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【書籍化】私の推しメンは噛ませ犬◆こっち向いてよヒロイン様!◆  作者: ナユタ
◆番外編◆ ラシードとカーサの場合。

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◇4◇ 欲しいものが出来たんだ。



 王都にルシアが家出をしてきてからあっと言う間にもう二週間が経つ。クラウスの馬鹿は未だ現れず、ルシアはその間クラウスに会えなくて寂しいだろうに、弱音の一つも吐かずに黙々と日々働いて新居のお金を貯めている。


 そんな彼女に、こっちへ来てから四日目の食事会での話を聞かせてしまった時、ルシアはとても失礼なことを言った父上を許してくれ、おまけに詫びてさえくれた。普通に受け取れば、もっと怒ってもおかしくない内容だったのにだ。


 そのせいでラシードにお風呂を借りることを辞退しようとした彼女に、何とか思い直させようと、代わりにワタシが抱えている悩み事の相談に乗って欲しいと言い出せば、お人好しなルシアは一も二もなく快諾してくれた。


 けれど実際そう言ったもののあれから三人とも仕事が忙しく、長時間顔を合わせることが出来なかった。


 それが今日、ようやくルシアだけでも時間が取れたので、学生の頃に見つけたあの喫茶店で待ち合わせることになったのだ。時間が止まったような空間で注文したコーヒーを飲んで一息ついたところで、向かい合ったルシアが口を開いた。


「同じ王都にいるのに、こうしてお茶するのも久しぶりだねぇ。それで今日は私に相談したいことがあるんだっけ? カーサの為に私が出来ることなら何でもするから、ドーンとこの薄い胸に飛び込んで来いよ」


 そう言ってペタペタと胸元を叩くルシアを見ていたら、今からしようとする相談の内容に反して思わず笑ってしまう。しかしワタシが今から話す内容に、そんな彼女の表情が曇らないか心配だった。


「ああ、その……本当ならこういう相談は母親にすべきことなんだろうが、母上とは食事会の一件以来連絡を取っていないし、何より心配をかけると体調を崩されるかもしれない。かといってラシードや、勿論クラウスでも駄目なんだ。それで……ルシアにしか訊けなくて……」


 話ながら段々と今まで目を逸らしてきたことの重大性が気になってきて、情けないと分かっていても思わず視界が滲む。するとそんなワタシの頭をポンポンと優しく撫でる感触がして視線を上げると、ルシアが最近ではあまり見せなくなった大人びた微笑みを浮かべていた。


 その表情が先を促すものだと感じたワタシは、意を決して口を開く。


「月のものがちゃんと来ないと、子供が出来ないというのは、本当なのだろうか? もしもそうなら、結婚する前にラシードに言うべきなのかと……思って」


 今更すぎる悩みだ。以前の婚約者が出来た際に止まった月のものが、ルシア達と出会ってからゆっくりと動き出したのは、まさに奇跡だと思った。


 昔は本当に気にしなかった自分の子供という、どこか現実味のない遠い存在が、ラシードとの婚約を取り付けてから急に気になりだしたのだ。


 もっと早くに誰かに相談すべきことだったことは分かっていた。分かっていたのに、もしも求める答えと違うものが返ってきたらと思うと、怖くて誰にも聞けずに今日まで至ったことが悔やまれる。


 しかしワタシが長年かかってようやく誰かに打ち明けた不安を聞いて、ルシアは「大丈夫だよ」と笑ってくれたが……優しい彼女がワタシを傷付けまいとしているのかもしれない。


 そう思ってその薄い鳶色の瞳を覗き込めば、ルシアは最初にそうしたように、ペタペタと胸元を叩いて「ふふ、その目は信じてないでしょう? でも本当に大丈夫だよ。すっごーく昔だけど、私にも経験があるから」と体験に裏打ちされた自信を覗かせる。


 だけどワタシよりも年下のルシアがいうところのそんなに昔というのは、いったいいつ頃のことなのだろうかと心配になって訊いてみるも、ルシアは「気にしない気にしない。もう済んだことなんだから。これはさ、気にしすぎるのが良くないんだよ」とカラカラと笑う。


 その何でもなさそうなルシアの物言いに、すっかり安心してしまったワタシの目から不意にポロリと涙が一粒零れた。それを見たルシアが「それじゃあ、改善策を伝授してしんぜよう」と提示してくれた内容にワタシが困惑するのは、その数分後のことになる。



***


 

 一日の仕事である巡回を終え、当直を他の同僚に代わってもらったワタシは今、二日前にルシアにもらったメモを挟んである手帳を胸に、ラシードが働く雑貨店の前に立っていた。事前に連絡を入れずにやってくるのは初めてなので、何となく落ち着かない。


 店内では美しい女性客達に囲まれているラシードが、こちらに気付くことなく接客をしている。接客業なのだから仕方がないとはいえ、時折女性客がラシードの腕や肩に触れるのを見ていると胸がモヤモヤするな……。


 騎士団という仕事柄、巡回の途中でこういう現場を目撃することは少なくない。商売人であれば愛想も売り物だと言う人も多いだろう。


 それに治安の向上をはかる仕事に就いているのだから、一般人の女性客を相手に目くじらを立てるものでもないと。いつもならそう考えて、こういう光景に出くわした時は足早に立ち去ることにしているのだが……今日は少しだけ違う。


 ワタシは自分を奮い立たせる為に、ルシアにもらったメモの内容をもう一度熟読する。そこにはルシアの几帳面な文字で、



 一、よく眠る。

 二、よく遊ぶ。

 三、よく食べる。

 四、鍛錬は程々に。

 五、ラシードに我儘を言う。

 六、分からず屋(父親)に制裁を加える。

 七、それでも駄目なら私の胸を借りに来なよ。



 としっかりとした筆跡で書かれてあり、その文字を目にするだけでも体内から力が漲ってくるのが分かった。今から行うとしている行為は、これの五に該当する事項だろうか?


 ラシードのことだから、急に店に訪れた程度で嫌われることはないだろうが、接客中に来店すれば困らせることにはなるかもしれない。一旦そう考えると、やっぱり今日は止めて明日お客のいない時に出直そうかとも思う。


 ――けれど、


 女性客の一人が、ラシードの腕を自分の胸元に押し付けるような行動に出たところで、ワタシはついに我慢が出来なくなり、店のドアを勢いよく押して店内に足を踏み入れた。


 キラキラと可愛らしい小物や雑貨で溢れた店内に、突然男のような長身のワタシが来店したことで、女性客達の数人がラシードから視線をこちらに向ける。そのことに少しだけホッとしたものの、依然としてラシードの腕を抱きしめたままの女性客は彼に夢中だ。


 ムッとした気分になっていたワタシに「いらっしゃいませ~……って、カーサじゃない。こんな時間に珍しいわねぇ?」というラシードの声がかけられる。こんな時だというのに、営業用の声音と、ワタシの名を呼んでくれる声音の僅かな違いに幸せを感じてしまう。


 しかし、そういうことを感じるようになってまだ日が浅いワタシと違い、恋愛ごとに敏感な女性客達の方は瞬時ににこちらを敵とみなしたのか、面白くなさそうにワタシを見つめてくる。


 恋愛ごとを試合に例えれば、踏んだ場数の圧倒的な違いに思わず後ずさりかけるも、ここへ来た本来の目的の為にグッと踏み留まった。


 恐らく決死の表情をしているであろうワタシに、ラシードが「ちょっとごめんなさい。離れて頂戴ね」と彼女達に声をかけ、絡められていた腕を解いてこちらに歩み寄って来てくれた。


 目の前に佇むラシードは、ワタシを見下ろしながら「今日はどういったご用件かしら?」と悪戯っぽく唇を笑みの形に持ち上げる。右目下の黒子と、少したれ目がちな目許が男なのに妙に色っぽい。


 一瞬その表情に見惚れたが、慌てて首を横に二、三度振る。これが剣術での試合なら絶好の好機。胸に抱えた手帳に挟んであるルシアの助言(わざ)を実行するなら今しかない! 


 そう自分に言い聞かせながらキッと睨み付けるように視線を上げて、ワタシと違い余裕のあるラシードの胸座を掴んで引き寄せて――、


「あの、な。この時間帯に忙しいのは分かっていたんだが……急に、どうしても急にラシードに会いたくなったから……仕事を同僚に交代してもらって会いに来たんだ。それで今日、その、約束はしてなかったけど、仕事が終わったら……ワタシとデートしてくれないか?」


 言った。


 言ってやった。


 言ってしまった。


 直後にブワッと顔に熱が集中する。こういうことには慣れていない。ルシアが言うには『カーサってば駄目だなぁ。慣れていないからこそ価値があるんだよ!』と言ってくれたけれど、本当だろうか? 夕陽色の瞳がワタシを見下ろして見開かれているのに、何の返事もないことが怖い。


 だが次の瞬間、それまでこちらを睨んでいた美しいけれど、怖い女性客達が一斉に声を立てて笑い出した。驚いてラシードから視線を外そうとしたら、いきなりその腕の中に抱きしめられてしまう。


 咄嗟のことに身を固くするワタシの頭上から「ほら、言ったでしょう? アタシの婚約者はとっても可愛いって。だからどれだけ新作ケーキで釣っても、アンタ達の彼氏の愚痴には付き合わないわよ」と、得意気なラシードの声が降ってくる。


 そんなラシードの言葉に「良いわよ別に。こっちだって惚気なんか聞きたくないもの」「そうそう、締まりのない顔しちゃってさぁ」と彼女達が軽口を叩く声に心底安心すると同時に、物凄くこの状況が恥ずかしくなって、離れようと腕の中でもがいたけれど……。


 もがいた分だけギュウッと強められた抱擁に、少しだけ身体を屈めたラシードが耳許で「どうせルシアの入れ知恵でしょうけど、せっかく甘えてくれる気になったなら逃がさないわよ?」と囁く声が、居たたまれなくなるくらい幸せで心地良かった。

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