◆1◆ 幸せってあてられるのよね。
お待たせしております。
お次は先輩達の幸せを求めて~(*´ω`*)
夕方から夜に近付いてくる、前世でいうところの“火灯し頃”と呼ばれる時間帯。テラス席でハーブティーを飲みながら人を待っていると、カフェからレストランへと営業を変更する準備に追われる店員と目が合い、軽く会釈を返して微笑む。
「お客様、少し風が出て参りましたので、もしよろしければ店内のお席をご用意させて頂きますが?」
「ああ、良いのよ。ちょっと待ち合わせをしているところだから」
「左様でしたか、申し訳ありませんでした。何かご入り用の物がございましたら、お声をおかけ下さいませ」
「ええ、ありがと」
少しの会話だけでも店員の教育が行き届いた店だと分かって、次からは待ち合わせにここをよく使うようになるかもと内心で思いながら、香りの良いハーブティーをもう一口含む。
――早いもので、ルシア達の式からもうすでに三ヶ月が経った。
前世でもあんな風に友人の結婚式に呼ばれたり、当日に友人のメイクアップを頼まれたりすることは多かったけれど、今世での仕事が一番やりがいがあって楽しかったわね。
女同士の見栄もないし、お客はお洒落でもお金持ちでもないし、時々風向きが変われば放牧されている家畜や牧草の匂いがするようなど田舎だし。
――だけど、あれだけ誰かを祝おうと用意された会場は珍しかった。ただただ、誰かの幸せを願ったり、祝ったりするだけの場所。
前世では笑顔で祝辞を述べながらも、どこかで白けたものを感じていた結婚式が、初めて素敵なもののように感じられたわ。あれが女の子のために行われるお祭りだというのも納得ね。
この顔面偏差値の高い世界で、ルシア達の領地は驚くほど平々凡々な顔の人間が多かった。前世でのルシアの顔も名前もアタシは知らないし、例えどこかですれ違っていたとしても、前世のアタシだったら、自分を磨こうともせずにいたルシアを視界に入れなかったに違いないもの。
人間は見た目が十割だと思っていた傲慢で嫌な奴だったアタシと、自分に自信もないくせにろくに磨く努力もしなかったルシア。きっと恐ろしく相性の悪い取り合わせだった。
――だから会ったのがこの世界で良かったわ。あの日の幸せそうに笑うルシアなら、きっとどこにいたって“あの子、可愛いでしょう? アタシが腕によりをかけてメイクアップした親友なのよ”って自慢しちゃう。
前世では好きで始めた仕事だったはずなのに、誰を綺麗にしてもちっとも満たされなかった心が、初めて満たされた。
あんなにうんと綺麗になるように、うんと愛されてくれるようにと願って引いた仕上げの口紅が、今まであったかしら?
そんなことを考えながら、もうそろそろ待ち人がくる時間かと思って通りを気にしていたところで……その姿が店に駆け込んで来たのを見たアタシは、思わず苦笑してしまった。あんなに大股で走る女の子は、ルシア以外ではこの待ち人くらいのものだものね。
「これを見てくれラシード! だいぶ急かしておいたのにさっき届いたばかりなんだが……ルシア達の姿絵の写しだぞ! ラシードも欲しいかと思って二枚ずつ、計四枚頼んでおいたのだ」
店内に入った瞬間歩きながら店員に注文をしたカーサは、まさに開口一番という感じでアタシに向かってそう言った。もう目の前の椅子に腰を下ろす前から鼻息も荒く会話を始めたものだから、さっき浮かべたアタシの苦笑はさらに深まる。
声を弾ませたカーサはそのまま、アタシの視界がいっぱいになる至近距離までポストカードサイズの姿絵をズイッと押し出した。
「――……あら、素敵ねぇ。だけどあんまり絵師に無理言っちゃダメよ? 本命の仕上がりが遅れちゃ、元も子もないもの」
本当は目の前に近付けられすぎてあまりよく見えなかったのだけど、興奮気味のカーサを落ち着けようと、その指に挟まれた姿絵を受け取りながらも一応釘を刺しておく。
するとカーサは「あ、えっと……確かにそうだな」としょんぼりと肩を落として着席した。これには落ち込ませたいわけではなかったものだから、アタシも少し慌ててしまう。
「でも、やっぱりアタシも手許に欲しいと思っていたから嬉しいわ。それにある意味良いタイミングだもの」
少しわざとらしいくらいの明るい声でそう言えば、カーサが「……良いタイミング?」と若干沈んだ声で訊ね返してくる。うぅん……ちょっとはっきり言い過ぎちゃったかしら?
「そうそう、これなんだけどね? 今朝アタシのところにもルシアから手紙が届いたのよ。カーサと一緒に読もうと思ってまだ開封してないのよ」
カーサの顔色の変化を見逃さないように気をつけながらそう言うと、上手く興味を引けたようで「ルシアからの手紙!?」と、それまで沈んでいた表情をパッと華やがせた。
そんなカーサの反応に少しだけここにいない親友へ嫉妬しつつも、アタシはバッグの中からクリーム色の封筒を取り出して、爪先でそっと封蝋を開けた。
だけどその直後に、ちょうどカーサが注文していたアイスレモンティーが届いたので、アタシもハーブティーのお代わりを注文する。
ハーブティーが届けられるまでの間、そわそわするカーサを微笑ましいと感じながら二人で待つ。でもハーブティーに注文していなかった小さなケーキがついていたので、持ってきてくれた店員に「頼んでないわよ?」と言えば「恋人同士でご来店のお客様へのサービスですので」と微笑まれた。
そのことに盛大に照れるカーサを見やってから店員にお礼を述べて、ようやく二人きりになったところで中に入っていた便せんをテーブルの真ん中に広げ、二人で額を寄せ合って中身の確認をしたのだけれど……。
最初の一枚目と二枚目は楽しげな領地での近況報告で、読み進めるアタシ達も楽しく読めた。けれど三枚目に差し掛かったあたりから、徐々に内容が若奥様のお悩み相談になり始めて――……四枚目に差し掛かった頃には「何だこれは。一体どういうことだ」と、カーサが眉をしかめてしまうような内容になる。
――……とはいえ。
「ふうん? “結婚式の三日後くらいからかなぁ……クラウスに段々避けられるようになってきて、最近だと相槌くらいしか打ってくれないんだ。これって、早くも倦怠期ってやつなの?”ねぇ。まぁ、絶対にルシアの気のせいだと断言できるけど。はあぁぁ、こんなに面白いことになってても、あんまりからかいに行けないのが残念よねぇ……」
きっとルシアにとっては深刻なんだろうけれど、アタシには頭がお花畑の若奥様から寄せられた惚気にしか思えないわ。あのクラウスがルシアに飽きることなんて絶対にあり得ないし、何よりもそのクラウスからは、一週間も前にこの手紙とは全く内容の異なる惚気が届いたもの。
「何を暢気なことを言っているのだラシード、ルシアの一大事だぞ! 即刻スティル……じゃない、クラウスを罰しに行こう!」
けれどクラウスからの手紙を知らないカーサは形の良い眉をつり上げ、今にもこの店を飛び出して、父親の軍馬を駆ってルシアの領地へと向かいかねない形相になった。
このままだと間違いなくクラウスが亡き者にされるわね。かといってあの手紙の内容を全部カーサに直に教えるのも、クラウスの名誉を護るためには出来かねる。
だってそれこそ最初の一行目から“結婚してからルシアの可愛さが目に余るのだが”とか、こっちが意味不明に感じるような書き出しで始まっているんだもの。そんなこと知らないわよって感じだわ。
クラウスってば本来のゲーム内であったはずの賢さが、ルシアと一緒になった瞬間どこかに行ってしまったのかしらね?
「待ちなさいってば。そのクラウスからは一週間も前に手紙が届いたのよ。これとは全く正反対の内容なんだけど……カーサに読ませられる内容じゃあないから簡単に説明するわ。だからまず座って落ち着きなさいな。それに……アタシ達、こうしてデートするの二週間ぶりなのよ?」
「デ、デート……」
「そうよ。逢い引きでも良いけど。それとも今日のこの時間を、デートだと思って二週間楽しみにしていたのはアタシだけかしら?」
「ち、違うぞ! 決してそんなことはない!! ワ、ワタシだって……あの」
そう顔を真っ赤にして俯き、言い淀むカーサの姿が可愛らしくて、アタシは思わずちょっぴり意地悪な気分になってしまう。
「うん? “ワタシだって”何かしら?」
「ワタシ、だって……凄く、楽しみに……していたのだ。そのせいで昨夜も、あまり眠れなかった」
「……そう、期待していた以上の答えで嬉しいわぁ」
あんまり初な反応を返されて悪戯心が芽生えたアタシは、俯いて指先を弄っているカーサの額に軽くリップ音がするように口付けた。
すると案の定、カーサは今にも顔から火を噴くのではないかと思うくらい赤くなって「ラ、ラシード、ここ外……っ!」と、ようやくといった風にそう言ったわ。
視界の端で、さっきの店員がこのテラス席へ出るための扉に【貸切】の札をかけてくれる姿が見えた。一瞬だけアタシと目が合った店員が、唇に人差し指を当てて会釈をして去っていく。
……本当に良いお店を見つけられて良かったわ。
「んふふ、カーサは可愛いから。アタシのだって見せつけてやらないと」
「そんなこと、言うのも……思うのも……ラシードくらいだ」
「ルシアも言うじゃない。それにあのルシア以外の女は眼中にないクラウスだって、結婚式の時に“黙っていれば美しい”って言ってたでしょう?」
まだ頬を染めたままのカーサに、式の当日にクラウスが言った言葉を思い出すように促したものの「あれは褒めたことにはならんと思うが……」と、苦い表情で返されてしまった。
けれど、カーサと違って捻くれ者仲間のアタシには、あのクラウスの発言が本心からのものだと分かっていたから――。
「確かに褒め方はなってなかったけど、ちゃんと褒めてたわよ。他の招待客の女性には一瞥もくれてなかったもの。勿論アタシにはあの会場で一番綺麗に見えたわよ?」
「なっ!? も、もういい……っ、女として褒められるのは、まだ少し、気恥ずかしいから」
「そう? 残念だわ。でも出来れば早く慣れて頂戴ね? アタシはカーサのことを女性として褒めたいの。好きな女を自由に褒められないのって、結構ストレスが溜まるのよ」
「うっ、わ、分かった、努力はする。ワタシも……ラシードには、その、女として……褒められたい……から」
そう言って再び俯いたカーサに気取られないようにそっと溜息をつく。今まで付き合ったことのある、どのタイプとも違った女の子。無自覚であることが分かっているだけに、本当に早く慣れて欲しいものだわ。
「えっと……そ、それで、クラウスの手紙には何と書いてあったのだ?」
真っ赤なままの顔を、パタパタとメニューで扇ぎながらそう訊ねてくるカーサの肩で、結損ねた紫がかった紺色の髪がサラサラと揺れた。まだ肩口にギリギリかかる程度の髪は、カーサがご両親に出した結婚までの条件には遠いわね。
「ああ、うぅん……そうねぇ。アタシはまだ新婚なんだから別に良いと思うんだけど、何かルシアと一緒に暮らす離れ、というか別邸? を建てるまで、夜のスキンシップはあまりしたくないみたい」
「はぁ? 何だそれは……一緒に暮らしているのに無理だろう」
「アタシもそう思うんだけど、男ってのは野生動物でなら雄じゃない? だから獲物を持って帰って女性を、この場合奥さんにあげて良いところを見せたいのよ」
実際問題アタシもあの手紙を見た時は“馬鹿なんじゃないの?”と思った。
どう考えてもそれだと子供を作る暇もないし。とはいえ、本人が夜の接触をしたくないと言っている以上は、本気でそういうことをしない覚悟なのかもしれないけれど――。
「分からなくはないが、無謀だぞ。別邸? の大きさをどうするのかは分からんが、あの辺りの生活でその資金を捻出するのは、かなり年月がかかりそうだ……」
「そうなのよ。でもそれだけじゃなくて、まだ子供の名前を考えてないだとか、子供の性別でどんなものが必要になるかの算出も出してないから……とかなんとか色々書いてあったのよ」
「あいつはやはり悪い奴ではないが……面倒くさい男だな」
当然そこはカーサの答えに全面同意なアタシだけれど、それでもあの朴念仁が必死であの子との幸せを手探りで考えているのだと思えば、ほんの……いいえ、だいぶ愉快な気分になる。
ルシアばかりが必死だった一年生の頃から考えれば、今は完全に立場が逆転したといっても良いものね。
「うふふ、ホントよねぇ。だけど、ルシアのお父様には良い案だと喜んでもらえたそうよ」
「むう……何故だ? ワタシは親友として早くルシアの子供を抱っこしてみたいのに、ルシアのご両親は違うのか?」
自分が今どれだけ危うい綱渡り発言をしているのか、全く理解していないカーサがキリリとした表情のまま、子供のように小首を傾げる。その見た目との落差が可愛らしくて目を細めたアタシも、クラウスのことをとやかくは言えないわね。
今までの人生で味わったことがなかったけれど、恋情というものは人から賢さの成分を奪っていくものなのだわ、きっと。
「ああ~……父親っていうのは、いつまでも娘が小さい頃のままだって幻想があるから。孫も早く抱いてみたいけど、娘にはまだ子供でいて欲しいのかもね。だからこそ、娘をもらう男の方は大変なのよ」
色々とぼやかすことが多くなりすぎて、段々と雑になってきたアタシの説明に「んん? 何だかますます分からないぞ?」と、さらに小首を傾げる姿は可愛らしいを通り越して、また少し虐めてやりたくなる。
「うふふ、カーサも直にルシアの気持ちが分かるわよ。そして、アタシにはクラウスの気持ちがね? ただ、クラウスと分かり合えない部分としては、アタシは早く父親になってみたいってところかしらねぇ」
“父親”の部分を強調して口にしたアタシの言葉を、少しの間ケーキを咀嚼しながら聞いていたカーサがその真意に気付いて咽せるまで、あまり時間はかからなかったわ。




