第70話 備えある者、備えなき者
「足を戻して両足跳び〜」
「いっちにー、さんしっ! 開いて閉じて、開いて閉じて! いっちにー、さんしっ! ごーろっく、ひっちはっち」
「腕と足の運動〜」
「いっちにー、さんしっ! ごーろっく、しっちはっち――」
アッシュが動きを指示し、ガランが掛け声をかける。
ガランたちの朝の日課、アッシュが言うところの『ラジヲタイソー』こと、ラジオ体操だ。工房の裏庭で、いつものガランたち四人に加え、アストンとマートン、そしてディーも身体を動かしている。
「――最後に深呼吸〜」
「スー……ハー……スー……ハー……。うーん、気持ちいい!」
「やっぱり朝はこれだよねぇ」
「うんうん。――ところでアッシュ」
ガランが軽い調子で問いかけると、アッシュもにこやかな笑みを見せて聞き返す。
「うん? なに?」
「いつも不思議に思ってたんだけど……なんで腕と足の運動だけ二回やるの?」
「え? んん〜……? なんでだろ? ま、まぁいいじゃん!」
そんな会話を交わす二人を横目に、ディーは軽く腰をひねって小さく頷いた。
「…………エルフ流身体ほぐしの効果。――侮れん」
その横でアストンも同意を示す。
「まったくだよ。朝から身体が軽くなるし、何より気分がいい。――気分がいいといえば今日だなぁ、横断馬車が発つのは。ようやく小蝿もいなくなるってか」
「…………ふん。おそらくな」
「しかし、ずいぶん足止めしちまった。――すまんな、ディーさん。でも心強かったよ」
「…………ふっ。たかだか六日。気にするな」
ガランたちの泊まり込みも六日目を迎えた。ガランがエストックから順に作ってきた武器は、残すところ自身のハンドアックスの仕上げのみとなっていた。
最初に剣から作ったのには理由がある。ハンドアックスは薪割り斧、ダガーはナイフと同じ感覚で扱える。が、剣はそうはいかない。少しでも扱いに慣れてほしいという思いから、ガランはエストックを最初に作ると製作計画を伝えた。それを受けて、ディーが武器の鍛錬指導を買って出た。本人曰く、滞在中の暇つぶしとのことだが、善意であることは間違いない。
今日もその指導を受けるため、ガランを除く三人は裏庭でそれぞれ武器を構え、身体を動かし始めた。
まずはアインのエストック。構えと突き、足さばきと踏み込みの反復だ。すり足とステップを使い分け、右半身で構えるアインの姿はだいぶ様になってきていた。アインは立ち位置を変えつつ、軽く突きを織り交ぜる。
次にタイガのブロードソード。こちらも基本は右構え。脇を締め、腰の回転と腕の振りを合わせる。肩、肘、手首を柔らかく使い、剣の重さを生かすように腕をしならせるだけ。タイガは重心を意識しながら、剣先を周囲に滑らせる。
タイガもアインも、大きく踏み込むこともなければ、振りかぶるような大振りもしない。剣を扱うのは主に閉所。近接特化で十分なのだ。そもそも中距離が保てる場所なら、槍のほうが優れている。
そしてアッシュのダガー。こちらはもっと極端だった。足さばきはステップのみ。左右、後ろには跳ぶが、前には出ない回避重視。ダガーをチラつかせ、距離を取りさえすれば、中距離以降は弓の独壇場だ。アッシュはダガーの刃先が常に体の外に向くように注意しながら、軽やかにステップを踏んだ。
ディーは三人に、敵を倒す技ではなく護身の技を指導した。素人が剣を振り回しても、そう簡単には当たらない。それどころか、大きな動きはかえって隙を生むだけだ。まずは無駄のない構え、安定した姿勢、スムーズな運足を身体に馴染ませる。そして次に、牽制。コンパクトに構え、切先を細かく揺らして相手を近づけさせない。最優先すべきは負けないこと。逃げることは決して恥ではない。
安全面を考慮したディーの提案で、三人の武器はまだ研がれていない。ガランがいればいつでも研げる。扱いに慣れてきてから、少しずつエッジを立てていく予定だ。
三人は、ガランがそれぞれの体格や手に馴染むよう仕上げた装備を手に、仮想敵を思い浮かべながら基礎の反復を繰り返した。
「あは。何度想像しても、逃げる動きは追いかけっこかな……!」
そうつぶやいたアッシュの脳裏を『記憶』がかすめる。
『鬼さんこちら……手の鳴るほうへ……』
「あれ、これって……」
しかし、そのメロディはすぐに霞む。アッシュはステップを止めそうになったが、すぐに思考を切り替えた。ディーから指導を受けられるのは明日まで。それまでに鍛錬方法を身に付けなければならない。追わなかった記憶は、意識の奥へと沈んだ。
「――ま、いっか。跳びながらでも風の波紋を放てるように、タイミング合わせてみよっと……」
アッシュが独り言をつぶやいている頃、ガランはマートンと一緒に炉窯で鉄と格闘していた。
「――オレとマートンさんじゃ力加減が違うけど、鉄の加熱温度は一緒だよ」
「色、だよね?」
「そうそう。ムラがあると、思ったように形は変わってくれないからね……っと。火床を均すときも気をつけるといいよ。ふいごで熾らせて、鉄の厚いとこを多めに――こんな感じ」
ガランがふいごを押し吹き、火掻き棒で火床――燃える炭の厚みを変える。
「ずっとふいごで吹いとけば早いんじゃ……」
「ダメダメ! 肉を焼くときと一緒だよ。強火だと表面は焦げて、中は生焼けでしょ? 鉄もじっくり焼かなきゃ!」
「鉄と肉が一緒……それじゃ料理人も鍛冶が……?」
「例えだよ、例え」
ガランはマートンとの微妙に噛み合わない会話をしながら、焼き入れと焼き戻しを済ませる。粗熱が取れたところでハンドアックスを手に、裏庭へと向かった。
◇ ◇ ◇
一方その頃。東区にある横断馬車の発着場では、慌ただしく出発の準備が整えられていた。
「あのう……その、そちらの出発はまだで?」
アイダ領から来ていた荷運び人夫が、揉み手と猫なで声で護衛騎士に尋ねた。護衛騎士はその男を鼻にも掛けず、冷たくあしらう。
「こちらはこちらで運行している。構わず出立すればよかろう?」
「いや、ま、そうですね。――チッ……おい、出るぞ」
男たちの荷馬車は五台。御者台にひとりか二人ずつしか乗車していない。八人で五台の馬車運行。他に人の姿はなく、明らかに手薄だとわかる。
男たちは手綱を打ち、ゆっくりと発着場を離れた。
「グロンダン家の荷馬車ですか。さすがに目に余りますね」
発着場の衛兵が近付き、ややへりくだった口調で護衛騎士に話しかけた。騎士は王家の家臣。領兵の一部門でしかない衛兵とは立場が違う。
「護衛を雇わず領外の通行を許可した、アイダ領の問題と割り切るしかあるまい」
「アイダ領主はヴァレンタイン公の派閥ですしね。――しかし、隣領までとはいえ、横断馬車の護衛を当てにするような荷運びは……。私は感心できませんね」
「さて、な。――では我々も最終確認に取り掛かる。出立は昼九つ正刻、乗客は十二名で、随行馬車は二台だ」
「共有しておきます。――お邪魔をいたしました」
横断馬車の運行は、サクソン領、アイダ領、ヴァレンタイン領の三領主家と王家によって運行管理されている。
王家は騎士を派遣して馬車の運行を助け、各領主は騎士との行軍訓練として、領兵を随行させる。馬車運行の主目的は軍事訓練なのだ。しかし、ただ兵を移動させるだけでは費用がかさむ。乗客、荷主から運賃を取り、客を重要人物に見立て、護衛の訓練も兼ねる。荷は兵站の扱いだ。
グランサクソンの乗合馬車も同様であった。馬と馬車の所有は貴族にとっては当たり前。有事の際に兵を送れないとあれば、高貴なる義務が果たせないからだ。その馬車を乗合馬車として、領都民に安く提供する。馬が養えればいいので運賃は最低限に抑え、領都民を動かすことによって経済も動かす一石二鳥の施策。領主サガナス・サクソンは案外したたかだった。
横断馬車隊は昼九つ正刻、いつもの定刻より一刻遅れてグランサクソンを出発した。
その二日後、宵五つ刻。急を知らせる使者がサクソン邸へ駆け込んだ。
それは横断馬車隊からの救難要請であった。




