*14* 君を今度こそ。
先日、王都の【星詠師】の中でも特に古い家であるスティルマン家に不幸があった。それは深夜押し入った賊が就寝中だった屋敷の使用人と領主親子を殺害し、証拠を隠蔽する為に屋敷に火を放って逃走したという、乙女ゲームの内容を大きく逸脱した物だった。
運悪く夏期休暇が始まって帰宅していた子息の遺体も出たということで、スティルマン家は事実上の断絶。領地を残したまま領主家が消滅するという、あまり前例のないお家の凍結……実質の取り潰しとなってしまった。
その衝撃的な事件はまだ長期休暇中の学園内だけではなく、王城の一部重要機関まで凍り付かせた。けれど世間や寮に残った僅かな同級生や院生達がいくら騒いだところで、私の心は酷く静かに凪いで。
不思議と自分でも驚くほどに心が震えなかったのだ。
それこそ涙の一滴、嗚咽の一つも零さなかった。
けれどそれは“約束したから”という前向きな自信から来るものではなく、脳が許容しなかっただけの一過性な症状。要は現実逃避に過ぎなかった。
学園の長期休暇の間に起こった事件は信憑性を持たないと、頑なにその噂を耳に入れず、チラチラと寮の中でこちらの様子を窺う同級生達からの視線も極力無視。今が夏期休暇で心底良かったと、真実を知る時間を少しでも遅らせることが出来ることに感謝すらしたほどだ。
けれど……いつまでも現実と向き合わずに引き籠もろうとしている私の元へ、事件が起こってから一週間後にラシードとカーサが特攻をかけて来た。
――……そうなのだ。
私が泣けなかったのは、二人が出向いてくれるまで、すっかり誰かに会って不安を吐露したり縋ったりするということを失念していたからに他ならなかった。
二人は“心が落ち着くまでは”とそっとしておくつもりだったらしいけれど、そんなことを知る由もない私は連日水と僅かな食事だけ口にして、後は自室に引き籠もり外界との交流を断っていた。
結果として待てど暮らせど現れない私に痺れを切らした二人が、忙しい合間を縫って訪ねて来てくれたのだ。そして私が使い物にならなくなっている間に、二人はある有力な情報を掴んで来てくれた。
それは、前世の諺でいうところの、一本の藁。
しかしその一本の藁にも縋る気分で希望を求めた私に、二人は呆れることもなく、快く知りうる限りの情報を提供してくれた。
◇◇◇
『あのなルシア、本当は他言しては駄目なんだが……スティルマン家に調査に入った人の中にワタシの父の部下がいてな。あの父上が“娘が友人の安否を知りたがっている。身許の確認が出来る物は近くにあったのか?”と訊いて下さったのだ。そうしたら――』
話を切り出したカーサの真剣そのものな表情からは、私に過度の期待をさせないように、けれど少しでも勇気付けられるように悩みながら言葉を探してくれているのが分かった。
息を詰めてその言葉に“大丈夫だ”と頷き返す私を、カーサの隣に座ったラシードが見つめて同じ様に頷き返す。それを確認したカーサが再び口を開いた。
『そう……それで、教えてもらった遺品の中に、ステッキらしき物は入っていなかった。あのステッキの杖の部分がいくら火の前には無力でも、持ち手に使われていた鉄の部分は塊になって残るはずだろう? それがクラウスとおぼしき遺体の傍にはなかったのだそうだ』
身を乗り出しそうになるのをグッと堪えて視線で先を促すけれど、沸き上がってくる期待を殺すことが難しくて。
『クラウスは生きている可能性がある。ただ、もしかするとすぐには姿を現せない理由があって、どこかに潜伏しているのかも知れない。ルシアはどこかスティルマンの隠れそうな場所を知っているか?』
ついに話の核となる部分を突かれた時、膝の上で堅く握り込んだ掌にヌルリとした感触を感じて手を開くと、爪で傷がついた掌から血が滲んでいる。それを二人に知られないようにズボンで掌を拭いながら、心を落ち着けようとさっきから薄々気になっていた話題に水を向けることにした。
『どうやってあの堅物オヤジに職権乱用させたかですって? 娘のいる父親相手なら簡単な話よ。“アタシ達の間に産まれる可愛い初孫を抱かせてやらないわよ”って脅してやったの』
――――へえ。
『や、あの、違うぞルシア! ワタシ達はまだ健全な交際の最中で、こ、子供が出来るような淫らな行為には……!!』
――――ほう?
『ちょっとカーサ、その言い方だとかえって怪しいわよ。アンタってば本当に素直で可愛い子ね~』
――――ふううううううん?
『なっ、ラシードの馬鹿……って、本当に違うぞルシア!? お願いだからそんな目で見ないでくれ!!』
◇◇◇
――と、有り難い反面後半はだいぶイラッとしたけれど、大体こんな感じで情報は私にもたらされて――情報を提供してくれた二人に促されるまま、近隣の領地にいる親戚を訪ねるという名目で、休暇の間に有効な外泊届けを提出した。
そしてその足でスティルマン領の方角へ向かう馬車を探して街へ行こうと二人に声をかけたけれど、ラシードとカーサは、三人で行動すると周囲から疑われるかもしれないからと同伴を辞退し、私一人で行くようにと助言までしてくれたのだ。
誰に追跡されている訳でもないのに、人の視線を気にしてなるべく目立たないように馬車を探していたら、いきなり後ろから鞄を引ったくられた。親戚を頼って出かける風を装う為に、荷物を小さく纏めたのが良くなかったと思いながら振り返れば、そこにはどこかで見た気のする黒い犬が一頭。
少しばかり話の分かる顔をしたその犬に手を伸ばして、鞄を返すように下手に出たら、犬は大きく尻尾を振って……全速力で走り出したのだ。友好を装うとは卑怯な奴めと内心悪態をつきながら、真夏の炎天下を走って追いかければ、辿り着いた先で私を待ち受けていたのは黒い犬と、以前大変お世話になった犬ゾリ便の親父さんだった。
そこでクラウスの身柄を確保していることと、仕事に戻らねばならないこと、けれどクラウスを一人にしてはおけないこと。
何よりも『今の坊ちゃんには嬢ちゃんが必要だ』という心強い言葉をもらって、この小屋に再び案内してもらえたのだ。それが“八月六日”のこと。
「遅かったな、ルシア。疲れただろう」
「んーん、平気だよ。この時期だとまだ日もあるし、村への道も三回目だからだいぶ慣れたもん。そんなに心配しなくても大丈夫」
ドアを開けてすぐに出迎えてくれた心配性な人物に笑いかけ、周囲に人の気配がないかを確認してから室内へと身体を滑り込ませる。
「そうは言うがまた近くの村に荷物を取りに行くと言うから……大方学園からの課題だろう? 毎年この時期に課題が増える上級生達を見てきたが、大抵卒業間近になって課題の片付けに頭を抱えていたぞ」
相手は皮肉った物言いをしながらも、私が持って来た荷物の中からさり気なく特に分厚い本を選んで持ってくれる。普通にそうしてくれていたら紳士だったのに。それに現状も相まって新婚さんみたい――は、不謹慎かな。
ステッキをつきながらドアの前から身体をずらしたクラウスを見上げれば、ほんの少しはにかみながら微笑んでくれる。うん、天使。片道四時間、往復にして八時間の距離を歩いてきた疲れも飛ぶわ。
犬ゾリ便の親父さんはヴォルフさんと言って、強面の見た目の割に心配りの行き届いた人だった。学園側から休暇の間に届け物があるかも知れないと言うと、この近く……と言っても前述したように歩いて往復八時間くらいかかる。
その決して近くはない場所にある村の、自分達が利用する依頼箱を置いた雑貨店を教えてくれたのだ。
三日置きくらいに訪ねることにしているので、体力が衰える心配はなくて良いよね。雑貨店だからついでに保存のききそうな食料をちょっと買い足せるのも助かる。今の季節は暑いけど我儘を言ってはいられないし、何より私は割とこの生活が気に入っていた。
でもここにクラウスがいることがバレるのは、何となくこの手のゲームシナリオではタブーな感じがするから浮かれすぎには注意かな。バッドエンドになりそうなことからは極力距離を取らないと。
「大体当たりだけど……それって暗に私のことを落ち零れって言ってるよね? 酷いなぁ。それに何度も口を酸っぱくして言ってるけどさ、世間的には“いない人”なんだから、あんまり簡単にドアを開けて出迎えたりしないでよ」
苦笑しつつも嬉しいので、こちらがあまり強くは出られないことを知っているクラウスは「落ち零れとは言っていない。ルシアの場合は努力の結果が明後日の方向にあるだけだ。それに……ルシアの気配がしてすぐに出迎えないと、消えてしまいそうな気がする」と、一瞬目を伏せて自嘲気味に笑った。
その表情に思わず謝りかけて、けれどそうするよりももっと効果的な方法を思い付いた。俯いていたクラウスの手を引き、下から顔を覗き込んで「ただいま、クラウス」とダークブラウンの瞳を見つめて声に出す。
「大丈夫だよ、私もクラウスもちゃんとここにいる。それでもクラウスが心配なら、何度だってオウムみたいに安心するまで“大丈夫だよ”って繰り返すから。だからさ、お願い……笑ってよ?」
だって口では諭すみたいに言っている私も、実を言えばクラウスとさほど変わらない不安を抱いている。こうして視線を絡ませていても、今こうしているのが夢で、現実の私はやっぱりまだベッドの中で途方に暮れているのかもしれない。
クラウスが這々の体で私との約束を守って逃げ延びて、再会することが出来た二週間前の夜からずっと。
半ば情況的には同棲だし、もう今日は“八月二十日”なのに、ずっとずっと……そんな漠然とした不安に胸が押し潰されそうになっている。
再会したばかりの頃は一言も口をきけないような状態だったクラウスに、暑い季節なのに毎日寄り添い私も無言を貫いた。四日目にクラウスが『声が、聞きたい』と言うから、ベッドに座ったまま俯くその頭を抱きかかえて、何度も何度も馬鹿みたいに名前を呼び続けた。
クラウスから半分欠けた魂が、少しでもこちらに戻ってくるように。
今でも前世の悪夢を見ることがあって暗闇が怖い私は、夜にはクラウスに無理を言って同じベッドで背中合わせに眠ってもらう。でもこうして向かい合っていると、どうしても不安になって触れたいと思う。出来ることなら魂に直接触れたい。
とはいえ今は八時間分の道のりを歩いて来て汗塗れだから、本当はこの距離でも自分の汗の臭いが気になって仕方がないのだ。
そこで背中を向けているクラウスに「ちょっと裏の井戸で汗を流してくるよ」と声をかけてタオルと着替えを手に、今し方入って来たドアから外へ出た。
この小屋に前回来た時は雪に覆われて気付かなかったのだけれど、裏手に回ると割と立派な井戸があるのだ。まあ、それでないと犬にどうやって水をあげたり煮炊きするのかってことだもんね。冬の雪だけ頼りにしてる訳がないか。
夏の長い日差しが翳り始め、ようやく薄暗くなり始めた空の下で手早く身体を拭いて小屋の中に戻ると、暖炉の前で夕飯に使う水をふらつきながら水瓶から鍋に汲んでいるクラウスが振り返った。
その双眸にふと過ぎった逡巡の色に気付いて「どうしたの?」と訊ねれば、クラウスは何かしらの決意を固めたようだ。その読みはどうやら当たったようで、暖炉の前からこちらに近付いて来たクラウスは、まだ水気を拭いきれない私の髪に触れて口を開いた。
「……夕食後にルシアに聞いて欲しい話がある」
ああ、いよいよこの時が来たのか。
どうかこの不出来な私の導いた先が、君の幸せに通じていますように。




