*25* 痛い目みたけど、割とあり。
痛い。
『――――!』
怖い。
『――――!!』
暗い。
『――――、――ス!!』
うるさいな……何か知らないけど、頭に響くから止めて。身体が痛くて聴覚に割ける感覚が復旧しきれない。まるで水底に沈んだ石の気分だ。だからといって、このまま眠っていたら良くないことは分かってる。
だってこれは、酷い悪夢だ。でも目蓋が自分の身体の一部のくせに言うことを聞いてくれないから、私の世界は闇の中だ。
そんなことを思っていたら、不意に何かが頬に触れた。そしてそれは頬を乱暴に拭うように往復する。その温かい感触に重かった目蓋がピクリと反応した。む、これはもう少しで開けそうかな……?
私が自分の身体相手にそんな葛藤をしている間にも、頭に響く音は延々かけられ続けている。うん……良いぞ、頭に響くけど、そのお陰でもうすぐ目蓋を持ち上げられそうだ。
「い――に――……ろ! ――――いかクス!」
おお、やっと聴覚に割けるほどに痛み意外の感覚に集中出来るようになってきた。さっきから水底で聴いているみたいなくぐもった音は、正確には音はなくて声だったんだね。……けど、あれ? もしかしてこの声は――。
「起きろリンクス! ルシア!!」
おお~、やっぱり! このゲームって名前変更出来なかったから、思いがけず推しメンの声で私の姓ではなく名前を呼んでもらえるだなんて、やったぜ――……じゃなくて!!
今の自分の姿がどんな状況なのか分からないけど、みっともない姿を晒せない! そう強く感じた次の瞬間、私の目蓋はようやく持ち上がり、光りを捉えることが出来た。
「ルシアッ!?」
「……はぁい……ルシアでぇす」
目蓋を開けて真っ先に視界の中に映るのが推しメンの悲痛な表情とか……もうね、尊すぎて性癖曲がりそう。しかもこの真上から覗き込まれている状況と、頭の下の感触……もしや膝枕ですか? やだ意外と役得かも――って、馬鹿、そうじゃない。
「……試合、勝ったの、観てた、よ。格好良かった、おめで、とう」
叫びすぎたせいで喉が痛いのと、全身が痛いせいで切れ切れになってしまったけれど、何とかそれだけ口に出来た。本当はもっと元気な声でこの言葉を言うはずだったのに……残念。それに今ので気力を使い果たしてしまったのか、また眠たくなってきてしまった。
言いたい言葉を伝えられて安心したせいもあるのだろうけれど、再び重くなってきた目蓋が下りてきて、悲痛な推しメンの表情が半分になっていく。
「待て、まだ眠るなルシア! すぐにラシードが治癒師を呼んでくる。だからまだ……俺と話をしていてくれないか?」
懇願のような響きを持ったその言葉に、もうほとんど閉じかけていた目蓋が踏み留まる。あぁ、私は君を泣かせたいわけじゃ、ないんだよ。
「は、仕方が、ないな……だったら、お願い、きいて」
「――ああ、何だ、言ってみろ」
気を抜けばすぐに途切れてしまいそうな意識の中でも、辛そうな顔は見たくない。その表情なら、ゲーム画面で嫌というほど見たからね。そうさせない為にも故郷からはるばるここまで来たのに、このままでは本末転倒だ。
「笑って、スティルマン、君」
そんな私のお願いが意外だったのか、推しメンは一瞬目を見開いて。それでもすぐに「了解だ」と、淡い微笑みを浮かべてくれた。笑い慣れていない人間特有のぎこちなく上がった口角が、とても素敵だ。
「最後の、カイルの剣、弾いたとき、すごく、格好良かった」
「ああ」
「カイルの奴、ざまぁみろって、思った、よ」
「ああ」
「次に“ああ”って言ったら、もう寝る、ね?」
「それは困る。まだ眠るな」
「何だよ、我儘かよ……」
その返しに思わず笑ってしまった私の額に、推しメンが自分の胴着の端を裂いてソッと押さえる。直後に鈍い痛みが走ったけれど、表情には出さないように笑みを浮かべた。すると推しメンの表情がまた哀しげに歪む。
これは……傷が残るかもしれないという表情で合ってるのかな? 気にするなよ、元々そんなに美人じゃないのだし、そんな傷一つ残ったところで両親は私を嫌わないから。結婚だってこことは違う暢気な田舎だから、余程相手を選ばなければ出来るよ。
――そんな気持ちを込めて、布を当ててくれる推しメンの手首を掴む。
「大丈夫、大丈夫、何とか、なるさぁ」
そう笑った私の手に、推しメンは無言のまま、布を持っていない方の手を添えてくれる。そうして少しの間、天恵祭の後にあった表彰式の話を訊いたり、ヒロインちゃんのことを訊いたりした。
残念ながらこのイベントで、ヒロインちゃんが推しメンを思い出すことはなかったようだが、それでも「素晴らしい試合でした!」と興奮気味に健闘を讃えてくれたのだそうだ。ふふ、ここ最近の努力が実って良かったなぁ、推しメン。
私が次の話題を探して黙り込んだ時、数人の人の声が近付いて来た。どうやらここでお喋りは終了の時間かな。推しメンもそう感じたようで、二人して声のする方に視線を向けた。けれど人の姿が見えるより早く視界に入ったマンゴー色の星のエフェクトのせいで、ちょっとは覚悟していたとはいえ思わず意識を失いかける。
――これはまぁ、乙女ゲームあるあるだよね?
悲しいかな、ヒロインちゃんたら、チョロインちゃんの気質があるみたいだ。分かってはいたことだけど……現実ってやっぱり厳しいなぁ。
***
本日は“十一月三日”。
ここ数日で急に気温も下がり始め、あの天恵祭の晴れ間がどこに行ってしまったのかと思うような曇り空が広がっている。
天恵祭の日。私はあの後すぐにラシードの連れてきてくれた、天恵祭の出場者の傷を癒す為に会場に控えていた治癒師達の手によって処置を受け、学園側からは二週間の自室待機を言い渡されてしまった。女子寮なのでお見舞いに来てくれる友人の当ては一人もいないし、怪我をする前に授業で習った部分の予習復習も、もうし尽くした。
授業が今どこまで進んでいるのかと考えると、怪我をした時とは違った意味で気が遠くなる。前世の進学校では三日も休めば意味の分からないことになっていた。今回もきっとそうに違いない。
だからまだ四日ほど休養日が残っているけれど、明日には這ってでも授業に出席するつもりだ。これ以上日が開けばきっと授業に追いつけなくなる。何よりもずっとベッドにいるのも暇だしね。
痛みは五日ほどで一段落して、今では部屋の中を動き回るのは勿論、食堂に行って食堂のオバサンにオヤツをもらうことだって出来る。
今日の空模様のように憂鬱な気分でベッドの上に寝転びながら、薬の塗布をする際に使用する手鏡を引き寄せて覗いた。額の右上。前髪の生え際に走ったミミズ腫れのような傷。
あの日、木から落ちるときに咄嗟に顔を庇ったまでは良かったのだけれど、それでも庇いきれなかったその部分を、地面から飛び出していた根が裂いたのだ。裂けた部分はそこだけだったけど、後で制服の袖をまくったら両腕の手首から肘までの間が紫色になっていた。
お陰で首からさげていた星火石の首飾りは無事だったけど、代わりに途中ですっぽ抜けた双眼鏡が殉職していたらしい。すまん、双眼鏡。後で請求書がくるんだろうけれど今は考えないぞ!
ただ処置をしてくれた治癒師さんが言うには、奇跡的に全身の他の部分は大した傷はなかったらしく、打撲の跡も二週間ちょっとで消えるらしいのだけれど、この額の傷だけは少し跡が残ると言っていた。
別に元から十人並みの顔だし、前髪で隠せばそう目立つものでもないので私としては構わないのだが……両親や、領地の皆、それに――。
「この傷、スティルマン君とラシードは気にするだろうなぁ……」
おまけに今はその髪すら、傷に障るからと短く切られてしまった。それに実のところ、傷がうっすら残ることよりもそのことに関しては非常に落ち込んでいる。頭部の外傷を調べるためとはいえ、癖毛を短くするという暴挙だけは許し難かった……。
手鏡に映る私の頭は、どう言い繕っても干し草の山か鳥の巣だ。あちこちに跳ねる髪が私のソバカス顔をより引き立たせた。
「あーあ……あの長さまで伸ばすの、苦労したのになぁ」
私の癖毛は伸ばせば髪の多さから下に引っ張られて、好き勝手に飛び跳ねていた髪を一定のうねりに抑え込むことが出来る。だから見ようによってはそれなりに整うのだ。それがすっかり元の木阿弥。私のコシの強い癖毛はあの長さになるのに四年、五年かかるんだぞ……。
「あの全く手入れしてなかった髪も、せっかくラシードのお陰で艶が出始めて来たところだったのに……悪いことしたな」
しかもそのラシードに至ってはそれだけでなく、星のエフェクト問題もある。あの日以来ちっとも会っていないから、あの星がその後に濃さを増したかどうかも気になるな。そんな色々気になる案件の中で、けれど、一番気になっているのはもっと別のことだったりする。それは夜中の星詠みの練習でも、図書館での勉強のことでもない。
「スティルマン君、次にあった時にはまた名前で呼んでくれないかな?」
――ちゃんと自分の立場は弁えるから今だけは。それくらいの愚かな願いを抱いても、どうか許して、星女神。




