*11* 一等星と、屑星と。
本日は“六月二十五日”。お天気はこの半月分の予想値をほぼ外すことなく的中率八割を常に保っている。入学当初はまさか星詠みのイロハも知らない田舎者が、ここまで詠めるようになるとは思ってもみなかった。
進歩というか、最早進化と評しても過言ではない。実際に領地から届く手紙は両親や領民の皆からの褒め言葉で溢れている。
最初はクラウスを助けたい一心でやってきた。けれどそんなことは私のエゴでしかなくて、むしろ不出来な【星詠み擬き】がそれなりに見られる【星詠み】に成長出来たのは、やっぱりクラウスのお陰だ。
期間限定の“恋人同士”もだいぶ板に付いてきて、クラスメイト達の間では“身の程知らずの恋だ”と嘲笑されつつも、クラウスがその都度放つ悪役オーラで散らすせいで黙認されていた。
日々は本当に穏やかで、喧嘩もなければ一緒にいて疲れるようなこともない。まるでお互いを本当の意味で空気のように必要としあうような、そんな日々だ。
深夜の星詠み、朝から夕方までの学園生活、放課後の一時には私が刺繍をする隣でクラウスが読書を楽しんだり、時々そこにラシード達も混じって遊びに出かけたりもする。こんな普通の学生生活を味わったのは、私にとって初めてだった。
自分の能力を遥かに上回る勉強について行くのは苦しいし、辛い。だけどそれに見合った評価を家族から、ラシードやカーサから、そして誰よりクラウスからもらえることが嬉しくて。鬱々と手探りで学び続けた暗い記憶が薄れていく。過去の“私”が現在の【私】になっていく。
――……だからクラウスに起こることなら、それがどんなに小さな変化でも、私にはすぐに分かるんだよ。
心配をかけないように隠しているつもりでも、何かに悩んでいることも、怒っていることも、ちゃんと知っている。だけどクラウスから助けを求めてこないうちから手を貸せば、彼は困るだろう。隠そうとするだろう。
私よりもずっと賢くて、とんでもなく不器用なせいで誤解されることが多いけれど、本当は誰より優しい人だ。せっかく寄り添ってくれた近しい人達が、自分より傷つくことを誰より怖がる臆病な人だ。
そこがとても腹立たしくて、
そこがとても愛おしいのだ。
「ねえクラウス。アイスティーのおかわりいる?」
刺繍を刺す手を止めてそう問えば「ああ、頼む」と、穏やかに微笑んで簡単に答えてくれるのに。私が“どうしたの?”と訊いたって、きっと涼しい顔をして一つも答えてはくれないんだろうね。
***
本日は、たった今“七月十二日”になった。
足許では星火石のランプがぼんやりと周囲を照らし出し、闇の中に私とクラウスの表情を互いに認識出来る程度に浮かび上がらせる。
もう深夜だろうが関係なく暑い。汗で張り付いた額の前髪を指先で解していたら、頭上から薄荷の香りがするハンカチと「暑いならこれくらい用意して来たらどうだ?」という呆れた声が降ってきた。
その声に「いやぁ、うっかりしてて」と答えながら、ありがたく降ってきたハンカチで額の汗を拭う。――と、見覚えのあるハンカチの柄に思わず頬が緩む。それに気付いたクラウスが「たまたま持っていただけだ」と顔を逸らすから、さらににやけてしまう。
ううむ……足許に置いた星火石のランプが、クラウスの表情をしっかり照らし出せるほどの光量がないのが惜しいところだ。
どうやら青海波の刺し子を施したハンカチは、製作者の私が知らないところで大切に使われているらしい。こんなに気に入ってくれているのなら、洗い替えにもう二枚ほど作ってあげようかな。
お礼を言って返そうとしてから、慌ててそれをズボンのポケットに突っ込む。訝しむクラウスに「汗を拭いたハンカチをそのまま返すのは乙女の美学に反するから、洗って返す」と宣言したら「下らない美学だな」と笑われたけれど、断固として譲らない姿勢を見せると諦めてくれた。
そうしてしばらくじゃれ合いながら星を詠んでいると、不意にクラウスが「もうすぐ夏期休暇になるが、その前にルシアに話しておきたいことがある」と切り出してきて、その切り出し方に何となく嫌な予感を嗅ぎ取った私は、全力で話題をぶち壊す方向に舵を切る。
「おう、今年はこっちで過ごすんでしょう? ちょっと話題にするのは早い気もするけど、何して遊ぼうか?」
なるべくわざとらしくないような声音で明るく訊ねれば、敏いクラウスはそんな小狡い私のやり口に気付いたらしく、後ろからぎこちなく頭を撫でてくれた。
「話というのは正にそのことなんだが……今年の夏期休暇は所用で例年通り領地に戻ることになった。俺が留守にする間、ルシアを退屈させないでやってくれとラシード達には頼んであ――」
「何言ってるの、駄目だよ。クラウスは今年は帰らない。そんな脚の状態の人をあんなところに帰らせる訳がないじゃないか。夏も、冬も、こっちで私と一緒に過ごそうよ。ね、良いでしょう?」
その言葉が終わるより早く振り向き、爪先立ってその胸座を掴んだまま叫びたい気持ちを抑えてそう言うと、クラウスは私の切羽詰まった勢いに目を見開いてから、何を思ったのか喉の奥で低く笑った。
どうやらステッキを握る手を離したのか、足許でトサリとステッキらしき物が倒れ込んでくる気配がする。
尚も笑う彼が腹立たしくて下から睨みつけると、クラウスは誤魔化すように額に口付けを落としてきた。一応拭ったとはいえ、汗で若干べたつく額にそんなことをされたら堪らない。私は即座に胸座を離して二歩ほど後退った。
その反応がさらにどこに搭載されているのか分からない、彼の笑いのスイッチを押してしまったらしく、クラウスはステッキと私という支えを失って少しよろけながらも、まだ笑い続けている。
段々腹立たしくなって来た。人が心配しているというのに笑うとは何事だ。“これ以上笑うなら腹に一発くらい決めてやろう”と密かに思っていると、そんな私の発する剣呑な気配に気付いたのか、クラウスがぴたりと笑うのを止めた。
……ふむ、良かろう。私は腰の辺りで握りしめていた拳を下ろす。
けれど今度はそのダークブラウンの双眸が細められて、ジッとこちらを見つめて来ることに恐怖を感じた。何かしらの覚悟を決めた表情。その覚悟が何なのか分からないことが怖かった。
前世のゲームシナリオの知識がもう使えない今、彼が何を考えているのか分からない。これが生死の分岐なのかすらも。
元よりバッドエンドしか持たないことを、クラウス自身がどこかで薄々気付いているのではないかと思うことが、これまで何度かあった。諦め癖というのか、物分かりというのか……とにかく痛みを感じることに恐怖を持っていない感じがするのが嫌だった。
本当はそんなことに気付かせたくないし、軟着陸させてあげることが私がここへ来た意義のはずだったのに――。
いつの間にかクラスメイト達が言うように“身の程知らずな恋”をしている自分がいた。私の為に動いていることが増えてしまった。こんな気持ちは許されない。
――私は元からこの世界にとってただの【異端】に過ぎないのに。
それでも、君との未来が欲しい、愚かな【私】がここにいる。
「嫌だ、クラウスが行くなら私も一緒に連れて行ってよ。私がクラウスの番星なら離れない。ああ、それとも約束よりも早くこの関係を止めたくなった? やっぱり私じゃ代わりになんて……」
“ならないって気が付いた?”
そんなメタ発言が唇から零れ出そうになった時、不意にクラウスの表情がそれまでの微笑から一転して険しくなった。
「お前が誰かの代わり? 何を馬鹿なことを言うかと思えば……そんなことがあるはずがないだろう。ルシアはルシアだ。代わりなどいない。勉強のし過ぎとこの気候でついに頭が茹だったのか」
「だったら、何で?」
「俺の番星がお前しかいないからだ。ルシアと寄り添う間に少しだけ戦う気力が湧いた。ルシアが待っていてくれれば、俺はまた戻って来られる。だからこそ学園に残して行くんだ。それとも……」
いつの間にか二歩分開いていた距離が詰められて、すぐ目の前に脚を庇って少しだけ傾いだクラウスが立っていた。
その厳しい表情が浮かんだままの顔が近付いてきたかと思うと、私の耳許に「“あの日”の意思表示程度では足りなかったのか?」と。さっきまで見ていた表情に不似合いな、からかう響きを含んだ言葉が囁かれた。
私の思う“あの日”と、クラウスの言う“あの日”が同じであれば、答えは否だ。掌に口付けられたことを思い出して一気に首まで熱くなる。
普通に聞いているだけでも未だにポーッとしてしまうことがある声で、急にそんな台詞を囁かれたものだから、乙女ゲームのノリに免疫のない私はたまったものではない。
結果としてそれまで真面目な雰囲気であったはずのこの状況で、思わず「ひえ、あのっ!? めめめ滅相もないですっ!?」と素っ頓狂な声を上げることになってしまった。ロマンチックとシリアスが死ぬわ。
そんなムードも何もないような、最早ギャグ要員と化してしまった私の首筋に頭を預けたクラウスが「この場面でそんな間の抜けた声を出す奴があるか」と呆れたように言った後、また喉の奥で笑う。
この――……誰のせいだと思っていやがるかなぁ!?
「帰ってきたら領地で何をして来たのか、ちゃんと全部話す。だから今は頷いてくれないか?」
拳を握りしめて震える私の背中にやんわりと回される腕と、溜息のような笑いを含んだその狡い声に、どうせ私が頷くしかないと知っているんでしょう? 実際抱き締め返してそうすることしか出来ない自分が情けなくて悔しいけどさ。
酷く憎らしいけど待つよ。
だって私は君の番星だもの。
その正体が一等星に恋い焦がれる、ただの屑星の一欠片でも。




