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3 血濡れの草食動物

「ッツ…………ゴホッ、エホッ……ッフ!!」

 一体なにが起きたのだろう。

 考える間もないまま、容赦なく飛んでくる土くれと石礫と車の部品たちから、身を守るために地面に伏せた。鉄斧の刃部分を、なるだけ盾になるよう警官と自分の前に置く。ガンガンと容赦なく物がぶつかってきて、鉄の衝突音が耳に響いた。斧が無ければ、これらがすべて直接当たっていたと思うとゾッとした。

「っ、タ…………痛い!」

 だいぶ斧に守られているといえ、警官を覆うように伏せた紅葉の肩や背に、コツンゴツンと物が当たる。加えて服の隙間から砂が容赦なく侵入している。汗と砂が合体して泥となり、肌のあちこちに泥の固まりができていた。悪夢のような心地でしかない。


(——クっ、あの光るモグラ、何だったんだろう。ショーンの呪文だろうか)

(まさか……ショーンはあんな荒っぽいことしない)

(そうだ、仮面の男に違いない。)

(アイツだ。あいつが先生を殺した——)


 怒りと恐怖と寂しさとで、胸中が混乱していた。体内と地肌が寒く、脳と角は熱く温度が変化していた。いろんな感情がないまぜになって、涙を流すことすらできない。

 紅葉が瓦礫と粉塵に耐えながら、ぐるぐると頭を動かし、仮面の男に殺意を向けていると、

《グギ、ギ……ギギッ……》

 急に鉄がひしゃげる音がした。



「…………えっ」

 ズシ、ズシン……鉄と砂が混ざったような、不協和音が鳴っている。ジャラジャラと鉄の鎖が箱の中で引き摺られている音を、僅かに捉えた。

 紅葉はゴクリと唾を呑み込み、自分の斧を再度、力を込めて握り直した。大型な草食動物がドシ、ドシンッと大地を踏み締める感覚がした。

 完全に横転し、ひしゃげた黒い鋼鉄の塊から、ドシャア、ガラァァン!と凄まじい質量の鉄が持ち上がっていく。茶白い砂と煙が、周囲をぶわんと覆った。

「……っ」

 紅葉はゴクリと生唾を飲んだ。自分の瞳に映るものが、にわかに信じられなかった。


 バスッ、バスンと地面にもぐった人間が、物を叩くような振動がする。だんだんと砂煙も落ち着き、中央がグニャリと曲がった囚人護送車が見えてきた。

《バギィ……ギギギ………ガコッ……!》

 鉄の重みで閉ざされていた後方扉が、ついにガスン! と引き剥がされた。

「……せ、せんせい…………」

 バジャラガジャラと重い鎖を何本も、瓦礫の上で引きずる音。

「……うそ。」

 そこには皮膚が割れ、布がボロボロに劣化し、血を流した——

 星白犀族の小柄な老人がひとり、立っていた。


挿絵(By みてみん)


 紅葉は知らなかったが、この時ショーンは失神し、クラウディオは落胆し、ペーター刑事は風神の御加護で、奇跡の復活を遂げていた。謎の仮面の男は……いったい何をしていただろう。それはともかく——斧を強く握り、この瞬間まで憎悪と嫌悪に塗れていた紅葉の心も、さすがに今のユビキタスを見て心を痛めた。

 事故から生還したユビキタスは、ゆっくりと両手を持ち上げ首を振り、元の位置から大幅にずれた目隠しと轡を、そっと外して地面に落とした。彼の頭頂部から流れる血が、瞼の上にツゥーと滴り、目元を朱く、惨めに濡らす。

 その様子は、突然の事故に遭ってしまった、不幸な老人にしか見えなかった。


「——先生っ!」

 紅葉は手を緩め、戦意を捨てて、サウザスみんなの恩師のもとへ駆け寄った。紅葉は直接ユビキタスに授業を教わったことはない。でも少年時代のショーンが、何度も楽しそうに校長の話をしていた。難しい数式を初めて教わった話とか、アントンとの喧嘩を止めた話とか、先ほど通りすぎた《ジーンマイセの丘》の昔話とか。


 紅葉は大地を大きく蹴って、ユビキタスのもとへ向かった。腕輪と足輪と首輪が付けられ、体から鎖を何本も垂らした彼が、地面をザッと踏み締め、両腕を重たそうにゆらりと揺らす。

「……………………っ!」


 慣性のまま前へ出そうとした左脚を、無自覚の意思が右脚でグッと押し留めた。

 ザリッと、靴と砂の擦れる嫌な音がする。

 泥の塊が肌から剥がれて下に落ちた。

 謎の悪寒が、全身の皮膚を赤くめくり上げた気がした。

 大型の草食動物が、目を赤くし角をチラつかせ、こちらに戦意を向けている。


 まずい———敵だ。


 紅葉はこの場から離れようと、体を横向きに捻ったその瞬間、黒い囚人護送車の大きな車体が、横殴りに降ってきた。


挿絵(By みてみん)


 10数枚の葉のエキスをいっぺんに喉へブチ込み、ペーターは黒い弾丸になった気がした。筋肉が硬化し、感覚すべてが鋭敏になり、脚の肉球が強弾性のゴムに変化した。磁場の影響はまだ残っていたが、もう彼には関係ない。すべての重力から解放された気がした。

 一介の警官であるペーターは、ショーンがどんな呪文を打ったか詳細はわからなかった。だが先ほどの様子とクラウディオの反応から、他人の呪文を鎮めるものだと判断できた。


 ——この機を逃しては絶対にならない!

 高い頭巾をかぶり、木の葉の仮面をつけ、黒い着物をまとった人物のもとへ、脱兎のごとく突進した。

 気づいた仮面男は慌てて左手から失神呪文を打ってきたが、ペーター刑事はしっかり軌道を目視し、地面を蹴り上げ、弾道から体を避けた。

 今ならなんでも見える。わかる——


 こいつに【軽量拳銃コルク・ショット】は絶対効かない。拳で捕まえるしかない。

『呪文っていうのは最初に体の一部、あるいは複数箇所にマナを集中させると、その部位が光ります』

 ショーンが教えてくれた対処法を、頭の中で反芻させた。

「光るトコは真っ先に壊すコト……確実なのはクチを塞ぐコト…………よしっす」

 シミュレーションは完了できた。


 幸い、呪文に失敗した仮面の男は、心なしか怯えた様子だ。

 あと少し——あと数歩走れば、こちらの手の届く距離になる——

 その時、鋭敏になったペーターの視界に、遠くで揺れ動く、大きな黒い塊が飛び込んできた。

 あれは———囚人護送車か?


 眼球を横に少しだけ動かす。

 黒いひしゃげた護送車が、鎖を軸にして、空を吹っ飛んでいる。

 鎖の先にはユビキタスがいる。奴が車を、投げ縄のように宙へ飛ばしている。

 そして、車の飛んでく先には————紅葉だ。

 まずい。 

『…………もみじ、……たすけて……』

 ショーンの望みの言葉が、脳と耳を反芻していく。



 瞬時に、ペーター刑事は仮面男のいる左方から、右方へと大きく舵を切った。

 舵を切る寸前に優秀な警官であるペーターは、周囲の状況を兎の耳でチェックしていた。はるか後方の元いた場所では、磁場が完全に弱まり、仲間の警官が復帰し始めている。ショーンは倒れたが心臓の鼓動は鳴っている。クラウディオもたぶん元気だ。

 仮面の男の相手は、後方の仲間たちに充分任せられると、判断できた。

「っし、ジブンはあっち行っても、ダイジョウブっすね!」

 急に軌道が逸れて、虚を突かれている仮面の男を完全無視し、ペーターは右遠方にいる紅葉の救出へと走っていった。

 ——頼む。どうか無事であってくれ。

 あの人の望みは、なんとしても、自分が守りきらなきゃならないのだ。

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