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鬼譚―陰陽記―  作者: こ~すけ
第四章 守るべきもの
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一.

 闇より響く声、俺たちはその声を聞いた瞬間、弾かれたようにその声のする方向を見た。声がしたのは、俺たちの右側からで、その方向には、今は暗闇で見えないが、本来は木々が広がっているはずだった。

 俺は横目で明華に視線を送る。明華は、声のした方を凝視したまま、微かに唇を震わしていた。伸ばしていた手はいつの間にか胸元に戻っている。俺は、さし出したままになっていた右手を握りしめた。さっきまであった明華の手はそこにはなく、握りしめた右手は虚空を掴む。なぜかそれが悔しかった。

「……誰? 今のは」

 俺に並ぶようにして立った綾奈が聞いてきた。しかし、『八卦印(はっけいん)』を携えた瞳は、闇を見つめている。綾奈も、さっきの声に不穏なものを感じ取って警戒しているのだ。

「この一連の騒動の黒幕だ」

「黒幕? じゃあ、明華を操っていたのもそいつなのね……。総真、そいつの正体は分かってるの?」

「……分かってる」

 俺は歯を食いしばった。たぶん苦虫を噛み潰したような顔をしていることだろう。

「誰なのよ?」

「すぐに分かるさ」

「え?」

 俺は一歩前に踏み出した。そして、前方の暗闇を凝視したまま言った。

「出てこいよ! お前の正体は分かってる」

 俺の声が境内に響く。ある意味封鎖された空間ともいえるこの場所で反響した声は、ゆっくりと周囲の闇にも降り注ぐ。……あいつにも当然聞こえたはずだ。

 声の余韻が消えた頃、前方の闇で動きがあった。闇の中に影が浮かぶ。俺と綾奈は、互いに目を合わせて頷くと、すぐにでも戦えるように身構える。

 闇に浮かんだ影は白い。相手は、白い服を着ているようだ。そう、例えば、俺たちと同じ澪月院の制服を。

 影は近づくほどに、姿かたちを明瞭にしていく。そして、遂にその人物の輪郭さえも捉えることができるようになる。

「えぇ!?」

 綾奈が素っ頓狂な声を上げた。『月の眼』を発現している綾奈は、いち早くその人物の正体を知ることができたのだ。

「た、立花智也!?」

 暗闇の中から現れた人物。それは、澪月院の制服を着た智也だった。その腰元には、二本の刀を携えている。表情には、いつもの不敵な笑みを浮かべ、歩く速度を落とさずに近づいてくる。

「あ、あんたがなんでここに!? ――ってそれより危ないわよ! 敵が潜んでいるんだから!」

 綾奈は、慌てた様子でそう言うと、智也に駆け寄ろうとする。

「綾奈!」

 それを俺はきつい口調で名前を呼んだ。綾奈は、怒られた時のようにビクッと体を竦めて、出しかけた足を止めた。そして俺の顔を見る。その表情には、なぜ怒鳴られたのか分からないといった感じだ。

「うーん……月神のお嬢様はまだ気づかないか。……相変わらず察しが悪いな」

「あ、相変わらずってどういうことよ! それよりなんであんたがここにいるの?」

「くくく……俺が、ここにいることこそが、すべての答えなんだけどな」

 智也の軽い調子に、綾奈が噛みつく。こんな状況でなければ、俺たちの日常の中にあった一コマとなんら変わらない。……だが、変わらないのはそれだけで、それ以外のものはすべて崩れてしまった。

 俺は、「?」を頭の上に乗せた綾奈を横目で見ながら、智也に向かって口を開いた。

「こんな時でも演技が上手なんだな」

「いや、演技じゃーないさ。もともと俺はこんな性格だ。ま、その点では楽をさせてもらったというべきかな。……で、いつ気づいた? なんで気づいた? 俺が黒幕だってことにな」

「え……?」

 隣で、消え入りそうな声を綾奈が漏らした。よほど驚いたのだろう。口が軽く開いたまま呆然としている。その気持ちはよく分かる。さっきまで俺がそうだったんだから……。綾奈の様子は心配だが、今は近寄って声をかけてやる余裕はない。ただ、少しでも頭が整理できる時間を作るために、俺は智也の問いに答える。

「気づいたというより、疑念を持ったのはついさっきだ。残念ながらこんなことになるまでそれすら抱いてなかったよ。……恥ずかしいことにな。疑念を持ってから、この二年間を振り返ってみると、いろいろと引っ掛かる点が出てきた。そして決定的だったのが、昨日と今日の出来事だ」

「へぇ……それで?」

 智也はニヤリと笑って、俺に話の先を促す。この状況を楽しんでいるようだ。俺は、油断なく身構えたまま、再度口を開いた。

「まず、昨日のショッピングモールでの事件……あの時は情報がなさすぎて気づくことはできなかったけど、あの事件は明華一人での達成は不可能だ。さっき明華が使ったのを見たが、『鬼火(おにび)』を発生させるには、陰陽術と同じで術名を唱える必要があるんだろう? あの時の明華は、俺の目の前にいた。そんなことを唱えればさすがの俺も気づく。そんな素振りがなかったということは、ほかにあの『鬼火』を発現させたやつがいるってことだ」

「術が時限式だったのかもしれないぜ?」

「ありえないな。お前たちが使う術は、俺が感じた限り陰陽術とよく似ている。発現後の維持はできても、空間に維持してからの発現はできないんじゃないか? ……もしできたとしても、あの時点でそれをする意味はない」

 智也の表情が微かに動く。満足そうな笑みは、俺の言っていることが正解だと言っているようだった。

「なぜ意味はないと言い切れる?」

「あの事件は、本来の予定になかったものなんだろ? 本来は、俺と明華の繋がりを強めるのが目的……もっと俺と明華を親しくさせて、月神の情報を聞き出すための作戦だった」

 チラリと明華に目をやると、明華は、辛そうに目を伏せていた。その様子に、俺自身も顔をしかめた。俺は今、真実を語ると共に、明華を断罪しているのだから。

「だけど、あの場に予定外の人物がいた……綾奈だ。作戦を監視するために、遠巻きで見ていた智也……お前にもそれは分かったはずだ。だからお前は、作戦を急遽変更したんだ。一角に明華を襲わすことによって、俺だけじゃなく、綾奈と明華も近づけようとした。危機を救ってくれたからと言って、今後、明華も綾奈に近づく理由ができるし、一緒に危機を乗り越えたとあれば、所謂(いわゆる)、吊り橋効果も期待できるかもしれないからな。……『鬼火』が発現する直前、明華にメールが来ていた。あれが作戦の変更を伝えるメールだったんだ。そして、あの『鬼火』はお前自身が発現させた。発現のタイミングをあれだけシビアにしたのは、俺に作戦変更による動揺を悟らせないためというのもあるし、俺が綾奈に気づいていてしまったからでもあった。あの時、俺は立ち上がる素振りを見せたからな。俺は、綾奈を帰らせるつもりで立ち上がったけど、お前は違う解釈をした。俺が綾奈を連れてきて、三人で買い物を続行するつもりだ、と。だが、それだと問題があった。普段の様子のまま明華と綾奈が合流すれば、ただ険悪なムードになるだけだし、合流した後で一角の襲撃が起きてしまえば、誰も明華が狙われたなんて思わない。十人が十人、月神家の長女である綾奈が狙われたと思う。そうなると、お前たちには非常にまずい。月神を狙うものがいるかも、と多くの人に疑いを持たれるからな」

 パチパチパチパチ……静かな境内に拍手の音が響く。智也が大きく頷きながら拍手をしている。

「さすがは学年主席。頭の回転も素晴らしいな。俺の作戦をここまで見破ってくるとはね」

「少し急いたな、智也。急遽変更した作戦だけあって、疑って考えると、穴が多い」

 拍手が止まる。ここまで終始笑っていた智也の表情が少しだけ崩れた。俺の言葉が癇に障ったのだろう。

「……疑ってもいなかったやつがよく言う」

 一段低くなった声で智也が言った。しかし、すぐにニヤリとした笑みを表情へ浮かべ直した。

「――が、たしかに少々不用意だったことは否めないな。ただ、一番の誤算だったのは……総真、お前が我ら『鬼人(おにびと)』について知っていたことだ。……どこで知った?」

 『鬼人』、それが明華や智也の一族の名前か。……初めて聞く言葉だ。智也は、俺が前から知っていたように思っているみたいだが、俺は、夢で見たことを話していたに過ぎない。

「…………」

 しかし、それを俺は喋らない。少しでも智也を幻惑できるように、逆に不敵な笑みを浮かべてやる。智也は、また不快そうに顔をしかめた。

「……まぁ、いい。それで? 今日のことで引っ掛かったことというのは……ふっ……聞くまでもないか。アスカがこの神社にお前を呼び寄せたこと、だろ?」

「違う」

「……なに?」

「明華が、俺を呼び寄せたことが引っ掛かったんじゃない。明華が、俺を呼び寄せるのを止めなかったことが引っ掛かったんだ」

「どういうことだ?」

「今日、明華は学校に来なかった。そして、明華は昨日、俺と綾奈が喧嘩をしたことは知らない。綾奈と喧嘩になる前に、明華は帰ってしまったからな。なら、明華が俺を呼び出すのは、なにもおかしいことじゃない。いつも俺と綾奈が一緒に通学しているのは、みんなが知っていることだ。メールを送ったあの時間なら、俺たちが帰宅途中だという想像は明華だったら簡単につくだろう。そこで俺がメールを見て、明華のところに行くと言えば、当然綾奈も一緒に行くと言い出す流れもな。俺と綾奈をまとめて始末するつもりなんだからそれでかまわない。だが、今日に限っては違った。今日の朝は、俺たちは一緒に通学していない。ショッピングモールの件で、明華に協力者がいることはすでに明白だ。その協力者は、明華から買い物の帰路であったことは伝え聞いているはずだ。その次の日、つまり今日の朝一なんて特に警戒して様子を見るだろう。その時にいつもと様子が違ったなら、協力者は作戦の中止を伝えるのは当然じゃないか? 俺たち二人は同時に始末する必要があるのに、不確定要素がある状態で決行はしないさ」

 俺は、もう一度明華と綾奈の二人に視線を送る。明華は、いまだ座った状態ではあるが、しっかりと俺の話を聞いているようだった。……心配なのは、やはり綾奈の方か。次々と明かされていく事実に、頭が混乱しているようだ。俺を見返す目の光もどこか弱々しい。それでも『月の眼』が消えていないのは、ここが戦いの場だという意識があるからだろう。

「そうか、それで協力者が俺だと特定したんだな」

「あぁ、綾奈のことを話したのはお前だけだからな。今日、お前だけが俺たちのことを正確に知っていた。そして、俺と仲直りさせるために綾奈をけしかけたのもお前だ。そう考えると、明華の協力者は智也、お前しかあり得ないんだよ」

「…………」

 俺が言い切ると、智也はしばらく無言だった。だが――、

「くっ、くくく……くくくく……あはっ、あははははは!」

 突然、智也が笑い出した。静寂を破るその笑い声に驚いたのか、周囲の森から鳥が飛び立つ。

「なにが可笑しい」

「なにがって……すべてだよ。よくもまぁそこまで推理できたものだ。素晴らしい、素晴らしいよ、総真」

 ひとしきり笑った智也は、さらに楽しそうに弾んだ声を出した。

「総真、まさにその通りだ。ただ、少し付け足すならば、今日のこの作戦も本来は予定になかった。お前が、アスカの家に行くと言い出さなければ、普段となにも変わらない一日だったんだよ」

「俺が原因だと?」

「そうだ。あと挙げるなら、その女の精神面の弱さが原因かな。これも俺の誤算だった」

 智也は蔑むような視線を明華に送った。正体が完全にばれたからか、明華のことを「その女」と呼んでいる。

「まさか標的を本気で愛すとは思わなかった。『鬼人』としての尖兵にまで選ばれておいて、まったくもって嘆かわしいな。そして今日、それを挽回するための、すべてをリセットするための最後のチャンスをやったというのに……それもみすみす逃した上に、敵の甘言に乗って俺を裏切ろうとするとはな。アスカ、お前は向こうに帰ったら牢に繋いでやるから覚悟しておくといい」

 智也は大きなため息とともに肩をすくめる。俺は、智也の言葉を聞いて、明華を見た。明華は、儚げな微笑みを浮かべて俺を見上げていた。なにもかも分かっているという表情が、俺の心を締め付ける。

「さて、探偵ごっこはもういいだろう。これからは、一つこれで語ろうじゃないか」

 智也はそう言うと、腰の二本ある刀のうち、一本を抜いた。

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