☆6☆ チョロインではありませんので。
夕方までのゴド爺のお店での仕事を終えて、表通りを浸食している品物をどうにか店内に詰め込んでいく。ここ一ヶ月と一週間、何故だか毎日この作業をしているはずなのに、一向にこの品物達を元のように店に詰め込むことが出来ないのは何だろうなぁ……。
例えるなら、調子に乗って詰め込みすぎた旅行用のトランクみたいな店なので、どうやってこの品物達がここに納められているのか皆目検討がつかない。いっそここが異空間で、時空のポケットにあると言われても驚かないし、その方がむしろ納得するというものだ。
いったいゴド爺はこの店を一人で開けている間、どうやってこの量の商品達を詰め込んでいたのだろうか? 未来から来た猫型ロボットか何かなの?
――いやいや、待てよ。最近すっかりここが乙女ゲームの世界なのを忘れてたけど、このお店ってもしかしてゲームの後半に出てくるような、隠しアイテムとかを取り扱ってるお店だったのかも……なんて。
だって実際にここでバイトをしていたこの一ヶ月と一週間の間に、色々とあった隠しキャラクターのエルネスト先生が来店したからね。なので、もしかしたらクラウスがくれたあの天体望遠水晶は、本来彼の手に渡る物だったのではないだろうかと当たりをつけている。
当然何でここにいるのかを訊ねられたから素直に家出をしてきたことを伝えると、先生は苦笑しつつも納得してくれた。
ついでにお互いの近況報告を報告しあったりもしたのだけど、この世界の主人公であったヒロインちゃんは、今のところ可もなく不可もない星詠みを続けているそうだ。あの水晶を得てからはほとんど考える間もなく星詠みが出来るので、体調不良になるような気疲れもないらしい。
むしろ彼女専属の天文官に先生が名乗りを上げてくれたことで、人目を憚らずに一緒にいられるからとご満悦なのだとか。人が喧嘩して家出をしてきたと教えてやったはずなのに惚気るとは良い度胸だなと、思ったりしたよ?
だけどそれを聞いた時は心底ホッとした。領地でパレードの日の光景を夢に見て目覚めた時の、あの何とも言えないモヤモヤとした気持ちが、ほんの少しだけ軽くなったから。
ここ百余年ぶりの星喚師として、星女神の生まれ変わりだと奉り上げられても、彼女はただ大好きな人と一緒にいる道を選んだらそうなってしまっただけの女の子に過ぎない。
勝手に躍起になってシナリオを引っ掻き回した人間が、こんなことを思うのは烏滸がましいかもしれないけれど。彼女が今幸せでいてくれることが私にはとてもありがたかった。
今はまだしばらく籠の鳥を演じるつもりだそうだけど、あと五年も今のような当たり障りのない星詠みをすれば、先生が他の天文官達に予測は勘違いだったのではないかと言い出すつもりらしい。
そうなれば彼女は一般の星詠師として降格し、後は先生が頑張って結婚を申し込むだけだ。彼女は絶対に断らないだろうから未来は明るい。
しかし――……現在そんなちょっぴりほろ苦い感傷に浸って、現実逃避をしている暇ではなかったりする。
今日も今日とてしきりに首を傾げながら、踏み台に立って品物を片付けていく私の背後で、ニヤニヤとお茶を飲みながら若者が悩む姿を見るのが好きなゴド爺が「ほれ、その商品は本当にそこにあったものかのぅ?」と意地悪く指摘してくる。
まるでヒントのないテト○スを解いている気分だ。それでも必死で知恵を絞る私の背後で、さらに「急がんと、また食堂の仕事まで時間がギリギリになるぞい」とゴド爺が急かしてくるせいでやや苛つき、せっかく入りそうだった箱がズレて入らなくなった。
ぐらつく踏み台の上に爪先立ちながら、何とかそこから崩れ落ちてきそうな箱の底を支えるけど、これは――……諦めて一旦全部積み直すしかないか?
いやでも今から積み直しなんてしてたら、それこそゴド爺が言うみたいに食堂のバイトに遅れてしまう。どうしたものか。
「おぉい……ゴド爺~、手伝わないで邪魔するなら、さっさとお家に帰って深酒でもして寝なよぉ」
「手伝いなんて嫌じゃよ。儂ゃルーちゃんが必死になって、トンチキなことをするのを眺めるのが楽しいんじゃもん」
「じゃもんって、ゴド爺ってば良い趣味してるうぅ……!」
可愛い子ぶって邪悪な発言をする老店主にそう軽口を返しつつ、歯軋りをしながらズレた箱を指先で棚に押し戻す。
背伸びをしているせいで、元々足場の悪い踏み台がガタガタと抗議の音を上げているけど、何とかもう少しで隙間に物が詰められる……はず。
僅かな爪の取っ掛かりを頼りに、ここからでは見えない箱と箱の隙間を予想しながら押し上げたその時、無理な姿勢で重心が崩れたのか、グラッと踏み台が斜めに傾いだ。
人間というのは箱と箱の隙間は想像できないのに、自分が痛い目に遭う想像だけは一瞬で出来るのは何故なんだろうか。しかも脳内で瞬時に棚を押し倒して派手に転倒する姿を思い描いたのに、咄嗟に商品から手を離すことを躊躇してしまった。
早くも観念した私の身体が棚に突っ込む寸前、いきなり“ガシッ!”と音がしそうなほど強く背後から腰を抱えられたせいで「うえぇぃっ!?」と、やけに陽気な悲鳴が口から漏れる。
「ちょ、ゴド爺ぃ……びっくりするから! 支えてくれるのはありがたいけど、出来れば踏み台をよろしくお願いしますよ。私こう見えても夫がいる人妻なもんで」
あんまりびっくりしすぎたせいで、ついお礼を言うよりも先に苦情が口から出てしまった。助けてもらったらありがとうが基本なのに!
けれど、慌ててお礼を言い直そうと身体を捩った私の視界に飛び込んできたのは、雇い主兼大家さんである白いターバンに白い貫頭衣、さらには真っ白なお髭をたくわえた浅黒い肌の老人ではなかった。
さっきまでそこにいたはずの老人はすでに店の外に出ており、目を丸くしている私に向かって「そんじゃ、後の戸締まりよろしくのぉ」と手を振って去っていく。流石に年季の入った自由人は格が違うね。いつの間に会話に飽きてたんだ、あのお爺ちゃんは……。
遠ざかって行くその背中を、呆れた様子で見送っていた私の視線のすぐ下から「まったく……相変わらず大雑把だな。こういう時は面倒がらずに、一度全部卸してから積み直すべきだといつも言っているだろう?」という、少しだけ皮肉屋な物言いが返ってくる。
身体を捩って振り向いたその先にいたのは、まだ結婚してから日の浅い私の旦那様だった。結婚生活が短すぎて、学生の頃の方がまだ長く一緒にいたような気もするけど。
久し振りに耳にする声と、片足で踏み台を支えたまま私の腰を抱く腕の体温に、あんな書き置きを残して飛び出して来たくせにドキドキしてしまう。けれど再会してすぐにクラウスにそれを悟られて優位に立たれたくない。
クラウスは確かに私を探して捕まえるために、ここまでやってきてくれたとしても、私はまだ怒っているのだから。それを見つけて捕らえただけで簡単に許すと思うなよ。
そういうわけで、嬉しいのに思わず素直に喜びきれずに無言で睨みつけてしまう。いかに元モブといえども、今はそこまでチョロインじゃありませんからね?
だけどクラウスはそんな可愛気のない私を見つめて目を細めると、私が四苦八苦しながら支えていた箱を代わりに押さえて「俺がやるから、降りてくれ」と、皮肉っぽくない、どちらかと言えば甘やかすような穏やかな声で言った。
そんなクラウスの声に一瞬絆されかけたけど、何とか憮然とした表情を取り繕ったまま、その腕の中から逃れて踏み台から降りる。ちゃんと私の足が地面についたことを確認したクラウスの腕が、腰から離れた。
とても悔しいことに、クラウスのそう高くない体温を“失った”と感じるほどには、私はこの人の存在に飢えているらしい。
代わりに踏み台に立つ背中を見つめながら、せっかく積み上げた箱が一つずつ店の床に置かれていくのを、どこか面白くない気分で眺めていると、ふと怪しげなお店の商品に紛れて立てかけられた、クラウスのステッキに視線がいく。
ジッと眺めていると何か違和感があるような気がして……手にとってみたらすぐに分かった。
違和感の正体。それは、長さだ。石突きの部分がだいぶ削れているのか、領地で最後に見た時よりも少し長さが短くなっていた。
そしてそれはそのまま、頑丈な石突きがそうなるくらいに、クラウスが歩き回った証拠である。ここで“もしかして……私を探し回ってくれたから?”とか思えるほどに、現状愛されている自信がないから言わないけどさ。
無言で眺める先で、短時間で隙間なく綺麗に積み上げられていく、大きさも重さも違う箱達に内心驚いた。クラウスは私より遥かに空間認識能力が優れているらしい。あと普通にテト○スとか得意そうだ。
けれど、だったら妻の心の空間認識能力の読みの甘さは何なんだよと、小一時間ほど問い詰めてやりたい。とはいえ、あと三十分くらいで次の仕事場に向かわないといけないから出来ないけど。
何となく両者とも無言のまま、順調に積み上げられていく箱の音だけが規則的にカタコトと聞こえる店内で、先に口火を切ったのはクラウスだった。
「さっきの……人妻のくだりの意味を、訊いてみても良いだろうか?」
軽く背を伸ばして箱を片付けていくその背中に、若干忘れかけていた苛立ちが戻ってくる。これは……分かりにくいけど、クラウスの性格からしてたぶん愛情確認がしたいんだろう。
私だってさっきの発言にはそういう含みを持たせた。要するに“クラウス以外にそういうところを触られたくない”と。
我ながら咄嗟に出た発言とはいえ何という自意識過剰ぶりだ。ここは乙女ゲーム世界のシナリオ中心部、王都。そんな周囲の一般人ですら大半がお顔の整ったキャラクターである場所で、誰が好き好んで私みたいなモブ女に触りたいというのか。
何よりも……こっちはそれが訊きたくて訊けなかったから家出したんだぞ!? それを先に聞き出そうとしてくるとは何事なの? もしや何でこっちが家出したのか分かってないとか?
思わずそう心の中で荒ぶる言葉達を、その背中に向かってぶちまけてやろうかと考えて――すぐに他の方法を思いついたからそちらを試すことにした。
「……エルネスト先生に会ったよ」
前後の会話の脈絡をぶった切ってそう言った私の言葉に、それまで黙々と箱を片付けていたクラウスの動きが止まった。うん、掴みは上手くいったみたいだな。
「元気そうで、幸せそうだった。話をしてみたらティンバースさんとも順調みたいでね。それを聞いたら……今の私って何だろうなぁって。エルネスト先生とずっと一緒にいるティンバースさんが、ちょっぴり羨ましかった」
石突きのすり減ったステッキについたハヤブサの持ち手を撫でながら、注意深くクラウスを観察するけれど、動きが止まった以外は何の返事も変化もない。成程、あくまで聞くだけのつもりなのか。
そんなクラウスの背中に軽く気落ちして、溜息を吐きながら店内にかけられた時計に視線をやれば、時計の針はもうここを出ないといけない時間を指していた。時間切れだ。
「まぁ、それだけなんだけどね。私この後も仕事があるからもう行くよ。残りの箱は戻ったら片付けるから、そのまま置いておいて」
動きを止めたままのクラウスの背中にそう声をかけ、手にしたステッキを元の場所に立てかけようとしたその時、いきなり身体に衝撃が走った。
自分の身に何が起こったのか一瞬分からないでいたけれど、ギュウウッと背中を何かに強く圧迫される感触と、目前に揺れるダークブラウンの髪で、クラウスに抱きしめられているのだと分かる。
……クラウスの力加減が出来てないせいで肺から酸素が失せた。このままだとクラウスとの再会直後に窒息死するという事態になりかねない。家出した妻を夫が殺害とか、ただの事案だ。
辛うじて自由な右手でバシバシとその背中を叩いたところ、少しだけ腕の力を緩めてくれたけど、相変わらず離してはくれないし、時間もヤバい。
だというのに、焦る私の耳許で「すまないルシア。また俺は間違えるところだった」と告げられて、ピタリと抵抗する動きを止めてしまう。続く言葉を聞きたくなってしまう。
「……会いたかった。ルシアに会いたくて、道中気が触れそうだった。仕事にかまけて全く省みなかったくせに、離れた途端にこんなことを言うのは今更都合が良すぎるとは分かっている。でもどうか……別れることだけは考え直して欲しい。その為なら何だってするから、頼む」
ああ……この人は、やっぱりとんでもない。私と結婚してくれたところで、根っこの方は身勝手な悪役キャラのままだと思う。
そんな言葉だけでこの私の傷ついた心が癒されると思っているのだろうか? 安く見積もるのも大概にしてもらいたいものだ――とか、言えたらいいのに。
まんまと癒されたわ私の馬鹿め第一前世からの推しにそんな風に懇願されて折れないでいられるか無理に決まってるだろうがああ久し振りに推しメンが尊すぎて死にそう――……と。
ひたすらに騒がしい脳内音声をどうにか理性で押し退けて、私が代わりに口にしたのは「本当に何でもするんだ?」という、意趣返しにしては弱すぎる一言だけだった。
次からは本筋のラシード達に戻ります(*´ω`*)
むしろ、あとはずっとそのターンで。




