◆7◆ たまにはこんな朝の目覚めも。
今回はラシード視点ですσ(´ω`*)
何だか幸せな時間を過ごした気がして、実際はそんな感覚を味わった気分でいただけで、目蓋を開いた途端に覚めてしまう夢だとしたら。
馬鹿みたいな生き方をしてきた自覚がある分、またどうしようもない朝を迎えるくらいなら……微睡むままでいた方がずっと良いと、前世のアタシはいつも思っていたけれど。
――不意に鼻先を掠めたのは、生命力に溢れた草花と土の匂い。それから背中を濡らすじっとりとした湿気。
そこでようやくあと二日で結婚するという親友を祝いに軍馬で乗り付けて、昨夜は羽目を外して学生の頃みたいにはしゃいで、外で天体観測でもしようという話になって……たぶんそのまま野外で爆睡したのね。
いつもなら絶対に眠ってしまうようなお酒の量ではなかったはずなのに、何だか肩と腕も重いし……自分では気付かなかったけれど速駆けで疲れていたのかしら?
そう思って目蓋を持ち上げた瞬間に視界に入ったのは、紫がかった紺の髪。それが誰のものなのかなんて寝ぼけていたってすぐに分かるけど、ひとまず腕が重かった理由はこれね。
アタシが自主的にそうしたのか、カーサが寝ぼけてそうなったのか。どちらか判別するのは難しいけれど、寝起きの一番に見るのが幸せそうにアタシの腕枕で眠る婚約者なのは悪くない気分だわ。
ぼんやりとその寝顔を眺めるうちに段々と昨夜の記憶が蘇ってきて、ガラにもなく満天の星に感動したことも、まだしっかりと閉ざされた目蓋の下に隠れた山吹色の瞳が、アタシと星空を映してキラキラと輝いたことも。その瞳に引き寄せられるように、触れる程度の口付けを交わしたことも。
毎回たったそれだけのことで驚くほど照れてくれるから、何だかとても特別なことをした気分になるのよね――と、そこまで考えて。
そういえばあとの二人はどうなっているのか気になって、ふと視線をカーサの寝顔の向こうに向けてみれば、アタシが目を覚ましたことに気付いていないクラウスが、ルシアにしがみつかれて狼狽えているところだった。
この並び方だと昨日はクラウス、ルシア、カーサ、アタシの順に寝転んだのね。ルシアは抱き枕が必要なタイプだとは知らなかったけど、カーサに抱きついていたら少し妬けたかもしれないから、クラウスには悪いけど助かったわ。
それにしても……クラウスったら、昨夜はルシアをからかったりしてもっと余裕があるように見えたけれど、自分からからかうのと不慮の事態は別物なのかしら? 一瞬助けてあげようかと思ったけど、すぐに面白いからもうしばらく観察してみようと思い直す。
さらに三分ほどもがいて、あの子を起こさないように抜け出すことを諦めたのか、クラウスは動きを止め、代わりに小さく溜息をついた。
そうして今度はルシアの寝顔を覗き込んで、別れた時より少し伸びた栗色の癖っ毛をぎこちなく撫でていたクラウスの指先が、未だうっすらとルシアの額に残る傷跡に触れる。次いでその唇が傷跡に落とされて、ポツリと一言。
「星女神よ……この幸福に感謝します」
――小さな小さなその祈りが、目の前で幸せそうに眠りこける親友でも、学生時代を面白おかしく過ごしたアタシ達でもなく、クラウスをこんな目に合わせた神話の女神に横取りされるだなんて面白くないわね?
見てなさいよクラウス。アンタのその言葉、絶対に本番ではこっちのものにしてやるわ。
そう胸の中で決意を固めたアタシの耳に「あらあらあら、この子達ったら、こんなところで眠っちゃって……可愛いわぁ」とのんびりとした女性の声が届いたと思ったら、次の瞬間、弾かれたようにクラウスが上半身を起こそうとして――ルシアの呪縛に阻まれて地に伏した。
それでも生真面目なクラウスはこの非日常で非常識な状況でも、何とか常識を保とうとしたのか「その、お早うございます……義母上」と、ひどく間抜けな返答をする。どうやらこの女性がルシアの今世での母親なのだと思ったら、おかしな話だけれど何だか無性に泣きたくなった。
だってちょっと緩そうだけど、こんなに優しそうな人が母で義母なら、この子達は幸せになるしかないんだもの。
寝たふりをするために再び目蓋を閉ざしたアタシの髪に「まあ、うふふ……お友達も疲れてるのねぇ。うちの子のために集まってくれてありがとう」と、優しい言葉と指先が触れる。まるで幼い子供に語りかけるようなその声音に、喉の奥がひくりと疼いて。
――ねえ、ルシア。
今だけはアタシにも、まるで親に愛されている子供みたいな、幸せな錯覚をさせて頂戴ね。
***
「ちょっと待ってラシードってば、痛い痛い痛い!? まだそこまで髪の毛が長くないんだから、もう無理して結い上げなくても良いよぉ!」
「あら駄目よ、結婚式のヴェールはまとめ髪が基本なの。第一せっかく待ちに待った結婚式当日に、そのモサッとした頭のままバージンロード歩かせるわけがないでしょう?」
結局あの後『それじゃあ、朝食が出来たら起こしに来るわ~』と言い残して去っていったルシアの母親と、朝食時に『良く眠れたようだが、疲れが溜まっている時にあんな場所で眠っては風邪をひく。今夜はちゃんと中で眠りたまえ。それと、食事の前に着替えもな』と苦笑した父親を見て、ルシアの性格が丸くなったのはあの人達のお陰だと確信した。
同じ転生者でもこんなに環境が違うと、もっと羨ましくなるのかと思っていたけれど……そうでもなくてホッとしたわ。だって他でもない親友がこの形に成長してくれていなかったら、きっとアタシは前世も今世もどこかで人を理解しなくても生きていけると思っていたものね。
今は朝食を済ませて情けない声を上げるルシアを、彼女の自室の姿見の前に用意された椅子に座らせて、式の本番とお色直しの髪型を考案している真っ最中なんだけど……。前世と違ってスタイリング剤なんてものがないし、整髪に使う美容品もそう発達していないから、癖っ毛、コシの強さ、毛量の多さという三重苦に手こずらされている。
それもあってさらにギュッと髪を捻り上げたんだけど、前に座るルシアからは「もうそれ以上引っ張られたら、頭皮が持っていかれちゃうから! お願いだからカーサからも止めてぇ!!」と悲鳴が上がった。
けれど助けを求められたカーサは、鏡に映り込んだ顔を歪ませて「くっ、すまないがルシア、それは出来ない。しかし許してくれ、ワタシは完璧な状態でルシアの花嫁姿を見たいんだ!」と頭を振る。
そう言うカーサの髪の長さも足りていないけれど、片側の髪を結い上げてもう片側を流してアシンメトリーにした方が、持ってきたドレスとの相性も良さそうだから問題ないわね。
アタシは涙目になったルシアに向けて「何も苛めようってわけじゃないんだし、そろそろ諦めなさいな」と声をかけるけど、ルシアは「それは分かってるけど、それでも痛いんだよぉ」と往生際の悪い抗議の声を上げる。
さてどうしたものかと思っていたら、それまでことの成り行きを見守っていたクラウスが「ラシード、それならもう別にヴェールをしなくても良いのではないか? どうせ誓いの時には外すだろうに」と控え目な助け船を出してきたけれど、そうはさせないわ。アタシが気にしているのはそこじゃないんだもの。
「へぇ……本当にそれで良いの? どの角度から見るかによって光の感じ方は違うのよ? その時にもしかしたら光の加減で、額の傷に気付く招待客もいるかもしれないわねぇ。それとも、アンタはこの子に恥をかかせるつまんない男なの?」
顎を反らして振り返り様にクラウスに向けてそう問えば「成程、それは駄目だな。可哀想だがルシア、耐えてくれ」とあっさり了承してくれた。この男はルシアを引き合いに出せば、いつもの意固地さも引っ込むんだから。
けれど――。
「えええ!? 本番ならともかく、これまだ本番前の調整なんだから、そこまでしないでも良いじゃないかぁ!」
せっかくの助け船を撃沈させられたルシアが、盛大に泣き言を言い出すから、その耳許にとっておきの呪文を囁きかける。
「今日のこれは練習。本番は通常よりも三割増しで綺麗にしてあげるわ。そうしてそんなアンタの隣には、ビシッと燕尾服で決めた推しが並ぶのよ? 当日はカーサが絵師を呼んでくれているから……スチルとしては完璧だと思わない?」
「――……それって本当?」
「こんなことで嘘なんてついてどうするのよ。それで、もうこの一回しか聞かないわ。妥協してそれなりにする? それとも――、」
「絶対に妥協しないです先生」
現金なくらいキリッと言い切った姿に「だと思ったわ」と笑ったアタシに「そんな隠し玉があるなら先に言ってよ」と唇を尖らせる小生意気なルシアの頬を、軽く捻ってやった。
急にぴたりと大人しくなったルシアと、ボソボソと内緒話を始めたアタシを訝しんでいるのか、クラウスとカーサの心配そうな表情が鏡に映り込んでいるのがほんの少しおかしくて。
冷静になったルシアもそんな二人の様子に気付いたようで、アタシ達は顔を見合わせて小さく笑い合う。
「とびきり綺麗にしてあげるわよ。アタシの親友」
「うんと期待しておくね、私の親友」
前世は下らない不幸を呪ったアタシ達。
その片割れが本当の幸せを手に入れるまで、あと二日。
次はいよいよ結婚式本番です(*・ω・*)<よ。




