二.
「総真ー!」
名前を呼ばれ振り返る。
視線の先で、同じ班の立花智也が右手を大きく振っていた。その隣で、片桐明華が微笑みを浮かべている。
智也は、長身でがっしりとした体型をしている。短髪、そして日本人らしい黒い髪色も相まって、一見するとスポーツマンに見える。実際、智也は中学時代、野球をしていたと聞いている。そのおかげか、運動神経も抜群だ。
そして、今も見せている屈託のない笑顔を使って、男女問わず積極的に話しかけるので、クラスでも人気が高い。
もう一人の班員である明華は、女子としては標準的な身長だ。しかしその面立ちは標準を遥かに超えるスペックを持つ。
腰まである長い黒髪、白く透き通るような美肌。
小さな顔に備わった、黒真珠のように輝く大きな瞳と、愛嬌のある微笑みを浮かべる口元、そのすべてが完璧にマッチし、明華を際立たせている。
そして極めつけは、出るところはきちんと出ていて、引っ込むところはきちんと引っ込んでいるその体型は、男子はもちろん、女子からも羨ましがられている。
そんな二人が、追いついてくるまで、俺は立ち止まって待つ。
駆け寄ってくる二人の服装は、俺と同じく制服姿だ。
そのデザインは、白を基調としたブレザータイプのもので、外見は一般的な学校の制服と大差はない。特徴としては、左胸に『八卦印』、そしてその中央にこの澪月院の所属である証の「月」の一文字が黒色で刺繍されている。
「どうした?」
近寄ってきた二人に俺が問いかけると、智也が興奮した面持ちで口を開いた。
「総真、お前やっぱりすごいな! 一角を一人で倒すなんて。さすがに二年連続で主席を取るようなやつは違うぜ」
「まぐれだよ。それに無我夢中だったし」
「それでもすごいって。ま、なにはともあれ、在学三年生にして討伐スコア持ちになったわけだ。おめでとう」
「ありがとう」
智也は人を褒めるのがうまい。
そして、その言葉には裏がないため、俺としても素直に喜べる。いろいろと考え込む性格の俺とは大違いだ。
智也に友人が多いのも頷ける。明るい性格を持つ智也は、周囲からも非常に頼りにされる存在だ。もちろん、その友人の中には俺も入っている。
「――にしても! 総真に一角を倒された後のあの下級の二人の顔ったらなかったよなー! あー、思い出したらまた笑えてきた」
……ただ、こういうところも素直に発言してしまうのが智也だ。
いいことにも悪いことにも表裏なく接するのが智也の長所であり、短所でもある。
「た、立花君、そんなこと言っちゃダメだよ。佐藤さんと高木さんもずっと私たちのこと気にかけてくれてたんだから」
思い出し笑いを始めた智也を、隣にいる明華が慌ててたしなめた。
明華はきょろきょろと辺りを見回しているが、当の本人たちとはとっくに別れているため、聞こえる筈がない。それでも、相手を思いやる明華の発言には、好感が持てる。
明華は、気配りが上手だ。相手の立場、気持ちに立って物事を考え、行動できる女の子なのだ。その優しさには、この二年間、俺も大いにお世話になっている。
「はいはい」
「もー……また聞いてない」
お説教を軽く受け流す智也に、明華は頬を小さく膨らました。
この二人のやり取りも相変わらずだ。
俺たち三人の班が結成してから何度も繰り返されている光景だった。
俺はそれを見て小さく苦笑した。
「ホントお節介だなー、明華は。そういうのは総真にやれよ」
「なっ……」
智也が、ニヤリと笑って言った。
逆に、その意味あり気な視線を浴びた明華の顔が赤くなっていく。
「なー、総真?」
智也の視線が、今度は俺の方に向く。
どうやらマルチロックシステムを搭載しているようだ。
「……それじゃ」
「ちょ、ちょっと総真君!?」
俺は、首に巻きついてきた智也の腕からひらりと逃れて、さっさと歩き始める。これ以上、この話題はまずいと直感したからだ。
そんな俺を、明華が驚いた表情で見つめているが、見なかったことにしよう。
と思ったのだが……、
「きゃっ!」
背後で聞こえた声に俺はとっさに振り返った。
するとそこには、俺に向かってダイブしてくる明華がいた。
「え? おわっ!」
衝突による衝撃を受け止めきれず、俺は体勢を崩して尻餅をついた。尻に鈍い痛みを感じたが、それはすぐに上書きされてしまった。
俺の胸の中にある柔らかな感覚と、ふわりと漂ってきた甘酸っぱい香りにだ。
――すごく、いいな。
それらに対して、明らかに言語力が足りていない感想を頭の中で漏らしつつ、俺は腕でしっかりと抱きとめている明華に視線を落とした。
「あ……」
そして、顔を上げていた明華と目が合う。
顔をさらに赤くし、潤んだ瞳で見つめてくる明華は、反則級の可愛さだ。さっきの小学校低学年レベルの感想さえもどこかに吹っ飛んでしまう。
「だ、大丈夫か?」
舌がうまく回らない。が、なんとか一言口に出すことができた。
「う、うん……大丈夫」
「そうか、怪我しなくてよかったよ」
「ありがとう、総真君」
そう言った明華は、よほど恥ずかしかったのか、もう一度俺の胸におでこを当てる。たぶん明華のことだから、真っ赤になった顔を隠したつもりなのだ。
「……ありがとう」
そして、そのままもう一度呟いた。
その言葉は、俺の胸に直接染み渡っていくようだった。文字通り俺の胸はいっぱいになる。
「あ、いや……」
言葉にならない言葉が、頭の中でぐるぐると回る。この可愛い女の子に、どうしたら今のこの気持ちを伝えられるだろうか。
しかし、そんな悩みとは裏腹に、体は勝手に動くようで、明華を抱きとめた時に、背中に回していた両手に、徐々に力を入れてしまう……、
「いやー……お二人さん、そこまでサービスしてくれとは言ってないけど?」
その時、横から少々気まずそうにかけられた智也の声に、甘い雰囲気に呑まれていた俺は一気に現実へと引き戻された。
それは明華も同じようで、ものすごい勢いで顔を上げると、ダイブした時の巻き戻しをしているかのような動作で素早く立ち上がった。
そんな俺たちを智也が苦笑いで眺めている。
「ま、熱々でなにより! 末永くお幸せにー」
「ち、ち、違うよ? 今のは違うよ?」
自己完結する智也に向かって、明華が必死に否定する。
「そっかー、違うのかー」
「そ、そう! 違うの! 全然違うの!」
智也は明らかに棒読みだ。その証拠に、顔が今にも吹き出しそうになっている。
しかしそれに気づかない明華は、うんうんと首を縦に何度も振っていた。まるで水飲み人形のようなしぐさだ。
「……で、どっちから告ったの?」
「ぶっ……!」
とびっきりのいい笑顔を浮かべて智也が言った。
完全に虚を突かれた明華は、女の子らしからぬ音を立てながら吹き出した。
そして、俺の方に向かって泣きそうな顔を向けてくる。
それは、小動物が助けを求めている顔にそっくりだった。例えるなら雨の日に段ボールから見上げてくる子犬といったところだろう。この瞳に見つめられて、助けてやらないやつは、もはや人間ではない。
「はぁ……気づかれてたか」
俺はため息をついた。
智也の顔を見ればこれ以上嘘をついても無駄だと分かったからだ。
「まぁな」
「すまん……隠してて」
「いいよ。それに必死に隠そうとしている明華を見るのも楽しかったし」
「わ、私!?」
「そ、お前分かりやす過ぎる。総真の前での言動とかな。おかげでお前たちが付き合いだしたのが二ヶ月前くらいからだってもの知ってるよ」
「そ、そこまで分かるの……?」
明華が、目を白黒させながら驚いている。
俺も声にこそ出さなかったが、そこまで把握されているとは思っていなかったので同じくらい驚いていた。
智也の観察眼。……侮れない。
「まぁ、仲良さそうでなによりだせ」
智也が肩をすくめると、俺たち三人はそれぞれ顔を見合わせ笑いあった。
智也が言うように、俺と明華は付き合っていた。付き合い始めたのは約二か月前、三月の終わりだ。
告白してきたのは、明華からだった。
俺としては、まったく予期していなかったからものすごく驚いた。
いや、驚いたなんてもんじゃない。
それこそ天地がひっくり返るかと思うほどの衝撃だった。
どこにでもいるような、平凡な男子生徒の一人でしかない俺に、学校でもトップを争うほどの美少女が告白してくるなんてなんの冗談だと本気で思った。
けど、たどたどしくも自分の想いを綴る明華の口調と、その必死の色が浮かぶ瞳を見て、それが冗談ではないということはすぐに分かった。
――明華は、本気で俺に告白してくれていた。
それがすごく嬉しくて、そして愛おしかった。
一年生の時から同じクラスで、さらには二年生になると同じ班になり、多くの時間を明華と共有してきた俺に断る理由なんてどこにもない。
その場で了解し、そして俺たちは恋人同士という関係になった。
「総真君? 私の顔になにかついてる?」
「え? い、いや……なにもついてない」
当時のことを思い出していたら、自然に明華の顔を眺めていたらしい……。
まさか告白された時のことを思い出していたとは言えず、あわてて取り繕う。
そんな俺を見て、不思議そうな顔で首をかしげる明華。その横でニヤリと笑う智也の視線は気になったが、無視で通した。俺は咳払いをした後で、あえて事務的な口調で言った。。
「それはそうと、今日は夜の職務実習だったから明日の午前中は休みだからな」
「は、はい」
「午後から教室に集まって、今日のレポート作成をやるから遅れるなよ。特に智也」
「りょーかい!」
智也がおどけた調子で言う。
すると、明華が妙案を思いついたとばかりに手をポンッと叩く。
「それじゃーさ、正午に学校で集まって三人でランチにしようよ。私、お弁当作ってくるよ」
「…………」
「…………」
「ちょっと二人とも! なんで黙るの?」
明華がプクッと頬を膨らます。
自分が思ったより、反応が薄かったことが意外なのだろう。
俺はチラリと智也の方を見る。予想通り智也も俺の方を向いていた。
(なんとかしろ!)
と、その目が語っている。
(お前こそなにか案を出せ!)
逆に、俺が目でそう返してやると、智也が俺の肩に手を置いてきた。
「い、いやー……俺はお邪魔になるしいいよ。総真と二人っきりで楽しんだらどうだ?」
こいつ……逃げやがったー!
たしかに案を出せとは言ったが、まさか自分一人の安全確保を優先しにくるとは思わなかった。……俺を生贄に捧げやがったな。
「そんなことないよ? お弁当はみんなで食べるのがおいしいんじゃない」
が、明華には通じなかったようだ。
「そ、そうだね……」
ガックリと肩を落とす智也。……ざまみろ。
智也の策略は打ち砕かれたとはいえ、状況はなにも変わっていない。このままでは押し切られてしまう。
ま、まずいなー……。
目の前でニコニコと微笑んでいる明華を盗み見る。
俺たち二人がこうも警戒する明華の料理。
本人は自信満々の料理の腕は、残念ながら壊滅的なのだ。
明華の料理を食べた後の阿鼻叫喚の模様は、誰が言ったか『鬼殺し』と呼ばれている。
そしてなにより危険なのは、本人にその自覚がないということだった。だから今のように、機会があればお弁当を作ろうとするのだ。
「あ、明華、今日はもう深夜だ。お弁当を作るならいくらも眠れないじゃないか。寝不足は体によくないぞ」
「そ、そうだぞ、明華! 美容にも悪いし、明日はやめとこう」
なんとか危機を回避しようと口を開くと、智也もそれに便乗するように言った。
智也の表情がヒクついている。……たぶん俺もだ。
「大丈夫! 一日くらいなら問題ないよ。それにまだ若いし!」
俺たちはたった一回でも大問題なんだよ……。
元気よく笑顔で両手を握り込む明華に、俺は心の中でツッコむ。智也もげんなりとした顔をしている。
……こうなったら強硬策に移行だ。多少強引でも危機回避優先しかない。
「ダメだ。班長として容認できない。班員の体調管理も班長の仕事だからな」
「えー!」
役職とかをチラつかせるのは好きではないが……背に腹は代えられない。腹がそれこそ物理的に破壊されては元も子もないんだから。
「班長命令。今日はゆっくり休むこと」
「でもー……班長としてーとか、なんか他人行儀だし……」
俺の言葉にいくらか勢いを削がれたものの、明華はまだあきらめてはいないようだった。しかし、正当性は認めているようだ。
ここが勝機と見た智也が、俺に耳打ちをする。
「総真、あと一息だ。頑張ってくれー」
「お前……さっき裏切ったよな?」
「すいません……ホントすいません……明日、学食おごるから!」
「……二人ともコソコソとなに喋ってるの?」
小声で言い合う俺たちに、明華が目を細めている。
これ以上の会話はマズイと思った智也が、俺の肩を軽く押す。
その意味を理解した俺は、コホンと咳払いをして言った。
たぶん今、一番効果のある言葉を、
「彼氏として心配してるんだ。――明華の体がなにより大切なんだよ」
自分で言っといてなんだが……恥ずかしい。
顔が熱くなるのを感じる。額に汗が噴き出してきた。
そんな俺の渾身の一言を聞いた明華は、俺の顔をジッと見つめていた。言葉の意味がまだ呑み込めていないのか、ポカンとした表情だ。
「――――っ!」
一拍後、明華の顔が茹でダコのように真っ赤に染まった。どうやら意味が分かったらしい。
「そ、そ、そ、そんなの……卑怯だよー!」
動揺の境地にある明華は、そう言い残すと、顔を隠すようにして走り去った。不意打ちだったため、心の準備ができなかったみたいだ。
小さくなっていく明華を見送った後、智也が破顔して言う。
「よくやった! これで危機は回避したぞ!」
「……ちょっと黙っててくれ。緊急措置とはいえ、罪悪感がすごい」
けしてでまかせで言ったわけではないのだが、予想以上の効果を示した言葉だけに、多少の保身を考えて言ったことが悔やまれる。
本当は、明華のことだけを考えて言うべき言葉なのに……。
そしてやっぱり恥ずかしい……。
「まぁまぁ……あ、そういえばさ」
「どうしたんだ?」
智也が少し神妙な顔つきをする。
「お前らが付き合ってること、月神のお嬢様は知ってるのか?」
「綾奈か? いや、たぶん知らないと思うけど。それがどうした?」
「言ってないのか?」
「わざわざ言う必要もないだろ? それに綾奈は俺の恋愛事情に興味はないよ」
そう俺が言うと、智也が大きなため息をついた。
「……そう思ってるのはお前だけだ」
「どういう意味だ? それ」
「さぁなー……ちょっとは悩め」
「意味が分からん」
俺はそう言って空に視線を向けた。綺麗な満月が静かに世界を照らしている。
「さて、明華を探しに行こうぜ」
「あぁ、そうだな」
歩き出した智也に続いて、俺もゆっくりと一歩を踏み出した。




