表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】私の推しメンは噛ませ犬◆こっち向いてよヒロイン様!◆  作者: ナユタ
◆三年生◆

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

95/129

★12★ 堕ちるならば、輝けせめて。


 

 ガタンと下から突き上げる衝撃に、座席に立てかけていたステッキが倒れた。人目を避ける帰還とあって、手配した質素なこの馬車はなかなかに脚への負担をかけてくる。


 脚を少しでも衝撃の負荷から庇おうと、靴を脱いで座席の上に載せて抱え込む。そのまま目蓋を閉ざして痛みを紛らわせていると、ふと別れ際に見たルシアの心配そうな顔が思い出された。

 


『危ないことは絶対にしないで。もしも危ない目に会いそうだったらすぐに逃げるんだよ。前みたいに閉じこめられたら、どうにかして手紙を送って。夏期休暇が明けて一週間経っても帰ってこなかったら、前回みたいに迎えに行くから』



 男としてはあまり言われたくない台詞だが、あれがルシアの心配の仕方なのだと思えば不思議と嫌ではなかった。そこには欠けた者への嘲りも同情もない。ルシアにとってのあの言葉は、ただ本当に“心を配ること”でしかないのだから。



『絶対に皆で一緒にクラウスの誕生日を祝うんだからね。約束だよ?』


 

 ――そう、縋るような目で言われたことがくすぐったかった。


 脳裏で閃いた淡い微笑みに痛みで詰めていた呼吸を整え、目蓋を開ける。


 七月二十九日の朝にルシア達に見送られて王都から出立した馬車は、日付が変わる頃には忌々しくも懐かしいスティルマン領に入った。馬が時折後ろを気にしているのか、御者が軽く鞭を鳴らして前を向かせている。


 馬車の後方に控えさせてある異様な一団に怯えるのは、何も人ばかりではないだろう。野生の強い馬であれば尚更そのはずだ。実際こちらが雇った側でなければ後方にいる存在は恐怖の対象でしかない。


 少数精鋭の馬車でのこの一時帰還を、事前に屋敷に報せてはいない。完全に奇襲をかけるならず者のやり口ではあるものの、これ以上はあの男と女狐に好き放題させる訳にはいかない。


 たとえ地に堕ちた家名と領主家であろうが、物事には限度がある。


 五月の頭に届いた元・使用人の手紙の一通に、ついにあの男が一線を越える行いをしたという一文。それは表向きには税を納められない家の娘や妻を、別の街で使用人として働き口を斡旋してやるという物だったが、実際はそう見せかけた人身売買だった。


 事前に雇っておいた見張りが領地から出てきた幌馬車を捕まえたところ、中には年端も行かないような娘やまだ若い母親が数人、明らかに奴隷だと分かる者達に囲まれて震えていたそうだ。


 それがこの頃は月に二回、三回と段々と回数を増やし始めているという。


 どの道あの女狐一人を相手にこうも軽率な行いをするのだから、放っておけばその内に足が付いて王都から使者が来るだろうとは考えた。しかしそうなると学園で過ごす期間はかなり目減りすることになるだろう。率直に言ってそれは非常に面白くなかった。


 今回のことは結局のところ俺もあの男の息子らしく、人間らしい“我が身”を優先させる外道の取った行動が、奇跡的に善政よりの判断だっただけとも言える。


 それに幌馬車の中にいた女達が誰かにとっての、俺にとってのルシアのような存在だと考えれば如何に度し難い行為だということか。あの男と女狐には身を持って知ってもらうとしよう。


 その為に幌馬車の向かう予定だった土地はその都度御者を締め上げて吐かせ、この一件が片付くまで監視を付けて泳がせる。おかしな動きを少しでも取れば、この馬車の後ろをついて来ている連中に“どうにかするように”と命じてあると脅して。


 幌馬車の中にいた領民と奴隷達には数ヶ月身を隠せる金と、身許のしっかりした協力者を募ってそこへ働き手として送り込み、案件の片が付くまで潜伏しておくように言い渡した。


 女達を送り出した家族の元へは水面下で詳細をしたためた手紙を送り、そのまま帰りを待つように指示を出したが、今のところそれを守ってくれているようだ。


 こんな面倒なことをするのは円環(ループ)の中でも初めての試みで、以前の自分がしでかしてきたことを思えば滑稽なことこの上ない。呆れて倒れたままにしておいたステッキを拾い上げ、その持ち手についた鉄製の冷たいハヤブサを一撫でする。


 羽ばたく間際の一瞬を切り取ったハヤブサを指して、長年我が屋敷の執事であってくれた彼は言った。“どうか、自由におなり下さいませ”と。



 彼の言うところのその言葉の意味を理解出来ない訳ではない。


 今更どうすれば飛べるのかを、とうの昔に忘れてしまっただけなのだ。


 

 鬱々とした思考に飽きて再び目蓋を下ろしかけたその時、前にある覗き小窓から「屋敷が見えてきたぜ、坊ちゃん」と、安馬車の御者というには厳つすぎる男が顔を覗かせた。


 右頬に大きな傷を持ち、それを隠す為に顔を覆うように髭を蓄えた男に向かって「その坊ちゃんというのは止めてくれ」と苦笑したものの、男は「坊ちゃんは坊ちゃんだろうがよ」と悪びれずに笑う。


 厳つい顔を仄かに浮かび上がらせる光に目を細めれば、男は「これくれた嬢ちゃんは元気かい?」とさらに笑った。髭に覆われているせいで実年齢が掴めないが、厳つい見た目よりは幾分若いだろう。


 男は恐らく偽名だが名をヴォルフと言い、ルシアが俺の救出に来てくれた際に、足りない料金分の代わりに渡したという星火石の首飾りの情報を頼りに探した犬ゾリ便の男だ。あの時の記憶は所々はっきりと思い出せない部分が多く、この男の顔もその内の一つだった。


 ルシアは顔を全く見ていないと言っていたがそれも当然のことで、基本的に極寒の悪天候の中を皮膚を晒して進むことの出来ない職種である為に、捜索は随分難航したものだ。おまけに犬ゾリ便は冬場だけの仕事で、彼等は雪のない季節は商人の護衛などを請け負って各地を転々としてる。


 そんなヴォルフを見つけることが出来たのは本当に運が良かったという他なく、まさに星女神の思し召しといったところだろう。最初の頃こそ人相の悪さに驚いたが、今回の“仕事”を頼んだ時も指定された金額さえ支払えば、文句も探りも入れて来ない理想的な仕事人だ。


「ああ。それを貴男に渡した娘なら元気だ。本人は手放した先で大切にしてもらっているかを気にかけていたが……今回また仕事を頼めたのは、その首飾りを換金せずに持っていてくれたお陰だ。礼を言う」


「あー……そういう堅苦しいのは止めろ止めろ。オレはあの豪胆な嬢ちゃんが助けたあんただから、この仕事に付き合っても良いと思ったんだ。それにこの首飾りを換金しなかったのは純粋に役に立つからだしよ。坊ちゃんに礼を言われるようなこっちゃねぇ」


 そう言って煩そうに手を振るヴォルフに「それでもだ」と返せば、彼は少しだけ意外そうな表情になって「……そうかい。ま、何にせようちの奴等はヤル気充分だ。いつでも行けるぞ」と答えた。


 ややあって馬車は屋敷を視界に入れたまま街道沿いに停車し、これ以上は馬車での接近を出来ないのだと理解する。人間は脚の不自由な俺とヴォルフの二人にソリ犬が十二頭。些か少数精鋭に過ぎる気もするが、ヴォルフの連れた犬達のお陰で戦闘力に不足はない。


 ――屋敷の中に潜り込ませてある間者との約束の時刻まではもうすぐだ。


 それにしてもヴォルフの仕事時間を読む能力には舌を巻く物がある。王都からここまでの道のりを半日も早めた手腕は素晴らしい。


 俺が靴を履き直して姿勢を正している間に、馬車の御者席から飛び降りたヴォルフが後方に控えさせていた犬達をこちらに呼び寄せていた。普通の馬より訓練されている犬ゾリ便の馬達は、流石にこの距離でも(いなな)いたりはしない。


 ステッキを片手に馬車から下りた俺を、金色と緑色の二十四の瞳……総勢十二頭の大型犬がぐるりと囲む。中でも最も大きな真っ白の犬は、夜目に目立つがこの群れを率いる先導犬で、ヴォルフの犬ゾリの要だ。


「うちの娘もいつでもヤレルと言ってる。しかしホントに良いのか? うちの奴等は一度戦闘態勢に入ったら相手の戦意がなくなるまでとことんヤルぞ。途中でオレが止めても直ぐには止まらん。それで構わねぇんだな?」


 最終確認を取るヴォルフに頷き返せば、ヴォルフは自らが娘と呼んだ白い犬の耳許に囁きかける。そして白い犬のその尾がふさりと振られると、残りの犬達は即座に持ち場へと散って行った。


「スティルマン家は元々あんまり良い噂を聞かなかったが……ここが坊ちゃんの実家だったとはな。スティルマン家の奴等にマトモな人間がいたのは驚きだが……そのスティルマン家の御曹子に仕事を受けて、この屋敷を包囲することになるとは思わなかったぜ」


 ヴォルフのその発言に「買い被り過ぎだ」と答えながら、まだ暗い空を見上げる。そこには無数の大きな星々が輝き、己を誇示していた。周囲に散らばる細かな星々のことなど気にも留めない明るさで。


「ああ……だがそうだな。別に急に自分の有り様が善に変わるとは思わんが、綺麗なものをほんの一時でも手許に置きたいと願うなら、僅かの間であろうと俺もそうあらねばならないだろう?」


 細かな星々の声を掬い上げて小さなその声を聴く後ろ姿を思い出し、一瞬星に釘付けになるが、いつの間にか隣に立っていたヴォルフが軽く俺の肩を叩いた。闇の中にちらつく合図の明かりに、ヴォルフが首飾りを掲げてゆっくりと頭上で回す。


 ヴォルフの命を受けた白い犬が、ステッキだけの補助では不安のある俺に寄り添って鼻を鳴らした。その鼻面を撫でながら「ビアンカだ」と自慢気にヴォルフが娘の名を口にする。


 促されるまま湿り気を帯びたビアンカの冷たい鼻面を撫でると、彼女はまるで“心得た”とばかりに俺の手の甲をちろりと舐めた。



「――……さあ、狐狩りの時間だぞ」



 そう一人と一頭に声をかけて踏み出した一歩に、どこか遠くで円環(ループ)の弾ける音が聞こえたような気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ