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鬼譚―陰陽記―  作者: こ~すけ
第三章 真実
13/26

一.

 次の日、俺は久しぶりに自分の望む形で起きることができた。いつもより五分遅く、そして体のどこも痛まない起き方だ。

 機械的になる目覚ましのアラーム音を消せば、自室の中で音が鳴るものなんてない。それはとても静かで、そして耐え難いほどつまらない起き方だった。

 それから学校に着くまでもずっと平穏が続いた。

 朝食をとっている時、通学路を歩いている時、学校に到着した時。いつもなら隣にいて、休む暇もないほど話しかけてくる綾奈の姿はなかった。

 今までも何度も喧嘩をしたことはある。だが、こうまで俺と顔を合わせようとしないのは初めてだ。

 ……どうやら本格的に愛想を尽かれたようだ。

 朝になればもしかして……と希望的観測を抱いていた俺の思惑は見事にぶち壊され、自分が引き起こした事態の深刻さを改めて知らしめられた。

 そんな精神状態で授業を受けたとしてもうまくいくわけがない。

 おかげで午前中の授業は、過去最悪の授業になっていた。

 気持ちが違うところに行ってしまっているため、集中できずに凡ミスを繰り返す。

 具体的には、一、二限目の実技の授業で指定された術を発現できない。さらには発現したはいいが、目標とはかけ離れたところに撃ちこんでしまう。

 三限目の座学の授業では、先生からの指名にことごとく生返事で答える。もしくは気づかない。問題の解答はかすりもせずに間違う等々…………。

 ついには三限目の終了時に、座学担当の先生に教室から放り出されてしまった。ちなみに澪月院では多くの授業が連続授業となっている。今日のように一、二限が実技、三、四限が座学という風にだ。

 三限目の俺の様子を見ていた先生は、俺が極度の体調不良に陥っていると思ったみたいだ。一応、普段は真面目に授業を受けているから、ただやる気がないとは考えなかったらしい。

 俺はそのことさえも訂正する気になれず、あいまいに頷いて教室から離れた。

 先生からは、「保健室に行け」と言われているが、別に体調が悪いわけではないから行く気はない。

 ……どこで時間を潰そうか。

 とそんなことを考えていた時だった。

「おーい、総真!」

 俺を呼ぶ声がした。

 振り返るとそこには智也の姿があった。

 俺は立ち止まり、智也が追い付くのを待ってから口を開く。

「どうした? 先生からなにか伝言か?」

「いや、違う。先生に総真の様子が心配だから保健室まで送ってきますって言って出てきたんだよ。まぁ、そんなことはどうでもいいだ。……それより昨日なにがあったんだ? そのバカみたいにひどい顔の理由は体調不良じゃないんだろ? 明華も今日は休んでるし、なにか関係してるんじゃないのか? 俺でよければ話してくれよ」

「……授業はいいのかよ?」

「一限休んだくらいで成績には対して影響しねぇよ。お前と一緒にいるおかげで一応優等生の部類には入ってるしな。……さ、行こうぜ。今の時間なら食堂もほとんど人がいないから話すにはもってこいだ」

 そう言うと、智也は俺の腕を掴んで歩き出す。俺は特に返事もせずに、智也の歩調に合わせて足を動かした。




 昼前の食堂は智也の言った通り空いていた。ちらほらと何人かの生徒の姿は見えるが、たぶんなにかの授業が休講になったために時間を潰しているのだろう。

 この食堂では、水やお茶はセルフサービスではあるが無料で飲める。自分たちで勝手にサーバーからコップに注げばいいのだ。智也は二つのコップに手早くお茶を注ぐと、食堂の一番端にある目立たない席に座った。この時間帯に先生が来ることはほとんどないと思うが、万が一俺たちのことを知っている先生に見つかってしまうと、いろいろと説明が面倒なことになる。そのための配慮だった。

「さて、話してくれないか? 昨日なにがあったのかを」

 お茶が入ったコップに口をつけた後、智也が口を開いた。俺は智也の顔をじっと見る。その表情は真剣で、けして俺の失敗談を茶化そうなどという不埒な理由で、話を聞こうとしていないことを物語っていた。そのことを理解した俺は、昨日の顛末を一部始終話すことを決めて、ぽつぽつと語りだした。

 他愛無い明華のとの買い物の様子から始まった話は、プレゼントを贈った件を少々急ぎ足で語りながら、『鬼』に襲われたところに移る。その部分を話し終えると、俺は一度話を中断した。

 智也の反応を窺いたいのもあったし、俺自身喉が渇いたせいでもあった。時間は分からないが、かなり長い間話している気がする。もともと話し好きな性格ではないから余計に長く感じているだけなのかもしれないが。

 智也は手を口元にあてて、考え込むようなそぶりを見せている。それもしかたないと思う。『鬼』に関しての部分は、智也にとっても衝撃的なことだったはずだ。

「けど、そんなことあるんだな。真昼間のショッピングモールに『鬼門』が発生するなんて……聞いたことないぜ」

「……俺も昨日遭遇するまでは考えもしなかったよ」

「だろうな。……にしてもよく倒したな。普通、そんな風に奇襲でこられたら対処なんかできないぜ?」

「……必死だっただけだ。とにかく明華を守らないとって」

「そう考えて実戦できちまうのがお前らしいよ」

 智也が笑顔で言う。それに釣られて俺の表情にも微かな笑顔がこぼれた。昨日から今まで、自然と笑えたのは初めてだ。……失敗した場を取り繕うための笑顔なら、午前中に何度も浮かべたが。

「二体ともお前が倒したのか?」

「いや、俺は一体だけだ。もう一体は綾奈が倒してくれた。正直、綾奈がいなかったら明華を守れなかったよ」

「……月神のお嬢様か。やっぱり半端じゃないな……『八神』の家系ってやつは」

「それ、あいつの前で言うなよ。殴られるぞ」

「と、そうだな……そうするよ。しかし、今の聞いたところまでだと、特に問題になりそうなところなんてないぞ。いや、『鬼』に襲われたのは問題だけどさ。全体的に見ると、明華と楽しくデートして、プレゼント渡して、襲われたのを助けて……月神のお嬢様の登場以外は、むしろ仲が深まりそうだけど」

「……デートっての余計だ」

「デートはデートだろうが。付き合ってるのに恥ずかしがるなよ」

「……うるさい」

 人が明言を避けてた呼び方を、智也はあっさりと発言してくれる。こんな状況でも、明華とデートしていたんだなと思うと、顔の温度が上がる。……これだから嫌だったんだ。

 俺はおほんとわざとらしい咳払いを入れると、ニヤつきだした智也の顔をキッと睨む。すると、智也の方も肩をすくめた後で、顔から笑みを消して、また真剣な表情に戻った。それを確認した後で、俺は再度話をするために口を開いた。

「……問題はその後だ――」

 駆けつけた下級陰陽師による事情聴取……はある程度簡潔に、その代わり問題となった帰り道でのことについては、俺が思い出せるだけ思い出して事細かに説明した。ついでに別に言わなくてもよかった綾奈との騒動も話したのだ。……違うな、あえて喋ったんだ。昨日から胸に沈殿しているものが多すぎて、それを吐きだしたくて、自分から智也に話したんだ。そんな思いと共にすべてを喋りつくした俺の気分は、少し軽くなっていた。沈殿していたものをすべて出せたとは言えないが、撹拌して散らすことくらいはできたみたいだった。

 智也は、そんな俺の話がすべて終わるまで、合いの手以外は余計な口を出さずに聞いてくれた。その配慮が俺にとってすごく嬉しかった。……つくづくいいやつだと思う。

 そして俺が口を閉じた後、もう話が終わったことを確認して、智也は口を開いた。 

「話は分かった。……で、やっぱり気になるのは、お前の言う『鬼を使役する鬼』のことなんだけど」

「お前のいいたいことは分かるよ。……信じられないんだろ?」

「……まぁな。いくらお前の言うことだからって言っても……今まで確認された『鬼』の中でそんな例はなかったんだぜ?」

「分かってる。それは昨日綾奈にも言われたよ」

「だったら……」

「でも、今話したように絶対ないとは言い切れないんだ。『鬼』との戦いは千年以上続いていると言われているんだ。その歴史の中にそんな『鬼』がいなかったとも限らない。例えば、数百年に一度しか現れない『鬼』とか。いや、バカなこと言ってるのは分かってるんだ。だけど……」

「だけど?」

「昨日の明華の様子がどうしても気にかかる。明華は……あいつはなにか知ってるみたいだった。自分がなんで狙われたのかを理解しているみたいだった。襲われた後の様子がずっとおかしかったから。……それに極めつけは――」

「『人型の鬼』、か」

 智也の口からこぼれた言葉に、俺は真剣な表情で頷く。あの夢の中で見た『鬼』。夢でしかないはずの人の形をした『鬼』。だが、その言葉を口にした時の明華の反応は、明らかにおかしかった。まるで死の呪文を――陰陽師の術に即死効果がある術はないが――聞いたような反応だった。それこそが、俺がいまだに『鬼を使役する鬼』の存在にこだわる理由だ。

 『人型の鬼』……それこそが明華を狙っている相手なのではないか、という疑問が俺の頭の中でずっと回っている。

「だけど、その『鬼』がいる、いないはこの際置いといてだな……お前はどうする気なんだよ、総真。このままなにも行動しないってわけじゃないんだろ?」

「あぁ、今日の帰りに明華の家に行ってみようと思う」

「明華の家に……? たしかあいつは一人暮らしだったな」

「そうだ。学校から十分ほどのところに住んでるよ。一回だけ家の前までは行ったことあるから場所は知ってる。だから帰りに訪ねてくるよ。そして……真実を聞いてくる」

「真実ってお前……勘違いかもしれないのにか? よく分かってもいないのに下手に深入りすると今後のお前たちの関係にも――」

「分かってる」

 俺は智也の言葉を遮った。智也の言いたいことはよく分かる。むしろ正論中の正論で、その上この友人は、俺と明華の今後のことも心配してくれている。

 それでも俺の心は決まっていた。智也と話すうちに散っていった澱みの先に、確かな答えを見つけたからだ。

「だけど、俺は行くよ。もし勘違いだったら……それでもいいさ。明華の身が安全だって分かったなら俺に文句はないし。それが原因でもし関係がこじれることになっても後悔はしない。……心配ありがとうな、智也」

 自分の素直な思いを吐露する。すると、心が一層軽くなった。そうだ……俺がしなければならないのは、『鬼』の有無に関わらず明華を守ることだ。それが最優先事項だ。

 そう思った時、俺は笑った。今まで悩んでいた自分がバカらしくて。心からの笑みを浮かべていた。

 一方、智也は俺のその笑みを見て、逆になにかを諦めたような顔をして言う。

「……たく、お前のことだ。止めても聞かないんだろ? 行ってこいよ」

「あぁ、そうするよ」

「まぁそれはいいとして、月神のお嬢様の方はどうするんだよ?」

「そっちは……明華の件が終わったらちゃんと話すよ。頭下げて謝ればあいつも許してくれると思うし」

「ふぅん、そうか」

 智也は返事をしつつ、思案顔をする。

「智也?」

「あぁ、いや、なんでもない。それよりいい時間だぜ? 昼飯にしよう」

 そう言われて壁にかかっている時計を見ると、四時限目の終了時間の十分前だった。食堂は営業しているため昼食をとることは可能だ。すでに俺たちが来た時よりは生徒の数は増えてきている。

 他のクラスメイトはまだ授業を受けているのに、という考えが少し頭をよぎったが、こうして授業をさぼってお茶を飲んでいる時点で今さらな感じもした。それにクラスメイトを待って顔合わせする方が、面倒なことになるに決まっていた。

「そうするか」

「よし、決まりだな」

 二人で頷きあい、席から立ち上がる。

「なぁ、智也……」

「なんだよ、深刻な顔で……まだなんかあるのか?」

「もし、明華と話して俺たちの関係がこじれたらさ……」

「……あぁ」

「いつもの調子でフォロー頼むな!」

「絶対やだ!」

「あははは、ちょっと待てって。悪かったよ、智也」

「お前、一回殴られて来い!」

 呆れ顔をした後、俺を置いてカウンターへと向かう智也を俺は笑顔で追いかける。もう俺に迷いはなかった。


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