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鬼譚―陰陽記―  作者: こ~すけ
第四章 守るべきもの
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五.

 呼吸は落ち着いている。ショッピングモールで一度死の恐怖を味わったおかげかもしれない。重圧は感じるが、明華が正体を口にした時に比べればとても楽だ。

 今から命の取り合いをしようとしているのに、その方が楽というのは、我ながらどうかと思うが。

 さて、智也はどう出てくるか……。初手は俺から動く気はないため、待ちの一手だ。智也が動いた時、それがこの戦いの開始の合図になる。

 右手をギュッと握る。今、智也の方からは、半身になった俺の体の影となって見えていないはずだ。

 智也が、体の正面に構えていた刀をスッと下に下ろしていく。目を閉じ、タイミングを計っているようだ。

 ――――来い、智也!

 俺の心の叫びとほぼ同時に、智也の目が開き、俺へと突進してくる。月明かりに光る太刀『童子切』が、俺の命を刈り取ろうと迫ってくるようだ。

 刀身の長さでは敵わない。太刀は本来、馬上で使用するために作られたものだ。名前の語源ともいわれる「断ち」からも分かるように、一度斬られれば無事ではすまない。だが、その一度目を逸らせれば、なんとかなるかもしれない。長い武器は、えてして小回りが苦手なものだ。二度目が来る前に、俺が攻撃を繰り出せれば勝機はある。

 俺と智也の距離が縮まる。まだ動けない。もう少し引きつける必要がある、こいつを避けられないほどの距離まで。

 智也の出足はいつも見ていたのより速い。いままである程度、力を隠していたのだろう。だが、明華が鬼化(きか)した時とは違い、一瞬でトップスピードまで速度が高まることはない。あくまで人間の範疇の加速だ。それに、智也は俺と戦いたかったとは言ったが、俺と互角の勝負になるとは思っていないはずだ。自分の方が実力は上、という絶対の自信があるのだろう。その気持ちは、このフェイントの一つもない突進が物語っている。小細工なしでも俺に勝てると誇示しているのだ。

 なら、俺はそれを利用させてもらうしかない。残念だが、智也の考えは当たっている。だから俺は、遠慮なく小細工に走らせてもらうよ。

 俺は、さらに智也を引きつけた。狙いは相手の太刀が届くか、届かないかといった距離だ。その距離になるまで、そんなに遠くはない。あと四歩、三歩、二歩、一歩!

 ――今だ!

 俺は、狙った距離に智也の体が入った瞬間、 右手に隠し持っていた脇差を智也に向かって投げつけた。俺の初手は、いきなりだが相手のパクリ。智也が綾奈に向かってしたことを、今度は俺がさせてもらう。脇差は、さっき智也が綾奈を地面に下ろす際、一瞬俺から目を逸らせた隙に拾わせてもらった。

 これで賽は投げられた――正確には脇差を投げつけただが――あとは、出たとこ勝負だ。

 俺は、脇差を投げつけると共に、体を左前方へと移動させる。

 投げつけた脇差が、智也に向かって飛ぶ。スピードに乗って突進してきていた智也からすれば、カウンターを食らう形になったはずだ。

 智也は、脇差を躱すのは不可能と判断したようで、『童子切』でそれを弾いた。下からすくい上げられるように弾かれた脇差が、智也の後方へと飛んでいく。

 俺は、そこに間髪入れずに斬りかかる。脇差を囮に使って、初撃を躱した今、懐に入って攻めるしかない。

 俺は、右上から袈裟に斬りつける。それを智也が体を捻って躱した。そして今度は、捻った体の勢いを利用して、横薙ぎを放ってくる。流れるような反撃だ。今からバックステップをとっても間に合わないだろう。逆に、スピードに乗った『童子切』に、それこそ童のように斬られてしまう。

 だから、俺はとっさの判断で、一歩前に踏み出した。智也の腕に、体ごとぶつかる。回転する物体は、その中心部を止めてやれば、動きが止まる。ギリギリの判断だったが、それは功を奏したようだ。智也の横薙ぎを出だしで潰せた。

 智也と、文字通り目と鼻の先で向き合う。

「総真、さすがだ。やはりお前と戦いたいと感じた俺の直感は間違ってなかったらしい。俺は今、最高に楽しいぜ」

「あぁ……そいつはよかったな」

 体同士をぶつけ合っているため、互いに刀は振れない。なら、どうするか……答えは押し比べだ。この押し比べに負けた方が斬られる。

「初手で脇差を投げてくるとは、考えたな。だが、そいつを防がれて、もう打つ手がないんじゃないか?」

「くっ……」

 しかし、この押し比べは、俺にとって不利な勝負だ。体格が智也に劣るからだ。ジリジリと足が後ろに滑る。

「おいおい、もっと力を入れないとヤバいぜ」

「………………」

「はっ、押し合いに必死で声もまともに出せないか? その程度じゃ俺には勝てないぞ」

 智也の含み笑いの交った声が上から響く。顔は見えないが、あのニヤけ顔なのだろう。だが、そんなことは今どうでもいい。――集中しろ。押し合う力は今のまま、だけど次の一手の為に意識を割くんだ。

 俺は今、二つのことに意識を集中させる。一つは目の前の押し比べだ。これに簡単に負けてしまえば、斬られる。そうさせないためにも、必要なことだ。しかし、実際問題、少しずつ押し負けている。これこそ、俺が嫌ったパターンの典型、ジリ貧による力負けだ。だが、いくらそれを嫌ったとしても、このままだと遠からず押し切られるのは目に見えている。このままなにもしなければ負けるのだ。

 なら、重要なのは、次になにをするかだ。この押し比べには負ける。それはいい。負けることが分かっているからこそ、次の手が打てるのだ。押し比べは、すでに勝つためじゃなく次の手までの時間稼ぎ。そう割り切る。

 そして、もう一つ集中していること。それが次の一手だ。この次の手こそが俺の奥の手、綾奈にも見せたことがない俺の戦法。

「なにをブツブツ言っている。自分用の念仏かぁ?」

 智也がさらに力を入れてくる。俺の体が仰け反り、重心が後ろに傾く。その重心の変化にあえて逆らわず、俺はバックステップを行う。

「もらったぁ!」

 それを予測していたのだろう。間髪入れずに、智也が下方から『童子切』を振り上げた。俺はその斬撃を刀で受け止め、軌道を逸らす。が、逸らし切れずに左肩を刃先が掠めた。瞬間、肩に焼けるような痛みが走った。斬られた箇所を見ると、制服がパクリと割れていて、その辺りが赤く染まっていく。

 ――痛い……けど、避けることはできた。俺はまだ生きている。生きているってことは、反撃もできる。痛みで呻きそうになった自分を鼓舞し、呪文を唱えきる。――詠唱完了だ!

 さっきまで我慢していた分の気持ちも込めて、俺は叫んだ。

「『炎弾』!」

 前方に掲げた手の前から、炎の弾が智也に向かって発現した。近距離ともいえる位置からの術での攻撃だ。先ほどまで、押されながらも唱えていた術である。

「ちぃ……!」

 智也はその炎の弾を反す刀で弾いた。その反動で少し体勢を崩す。その隙を俺は逃さない。再び懐まで飛び込むと、その勢いのままに刀で左方向から横に薙ぐ。智也は刀での防御は無理と悟ったか、『童子切』から右手を放すと、俺の刀を手で受け止めた。

「ぐっ……総真……貴様っ!」

 刃の部分を掴んだ智也の手から、ぽたぽたと血が流れる。さっきまでとは一転して、歯を食いしばった表情で、智也が俺を見る。

「……だが、ここまでだ!」

 刀を離さず、俺の動きを止めたまま、智也はもう片方の手で、『童子切』を振り上げた。俺に向けられた刃がギラリと光る。

「まだだ!」

 俺は智也を睨みつける。智也のいぶかしげに目を細めた。

 俺は、智也と同じように片手を刀から離すと、智也に向けた。そして、

「『炎弾』!」

 超至近距離で、術名を叫んだ。呪文の詠唱を破棄してだ。

 これこそが、たぶん世界中で俺だけができる戦法だ。同じ術の連続使用時のみの、呪文詠唱の破棄を行える。かなり限定的だが、疑似的な『八神』の瞳の力といえる。この力がなぜ使えるのか、それは俺にも分からない。この力に気づいたのも偶然で、できたときにはかなり驚いた。こんなことがあるのかと思い、たくさんの資料を見てみたりもしたが、俺が調べられた範囲では、同じ力を持った人の記録はなかった。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。異端の力だが、この局面を打破できるなら出し惜しみはしていられないのだ。

 術が発現する。智也の目が、俺を見て大きく開く。俺の刀を掴んでいた手を離して、この場から飛び退こうとするが、一歩及ばない。炎の弾が、智也の胸元で爆ぜた。ドンという爆発音がしたかと思うと、俺も爆風を受けて後方に飛ばされる。超至近距離なだけに、俺も完全回避とはいかない。飛び散った火の粉が降りかかり、服は焦げ、肌には火傷をした時の痛みを感じる。が、まだ軽傷だ。

 俺は素早く智也がいた所に視線を走らせた。……智也はまだ立っていた。『童子切』を地面に杖のようにしてなんとか立っているという感じだ。『炎弾』が直撃したであろう胸元は黒く焦げ、服と肉体の表面の一部をえぐっている。

「ぐほっ……ぐほっ……」

 苦しげに智也が咳き込んだ。口元から血が垂れる。しかし、その眼光はまだ鋭い。戦意は失っていない。

 ……仕留めきれなかったのか。

 術の威力不足だろう。俺の『(れん)()』――前例がないので、俺が勝手につけた技名――は、二撃目の威力が本来の六割ほどに低下する。この技の弱点の一つだ。

 しかし、智也の動きは止めた。これでやつを逃さない。

 俺は左手首から呪符を外す。そして智也に呪符を向けた。――この一撃で決める。

 智也と目が合った。苦痛に歪みながらも俺を見据えてくる。

 一瞬、俺の頭の中に、今までの智也との思い出が蘇る。少なくとも俺は心から笑えた楽しい日々の記憶だ。ズキリと胸が痛んだ。

 しかし、次の瞬間には、その思い出を消し去った。……だが、胸の痛みは消えなかった。痛みは、これが現実なのだと改めて俺に教えてくれる。

 俺はそのすべてを受け止めて叫んだ。

「――消し飛べ! 『豪魔炎(ごうまえん)』!」

 手に持つ呪符が光り、そこから炎の渦が発現する。あの第二訓練場で綾奈が見せた術だ。あの時の術があまりに見事で、悔しかったので鍛錬しようと思い、たまたま呪符を持っていたのが幸いした。

 とぐろを巻いて、炎の渦が智也に襲いかかる。その炎の渦に巻かれる瞬間、智也はなにかを呟いたような気がした。しかし、それも一瞬のこと、なにを言ったかなんて分かるはずもなく、俺は智也を飲み込んで燃える炎をじっと見つめる。


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