デモンインセクト
ソドムの冒険者ギルドの二階にある会議室。僕が魔法を唱えると、白い光に包まれた。
徐々に光が強くなり始め、目を開けていられなくなる。目を閉じ、眉を細め、腕で目を庇う。光が突如なくなり、目を開けるとそこは、草原? だった。
「…………。ここは本当にガラリアなのか?」
僕が転移してきた場所はガラリアの街の近くにある草原だ。街道から外れたところにある。脛まで伸びた草と大きな岩が点々としている、とても綺麗な場所だった。
ところが転移してみれば、草は踏み荒らされ横倒しとなり、焼かれ裸となっている。岩は砕かれ石と砂となっていた。
所々から煙が上がる。金属を打ち鳴らした音が聞こえてくる。まだ戦っている人がいるのだろう。
後ろを向けば、数キロ先にガラリアと思しき街が見える。頑丈だった外壁は壊されボロボロとなり、街の中からは黒い煙が風に流され、空気中に漂っている。まだ遠くて全容はわからないが、深刻な状態になっているのはここからでもわかる。
「あれがガラリアだな」
そう言って、僕はガラリアへ向けて走り出す。
◇◆◇
グラァアアアァァッ
ガシュッ ブシャ
「があっ、た、助けてくれ」
「ひ、ひぃーっ!」
「こ、ここ殺されるっ」
罅割れ欠けたボロボロの剣を震える脚で構えた一人の冒険者が、横から殴り飛ばされ、頭が燃え焦げた大樹にぶつかった。骨が折れ、動けなくなった冒険者はか細い声で助けを呼ぶが、誰も助けてくれない。威圧・圧倒される恐怖心と逃げたい気持ちが湧き上がり、助けに行くことが出来ないのだ。
それ以前に回復する手段すら、彼らには残っていなかった。手当てをする人手がいない、回復薬はなくなり、魔力も切れ魔法が唱えられない。恐怖心に打ち勝ち、助けたい気持ちはあるが、そうはいかない。助けに行って自分も怪我をしては本末転倒なのだ。
相対している敵はレッドオーガという魔物だ。三、四メートルはある血のように赤い身体をしている。頭に生えている茶色い二つの角は自分の顔よりも大きい。手に持っているのは木を削って作り出したと思える棍棒だ。ランクで言うとBランクとなる。
その他にも取り巻きのオーガやゴブリン、ウルフなどがいる。
取り巻きからの攻撃があるため、レッドオーガに注意を向けることが出来ず、苦戦が続いているのだ。
腰を抜かし、座り掛けたところへ、背後から背筋を伸ばす野太い声が響いてきた。
「狼狽えるな! ここを死守せねば、ガラリアに攻め込まれるぞ!」
冒険者達の背後には、一人でレッドオーガと相対している男がいた。男の名はロンジスタ・ベルホーヌ。冒険者ギルドガラリア支部のギルドマスターだ。
喋った隙を突きレッドオーガは上段から棍棒を振り下ろしてくるが、手に持っている大斧、バトルアックスで棍棒を受け止める。棍棒は硬い木でできているのか、傷一つ付かない。
「ガアアァァッ」
「ふんっ、この、デカブツが!」
斧で受け切った棍棒を踏ん張りと共に上へ打ち上げ、がら空きとなった腹に斧を引き戻して斬り付ける。
ザシュッ
「ガアアアァァアアアッ」
腹が切り裂かれ夥しい量の血が噴き出す。切り裂かれた苦痛の叫びを上げたレッドオーガは、打ち上げられた棍棒で再度叩き潰そうとする。
ロンジスタは懐へ忍び込み、腰を下ろしてそれを回避する。前屈み気味に腰を下ろした状態から斧の先端を下へ向け、腰を上げながら振り上げる。
ガアアァー ズダンッ
腹を十字に斬り付けられたレッドオーガは断末魔を上げ、地に伏した。
ロンジスタの周りをよく見ると数体のレッドオーガが倒れていた。どの個体も深く斬り付けられている。
「あとはそいつだけだ! 俺がやる! お前達は雑魚を近づけるな!」
『オオオーッ!』
恐慌状態となっていた冒険者達にロンジスタの鋭気と指示が飛び、再び冒険者達に勇気を奮い立たせた。
冒険者達はレッドオーガから取り巻きへと標的を変えた。
ここにいる冒険者達のランクはD・Cランクと一般的には高いと称されるが、この場においては低いと言わざる負えない。
だが、レッドオーガ以外の魔物と闘うのであれば、皆で力を合わせることで打ち勝つことが出来るだろう。
レッドオーガから目を離した冒険者達は、一体を複数人で囲み仕留めていく。動きの速いウルフは誘い込み切り伏せる。ゴブリンやオーガは力が強い代わりに動きが遅いので、惹き付け役と背後から斬り付ける役に分かれて戦う。
「ぐが、ぐ、ガアアッ」
「――。お前の相手は……俺だーッ!」
レッドオーガは自分と敵対し怯えていた人間が突如、闘志を燃やし自分から離れて戦い始めたことに困惑していた。我に返り、近くにいる人間へと棍棒を振り上げたところへ、背後からロンジスタが声をかける。
ロンジスタは横に向き隙だらけのレッドオーガに、走り込みながら斧を振りかぶり、左脚を斜めに切り伏せる。体重と勢いの乗った一撃は太腿へ突き刺さり、ザックリと片足を切断した。
片足が切断されたレッドオーガはバランスを崩し、ロンジスタの方へ倒れてくる。
ロンジスタはレッドオーガの背中の方へ移動しながら斧を右肩へ振りかぶり、倒れてきたレッドオーガの背中へ斬り付ける。
レッドオーガはしぶとく、両手を付いて起き上がろうとするが、その時にはロンジスタが目の前に迫り、両足を肩幅に開き斧を体の正中線に振りかぶっていた。
「これで、終わりだーッ」
ドスッ ブシャーッ
ロンジスタの掛け声と共に、振り被られた斧が首へと振り下され、硬い肉と骨を断つ鈍い音と鮮血が噴き出る音がした。
ロンジスタが目を離し辺りを見渡すと、周りの冒険者達も雑魚を、粗方倒し終えていたようだ。
「魔力が回復した者はすぐにあいつを回復させろ!」
指示により、先ほど大樹へ吹き飛ばされた冒険者に近づいて行く魔法使いがいた。服の下から血が滲み、肋骨が何本か折れて意識が朦朧としている冒険者に回復魔法を唱えた。
「『安らかなる癒しの風よ、彼の者の傷を治し給え! ヒール』」
「……ぐっ、はぁ、はぁ。すまない、助かった」
魔法を唱えた魔法使いの顔には疲労が見える。どの魔法使いも魔力の使い過ぎで、枯渇寸前となっているのだ。戦士職の冒険者は疲労による筋力と体力の低下が著しいようだ。
「他に怪我をした者はいるか。索敵は確認してくれ」
ロンジスタが怪我をした者がいないか確認する。索敵、魔力感知や気配察知を任された冒険者が辺りを探る。
すると、一人の魔法使いが悲鳴染みた声を上げる。
「……ひっ、ひぃぃーっ。ば、化物が来る」
それに伝播されたかのように、索敵を任された人達は悲鳴と恐怖の混じった声を上げる。
「どうした!」
ロンジスタは一番最初に感知し、恐怖の声を漏らした魔法使いに何があったのか聞いた。
「あ、あちらの方角からひ、一際魔力の大きい魔物が向かってきます。お、恐らく、キングウルフだと思われます!」
震える指先で森の奥地の方を指差した。
「キ、キキキングウルフっ」
「も、もう、おしまいだ」
「た、助けてくれーッ」
冒険者達は指差された方を向くと、この世の終わりを知ったかのように絶望の色、顔色を真っ青にする。泣き叫び、崩れ落ち、放心状態になる者様々だ。
「気をしっかり持て! やられてしまうぞ」
ロンジスタ自身が、キングウルフと相対すればどうなるか一番わかっている。
ロンジスタは若い頃にキングウルフやSランク級の魔物を倒したことがあるが、それは一人で行ったわけではない。パーティーやレイド(複数のパーティーで依頼をこなす)を組んで倒したのだ。Aランク級以上の魔物を一人で倒せる者は、SSランク以上の強者ばかりだろう。
「他にも向かってきているのか」
「は、はい、他にも総勢五十体分の反応が確認できます! どれも低ランクだと思われます!」
「わかった。俺がキングウルフを足止めする。お前達はその間に雑魚を蹴散らせ」
「…………」
「返事はどうしたっ!」
『お、オオオーッ!』
茫然自失状態で返事のない冒険者達を一喝する。
しかし、奮い立たせたとしても結果はわかりきっている。返事は腹の底から出てきた声ではなく、口先から出てきた自信の欠片のない弱い声だった。
「…………き、来ます!」
ドシ、バキッ、 ドシ、バキキッ
森の奥から軽そうな足音と倒れた木を踏み潰す音が聞こえる。足音と潰される音の調和がとれていない。それが余計に、冒険者達の心に恐怖を与えていた。
ウオオオォォォォーン
「来るぞ! 構えろ!」
足音が止まると狼の遠吠えが聞こえてきた。
ロンジスタの指示により、すぐに武器を構える冒険者達。
「グラアアアッ」
ごくんっ、と誰かが喉を鳴らした瞬間に魔物共が襲ってきた。
冒険者達は視界に入った魔物を仕留めていく。先ほどと同じように複数で相手をしている。
「ウオオオォォォン。……ガアアァァ」
遠吠えがした瞬間に空からキングウルフが降ってきた。
冒険者達は不意を突かれ、数人が鋭い爪の一撃によって斬り付けられた。
「くっそ」
ロンジスタは標的をキングウルフに変える。
キングウルフはウルフをそのまま大きくしたような体をしている。灰色の様な毛皮と鋭い牙と爪を持ち、動きが速く森の中では立体移動もこなす。特徴もさほど変わらないが、全体的な能力と知能が高い。
グーッ グルルルッ
近づいてきたロンジスタに気が付くと足を踏み締め、威嚇する唸り声を上げた。
ロンジスタはそれ以上動くのをやめ、斧を両手で持ち右腰に溜めて身構える。受け身の体勢となる。
「ガアアァ」
「ぐっ、おおおりゃああぁ」
キングウルフが突っ込んできた。一気にトップスピードへとなる。
ロンジスタの目にはギリギリ捉えることが出来たが、体が反応せず斧で受けることになってしまった。
ロンジスタは後ろへ押されるが、踏み止まると斧を振り上げ前脚を狙う。が、後ろへ飛び去り躱されてしまった。
「ちっ」
キングウルフはロンジスタを嘲笑うかのように警戒していた雰囲気を解き、上体を上げ自然体となる。
「舐めやがって」
ロンジスタはその意味を理解すると、悪態をついてしまった。
その意味が理解できたのか、キングウルフはまたしても突っ込んでくる。先ほどは右脚で薙いできたが、今回は途中で空を跳んでロンジスタの背後へ移動した。
「しまっ、ぐがっ」
ロンジスタはすぐに振り向こうとするが、キングウルフは瞬時に間合いを詰め、背中に体当たりをしてきた。
ここで、噛み付いたり爪を行使しないのは余裕の表れだろう。それが真実であるかのように澄まし顔でゆっくりと近づいてくる。
「ギルマス!」
「ぐっ、大丈夫ですか!」
周りでウルフを相手にしていた剣士が声をかける。周りの冒険者達も数を減らせないでいる。先ほどとは違い、この場に現れた魔物はウルフが多く中々捉えることが出来ないのだ。それに、キングウルフの配下だからなのか、他のウルフよりも強く速いようだ。
「ぐぅ、気にするな! そちらに専念しろ!」
ロンジスタはすぐに起き上がり、体の調子を確かめる。打ち身による打撲や擦り傷が多いが骨には異常がないようだ。
斧を持ち直し、水平に構える。
キングウルフは歯を剥き出して笑っているように見える。
ロンジスタは魔法を使うことが出来ない。身体強化等の肉体上昇系ならば使うことが出来るが、直にあてることが出来なければ意味をなさない。魔力が減る一方なだけである。
キングウルフは歩いてくる動きを止めた。
「……? 何をしている」
ロンジスタは疑問に思うが、警戒心を解くことはしない。
キングウルフは立ち止まると顔を左右に動かし、何かを見ているようだ。再び顔を戻しロンジスタを見るとガルル、と声を出すと踵を返し始めた。
「――っ! 待て、こいつ!」
ロンジスタは気を引こうと殺気をぶつけるが、完全に『自分の敵ではない』と舐められたため意味をなさない。ロンジスタは効果が出ていないことが分かると、すぐに動き出すがもう遅い。
キングウルフは逃げるために踵を返したのではなく、配下の数が減り始めている原因である、周りの冒険者達を狙い定めたのだ。
「逃げろー!」
ロンジスタは冒険者達に危機を教えるが、冒険者達は逃げることが出来なかった。
「ガルアアッ、ガッ、グウゥゥ」
「ぐあっ」
「ひ、ひぃぃ」
「な、なんで」
キングウルフは近くで戦っている剣士に近づくと、鋭い爪で薙ぎ払った。剣士は気付くのが遅れ、防御をすることなく、もろに受けてしまう。近くにいた戦士と魔法使いは恐怖に取り付かれ、足が竦んで動けなくなってしまった。
キングウルフはこれ見よがしに動かなくなった戦士へと近づき、左脚を上げ振り下ろそうとすると、森の外から声が轟いてきた。
「『――聖壁』」
ガンッ!
森の外側から聞こえてきた声によって発動した魔法が光の壁となり、戦士に迫っていた鋭い一撃を防いだ。鋭い一撃は硬い何かにぶつかる音を周囲に響かせて止まった。
その場にいる全ての者が固まり、声のした方を向く。キングウルフは光の壁を引っ掻き、戦士は呆け、魔法使いはよくわかっていないようだが慌てて剣士の治療にあたる。
「……ぁぁぁあああ、せあっ」
声がした森の方から、気合の声と共に白い生き物が飛び出してきた。
キングウルフの側面まで走り来ると掛け声を上げ、その巨体を横殴りに蹴り飛ばした。飛んでいったキングウルフは大樹にぶつかり静止した。白い生き物は背中の剣を抜き放ち、キングウルフへ肉薄する。そのスピードはこの場の誰が見ても、キングウルフを遥かに凌駕していた。剣は白銀で夜の月明かりだけでなく、剣そのものが光を放ち、光り輝いている。
「……ふっ」
ドスッ
短く息を吐くと手に持った白銀の剣で、横たわっているキングウルフの胴を真っ二つにした。
「……大丈夫か?」
「あ、ああ、助かった」
白い生き物は戦士に近づきながら、剣に付いた血を何かの魔法で拭き取ると鞘に戻した。戦士の近くで光の壁を消し去ると声をかける。
戦士は目の前で起きた光景が信じられていないようで、空返事をした。
月を覆っていた雲が晴れ、月明かりが白い生き物を照らし始めた。
照らし出された姿は狐を思わせる仮面とコートを着た、十歳になっていないであろう男の子、シロ(シュン)だった。
危機一髪のところを助けることが出来た。少しでも遅れていたら、この人死んでいたよ。
数分走り続けると街の門が見えてきた。途中、魔物が襲い掛かってきたが、低ランクの魔物が多く、魔力強化をした剣の一振りで倒すことが出来た。もちろん、魔物は回収済みだ。
片方の扉が壊され、両開きが片開きとなった門を潜り、冒険者ギルドへ急ぐ。街の中は遠目に見た時よりも酷い状況だった。崩れ去った建物や火の手の上がる民家、魔物の爪痕が刻まれた壁、罅割れ陥没した地面。住民のほとんどは非難したのか、逃げ惑う人は思っていたよりも少ない。魔物の惨劇に目を見張りながら、ギルドのある大通りへと出る。そこはソドムで見た大通りとは真逆の状況となっていた。
皆一様に、この世の終わりのように絶望した表情をしている。下を向く者、泣く者、天に祈りを捧げる者。全ての人が疲弊し、街の中は暗い空気が漂っている。
まだ後に、一万五千体以上の魔物が押し寄せてくるっていうのに。どの人も諦めきっている。
中には励ましている冒険者もいるけど、効果がまるでないみたいだ。
この気分は前世でよく味わった。自分の無力さ、諦め、絶望、救いがない。この後の結末が、無理やり理解させられる。そんな気分だ。
冒険者ギルドの看板が見えてきた。
ギルドは大通りの真ん中にある。罅の入った壁や窓、焦げた民家があるが形を保っている。この辺りは比較的に被害がなさそうに見える。
ギルドに入ると見知った顔を見つけた。
「ターニャ! ギルマスはどこにいる!」
中に入ると忙しそうに動いているターニャさんを見つけた。
ギルドの中は怪我人で溢れている。怪我人の回復も間に合っておらず、皆一様に暗い顔だ。
ざっと見ても数十人はいるな。聞いた話では数百人は怪我人がいるはずだ。どこか違うところにでも運ばれているのか、最悪死んだのだろう。
「シロ君! いつ帰ってきたの? 最低でも二日は掛かると思っていたのだけど」
僕の声を聞くとターニャさんは動きを止め、振り向きながら聞いてきた。顔には疲労が濃く見える。
「つい先ほど俺だけ帰ってきた。詳しいことはあとで教える。ギルマスはどこにいる? ソドムのこととガラリアのことで伝えたいことがある」
辺りを見渡すが、どこにもいない。
「シロ君、ギルマスは前線にいるの。数分前に第二波が攻めてきて、総勢四百人で食い止めに行ったわ」
「わかった。……第二波の情報を教えてくれ」
「もしかして、行く気なの? 危ないよ? シロ君は強いかもしれないけど、通じないかもしれないよ」
ターニャさんは心配そうな、悲しそうな表情をする。
「俺は行く。俺が行かないといけない。俺もこの街を守るんだ。それに、俺も冒険者だから」
どのみち、僕が行かないといけないだろう。
ターニャさんはしばらくすると、溜め息を吐き話してくれた。
「……わかったわ。第二波は第一波と同じく五千体の魔物よ。魔物は昆虫と植物、魔獣が多いわ。第一波と違うのはSランクが一体いることね。その魔物の名前はデモンインセクト。名前から分かるように昆虫の魔物よ。他はAランクが五百体ほどいるわ。今はまばらに来ているから対処できているけど、一気に押し寄せてくるとこの街は墜ちるわね」
「デモンインセクト? はどんな魔物だ?」
「全長十メートルあって、両腕に左右合わせて四つの鎌を持っているわ。肉食で狂暴だけど、警戒心がとても強く、命の危機を感じると威嚇してくるわね。外側の甲殻はとても硬くて刃が通らないけど、内側の肉質は柔らかいの。基本昆虫だから火と雷、氷に弱いはずよ」
蟷螂のデカい奴と思えばいいのかな。
出てきたら氷魔法でどうにかしよう。効かない場合は火魔法を使うしかないな。
森の中だと火魔法は使いたくないんだよね。
「わかった。ギルマスはどのあたりにいるかわかるか?」
「ギルマスは森の方へ行くと言っていたと思うわ」
「了解した。では、言ってくる」
「シロ君、気を付けてね!」
ターニャさんの声に僕は踵を返しながら片手を上げ答える。
僕はギルドを飛び出し、大通りを駆け、森を目指す。
魔力感知を行うといたる所に魔物の反応がある。
これを避けていくのは骨が折れるぞ。
早くロンジスタさんの場所を感知しないと。
キシャアアァァーッ
目の前から蜂や蝶、キノコなどの魔物が襲ってきた。
僕は右手で剣を抜き放ち、左手の人差し指と中指を伸ばし、拳銃のように構えると指先に魔力を込め、氷の弾丸を放っていく。
「『アイスブレット』」
昆虫の魔物は関節や首を狙い、キノコは剣で斬り伏せていく。昆虫は魔物の中でも生命力が高い。胴を真っ二つにしても一定時間動き回る者が多く、頭を潰しても意味がない。幼虫やムカデが当てはまる。
昆虫は羽が千切れ、頭が吹き飛んだ魔物は地に落ちて動かなくなる。キノコは花粉を飛ばしてくる前に切り伏せる。
魔物の襲撃を受けて始めて十分が経ったころ、僕の魔力感知にロンジスタさんの反応があった。
こっちだな。
ん? ……何か近づいてきているな。
この反応はキングウルフだったはず。
ロンジスタさん達のところに近づいてきている!
ロンジスタさん達の反応はジッとしたままだ。魔力に怯えや警戒心が少なく感じる。
もしかして、まだ気付いていないのか!
僕は部分強化を脚に施し、スピードを上げる。
反応に怯えや警戒心が見え始めてきた。一部にいたっては恐慌状態になっている。
ロンジスタさん達が、気が付いたみたいだ。
ウオオオォォォォーン
完全に気付かれたみたいだ。
早くしないと手遅れになる。
僕は次々と襲い掛かってくる魔物を魔法と剣で倒し、ロンジスタさん達のところへ急ぐ。
夜の森の中は視界が悪く、身動きがとり難い。魔力感知がなければ、不意を突かれっぱなしだっただろう。
ロンジスタさんがキングウルフと相対しているみたいだけど、倒すことは無理だと思う。今はAランク程度の力しかないと言っていたはずだからな。
魔力感知をやめ、移動することに専念する。
次第に月が雲に隠れ、先ほどよりも辺りが暗くなってしまった。
そのまま、数分走るとひらけた場所に剣士と思える恰好をした冒険者が見えてきた。
「逃げろー!」
んっ! これはロンジスタさんの声だ。
な、剣士が吹き飛ばされたぞ。
もう少し近づかないと魔法が届かん。
「――っ」
悲鳴が聞こえてくる。
キングウルフの姿が見えてきた。今度は戦士のような人を標的にしたようだ。
クソッ、間に合えーっ。
「『守護の光よ、何ものも通さぬ光の壁となれ! 聖壁』」
今まさに攻撃されそうな戦士を対象に結界魔法、物理・魔法共に防ぐ強固な光の壁を作り出す。
「はあああああああ」
僕は魔法を放つと、光の壁を引っ掻いているキングウルフに向かってスピードを上げる。
キングウルフの側面に到着する前に左脚へ魔力を溜める。到着すると走ってきたスピードを殺さずに右脚を出し、爪先を軸に体を回転させながら左脚を胸へ引き寄せ、踵を押し出すように蹴る、足刀蹴りをキングウルフの脇腹へ叩き込む。足が体の中に減り込む感覚がすると、キングウルフが吹っ飛んでいった。
僕は飛んでいったキングウルフへ魔力を通した剣を抜き放ちながら瞬時に間合いを詰め、横たわり起き上がろうとしているキングウルフの胴に剣を振り下ろす。
剣から重いものを斬った感覚が来る。
真っ二つとなったキングウルフを一瞥して、剣に洗浄魔法を唱えながら結界魔法をかけた戦士の元へ向かう。
まずは、この壁を消さないといけない。
僕が手を翳すとスーッと光の壁が消えた。
反応がないけど、大丈夫かな?
間に合ったと思うんだけど……。
「大丈夫か?」
「あ、ああ、助かった」
声をかけると戦士は狼狽えたように返事をしてくれた。
よかったー、大丈夫みたいだ。
っと、ロンジスタさんはどこだ?
「おい、どうした! 何があったんだ?」
お、この声はロンジスタさんだ。
「ガアアァッ、ガッ」
「あ、危……」
急に横からくるなよ。びっくりするじゃないか。
飛び掛かってきたウルフに身体強化をした拳で、裏拳を放ちぶっ飛ばす。
『グラアアァッ』
それを皮切りに魔物達が一斉に僕に飛び掛かってきた。
「うるさい。『アースニードル』」
僕が手を地につけ魔法を唱えると、魔物に向かって地面から土の針が生え、串刺しにしていく。体を貫いていくブスッ、という音が辺りから折り重なって聞こえる。
音が聞こえなくなると、魔力感知で生き残りがいないか確かめておく。
感知にも反応がないから、もう大丈夫だな。
「ギルマス、報告したいことがあり、ソドムから帰ってきた」
僕は何事もなかったかのように立ち上がり、ロンジスタさんの声がした方へ振り返り声をかける。
「……お前、シロ、か?」
暗くてよく見えないが、ロンジスタさんは目を見開き驚愕している。
他の冒険者達も同様のように感じる。
「そうだ」
「いつ、帰ってきた?」
「つい先ほどだ。あんたに会いにギルドに行ったら、『第二波を食い止めにこの森へ向かった』と聞いたから追い掛けてきたんだ」
「そ、そうか、助かった。それで、何があったんだ?」
混乱しているのか、言葉を理解できているのかよくわからない。
「副マスからの手紙と加勢にきた」
僕はそう言いながら、預かった手紙を収納袋から取り出して渡す。
受け取ったロンジスタさんは開いて読もうとするが、暗くて読めない。僕は気を利かせて『ライト』を唱える。
光の球が現れ、辺りをぼんやりと照らす。
「すまねぇ」
ロンジスタさんは一言お礼を言うと、再び手紙を読み始める。
僕は吹き飛ばされた剣士の元へ近づく。
魔法使いが回復魔法を唱えているが、あまり効果がないようだ。
苦手なのか、魔力がないかのどちらかだろうな。
「俺が代わろう。……『ヒール』」
僕が魔法を唱えるとすぐに状態が回復していく。折れていた骨がくっつき、痣や切り傷が塞がる。苦痛に歪んでいた顔が、落ち着いた表情になっていった。魔法使いから「すごい……」と聞こえてきたが、何がすごいのかよくわからない。
他に深く怪我を負った人はいないようだな。
立ち上がって、広範囲に魔力感知を行う。
「シロ、ご苦労だった」
手紙を読み終ったロンジスタさんが声をかけてきた。
「加勢してくれるんだな。お前はこれから――」
「その話は後だ。皆、構えろ! デカい奴が来るぞ!」
話を手で制し、危機が迫っていることを伝えるが、急な事態に思考が追いつかず武器を構えようとしない。
広範囲に広げた魔力感知に、とんでもない魔物の反応が引っかかった。空を猛スピードでこちらに向かってきている。
この反応はベヒーモスに匹敵する。恐らく、こいつがデモンインセクト……。
微かに聞こえ始めた羽音は木々を細かに揺すり、人外の劈くような雄叫びがびりびりと空気を振動させる。
「――っ、『守護の光よ、何者も通さぬ光の壁となれ! 聖壁』」
「キシャアアアアアァァァァッ」
「キャアアァァァーッ」
シュゥイン ガアァンッ パキッ、ピシィッ
僕は咄嗟に魔力を込め、皆を覆うほどの光の壁を作り出す。
ブゥーン、という羽音と共に現れた魔物は、体から生えている四つの鎌を大きく広げ、僕達の胴体を真っ二つにしようと真横に振るってきた。轟音を立てて光の壁は鎌を遮るが、亀裂が大きく入り二度目は防げない。
鎌の生えた魔物は鎌を引くと、今度は上へ持ち上げ振り落としてきた。
「『風よ、空を引き裂く刃となれ! エアリアルエッジ』」
ガキンッ!
光の壁を消し去ると、背中の剣の柄を両手で持ち、上半身を前に倒しながら弧を描くように抜き放つ。剣の軌道から大気の刃が放たれ、迫り来る四つの鎌にぶつかると、金属同士が衝突した様な甲高い音が周囲に響き渡った。
あの鎌は相当硬いみたいだ。
命を刈り取る黒塗りの鎌と空を切り裂く大気の刃が鬩ぎ合い、拮抗する。同時に、金属を擦り合わせる不快音が鳴り、何人かが顔を顰め、耳を塞いだ。
刃は鎌を持ち上げ、押し返しているように見える。
だが、これは……押し負ける!
「皆、今のうちにここから離れろ!」
僕はここから離れろと、再度大声を出す。今度は弾かれた様に左右へ散っていった。
ギュゥイィィン ズガアァァンッ
魔物は鎌に体重を乗せ、刃と風を切る音を響かせながら振り下ろした。鎌は深々と地面に突き刺さり、余波が土を掘り返して四つのラインを作り出す。
鎌は力負けていたのではなく、力任せに押し切ろうとしていたのだ。
鎌を引き戻した魔物は地面へ降り立ち、その姿を露わにさせた。
触覚の生えた逆三角の頭部と細長い体からは十本の脚が生えている。黒い凶悪なフォルムの鎌を左右に二対持ち、ギチギチと音を鳴らす大顎には、ギザギザの鋏の様な牙が見える。蟷螂の様な体は紫と黒を基調とした滑らかな甲殻に包まれ、細長い前翅の下にある扇状に広がる後翅は薄く、光に透かすと虹色に光輝く。
「デ、デモ、デモンインセクトッ」
「キシャアアアァァァァーッ」
誰かが怯える声で魔物の名前を言った。その声で皆我に返り、逃げ出そうとする。蟷螂は呼応するかのように羽を広げ、鎌を持ち上げた。
左右の目は不規則に動き回り、獲物を捉えた。
気持ちの悪い奴だ。
「こ、殺されるッ」
「待て、動くな!」
視線が合った冒険者は恐怖に駆られ、這いずるように逃げ出そうとする。
僕は慌てて叫ぶ。
「キシャァァッ」
「が、ぐぼっ…………」
振り返って逃げようとした冒険者に、待ったをかけたが遅かった。蟷螂は背中を向けて逃げようとしたところへ、素早くジャンプして襲い掛かる。右脚の鎌で道を塞ぎ、左脚の鎌で着ている鎧ごと切断した。冒険者は胴体を切断され、口から血を吐いて息絶える。
隣にいた冒険者が息を呑む。僕は体を強張らせてしまう。
蟷螂は動いているものに襲い掛かる習性がある。まあ、動かなくても狙われてしまうが、動くよりはマシだ。
「ひ、ひいぃぃぃーっ」
「に、逃げろーっ」
ショックから立ち直った冒険者二人は、恐慌状態となり悲鳴を上げて逃げ出そうとする。
「『動くな!』」
僕は動きを止めさせるために、風魔法を使って声を拡散し大きくした。逃げようとした冒険者は、体をビクつかせ動きを止めるが、蟷螂はそれを見逃さなかった。瞬時に移動すると、周りにあった大樹ごと右手の鎌で横薙ぎに斬り殺す。この二人も先ほどの冒険者と同じ末路を辿った。
蟷螂は僕の方を向き、威嚇の体勢に入った。どうやら、声に使われた魔力に反応したみたいだ。
あの触角は臭いや動作以外に魔力まで読み取るみたいだ。
くっ、厄介だな……。
それなら、切断してやる。
僕は木々から飛び出し、蟷螂の前へ躍り出る。縦横無尽に振るわれる鎌を剣と体捌きで避ける。
受ける度に火花を散らし、強烈な衝撃が剣から伝わってくる。
「『風よ、切り裂け! ウィンドカッター』」
蟷螂の身体の下を走り抜け、背後へ回ると地を力強く蹴る。触覚のある頭部まで高く飛び上がり魔法を放つ。
左手を薙ぎ払うと、触覚に向けて風の刃が飛んでいった。
あたれ!
「ッ! キシャアッ」
「なっ、ぐっ」
蟷螂は触覚へ飛ぶ見えない風の刃を、頭を回転させることで避けた。その状態で僕へ接近すると鎌で薙いでくる。僕は剣を体の横へ持ってくることで防ぐが、
ぐぅっ、重い――!
空中では支えがなく、勢いに負け吹き飛ばされた。
落ちる前に体を回転させ態勢を整え、両手で剣を地面に突き刺し、片膝をついて着地する。巨大な影が僕を月明かりから遮った。僕は剣を地面から引き抜き、『フライ』で空へ飛び逃げる。
蟷螂は高々とジャンプし、僕がいた場所へ左脚の鎌を振り下ろす。
凄まじい風圧が僕を襲う。後方へ吹き飛ばされそうになるが、横へ水平移動することで避ける。
「『氷よ、凍て付かせ! フリーズ』」
振り下ろされた鎌は砂が舞い上がり、姿が見えないが態勢や陰から地面に埋まっていると予測する。避けると同時に魔力を高め、鎌に向けて魔法を放つ。
舞い上がった砂ごとひと関節、鎌を氷漬けにした。
これで左の鎌は使えないだろう。
「今だ! 全員左側から攻撃!」
『オ、オオォォォッ』
僕の声に反応し、硬直していた冒険者達は、雄叫びを上げて攻撃を加えていく。火が飛び爆発し、剣と風が切り裂き、槍と土が突き刺さすが硬い甲殻に阻まれ、有効打を与えられない。
「刃が通らね!」
「魔法も効かないわ!」
傷が付き、火魔法が僅かに焦げ跡を付けるが、すぐに再生する。僕も魔力で強化した剣で斬り付けるが、細い筋を付けるだけだ。ベヒーモスよりも強固かもしれない。
聞いていた通りだな。あの甲殻をどうにかしないと無理なようだな。
「がああぁぁっ」
突如、反対側から叫び声が聞こえた。
不用意に、氷漬けにされていない右側へ近づいたようだ。冒険者は太腿を斬られ、悲鳴を上げながら転倒する。
蟷螂は二つ目の鎌を振り上げ、容赦なく、無慈悲に振り下ろす。
「間に合えーっ!」
僕は上空から恐怖を感じながら、冒険者と鎌の間に飛び降りる。ギリギリで間に合い、剣を両手で持ち、逸らすように構える。どうにか、鎌の軌道を逸らすことが出来たが、途轍もない衝撃が襲ってきた。
逸らされた鎌は後ろの冒険者の直ぐ横の地面へ突き刺さり、爆発音と共に強風を巻き起こす。
「早く離れろ!」
僕は同時に剣を滑らせ、第一関節、鎌と腕の隙間に剣を突き立てる。が、弾かれる。
もう一つの鎌を横薙ぎに払ってきた。僕は再び『フライ』で空へ飛び上がる。
「ギギギギ、ギジャ、キシャアアァッ」
蟷螂は不快な奇声を上げると、氷漬けにされた左脚に右脚の鎌をぶつけて砕く。氷の近くにいた冒険者は慌てて逃げ出した。
蟷螂は左脚に付いた氷を振り払うと背中の羽を広げ、空へ飛び上がろうとする。
空へ飛ばれると厄介だ……。
蟷螂が完全に飛び立つ前に僕は次の魔法を唱え始める。
蟷螂は羽を羽搏かせ、体が浮き始めた。風が吹き荒れ、冒険者達は退かされる。鎌を振り回し、邪魔なものを斬り刻んでいく。
蟷螂は上空にいる僕を睨むように下から見る。触覚は魔力を感知しているだろうが、今度は避けさせない。
感知して僕の前から逃げようとするが、僕は手を蟷螂の身体の中心を捉えたまま動かして、魔法を放つ。
「『凍える氷よ、彼の者を閉じ込めろ! アイスロック』」
放たれた魔法は蟷螂の身体の中心から冷え、氷が出来ていく。ピキピキッと音を立てて徐々に大きくなる氷は、体を、脚を、羽を閉じ込め、蟷螂全体を氷漬けにする。そして、爆音を響かせ、地面へ墜落した。
これでどうだ。
先ほどのように鎌で砕くこともできないだろう。
「やったか!」
空から降りてきた僕にロンジスタさんが駆け寄り、声をかける。
魔力感知でわかる魔力は全く変わっていない。
それどころか、鎌に魔力を込めはじめている。
伝えようとすると、氷に亀裂が入り始めた。
パシッ、ピシピシッ
「いや、まだだ! 皆退避しろ!」
氷漬けにされた蟷螂へ近づいていた者に退避の声を出す。
次の瞬間、バカァァァァーンという音と共に、蟷螂が氷を壊して出てきた。
蟷螂は鎌から魔力を放出して氷を砕いたようだ。全身から出さないのは、あの鎌が魔法や魔力を使う媒体となるのだろう。杖や魔道具のようなものにあたると思う。
逃げ遅れた人は氷の欠片が当り怪我をしてしまう。
氷漬けでもダメなのか!
それか、氷自体が効果がないのかもしれない。ダメージも魔力も変わらない。火魔法なら効くかもしれないが……。
これ以上大きな魔法を使えない。考えないと被害が大きくなってしまう。
蟷螂は両手の鎌を左右に広げ、上体を低くし始めた。体を支えている脚をばたつかせている。
回転するつもりか!
「皆! こいつから離れろ!」
叫ぶように危険を知らせる。
僕は空に飛び上がり魔法を放つ。
「『エアリアルバースト』」
放たれた大気の砲弾が蟷螂の頭部にけたたましい音を上げながら炸裂するが、ビクともしない。
蟷螂は気にした様子もなく右回転を始める。
ザンッ!
背筋を凍らせるような、風を切る音が何度も聞こえる。木々を斬り、人を斬る、命を刈り取る、そんな音のようにも聞こえる。
逃げ遅れた人が足や体を斬られ、動けなくなる。死んだ人はいないようだけど、動けなくなった人が何人かいる。
クソッ
さすがはSランクだな。
ベヒーモスの時とは違い、僕一人じゃない。それに地形も最悪だ。
背中にツーっと冷汗を掻く。
こうなったら燃やすか、破壊するしかない。
「ギルマス! この森が一部消滅してもいいか!」
僕は倒れているロンジスタさんに聞く。
ロンジスタさんは僕の言葉に何か感じ取ったように、すぐさま答えてくれた。
「そんなこと気にするな! 何でもいいからぶっ放せ!」
了解!
僕は魔力を煉り始める。
眼下に見える蟷螂は回転を止め、上体を起こし始めている。
「キシャァァァッ、キャ、ギギギ、ギ」
「ひぃぃぃぃっ」
蟷螂は倒れた人に止めを指そうとしていたが、僕の魔力の高まりを感じ取りその動きを止めた。
警戒音を鳴らしながら羽を羽搏かせ、鎌を威嚇するように広げる。
煉り上げた魔力が可視化し始め、僕の周りを白い靄のような陽炎が立ち昇り、僕を中心に風の渦が出来る。
「お前達! ここから、離れろーッ」
ロンジスタさんは僕がしていることの異常さが分かると、冒険者達に退避命令を出す。
冒険者達はすぐに起き上がり、動けない人に肩を貸して遠くの方へ退避していく。僕が言うより早く動くのは、ロンジスタさんだからなのかどうかはわからないが、有難い。
ロンジスタさん、ありがとうございます。
これで思いっ切り放てます。
蟷螂は警戒態勢を解くと、広げた羽を動かして空へ飛び上がろうとする。
そんなことさせるか!
氷漬けがダメなら……痺れさせてやる。
風の速さでは避けられたけど、雷の速さまでは避けられないだろう。
「『雷よ、放電せよ! サンダーボルト』」
「ギギギギギギ、ギシャシャッ、ブクブク」
動作を省略させた魔法は先ほどよりも速い。蟷螂に雷轟の稲妻が落ち、その身を内側から焼き尽くしていく。この魔法の雷は帯電することで体の自由を奪う。
時折、蟷螂の身体からスパークが発生する。
蟷螂は体の自由を奪われ、その場に崩れ落ちた。
起き上がろうとしているようだが、痺れた体は言うことを聞いていない。
今度は逃げれないだろう。
体が痺れていては、優れた触覚も意味をなさない。
練り上げた魔力を右手に集める。右手を上に翳して魔法を発動させる。
「『猛火の焔よ、蒼き焔となり怨敵を燃やし尽くせ! 蒼炎球』」
僕の右手に直径一メートルほどの青色の炎が出来る。その炎の熱量はファイアーボールの数十倍はある。使用者の僕にもその熱量が襲い掛かってくる。
青い光は辺りを照らし、熱は辺りの温度を急上昇させていく。
暑さにあてられ僕の額に汗が滲み、それを左手で拭う。
さすがにこの炎を食らえば、ダメージぐらいあるだろう。
「喰らえーッ」
デモンインセクトに向けて右手を振り下すと、青い焔の玉が空気を燃やす音を出しながらぶつかる。
「ギシャアアアアアアッ、ギャギャ、ギャ、ギチギチギチ」
体にぶつかった蟷螂は大きな悲痛の鳴き声を上げ、もがき苦しむ。
青い炎は体から全身へ向かい、黒い体を包み込んだ。甲殻を燃やし、身を焦がしていく。甲殻は熱を持ち始め、内側にある柔らかな肉を焼き始める。辺りに肉の焦げる匂いと甲殻の焦げた臭いが漂う。
臭いで吐きそうになるが、口元と鼻を手で覆い我慢する。
次第に蟷螂の悲鳴と動きがなくなってきた。
そろそろ頃合いか……。
こいつが暴れて乗り移った火も、消さないといけないからもういいだろう。
仮に死んでいないとしても、かなりのダメージを与えたはずだ。
「『水よ、降り注げ! レイン』」
魔法を唱えると雨が降り始め、森に広がりつつあった火をすぐに消していった。
森の火はすぐに消えていったが、蟷螂に着いた火はなかなか消えず数分間着いたままだった。
僕は地面へ静かに降り立と、蟷螂の魔力を感じる。感じる魔力は弱くなり、すでに死んでいるようだ。
それを感じると、安堵した気持ちになった。
「シロ、倒したのか!」
ずぶ濡れになったロンジスタさんが駆け寄ってきた。
後ろにいる冒険者達も随分と濡れているが、炎の影響は受けていないように見える。
「ああ、何とか倒した」
僕は溜め息をつきながら答える。
蟷螂の甲殻は焦げているが、拭き取れば使えそうだ。試しに剣で斬り付けてみたが、焦げた部分が取れただけだった。恐らく、内側の肉が焼けて死んだのだろう。
冒険者達も恐る恐る触っている。
「よくやってくれた。話したいことがいろいろあるがそれどころではない。今は第二波の残党を倒しに行かねばならん。シロ、お前も手伝ってくれるな」
ロンジスタさんが半強制的な感じで言った。
僕は返事をする前に魔力感知を行う。
ベヒーモスの時は断末魔を聞くと魔物がほとんど逃げて行ったと言っていたからな。今回もそうなっているかもしれん。
「いや、その必要はない。ほとんどの魔物がここから退いて行く。ソドムの時もそうだった」
森の範囲だけだが、ほとんどの魔物の反応が侵攻方向とは逆方向、来た道の方へ逃げて行っている。僕達のいる場所を大きく避けているから間違いないだろう。
「本当か!」
「ああ、俺達はガラリアへ帰り、第三波に備えた方がいいだろう」
「そうか……。お前達、すぐにガラリアへ帰還するぞ。怪我をして動けない者はすぐに回復してもらえ」
ロンジスタさんは腕を組みながら、呟くように言った。
冒険者達は指示通り、怪我をした人の治療をはじめる。僕もそれを手伝いに入る。
治療が終わると僕はデモンインセクトの亡骸を収納袋に入れる。
辺りに焼けた臭いが漂っている中、僕達は疲れた体に鞭を討ち、ガラリアへ向かう。




