*27* 今度は財布が瀕死の重傷。
今日は“十一月七日”の休日。天気は曇りでやや肌寒い。
髪が短くなって飛び跳ねるせいでお手上げ状態だった私は、休日を利用して必要に迫られ仕方なく買い物にやってきていた。お洒落な陳列棚の上から掌サイズの丸い陶器製の容器に鼻を近付けて、中に詰められた整髪クリームの香りを確かめる。
「あ……これ、好みの香りかも……」
「あら、気に入ったものがあったのね。ちょっと貸してくれる?」
こちらが頷くよりも早く掌から摘まみ上げられた整髪剤の容器の行方は、隣に立つ大柄なオネエさんの大きな掌へと攫われてしまった。本当は一人で来る予定だったのだけれど、何故かこうしてラシードと一緒に雑貨屋さんの中で買い物を楽しんでいる。
しかも実家がド田舎なので、こういうお洒落な場所に買い物にくることが滅多にない私よりも余程ラシードの方がこの場所に馴染んでいるのが腹立たしい。見目のよろしいラシードに横に並ばれると、私の方が付き添いで来ているように見えるくらいだ。
実際にさっきから店員のお姉さん方はラシードに商品の説明をするし。買うのも使うのも私なんですが? 確かにここに来るまでも髪型と体型、見目のモブっぷりから男の子に間違われている……。
せめてスカートでもはいていれば良かったのだろうけれど、それだと学園の女子に見つかった時に言い訳するのが面倒くさいのだ。
今日の私の服装はベージュのロングコートに、ダークグリーンの足首までのズボン、焦げ茶のショートブーツにズボンと同色のキャスケット帽という、全身全霊で目立ちたくない地味な装いである。パッと見にはチビなソバカス少年だ。
対するラシードは、身体の線に添った仕立てのいい黒のロングコートに細身の黒いズボン。白いブイネックのセーターに赤いヒールの付いたショートブーツだ。
首には絶対に防寒目的ではなさそうなマフラーっぽいものを巻き、その下に細い金のネックレスをしている。よくよく見ればネックレスはズボンの裾からちらりと覗くアンクレットとお揃いだ。お洒落だなぁ……。
こうなってくると本人が輝いているのか、それとも輝きを増してしまったエフェクトのせいなのかよく分からない。たぶん両方のような気がするな。最初に会ったときはこんなに親しくなる予定でもなかったからつい聞きそびれてしまったけれど、もしかしたらラシードはただの留学生ではなくて、もっと身分の高いお家の人なのかもしれない。
「うん、これは青林檎の香りね。毛先を整えるクリームに使うなら香りとしても甘過ぎないし、アンタらしくて良いんじゃない? それじゃあ一つはこれに決定して、と。気分によって使い分けが出来るものが欲しいからあともう二つくらいあっても良いわね。他に気になったものはあるかしら?」
髪を耳にかけながらそう訊ねてくるラシードは私よりも……と、いうか、比べるまでもなく美人だ。男性に使う形容ではないかもしれないけれど、マンゴー色の星のエフェクトが嫌味なく似合っている。
「え……こんなの別に気分で使い分けたりしないでしょう。面倒くさいし。大体そんなに同じ商品買ったところで不経済じゃない」
「アンタって子は本当に発想がおブスねぇ。良いわ、おブスに如何に香りが気分を上げるものなのか教えてやろうじゃないの。アンタはこの一つだけ買いなさい。それで後の二つはアタシが買ってあげるから、好きな物を選んでごらんなさいよ」
「いや、悪いから良いよ。奢ったり奢られたりするのは苦手だし」
生前も今世も、ことお金の貸し借りは好きではない。親しい人間とならば尚更すべきではないというのが私の持論だ。
それに“こんなものがいくつも鏡の前にあったところで邪魔でしかなのでは?”と思って言ったのだけれど、ラシードは盛大な溜息をついて私の掌に別の陶器で出来た別の種類の整髪クリームを載せ意地悪く笑うと「スティルマンに言いつけるわよ?」と脅しをかけてきた。
「そこで推しメンを盾に使うとは卑怯だぞ……」
「何とでも仰い。無駄な抵抗する暇があったら、髪の毛と一緒に落として来ちゃった色気の底上げを頑張りなさいな。そうでないとアンタ、そのままだとまるで男の子よ?」
無慈悲極まりないその一言に胸を押さえるが、膨らみに乏しい胸元がそれを否定出来なかった。これは――そう、厚着のせいだから。うん。
元はと言えば今日私がここでラシードと買い物をする羽目になったのも、遡ること三日前に図書館でスティルマン君を待ち伏せしたりしたからなんだけど。本当はその日の授業から出席しようと思っていたのに、目を覚ましたらすでにお昼を回っていたという大失態をおかしたせいだ。
天恵祭から十日ぶりにあったせいで緊張していた私は、推しメンと目があった時に思わず彼の視線が額の傷に行くのを感じて、その気まずさから咄嗟に『それはそうとさ――……この髪型、どうかなぁ?』などと馬鹿げた上にどう反応したら良いのか困るような質問をしてしまった。
そして生真面目な推しメンは神妙な表情をして私の額の傷と、様変わりし過ぎた髪型を見てからこう結論づけた。
『似合うかどうかというだけの質問なら似合うと思うが、これは俺個人の意見であって、誰しもが子女である君の髪型がそのままで良いとは言わないだろう。そしてそうなればそれは俺の手には負いかねる案件だ。だとしたらここは、美容関係に詳しそうなラシードに意見を仰ぐべきだ。実は俺も天恵祭の稽古をつけてくれた礼をまだ述べていない。そのついでと言うわけではないが、まだ学園内に留まっている可能性もある。一緒に探しに行こう』
と、私の答えも聞かないままに踵を返して歩き出してしまった。そのせいで事態が飲み込めないながら私も後に続いて二年の棟や食堂、最終的には鍛錬場にたどり着いてしまい、運良くあのベンチにぼんやり腰を下ろしていたラシードを発見できたのだ。
離れて見るその後ろ姿が少し煤けて見えたときは、私のせいかと思って心配したのだが――いざ声をかけてみるとそんな殊勝なことは全然なくて、冬が近付いて来たせいですっかり乾燥肌なことを悩んでいただけだった。
全く紛らわしいにもほどがあるわ。美形はいちいち気にすることが腹立たしい。冬場に一回くらい粉ふき芋みたいな肌になればいいんだ。こっちはマイナスからの再出発なのに狡いぞ!
しかも推しメンはそのラシードに向かってこう注文を付けた。
『このままだと元の見た目よりも良くしないと、卒業後に領地に戻った後が心配だ。婚期が遅れるだけでなく、心身を病んでしまうかもしれん。そこで美容に明るいラシードの腕を見込んで頼みがある』
――心配するにしても本当に言葉を選べよ、ヘイトマン。
私から言わせれば君の方がずっと心配ですよ? 領地に戻った後に風の噂で刺されて死んだなんて訃報はお断りだからな?
――――だけど……、
『……ルシアを……俺の友人を、せめて他人から悪し様に言われないようにしてくれないか?』
そんな不満も最後の一言で帳消しにさせるんだから、本当に狡い男だなぁ、私の推しメンは。背中しか見えなかったのが惜しいくらいに良い言葉だったのに。それでもその背中もスチルボックスに収納しておいたけど。
あの場面を思い出して“心ここにあらず”だった私の意識を引き戻したのは、ラシードが一回“パンッ”と景気良く手を打ち鳴らしたからだ。
「とにかく一から仕切り直しなんだから、アンタも気合い入れなさい。元々は顔面だけ貸してくれればいいところを、アンタときたら他の部分も何の手入れもしていないんだもの。これから女性としての美しさの何たるかをキリキリ躾ていくんだから覚悟なさい」
心の中で思っていたことを言い当てられてビクリと肩を震わせた私に向かい、ラシードは「この次は化粧品を見に行くわよ。一応基礎のスキンケアはしてあるんだから、そろそろ次のステージにあがらないと」と不穏なことを曰った。
「無理無理無理。化粧品ってお高いじゃない? この整髪クリームだって三つも買ったら今月の仕送りじゃ足りないよ」
断固拒否だとばかりに首を横に振る私に向かい、ラシードは心底呆れた表情を浮かべて“チッチッチ”と人差し指を目の前で振った。
「はぁぁぁぁ~……これだからおブスは……。アンタねぇ、それで行くといま町にいる可愛い女の子はみーんなスッピンになっちゃうでしょうが」
「だからそれは元が良いんだってば。造形が整ってるから化粧なんて必要ないの。町の子達ですら絵師に愛されて……痛ぁっ!?」
私が卑屈な事実を言葉を言い終わる前に、ラシードによって頭上に手刀が振り下ろされる。いくら手加減されているとは言え、振り下ろされる身長差を考えろこのオネエさんめ……!
「ちょっと、そんな恨みがましい視線で見上げないで頂戴。アンタがあんまり卑屈なおブスだったからつい手が出ちゃっただけよ。女の子の可愛さは一朝一夕で出来るほど甘くないの。みんな元から可愛いですって? バカを仰い。みんな裏では必死に頑張ってるのよ。それをアンタは知りもしないで勝手なことばっかり……アタシは悪くないわよぉ? ねぇ、店員さん?」
耳に毒と言っても過言でないその華やかな低音のビブラートをきかせた声に、女性しかいない店員さん達はメロメロになって頷いている。何だろう、今の私ってば孤立無縁過ぎるぞ。
「ほぉら、おかしいのはアンタで決まり。早くあと二種類選んで次の店に行くわよ。それでその次は服に、それから靴も――……」
あ、拙いぞこれは駄目だ。
この感じは早く行動しないと雪だるま方式に出費が増える予感がビシバシするわ。私は慌ててあとの二種類を探すために、店の棚に陳列された整髪クリームに鼻を近付ける。




