◇幕間◇仕切り直しをさせてくれ。
今日は遅れに遅れたラシードの誕生日を祝う特別な日。予約してあったお店は値段の割に可愛いし料理も美味しくて。
当初はテラス席での誕生祝いを大袈裟だと苦笑していたラシードも、ワタシ達三人で贈った少し高級なワインを喜んでくれ、本当なら今日の主役であるラシード一人で飲んで欲しかったのに、結局『主役が飲めって言ってるんだから』と勧められるまま全員で飲んでしまった。
その際に改めてスティルマンとルシアの交際発表も聞かせてもらう。ワタシも初めて聞かされた風を装ってはみたものの、頭の中はその後に用意された舞台のことで一杯だった。
お店から出た後は、寮に門限を過ぎる届けを出して来たというルシア達と一緒に、街中を散歩しようという――……計画に予めなっている。
「全くあの二人ったら、ワインを飲んじゃったから代わりのプレゼントを買いに行くだなんて言って……どこまで行ったのかしら?」
そんなことを露ほども知らないで、そう呆れたように笑うラシードの横顔を眺めながら、ワタシは痛いくらいに脈打つ心臓を押さえていた。このままだと二人が戻って来るまで一言も口に出来ないままだ。それは申し訳ないし、何よりも情けなさすぎる。
『じゃあ、私達が少しだけ席を外すから。その間に頑張るんだよカーサ!』
『心配するな。骨は拾う』
『……クーラーウースー。そこは“大丈夫だ、成功する”でしょう? 骨を拾うとか言われたら心配しか出来ないよ』
何よりそんな風にワタシに耳打ちして、互いの手を握って去って行く二人の後ろ姿は、今までワタシが知り得なかった幸せを体現しているかのようで。とても、とても羨ましかった。
今ここで勇気を出すことが出来れば、ああなることが可能だろうか? それとも万に一つに賭けるよりも、ここで二人が戻るのを待って、これから先も交友関係の広いラシードの“数いる友人の一人”として終わる?
――……違う、そうじゃないだろう。
ワタシは一番になりたい。いつかこの短くなった髪が元の長さに伸びるまで待ってくれる男性よりも、今この男の一番になりたい。
ルシアのように端で見ていて苦しくなるほどの【恋】をして、スティルマンが彼女に向けるような【愛おしむ】視線が欲しいのだ。
けれどその為にはルシア達のように言葉にしなければ。自分で選び取る為の行動をしなければ。欲しがるばかりで、もらってばかりで、ワタシは友人……いや、親友達に何も返せていない。
それにルシアはまだスティルマンを助けた時のお金をワタシに返済してくれるが、ワタシは家から送られてくる小切手の入った封書を、開けもせずにただ溜め込んでいただけなのだ。
それどころか、父上や母上が送ってくる封書を煩わしくも思っていた。これで今度は何をさせようというのか、と。そればかり考えて。
けれど、去年の夏期休暇を終えてから届いた封書の中には、今まで入っていなかった短い手紙が入っていたのだ。
“友人達と、楽しみなさい”と。たった一行だけのあれを手紙と言って良いのかは分からないが、忙しい父上が【娘】であるワタシの為にペンを取って下さった。無論それだけで今までのわだかまりを忘れることは出来ない。
けれどあの一文がワタシと両親のあり方が変わったのだと教えてくれたから。ワタシも皆のように変わりたい。
しかし……その為には、ひとまず前回のバーでの謝罪と、本当は一度目の誕生日会をしようとルシア達に言われた日、仕事を口実にして断ったことも謝らなければ。
最初に提示されていた日は本当は非番で、誕生日会をしても何の問題もなかった。それなのに下らない嘘をついて断ったのは、ひとえにあの夜の失態があった後で、どんな風に顔を合わせれば良いのか分からなかったからだ。
まだ大切な親友達と食事をして“散歩”を少ししただけなのに、まるで三時間の厳しい鍛錬を終えた後のようにバクバクと鳴る心臓を押さえて、それでもその横顔を視界に入れていたい自分を、あの日のワタシが見ればどう思うのだろう?
そんな詮のないことを考えていたら、ふとラシードが身体の向きをこちらに向けた。ワタシの視線が煩かったのだろうかと思って慌てて横を向けば、不自然な動きを見咎めたラシードが「そんなに勢いよく顔を逸らさなくたって良いじゃない?」と苦笑混じりの声で言った。
そう言われてしまっては、横を向いたままでいるのも気まずい。何より本当は横顔ではなく、正面からラシードの顔を見たかった。恐る恐る視線を戻せば、ラシードは気を悪くした様子もなく、いつものこちらを安心させるような穏やかな笑みを浮かべてくれていた。
けれど今のワタシは、正面からその微笑みを向けられただけで心臓が破けそうになる。いつもはルシア達とワタシの“三人”平等に向けられるその微笑みが、今はワタシ“一人”に向けられているのだから。
今にもこの胸が弾けそうに苦しくなる呼吸を整えて、いざあの日の仕切り直しの為に口を開こうとした――……その矢先に。
「ねえカーサ。アンタのお父様は城の騎士と同じ剣の型なの?」
こちらを見て微笑んでいたラシードが、唐突にそんなことを口にした。その問にすっかり奮い立たせていた勢いを削がれたワタシは、一瞬だけ呆けそうになるも、せっかくラシードが会話の水を向けてくれたのだからと何とか食らいつく。
「あ、ああ。ベルジアン家は代々王家の剣だから、聖騎士と同じ型だ。尤もワタシは娘なのでレイピアしか使用出来ないが……型だけなら、もしもの為にと教え込まれている」
ワタシの答えを聞いたラシードは、一度だけルシア達の消えて行った方角に視線を彷徨わせ、すぐにまたこちらを向いた。この作戦に気付かれたのかと内心焦ったが、夕日を思わせるオレンジ色の瞳に訝しむような気配はない。
けれどその安堵からそっと息を吐いたワタシを見て、ラシードの目が猫のように細められた。
「ふぅん、それは好都合ねぇ。それじゃあ、アンタの髪は後何年くらいで元の長さに戻りそうか分かる?」
「ええと……ここまで短くしたことはないから確証はないのだが……たぶん、四年くらいだと思う」
「そう、それなら時間は充分あるわねぇ。むしろちょっと長いくらいだわ」
次々にラシードから投げかけられる言葉の意図がさっぱり理解出来ないワタシは、今度こそ困惑してしまう。
それにこれでは会話というよりはまるで尋問のようだ。やはりあの日のことを怒っているのだろうかと心配になって表情を窺うものの、ラシードはにんまりと人を食った笑顔を浮かべるだけで……。
ワタシはその初めて見る笑みに魅入った。それどころかいつもの大人びたものとは違う、何かとんでもない悪戯を思い付いた子供のような表情は、どれだけ見ていても飽きないような気がする――……と。
「そうね、お父様とアタシの年齢差を考えたら二年で良いわ。アンタが重荷に思ってる聖騎士の型とやらを全部アタシに教えて頂戴。アタシがそれを憶えたら、アンタはその型を全部忘れて良いわ。何ならレイピアも捨てて構わないわよ?」
しかし流石にこれ以上疑問を抱いた状態での意志疎通は不可能だと思ったので、遅ればせながら「あのだな、さっきからラシードは一体何の話をしているんだ?」と訊ねてみた。
するとラシードはワタシの顔をまじまじと見つめてから二、三度瞬きを繰り返す。そして「ああ」と微苦笑を浮かべたかと思うと、滑らかな浅黒い頬に手を当てて、言った。
「何の話って……お馬鹿ね。決まってるでしょう? “あの日”の仕切り直しよ。二年経ったらアンタを貰いに行くから、お父様にアタシが“娘に手を上げるクソ野郎が、首を洗って待ってろ”って言ってたと伝えて頂戴。そんなに跡継ぎに強い男が欲しかったのなら、多少無礼でも良いでしょ?」
ラシードが指す“あの日”が、ワタシの思っているものと一緒なのだとしたら、これは都合の良すぎる夢なのだろうか? もしかしてワタシはさっき誕生会を開いたあの店で、ワインに酔って眠ってしまったのかもしれない。
それだけこの展開はワタシにとって予測もつかない事態で、実際口から零れるのも「嘘、だ……」という間の抜けたものだけ。他の言葉も、問も喉の奥に引っかかって一つも声にならない。
そんなワタシを見かねたラシードは「なぁに、ちゃんと聞きたいの? 欲張りねぇ。いい加減に物影で待ってるあの二人が可哀想よ?」と、さっき視線を彷徨わせていた方角を見やった。
その言葉を聞いて尚更焦って言葉を紡げないワタシに向かって、ラシードが一歩ずつワタシ達の間にあった距離を詰めてくる。そうしてついに目の前に迫ったラシードは、短くなったワタシの髪をその指で掬い取り、少し屈んで毛先に口付けた。
「二年経ったら、アタシの為に白いドレスを着てくれるかしら? いつものキリッとした格好のアンタも素敵だけど、ドレス姿はきっととっても【綺麗】だわ」
それはあまりにも幸せ過ぎる魔法の言葉だから、もう二度と。
「お願いだ……ラシード、」
「うん、なぁに?」
「二度とワタシと、ルシア以外の女性に、その言葉を使わないで」
情けなく泣きじゃくる頭上から「勿論よ」と声が落ちて、あの日はスレスレに触れた口付けが、ワタシの唇に触れたのだ。
今回で一応
カーサ&ラシードの先輩コンビはめでたし\(*´ω`*)




