ぬ! 

 俺はその魅惑の物体を頭から追い出す。予想外の即死トラップに引っ掛かるところだった。しかし、そんなトラップがなくても、現実に死は迫る。智也が自分の倒れていた箇所にちょうど落ちていた脇差を拾ったのだ。俺が投げつけたやつがこんなところに……土壇場で運がない。

 だが、俺のそばにも必要なものは落ちていた。

 ――『童子切』だ。俺は、その太刀に手を伸ばす。持ったところで振れるかは分からない。けど、まだ守らないといけないものがあるんだ。

 俺の手が、『童子切』の柄を握った。その瞬間、俺の視界は、薄緑の光に包まれた――。


 視点が切り替わる。またあの夢の中の神社があった場所だ。しかし、今までと違うのは、俺が立っているということ。そして、神社は燃えておらず、穏やかな陽光を浴びているという点だ。

 視界が動く。これは前と同じで、俺の意志とは関係ない。たぶんまた誰かが見ていた光景を共有しているのだろう。

 動いた視界の先では、二人の人影が、鳥居をくぐって境内に入ってきたところだった。いや、女性の方は手に赤ん坊を抱いている。男性の方は、陰陽装を着ていた。

 それを見て、俺は思い当たった。……この人たち、あの夢の中で殺された人たちだ。みんな家族だったんだな……。

 寄り添うように歩く二人と、その腕の中の赤ん坊。とても仲睦ましい光景だ。この三人があんな最後を向かえるなんて信じられないほどに……。

 二人が俺の方へと歩いてくる。それを俺はじっと見つめていた。二人とも俺がいることに気づいているようで、男性は一度顔を上げると、赤ん坊をチラッと見て、恥ずかしそうに頬をかいた。齢は二十代後半くらいだろうか。初見の印象は、どこにでもいる青年といった感じだ。人が良さそうな笑顔を浮かべている。適度な長さでそろえられた黒髪ときちんと着こなした陰陽装から、真面目な性格が見てとれる。それに役職が上級陰陽師ということは、かなりの腕前を持っているはずだ。この笑顔からは想像できないけど。……あと一つ気になるのは、この男性をどこかで見た気がするのだ。夢の中ではなく、もっと別のところで……どこだろう? 思い出せない。

 一方の女性の方は、俺を見てこちらも柔和な笑みを浮かべながら小さく手を振っている。優しそうな人だ。明華や綾奈といったほどの跳び抜けた綺麗さや可愛さがあるわけではないが、どこか人を惹きつける顔つきだ。緩やかな風が吹き、肩下まである黒い髪が揺れている。その女性の手の中で、赤ん坊は眠っているようだ。安心しきった表情で母親に身をあずけている。――理想の家族。そんな言葉がこの三人にはよく似合う。

「ただいま」

 俺の目の前まで来ると、女性の方がそう言った。どうやら俺は留守番をしていたようだ。

「誰か来たか?」

 男性の方が問いかけてきた。顔の前に手が上がってきて、誰も来てないというゼスチャーをする。男性が頷きを返しているので、本当はなにか喋っているのだろう。

 視線が少し動く。今度は女性と赤ん坊を中心に捉えた。

「え、体? 大丈夫! 元気よ」

 女性がにこやかに答える。

「元気どころか、子供を産んでも体重があんまり落ちなくて焦ってるくらいだよ」

「うーるーさーいー」

 そう言って笑う男性をジト目で睨んで後、女性は再び俺の方を見た。

「ね、この子、抱いてみて」

 その言葉に、俺は一歩後退する。どうやら体の持ち主は焦っているようで、手を体の前でブンブン振っている。

「いいから。あなたに抱いてほしいの。お願い」

 しかし、女性はそんなこと気にもかけていない。俺は恐る恐る手を出していく。その手の上に小さな命が乗せられる。

「そ、首の下に手を回して……うん、そんな感じ。なかなか似合ってるわよ」

 女性が微笑む。その女性になにか言葉を返した後、視線が赤ん坊に向けられる。目を瞑って眠っている赤ん坊。小さく、儚い命……けど、たしかに生きている。

「言っていた通り、男の子よ。名前も決めたの。聞きたい?」

 頷くと、女性は満面の笑みで言った。

「名前は『総真』。総べての真実と書いて『総真』よ。いい名前でしょ?」

 ――総真? ……今、たしかに総真って……。

「『山代総真』か。我ながらセンスに溢れた名前だ」

「あなたの人生で一番のセンスかもね」

 俺の目の前で幸せそうに笑い合う二人。……山代総真。俺の名前……名字まで同じだ。こんな偶然あるだろうか。……もしかして、この二人はもしかして俺の――。

 また視線が下に向く。さっきまで眠っていた赤ん坊が、いつの間にか目を開いていた。まだ目は見えないはずだ。けど、赤ん坊はその小さな瞳で俺の方をしっかりと見て、笑った。

「見て、笑っているわ」

「本当だ! 俺にはまだ笑顔を見せてくれてないのに……」

 二人の会話を聞きながら、じっと赤ん坊を見つめる。総真……この子が山代総真か。

 赤ん坊は微笑んだ後、あくびをしてまた目を閉じた。

「ねぇ、アト。あなた気に入られたみたいよ」

 女性はくすくすと笑う。しかし、その笑いが治まると、一転真剣な表情になって言った。

「アト……いえ、武神『酒呑(しゅてん)童子(どうじ)』、どうかこの子を守ってあげてください。我が子の成長を見守ってやってください。お願いします」

「お願いします」

 女性が頭を下げると、その隣で男性も同じように頭を下げた。

 ――『酒呑童子』。聞いたことのない名前だった。一体、誰なんだ?

 だが、考える間もなく、また視界が薄緑の光に包まれていく。

 ま、待ってくれ! 俺は必死に叫んだ。まだ見ていたいんだ。この光景を、この二人を! だって……この二人はもしかしたら、俺の両親かもしれないんだ! いや……きっとそうだ。

 さっきこの男性をどこかで見たような気がしたのは間違いじゃなかった。やっと分かった。いつも見ているじゃないか。毎朝、鏡の中で――。

 そうだ、この男性は俺に似ているんだ。自分の面影があるから、どこかで見たような気がしたんだ。この人は、俺の……俺の父さんだ。そして、こっちが俺の母さん。

 ……初めてなんだよ、両親を見るのは! だから、だからもう少しだけ俺に……見せてくれよ! 二人の笑顔を! 本当の両親の生きているところを!

 しかし、その願いも空しく、光がすべてを覆ってしまう。男性も女性も、そして赤ん坊の姿も見えなくなった。


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