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鬼譚―陰陽記―  作者: こ~すけ
プロローグ
1/26

一.

真夜中すぎの生ぬるい風が頬を撫ぜた。

 そのまとわりついてくる感覚を振り払うように、俺――山代総真(やましろそうま)は首を振った。

《おい、学生。位置に着いたか?》

 左耳に取り付けた通信機から声が聞こえる。声色から少しイラついているのが見てとれた。

《はい!》

《は、はい!》

 その声に返答する声がさらに二つ。男と女の声だ。

 最初に元気よく返事をした声の主の名前は立花智也(たちばなともや)。次いで少しビクついた様子で返事をしたのが片桐明華(かたぎりあすか)だ。

 俺は、二人の友人の返事に続いて通信機に同じく返答をした。配置はとっくに完了している。

 この二人との関係は、友人というだけではなく、他にもいくつかある。その一つとして、二人とは同じ学校に通う同級生ということだ。

 俺たち三人が通っている学校は、少々というかかなり一般の学校とは違っていた。

 その名も陰陽師養成高等専門学校。

 つまり「陰陽師(おんみょうじ)」になるために学校なのだ。

 この学校は全国に八つ存在し、俺たちが通っているのはそのうちの関東校。

 通称、「澪月院(れいげついん)」という。

 澪月院は、一般的な分類としては高専に属していて、十六歳から二十歳までの五年間で陰陽師に関する様々な知識を学ぶ。俺たち三人はその三年生だった。

 現代の日本で、陰陽師の存在が一般的に認知されて久しい。すでに陰陽師は職業として確立している。

 澪月院では、三年生以上になると、その職務を体験するための時間が設けられる。ただ一般的な学校のインターンシップのようなものとは違い、体験とは名ばかりで、すでに戦力の一部として数えられている点だ。

 陰陽師たちは、公務員と同じ扱いとされ、その中でさらに、各市を担当する「下級陰陽師」、各県を担当する「中級陰陽師」、各地方を担当する「上級陰陽師」、そして全国の重大事件のみを担当し、精鋭中の精鋭で構成された「特級陰陽師」に分けられ、大半の陰陽師がこのどれかに所属していた。

 俺たちが一応職務体験として行うのは、その中でも下級といわれる陰陽師の職務だ。

 その主な職務はパトロールである。

 パトロールをするということは、取り締まる相手がいるということ。その取り締まる相手というのは、当然一般人じゃない。それは警察の仕事だ。

 陰陽師、つまり俺たちが相手をしているものが今、俺の視線の先にいる。

《俺がわざわざ聞く前に報告くらいしろ! まったく……》

 通信機からさらにイラついた声が聞こえる。

 パトロールに出る前は、「俺の言うことだけを聞け。いらんことを言ったり、勝手に動いたりするな」と言っていたはずなのだが……。

《おい、佐藤。学生の相手はその辺にして、さっさと狩ってしまおう》

 そこにさらに別の声が入ってきた。たしか名前は高木だったはずだ。

 イライラ男の佐藤と、今の高木は本職の下級陰陽師だ。俺たちと同じ地区を担当しているため、今日は俺たちの教導として一緒にパトロールを行っている。

 佐藤は高木の言葉を聞いて、舌打ちを一つ打った後、

《おい、学生。お前らにも見えると思うが、公園のど真ん中にいるのが目標だ。相手は一角(いっかく)、それも一匹だけだ。俺と高木の二人で相手をするからお前らは邪魔にならないところで見てろ》

 はなから学生の力なんて当てにしていない。というのがよく分かるものの言い方だ。

 ま、それはそれで仕方ないだろう。

 たしかに実力の分からない学生。しかも職務実習でさえ今夜が初めての俺たちを信用しきるのは無理がある。

 俺は佐藤に返答を送りながら、自分が潜んでいる茂みから顔を少しだけ覗かせた。

 俺たちがいるのは街中(まちなか)にある公園だ。昼間ならば、近所の子供たちの笑い声が響いているであろうこの公園も、今は漆黒の闇と静寂に包まれている。

 その公園の中央部にうごめく影があった。

 それは『(おに)』だった。体の大きさは小学生高学年くらい。しかし、その顔は醜悪で、闇に光る眼とズラリと並んだ鋭い歯が覗いている。そして額には、一本の角。これこそが「一角(いっかく)」と呼ばれる由縁だ。

 陰陽師と呼ばれるものたちは、長らくこの『鬼』と戦っている。『鬼』たちは、どこからか現れ、人を襲う。そして人を襲うことで力を蓄えていく。その力量を表すのが角の数だ。角が増えるほど、『鬼』は強力になっていく。

 今回の場合は角の数は一本。言うなれば最弱の『鬼』だ。

《よし、いくぞ!》

 佐藤がそう合図をすると、公園の茂みから二つの影が跳び出した。

 跳び出した影は、佐藤と高木の二人だ。二人は一角に向かって突進する。

 走りよる二人の装いは、伝統的な陰陽師の装いである白い着物に濃紺の袴を着ていた。白き着物の背中には、正方形が二つ対角に重なった八芒星(はちぼうせい)が青いラインで染め抜かれている。この印を陰陽師たちは『八卦印(はっけいん)』と呼んでいた。

 着物は一部の例外を除いて、陰陽師たちの正装となっているため、多少の不便はあるものの着用が義務となっている。

 因みに俺たち学生組は、澪月院の制服だ。陰陽師たちの正装――広くは『陰陽装(おんみょうそう)』と呼ばれている――は、学生の間は着ることは許されない。

 一人前の陰陽師と認められて初めて着ることができるものだ。

 ただ、そう言いつつも学生も戦力として数えているのだから、本音は見分けやすくするためだと思う。

 茂みから出た佐藤と高木が、一角に接近していく。しかし、この行動はセオリーとは言い難い。

 通常の陰陽師の戦いは、遠距離からの術による殲滅が一般的だ。そのことを現職の陰陽師である佐藤と高木が知らないはずはない。

 なにをやってるんだ?

 俺は茂みから身を乗りだした。動くなとは言われていたが、その本人が突っ込んでいるのだから怒られることはないだろう。

「はっ!」

 腰から引き抜いた刀を振り上げて、佐藤が一角に斬りかかった。 

 しかし一角は背後を向いたまま、その白刃をひらりと躱すと、躱した勢いを使って体を反転させた。

「うわっ!」

 予想外の一角の動きに驚いたのか、佐藤は声を上げながら体を横に逃がした。

 一瞬前まで佐藤がいた空間を、一角の鋭い爪が通り過ぎる。あのまま立っていれば、顔面に大きな溝ができていたことだろう。

 尻餅をついた佐藤が一角を見上げる形になる。

 やばいぞ。

 このままじゃ佐藤が追撃される。相方の高木も、驚いて動きを止めていて、佐藤を助けられそうになかった。

 そこまで理解できた瞬間、俺は茂みから体を踊らせていた。

「おい!」

 そして、とっさに呼びかけた。『鬼』たちには言葉を理解するような知能はないと言われているが、それでも声には反応するようだ。

 一角の体が俺の方を向いた。二つの眼が俺を捉えているのが分かる。

「こっちだ! 来い!」

 もう一度叫ぶ。

 俺の挑発に乗ったのか、それとも単に俺の方が襲いやすいと思ったのかは分からないが、一角は標的をこちらに変えて向かってきた。

 ――よし、いいぞ。

 俺は向かってくる一角をしっかりと視界に捉えながら、腰にさげていた刀を抜いた。

 見た目はただの日本刀。だがこの刀は、鬼を斬るために特殊な加工をされた刀、『鬼打(おにうち)』だ。ギラリと光る刃は美しく、洗礼された力を感じる。

 一角の背後から闇を裂いて炎の塊が飛んでいくのが見えた。佐藤か高木のどちらかが放った術だろう。だが、それは狙いをつけていなかったようで、明後日の方向へと消えていく。

 佐藤の声が響いた。なにを言っているのかは聞き取れない。いや、俺自身聞いている余裕はなかった。

 目の前の『鬼』に集中する。

 俺の背後は公園の出口だ。もし、これが最初から討伐を目的とする任務ならばもう一隊、バックアップとなる隊がいるはずなのだが、今日の任務は警備任務だ。バックアップはいない。公園の外に出られると、そこはすぐに市街地だ。夜の市街地に紛れ込まれると追跡は困難となる。

 ここを譲ればこいつには逃げられる。――逃げられれば誰かが襲われるかもしれない。

 そんなことは俺が許さない。

 刀をゆっくりと体の正面に構える。『鬼』と正面から相対するのは初めてだが、不思議と落ち着いていた。日頃の訓練の賜物(たまもの)だと思う。

 俺の目の前まで迫った一角は、その勢いのまま跳躍した。跳び上がった一角が両手の鋭い爪を剥く。その挙動の一部始終を俺は捉えることができた。

 一角の両手が振り下ろされるよりも速く、無防備にさらけ出された腹部に向かって、俺は刀を一閃した。

 一瞬、俺と一角の影が交錯する。

 跳び上がった一角は、その両手を振り下ろすことなく重力に捉えられ、すぐに地面へと落下する。しかしその影は二つに割れていた。

 素早く振り返った俺の視線の先に、両断された一角の上半身が映る。すでに半死半生の状態で小さく呻いていた。

 その喉元に、俺は刃先を突き刺す。

 グッという最後の声とともに、一角はその動きを完全に止めた。

「ふぅ……」

 小さく息を吐く。肩に入った力を抜いて、もう一度今度は大きく息を吐いた。

 そして、一角から刀を引き抜き、鞘に納める。刀が鞘に納まったチンッという音が、静寂の戻った公園によく響いた。


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